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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
66/235

66 天と地(5)

 カシャン!!


 何かが渡殿の床に落ちた音が響く。

 何が起こったのか。


「大丈夫ですか、姫様」


 藤原咲子(ふじわらえみこ)は反射的に固く閉じてしまった瞼をゆっくりとあけると、目の前には見覚えのある直衣が広がり、それと同時に額の左側がじんじんと痛む。

 封土(ふうど)に抱えられ庇われている状態と頭が理解した途端、体中の力が抜ける。


「・・・はい、少し左の額が痛いですが、大した事ありません」


 咲子の言葉に封土が慌てて顔を覗き込むと、左の耳上に挿されていた髪飾りが無く少し髪が乱れている。

 咲子を腕にしたままに封土が先程音のした方に視線を向けると、咲子の飾りが落ちていた。


「放して! 放しなさい! わたくしを誰だと思っているの、無礼よ!」


 騒ぎで駆け付けた蔵人達に、腕を拘束された欣子がそれを解こうと暴れる。

 先程、欣子が咲子に向かって手を伸ばしたが、封土が庇った事で空を切った欣子の手が、咲子の髪飾りを無理やり引き抜く形になったようだ。


「姫様、申し訳ありません。もう少し早く気がつけば」

「大丈夫です。少し驚いただけです」

「でも御髪が」


 そう言いながら、封土が咲子の乱れた髪をそっと整える。


「今ので御髪と飾りが・・・」

「この位、大丈夫です。でも驚いてしまって力が抜けてしまいました」


 力なく微笑む咲子を見て、封土が眉を下げる。


「な、何よ、何よ! 何故そんな風に皆に守られてるのよ! たかが目付の娘の分際で! それに、そんな飾りだって分不相応だわ!」


 蔵人たちに両腕を抑えられているのを、それでも振り解こうと欣子が暴れる。


「内親王様、落ち着いて下さい!」

「煩い、煩い! わたくしのいう事を聞きなさい!」

「内親王様・・・!」


 いつの間にか、騒ぎを聞きつけた内裏に務める者達が集まり、遠巻きに様子を窺う。

 蔵人の傍には、淡路が縋るように欣子を呼ぶ姿がある。


躑躅(つつじ)!」


 その人垣を割って、咲子の名を呼ぶ源昭仁(みなもとのあきひと)が現れる。

 今日の咲子の予定に合わせ、昭仁は務めが終わり常寧殿へと向かっている最中、欣子の暴挙を知り慌てて駆け付けたようだ。

 余程急いだのだろう、普段の昭仁では見る事が出来ない、息が少し上がった様子だ。

 昭仁が咲子の傍に膝をつき顔を覗き込んでいると、大内裏での昭仁付きである文官が、息も絶え絶えで到着した。

 昭仁は、封土の腕の中で守られる咲子の姿を見て、大きく息を吐きだす。


「怪我は?」

「大丈夫です」

「いえ、欣子内親王様が姫様の飾りを抜き取った際に、左額の御髪が少し引っ張られ、切れてしまったようです」


 封土の言葉に、昭仁は咲子の左額の髪をそっと掬う。


「ああ、少し赤くなっているな」

「申し訳ありません。僕がついていながら・・・」

「月白様、封土は悪くありません」

「大丈夫ですよ、躑躅。封土殿のせいではない。まさか内裏内でこのような事が起きるとは予測もつかなかったでしょう」


 咲子を安心させるように、柔らかく昭仁は微笑む。


「申し訳ございません!」


 咲子の姿を見て安心したのだろう、昭仁が状況を確認しようと立ち上がろうとした時、謝罪の声がかかった。

 声の主は欣子の前に膝をつき、頭を下げる聿子(いつこ)だった。


「まさか、内親王様がこのような行動を起こすとは・・・。それでもわたくしの監督不行き届きでございます」


 その様子を昭仁が目を細め見つめる。口を開こうと息を吸い込んだ瞬間、昭仁の衣冠の袖を咲子が引く。

 それに気がついた昭仁が咲子の方を向くと、咲子が小さく首を振った。


「なによ! 何故頭を下げるの! あなたはわたくしに仕える・・・!」

「欣子内親王!」


 聿子が自分の前で頭を下げる様子を見て、欣子が感情的に口を開きかけた時、遅れて到着した東宮の声が響く。

 普段の東宮からは考えられないような怒気を含んだ厳しい声に、口を開きかけた欣子がびくりと身体を縮こまらせた。


「何て事を・・・!」

「・・・っ! だって、あんな質素な所に押し込められてっ 誰もわたくしの言う事を聞かない・・・ッ」


 その子供じみた言い訳に、東宮の顔が怒りから冷たく変わる。


「聿子殿、この後でいい、状況の説明を。まずは月白(げっぱく)殿、姫に怪我は?」

「少し額に」

「あと、驚かれて力が抜けてしまわれたようです」


 東宮の問いに昭仁が答え、それに補足するように封土が付け加える。


「急ぎ、暁子(きょうこ)に使いを。姫が横になれるように準備をと伝えてくれ。それと薬師(くすし)を呼ぶように。大臣達には日を改めるように手配をしよう。欣子内親王。其方は穢れを払う忌み籠りの最中に、このような事を起こした。処分を伝えるまでは襲芳舎(しゅうほうしゃ)で謹慎を。検非違使(けびいし)をつけよ」

「そんなっ!」


 東宮の言葉に淡路が声をあげ、欣子が呆然と東宮を見つめる。


「立てますか?」


 昭仁は咲子を支えようと手を差し出すが、立ち上がろうとした咲子は膝から崩れてしまう。


「ああ、無理をしなくて良いですよ」


 そう言いながら微笑むと、昭仁はからふわりと咲子を抱き上げた。


「薬師も手配されているようですから、額も見てもらいましょう」


 咲子を抱え、立ち去ろうとする昭仁を、検非違使に囲まれた欣子が昭仁の名を呼ぶ。


「月白様っ!」

僉議(せんぎ)の日の、私の言葉をお忘れでしょうか?」


 そう言い、昭仁が冷たい視線を一瞬だけ欣子へ向けると、欣子の身体が大きく跳ねた。


『女御様、内親王様は月影の家及び、我が妻への関りはお控えください』


 あの時の昭仁の冷たく響く言葉が欣子の脳裏に浮かぶ。


「あ・・・っ わたくしは・・・月白様・・・」


 目を見開き、欣子は検非違使に拘束されたままの右腕を延ばそうと藻掻く。


「内親王様、おやめください!」

「放しなさいっ!」


 拘束が外れず、放せと声を荒げる欣子を、その一瞥以降、昭仁は視線を向ける事はなく、咲子を抱き、封土を伴い常寧殿(じょうねいでん)へと立ち去る。

 皆が喚く欣子を遠巻きに見る中、涙を堪えながら床に落とされたままの髪飾りを、淡路がそっと拾う姿があった。






 あの出来事から、昭仁も御劔(みつるぎ)達も過保護に拍車がかかった気がすると咲子は思う。

 咲子の額の傷も酷いものではなく、二、三日もすると痛みも引いた。

 暫く封土が落ち込んでいたが、それも咲子の傷が癒えると共に持ち直した様子で咲子は安心する。


「欣子内親王への処遇が決まりました」


 内裏での出来事から五日過ぎた頃、いつものように、藤原邸に務めの後に立ち寄った昭仁が口を開く。


「このまま斎宮としての任を続ける事。ただし、初斎院の期間はかなり短くなり、近々野宮(ののみや)に移動となります。あとは通例通り一年後には伊勢へと向かうとの事です」

「それは咎は無しという事でしょうか?」


 昭仁の言葉に、口を開いたのは颯水だ。


「内親王様はこれから監視が厳しくなり、自由はありません。現在も襲芳舎には検非違使がいますが、それは野宮でも変わらない。今までの斎宮のような権利は内親王様には与えられません」

「帝の寵愛が大きい内親王様であれば、この処分が良いのでしょう」


 溜息と共に、盈時(みつとき)が答える。

 本来、斎宮は別当以下の官人や女官、中臣、忌部、宮主などの神官が近侍して斎王の斎戒生活を支えるが、此度の欣子の野宮は必要最低限の支度、人数となった。

 また、監視の意味が大きい為、伊勢へと向かう際も本来ある発遣の儀式は行わないと言う。


「私との婚姻となると、今後、躑躅は内裏へ呼ばれる事も増えるでしょう。欣子内親王様が内裏に居て、都度問題を起こされる事も避けたい、ならば遠い伊勢で監視をしておく方が良いという事になりました」


 欣子の身分を考えれば、罰を与えるという事も難しい。ならば監視も兼ね、斎宮として都から離す事が最善と判断された。斎宮の修練は今の欣子にとっては厳しいものとなる為、それも罰の一つというのが朝廷の考えだった。




 昭仁からの報告があった四日後、欣子はひっそりと野宮へと移動する事となる。

 斎宮として初斎院を終えた場合、華やかな見送り等があるが、今回は必要最低限の簡素なものだった。

 用意された牛車や付き添う者達を見て、欣子の顔に怒りが浮かぶ。

 欣子の着ている衣装は斎宮として誂えたものだが、牛車を囲むのはまるで罪人を乗せるかのように検非違使数人が囲み、華やかとは言い難い。

 同行する女官達の数も最小限だ。


「余りにも、これでは内親王様が哀れでございます」


 淡路が思わず聿子に訴える。


「今回内親王様が行った事を思えば、これはかなり寛大な処遇です」

「このような扱い・・・っ!」


 聿子の言葉に欣子が怒りで震える。


「・・・まだご自身が何をされたのかご理解できていないようですね」


 欣子の言葉に、聿子が呆れたように言葉を返す。

 実際、襲芳舎では忌み籠りという名の謹慎だったが、欣子は反省すら見せる事はなかった。


「父上様と母上様のお姿がないのはなぜ?!」

「・・・帝は外せないご用事があるとの事です。承香殿の女御様はあれ以来臥せっておいです」


 言い辛そうに伝える淡路の言葉に、欣子が呆然とする。


「わたくしが内裏を離れるというのに父上様が来ないなんて! それに、母上様が臥せっているなど誰も教えてくれなかった!」

「東宮様より、忌み籠り期間は誰も近づいてならぬと言われておりました」

「そんなっ、直ぐに母上様の所へ・・・っ」

「なりません!」


 今にも承香殿(しょうきょうでん)へと向かおうとする欣子を、聿子が制する。


「内親王様はこれから野宮に行くのです。こちらでの生活はお忘れください。さあ、時間がありません」

「嫌よ、行かない!」


 その場から動こうとしない欣子を見て、聿子が溜息をつく。


「そこの者、内親王様を車に乗せよ」


 牛車の傍で待機していた検非違使に、聿子が指示を出す。


「聿子様、ほんのひと時でも。内親王様を帝と承香殿の女御様に・・・」

「なりません。誰とも顔を合わせず、速やかに内裏及び大内裏を出るようにと申し付かっております。さぁ、内親王様、お早く」


 淡路の願いは聞き届けられる事なく、欣子は嵯峨野の野宮へと向かった。







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