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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
64/235

64 天と地(3)

 二日後、宜陽殿(ぎようでん)左近衛陣座(さこんのじんのざ)にて僉議(せんぎ)が行われる。

 先に他の公卿(くぎょう)達と同じく東宮が座についた所で、帝の到着が知らされた。

 皆が頭を下げる中、帝、中宮、承香殿(しょうきょうでん)女御(にょうご)欣子(よしこ)内親王と座につくと、僉議が始まる。


「して、此度の僉議とは? しかも承香殿の女御と内親王も同席しておるが、内容は普段の僉議と変わらぬではないか」


 急な僉議の知らせではあったが、始まってから今の時分までの内容は、普段の僉議と変わらない為、帝が東宮へ問う。


「ええ。ここまでは。まずは本来やるべき事を済ませてからと思いまして。ここからは、以前より先延ばしとされております、斎宮の裁定(さいてい)についてでございます」


 東宮の言葉に、帝が微かに目を瞠ったのに気がついたが、東宮は穏やかに微笑み、言葉を続ける。


「裁定が出てから、随分と時間がたっておりますれば、このまま先延ばしにする訳にも行かぬでしょう。ですから、承香殿の女御と欣子内親王も同席をお願いしたのです」


 東宮の続く言葉に、控えた公卿たちの空気がざわりと揺れる。

 欣子が斎宮にと裁定されたのは、帝の指示で一部の者にしか知らせていない事だ。


「既に欣子内親王で決定しているのに、一向に公卿以下に通達もなく、初斎院(しょさいいん)での潔斎(けっさい)の準備もない。一体どういうことなのでしょうか?」

「・・・なぜ、其方がその事を」

「知っているのか、というのであれば当たり前ではないですか。この件に関しても相談が来ているのですよ。何よりも大事な事柄なのに、帝からは一向に知らせがない、どうしたらよいのかと」


 そう言うと、東宮はちらりと帝の後ろに控える圭子(たまこ)欣子(よしこ)へと視線を向ける。

 二人は微かに強張った表情を浮かべてはいるが、その視線は真っすぐ東宮に向けられ、なぜここでそのような話が出るのだと言わんばかりだった。


「さて。何故なのでしょうか? 裁定が降りたのはひと月以上も前の事」

「それは・・・」


 東宮の問いに帝が言葉に詰まる。

 斎宮とは帝に代わって伊勢神宮の天照大神に仕え、人と神との架け橋として国の安寧と繁栄を願い、神への祈りを捧げる日々を送るという、未婚の内親王にしかできない役職だ。

 斎宮の裁定が降りれば、直ぐに準備を整え初斎院での潔斎を行い、次に野宮(ののみや)に入る事が通例となっている。

 野宮とは斎戒(さいかい)生活を送りながら、翌年の長月まで伊勢下向に備えて過ごす場所で、斎宮一代で取り壊される場所だ。


「・・・恐れながら、欣子には婚姻の話が出ておりますれば、斎宮にはなれぬかと」


 帝に代わって口を開いたのは、圭子だ。


「そのような話ははじめて聞きました」


 東宮が白々しく驚いた顔をしながら答えると、圭子は鷹揚に頷く。


「そちらに控えている、月白殿との婚姻です」

「それにしてはおかしな。私が聞いたのは既に月影の当主殿は内儀を決定され、帝への報告も済んでいる筈。そうではないかな、(みなもと)殿」


 東宮より言葉を向けられた源昭仁(みなもとのあきひと)は、深く一礼をする。


「はい。ひと月ほど前、拝謁(はいえつ)した折に帝へのご報告は済んでおります」

「おお、お相手は目付殿の姫とか」


 昭仁の言葉に右大臣が答えると、昭仁が笑みを返す。


「なぜ、今そんな事を話すのですかっ」


 その空気を割くように、圭子の声が響く。


「それに、今日の集まりは、月影の家と欣子の婚儀についてではないのですか?!」

「・・・確かに、その件も含めてと考えてはおりますよ」


 東宮の言葉に、圭子がほっと息をつく。


「では、欣子と源家との婚姻を進めてくださるのですね?」

「いいえ」


 圭子の言葉に答えたのは昭仁だった。


「我が妻となる者は、躑躅(つつじ)ただ一人でございます故」

「どうしてっ!」


 淡々と告げる声に、反射的に叫んだのは欣子だった。


「また、あの女子(おなご)月白(げっぱく)様に我儘を申したのでしょう、そうに決まっています。あれだけあの女子に言い含めたのに・・・っ」

「さて、言い含めたとは。当主である私に通さずに()()()へとそのような話をされては困ります」

「だって、だって」


 次の言葉が口から出ないのか、欣子が幼子のように首を振りながら同じ言葉を繰り返す。


「それに、私は早くから欣子内親王様との縁談をいただいた際に、当時の当主である祖父倖仁(ゆきひと)と共にお断りした筈でございます」

「それは幼き頃の事でしょう? 今、其方が家を継いだからこそ、皇族との結びつきは大切でしょう?」

「結びつきなど私にとっては重要ではないのですよ。既に我が源家は皇族や都の人々を守る為に、遥か太古から契約をしている。私が一番あなた方に問いたい事は、欣子内親王様が、()()()となる躑躅に行った事についてだ」


 一瞬、昭仁の言葉と同時に周りの温度が下がったような感覚になり、周りの公卿達がぶるりと身震いをする。


「源殿の言う通りですよ、帝。欣子は事もあろうか、内裏に来ていた躑躅の姫に対して『自分が正室になるから側室として弁えろ』と告げたのです」


 東宮の言葉に帝と、隣に座る中宮が驚きで目を瞠る。また同時に、左近衛陣座に集まる公卿達も息をのむ。

 しん、と静まり返った左近衛陣座内に、すすり泣く欣子の声が響いた。


「・・・だって、だって、仕方ないじゃない。・・・あの女子がいるからわたくしは嫁げないのでしょう?! わたくしはあの女子に寛大な言葉をかけたわ! ()()()()()()()()()()と! 大体、たかだか目付の娘の分際で、月影の当主の妻なんておかしいじゃない!」


 欣子のすすり泣く声が、次第に怒声へと変わっていく。


「そうです! 身分を考えれば、また今後の後ろ盾を考えれば、欣子を選ぶ事はあっても、目付の娘など、」

「ああ、あなた達は大きな勘違いをしている」


 感情的に声をあげる圭子と欣子に、東宮が溜息と共に冷めた視線を二人へと送る。


「我らが月影の後ろ盾になるのではない、月影の家が、皇族や貴族たちの後ろ盾となるんですよ」


 東宮の言葉が冷たく響き、左近衛陣座に沈黙が降りた。


「・・・ここまで愚かとは。やはり帝や承香殿の女御殿が否と申しても、無理にでもわたくしの元で教育を受けさせるべきでした」


 今までのやり取りを黙って聞いていた中宮が言う。


「皇族としての務めが何たるかも、斎宮の地位の重要性も分からず、月影の家の本質も知らずとは・・・。皇族と名乗るにはあまりにも嘆かわしい」

「中宮様に! 何が分かると・・・っ」

「贅沢をし、思うように、好き勝手振舞う事が皇族ではありません。ただ、今回の事は承香殿の女御だけの責任ではなく、二人に甘い帝にも責任がある事でしょう」


 呆れたような視線を、中宮が帝に向ける。


「父上様、わたくしは斎宮などなりたくない! 月影の家へ嫁ぎたいのです。皆から傅かれ敬われる地位こそふさわしいのです」

「そうです、欣子の相応しい家は月影以外にはないと、帝も申されたではありませんか」


 はらはらと涙を零す二人を、帝は痛ましい表情で見つめると、昭仁へと視線を送る。


「・・・何とかならぬのか。ここまで二人が申しておる・・・。やはり目付の娘は側室として」

「まだそのような事をっ!」


 一瞬昭仁との視線が交わった後、視線を彷徨わせながら言う帝に、中宮が一喝する。


「・・・わかりました」


 昭仁の口から出た了承の言葉に、帝が昭仁へ顔を向け、欣子と圭子は先程まで涙を流していた瞳に期待の色を浮かべる。


「そうか、了承してくれるか」


 帝の期待がこもった言葉に、昭仁が微笑む。


「私共月影の家は、地位を返上して領地に向かうとしましょう」

「なっ!」


 予想もしていなかった昭仁の言葉に、帝が驚きの声を上げた。


「源殿、それは・・・」


 慌てた左大臣が、思わずといった様子で言葉をかける。


「ええ、都に居てもこのような事に振り回されるのであれば、地位も返上し月影一族と躑躅の身内を連れて、吉備に籠るのも良いかと」


 昭仁が微笑みながら言うと、公卿たちが慌てふためき、その様子を眺めていた東宮がやれやれといった表情を浮かべた。

 此処にいる者たちは、帝と圭子、欣子を除いた全員が月影の家の価値を理解しているのだ。

 吉備に籠られては、誰が都を守ってくれるというのだと焦る。


「いや、それは、源殿」

「どうか、考え直していただけないだろうか」


 口々に慌てた公卿達の言葉を聞きながら、昭仁は涼しい顔を崩さない。

 領地に行ったとしても金銭的には困る事もなく、愛しい咲子と一族と、咲子の身内とでのんびりと過ごせるのだ。

 代々から続く契約があって都に留まってはいるが、帝がその契約を反故にするのであれば留まる理由もない。

 昭仁にすればもっと簡単で、都に留まる理由は咲子の存在だけだ。


「領地にというのも悪くはないけど、いずれ私が帝となったら戻ってきてくれるんだよね?」

「・・・考えておきますよ」


 冗談めかして東宮がそう言うと、昭仁がさらりと答える。

 それを聞いている公卿たちが青ざめた。

 ざわざわと座が騒がしくなる中、此度の元凶となる三人は呆然としたままだった。


「さて、帝に決断していただきとうございます。今回の内親王が行った事は、源家への愚弄に当たり許される事ではありません。それを償うという意味も含めて、斎宮として欣子内親王が務めを果たすというのが、一番丸く収まるかと。どうだい? 源殿?」

「・・・東宮様がそう仰られるならば、こちらも引きましょう。ただし、女御様、内親王様は月影の家及び、()()()への関りはお控えいただきますように。躑躅が負った傷を思えばこの程度で済んだとお考え下さい」


 そう告げる昭仁の表情は、何の感情もない。


「帝・・・」

「・・・父上様」


 圭子と欣子が縋るように帝を見つめる。


「・・・では、ここに勅使を」


 長い沈黙のあとに出た帝の言葉は、二人が願うものとは正反対のものだった。









●初斎院から野宮、伊勢へ行くまでは本来長い時間を要します。

初斎院→1年間斎戒生活を送る(短くなる場合もある)。

野宮→初斎院での潔斎の後、翌年8月上旬に入る。

伊勢下向→野宮で1年間の潔斎の後、翌年の9月。


因みに、欣子内親王は斎宮を慎ましい生活と言っていますが、都に居るのと変わらない、豪華な生活をしていたようです。

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