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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
67/235

67 黄泉路(1)

 都から西へ一時(約二時間)

 嵯峨野の広沢池と桂川の中間地点の緑地に、泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)は建てられた。

 まだ完成には至っていないが、宮中で騒動を起こした欣子(よしこ)を受け入れる為、急遽開かれる事となる。

 神に仕える斎宮の野宮の為、敷地内の建物は簡素だ。

 周囲は木立に囲まれ、清廉な空気に包まれているが、都と比べれば何も華やかな様子はない。


「内親王様、牛車は此処まででございます。お降りください」


 聿子(いつこ)の声と共に、牛車の御簾があけられると、欣子は眩しそうに目を細めた。

 早朝暗い時間に大内裏を出発し、外の様子など見る事が出来なかった。牛車を降りてようやく自分が連れてこられた場所を見る事ができ、その光景に目を(みは)る。

 都のように煌びやかなものは一切ない、檜皮葺きや板葺き、萱葺きの屋根と木立の緑だけしかない。


「ここから先は桂川まで四町(約500m)程の道のりを歩いて向かい、桂川で禊ぎを行ってから野宮に入ります」


 淡々と聿子に言われ、欣子が聿子を睨む。


「なぜそのような距離を歩かなくてはならないの?! このまま牛車で行けばいいじゃないの!」

「なりません。これも禊ぎの為に必要な事でございます」

「嫌よ!」

「ならばいつまでも野宮に入れず、このまま野宿となりましょう」


 野宿という言葉に、欣子が奥歯をぎりっと噛み締める。


「この辺り一帯は野犬も多く出ましょう。野宿となれば襲われても致し方ない事。内親王様が野宮に入らねば、わたくし達も中に入る事は出来ませぬ」


 先日の宮中での出来事があって以降、聿子の欣子に対する態度は一貫している。

 甘えを許さず、斎宮としての教育を事務的に行っている。

 欣子がどんなに癇癪を起しても、我儘を通そうとしても譲ることはない。


 暫くにらみ合う形で時間が経過していくが、根負けしたのはやはり欣子であった。

 渋々といった形で桂川へと向かい、禊ぎを行う。

 斎宮として自覚があるものであれば、一刻(30分)もあれば到着する距離も、欣子の我儘によって何度も足が止まり倍の時間がかかってしまった。

 禊ぎを終え、野宮に入る頃には午三刻をとうに過ぎていた。




 今までの華やかで優雅な生活とは正反対、慎ましく規則正しい生活が始まるが、欣子の我儘は変わらずだった。

 女官達を困らせ、振り回し、その都度聿子に厳しく叱咤される日々が続く。

 皐月(5月)の初めに泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)に欣子が来てから、水無月(6月)と月日が進んでも欣子が変わる事がなかった。

 聿子は手を焼く欣子の教育は、あの時月影の当主の内儀となる姫への、欣子の暴挙を止められなかった自分への贖罪だと思い、根気強く向かい合うが、欣子には全く贖罪の意識がないまま月日が移り変わる。


「もう嫌! 何時になったら都に戻れるのよ!」


 水無月の終わりのある夜、泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)で与えられた自室で、欣子が癇癪を起す。

 自室のある建物は、襲芳舎(しゅうほうしゃ)のように(ひさし)に監視の目がある訳ではないが、それでも建物自体の入り口には蔵人が居り、泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)の門には検非違使(けびいし)が立つ。

 欣子の中では野宮に居るのは一時的なもの、自分は伊勢など送られるはずはないと思っている。


「毎日祈りと斎宮についてばかり! こんな事を何時までしないといけないのよ!」


 そう言うと、文机にある巻物を手で払い落す。

 清浄潔斎は変わらず続き、心身を清める為に飲食も制限される。宮中では好きな物を好きな時に食べていた欣子には、嫌いな物が膳にのってもそれを拒否する事は出来なかった。


「内親王様」


 庭の方から欣子を呼ぶ声が微かに聞こえ、苛立ちを爆発させる寸前の欣子の動きがぴたりと止まる。


「欣子内親王様」


 もう一度、自分を呼ぶ声が聞こえ、欣子は庭に面した廂へと向かう。


「誰?」

「わたくしです、淡路でございます」


 元々、野宮の敷地には華美な装飾がない為、庭となる場所も簡素だ。

 元々生えていた大きな木と、岩が二つ。整地の際に除けず、そのままとなったものが装飾としてあるのみだ。

 その木の陰から、淡路が周りを窺いながら姿を現す。


「どうして・・・っ!」

「大きな声を出さずに」


 思わず大きな声を上げかけた欣子に、淡路が小声で制する。

 それに気がついた欣子は慌てて口元を手で覆い、室に誰か入ってく気配がないかと窺い、誰も来ないとわかるとそっと廂に膝をつく。


「淡路・・・」

「内親王様」

「どうしてここに?」


 欣子の問いに、淡路が廂へと近づくと、欣子は縋るように淡路の腕を持った。


「承香殿の女御様の体調はお戻りになられましたが、内親王様がいらっしゃらずお寂しそうでございます」

「母上様・・・」

「内親王様がいらっしゃらない事で、あの娘を慕う者も多くなっております・・・。わたくしはそれが悔しくて」


 淡路の言葉に、欣子の淡路の袖を持つ手に力が入る。


「わたくしも悔しい。あの女子(おなご)が手に入れようとしているものは、本来わたくしのものになる筈だった! わたくしが皆に囲まれ、傅かれるはずだった・・・」

「内親王様・・・。淡路はまだ諦めておりません。月影の当主の御内儀には、内親王様が一番ふさわしいと思っております」

「でも、でも・・・わたくしはこんな所に追いやられてしまった」

「時期を待つのです」


 力強く手を握り返されながら言う、淡路の言葉に欣子の目が瞠られる。


「幸い、伊勢に行くまでにはまだ時間がございます。それに、まだ月白様とあの娘の婚姻は成立しておりません」

「成立していない・・・?」

「そうでございます。藤原盈時(ふじわらみつとき)殿が嫁ぐ条件として、娘が裳着を済ませるまで待って欲しいと言ったそうでございます」


 淡路の言葉に、欣子は力なく笑う。


「あはは・・・。それでも・・・それでも! あの女子を月白(げっぱく)様が大事にしている事には変わりない! あの女子がいなければ、わたくしはこんな惨めな思いをしなくて済んだ! あの女子など魑魅魍魎に喰われてしまえばよい!」

「・・・内親王様、声が高こうございます。ここは神の地、そのような言葉が此処にいる者達の耳に入れば、内親王様のお立場が悪くなってしまいます」

「せめて、せめて都に帰りたい。このような息苦しい場所はもうたくさん! ねえ、淡路。わたくしを都へ連れて行ってちょうだい」


 暗い目をした欣子が、淡路の顔を凝視する。


「・・・それはなりません」

「どうして・・・っ!」

「先ほども申した通り、今は動く事が出来ません。・・・淡路に考えがございます。ただ・・・」

「ただ?」

「準備に暫しお時間をいただきとうございます」


 そう言いながら、淡路が欣子に頭を下げる。


「今はお辛いかと存じます。淡路の準備が整うまで、暫しお待ちくださいませ」

「それは、どのぐらい、なの」

「長月に入るまでには・・・。その間、内親王様は斎宮となると見せかけ、日々ここで耐えて下さいませ」

「・・・そんな長い時間っ」

「大人しく従順な振りをして、斎宮としての務めを行ってください。必ず、必ず、淡路が手だてを整えます」


 淡路が言い聞かせるように欣子の瞳を見つめ言うと、室の奥の廂がかたん、と、音を立てた。


「内親王様?」


 声の主は斎宮付きの女官だ。いつまでも明かりが消えない為、様子見に来たのだろう。


「淡路・・・っ」

「さあ、お戻りくださいませ。また伺います」

「待っているわ、必ず、必ずよ」

「内親王様?」


 再びの女官の声に、欣子が室内へと戻る。一度振り返ると、もうそこには淡路の姿はなかった。

 同時に、女官が几帳の影から顔を出す。


「まあ、このように大事な巻物を・・・!」


 床に散らばった巻物を見て、女官の小言が始まりそうになるのを、欣子は聞こえないふりをして帳台へと入る。

 それを見た女官は、いつもの事とため息をつくと高灯台の灯を消す。


 その頃、淡路は泊瀬斎宮の敷地の外で、建物へと視線を一度向けると、暗闇の中に姿を消した。



 その夜を境に、欣子の態度が変わる。

 相変わらず我儘を言う事や癇癪を起こす事はあっても、斎宮としての務め、清浄潔斎に関しては少しずつ受け入れ始める様子が見れた。

 聿子は(ようや)く欣子が自分の行なった事を反省し、斎宮としての務めと向き合う決心がついたのだろうと考える。

 それは文月、葉月と続き、泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)に仕える者達も、ようやく落ち着いた日常に安堵していた。






 朝夕に冷え込みが出始めた頃、京の藤原邸に居る咲子(えみこ)が咳を繰り返す。


 ―こんっ、こんっ!


「大丈夫ですか?」


 咳をする咲子を見て、源昭仁(みなもとのあきひと)は心配そうに咲子の顔を覗き込む。


「大丈夫です。数日前より咳が出て・・・。お見苦しいですよね」

「そんな事はありませんが、薬湯は? 薬師(くすし)には診て貰いましたか?」

「はい。先日薬師様に診ていただいたら、風邪だろうと言われました。薬湯は浮島が用意してくれています」

「朝晩急に冷え込んできましたからね。今日も早くおやすみになった方が良いでしょう」


 昭仁が気遣うように咲子に言うと、咲子の表情が少し沈んだものになる。


「どうしましたか?」

「・・・もう、お帰りになってしまうのでしょうか?」


 表情を変えた咲子の顔を、心配げに昭仁が覗き込むと、俯いた咲子がぽつりとこぼす。

 本人の自覚なしに出てしまった言葉なのだろう。慌てて顔をあげた咲子の頬が淡く染まっている。


「あ、あのっ・・・!」


 自分が零した言葉が恥ずかしかったのか、咲子が動揺する姿を昭仁は愛らしいと思う。


「なんと可愛い事を言ってくださるのでしょう」

「あの、月白様・・・」


 昭仁は咲子が自分との時間を離れがたいと思っている、その事が分かっただけでも上機嫌になる。

 そっと咲子の手を引くと、そのまま自分の腕の中に収めてしまう。

 いつか自分が咲子に渡した、甘い花と蜂蜜の香の香りが昭仁の肺の中を満たす。


「これから二人で過ごす時間は沢山あります。私は躑躅(つつじ)と過ごす時間が至福なのです。そして、あなたの具合が悪いと心配で何も手につかなくなってしまいます。私の為に、身体を(いとい)ください」


 そっと身体を離し、優しく咲子の顔を見ながら昭仁が言うと、甘く耳に響く言葉に、咲子は幸せそうに頷いて見せた。






泊瀬斎宮はつせいつきのみやは日本書紀にも出てくる天武天皇の娘、大来皇女が身を清めるために滞在した場所とされています。実際は奈良県桜井市にある遺跡がそうではないか、と伝わっていますが、このお話の中では「嵯峨野にあった」と設定しています。

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