表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
61/235

61 希う(5)

 承香殿(じょうきょうでん)に近い渡殿で女孺(にょじゅ)達が噂をする。


「相変わらず、月影の当主様の、目付様の姫への寵愛は止まる事がないようですね」

「先日も常寧殿(じょうねいでん)にいらしていた姫と、仲睦まじく車箱でお帰りになっていたわ」

「そういえば、先日姫君とすれ違ったのだけど」


 そこまで話すと、女孺達の声が小さく囁くような声になった。


「まぁ!」


 次の瞬間、弾むような声が上がる。


「なんて素敵」

「という事は、月影の当主様がご自身の香を姫にお渡しになったのかしら」


 うっとりと、夢物語を語るような口調で女孺達が「うらやましい」と声を重ねる。


「あなた達、こんなところで噂話などして。はやく持ち場に戻りなさい!」


 渡殿に偶然やってきた麗景殿(れいけいでん)の女孺頭が、立ち止まり話に花を咲かせる女孺達に雷を落とす。

 どうやら噂をしていた女孺は、麗景殿の女御に仕える者たちらしい。

 麗景殿の女御は帝の側室の一人で、澄子内親王の母となる。

 突然の自分たちの上司の声に、女孺達は首を竦め「も、申し訳ありません!」と返事をすると、急ぎ足でその場を立ち去った。

 その様子を承香殿の(ひさし)で、几帳の影から眺めている影が二つある。


「内親王様・・・」


 几帳の影で、扇を握りしめた手を震わす欣子(よしこ)と淡路の姿だ。

 あの日の騒動の後、暫く承香殿に籠っていた欣子だったが、いつまでも室に籠っているのも身体によくないと、淡路が承香殿と清涼殿(せいりょうでん)の間にある坪庭へと、先ほど誘い出したのだ。


「誰もが月白(げっぱく)様とあの女の話ばかり!」


 欣子はそう吐き捨てると、自分の室へと戻る。


「本来、月白様の隣に居るのはわたくしなのよ! なのに、何故っ!」


 室に戻った欣子は手にした扇を握る手に力を籠めると、扇の骨が軋む音が鳴る。


「淡路、先程の申していた事をあなたは知っているの?!」

「・・・はい、先日より噂となっております」

「・・・構わないわ、話しなさい」


 欣子の強い口調に淡路は一瞬躊躇うが、欣子から強い視線を向けられ観念したように口を開く。


「ここ最近、目付の姫の纏う香りが変わり、それが月白の君のものと同じではないかと噂をしております」

「・・・そう」


 淡路の言葉に、欣子は怒りを湛えた視線を室内にある厨子棚へと向ける。螺鈿細工が見事な厨子棚だ。


「ねえ、淡路。わたくしも一度ちゃんと目付の姫に会わなくてはね」


 そう言う欣子の表情は、深い笑みを浮かべていた。





「姫様、今日は月白様がお越しでないとは残念ですね」


 数日後、常寧殿の方に誘われた藤原咲子(ふじわらえみこ)は、いつものように楽しく穏やかな時間を過ごし、常寧殿から(いとま)の為、見送りの侍女に添われ渡殿を歩く。

 最近、常寧殿の元に行くと、帰りは約束事のように源昭仁が迎えに立ち寄り、共に藤原邸まで戻る。

 甲斐甲斐しく咲子の為に動く昭仁を見て、初めは不満げであった暁子(きょうこ)も、なんだかんだと仲睦まじい二人の様子を見て、目を瞑るようになっていた。

 今日、昭仁は都の南西にある九条家で勤めがある為、咲子は藤原家の車箱で戻る。

 初めのうち、昭仁が迎えに来る事に恥ずかしそうな表情をしていた咲子だが、ここ最近は常寧殿の侍女の「月白の君がお迎えに来られましたよ」という言葉に、ふわりと柔らかく表情が変わる。

 常寧殿に仕える者たちは気がついていたのだが、当の本人である咲子は無自覚のようだ。

 また、昭仁もその表情は見られない為、気がついていないのだろう。

 そんな二人を、常寧殿の方を含め、皆が微笑ましく見守っていた。


「月白さまもお勤めがありますから、仕方がないです。でも、わたくしには心強い護衛がいますから安心です」


 そう咲子は微笑むと、自分の後ろに控える迅雷(じんらい)を見る。

 迅雷の帯飾りには、先日中宮から手渡された白から浅緑へと色を変えていく飾り紐が結ばれている。

 咲子に微笑まれた迅雷と侍女は、少し微妙な表情を浮かべ、それを見た咲子が不思議そうに首を傾げた。

 その様子に迅雷が言葉を発しようとした時、周囲の空気がざわり、と動き、それと同時に咲子たちを気遣うような視線や、ひそひそとした声が囁かれる。

 不思議に思った咲子が視線を向けると、承香殿から延びる渡殿を歩く欣子の姿があった。


「姫様、こちらから参りましょう」


 常寧殿の侍女が鉢合わせないようにと、咲子を麗景殿へと続く渡殿へと誘導する。


「こちらを見てそのような態度とは、些か無礼ではないか?」


 方向を変えようとした侍女に向かい、淡路が厳しい声を掛けた。


「申し訳ございません。内親王様のお姿が見えましたので、こちらはお譲りするべきかと」


 侍女が言葉を続けるが、こちらへ来る欣子の姿を見て咲子をはじめ常寧殿の者は礼をとる。


「なにも、逃げ出すようにしなくてもよい」

「逃げ出すなど、とんでもない事でございます」


 淡路の言葉に、常寧殿の侍女が返す。


「内親王様が、そこの目付の姫に会ってみたいと申されている」


 昭仁との婚儀の話が決まってからだが、欣子も昭仁との婚姻を望んでいた事を咲子は知る事となった。

 それは悪意に満ちた噂だけが耳に入らないようにと、常寧殿で暁子と昭仁、そして東宮も同席して伝えられた。

 昭仁が元服を迎える前にあった話だが、祖父である源倖仁と共に断っていた事。

 その事が、欣子やその母である承香殿の方に、曲げて伝えられていた事等。

 その話を聞いて、ただただ、咲子は驚く事になる。

 その為、先の中宮との話で納得できることも多かった。


 淡路の言葉に、咲子が驚いた表情を浮かべていると、欣子が咲子の前へと進み出る。


「其方が月白殿と婚姻を結ぶ娘か?」

「・・・はい、藤原盈時(ふじわらみつとき)の娘、咲子と申します」

「ふうん?」


 そう呟くと、欣子は咲子の顔が良く見えるようにと、扇で咲子の顔を持ち上げる。

 その尊大な欣子の態度に迅雷が動こうとするのを、咲子がちらりと迅雷を見て首を小さく降る。


「なるほど。月白の君はこのような女子が好みか」


 欣子は咲子の顔を覗き込むと冷たく笑う。

 それでも、何と答えればよいのかと咲子が思案していると、欣子の顔がずい、と寄った。


「可哀そうに。其方の幸せは今だけ。いずれわたくしが嫁いだら其方は二番目。正妻ではなく側室の身となるのに」


 耳元で囁く言葉に、咲子の目が驚きで開かれる。


「あら、知らなかったの? 其方は所詮わたくしが嫁ぐまでの(つなぎ)の存在。ああ、そうだわ」


 そう言うと、欣子は掌に収まるほどの小箱を取り出す。


「これはわたくしの香り。其方はいずれにせよ側室なのだから、あの方が渡った時はこれをお焚きなさいな。それが()()()()()()()()()よ」


 勝ち誇ったように言う欣子の言葉に、咲子は息をのむ。


「ああ、ここで話している事は他では話さないようにね、だってこれはまだ公になっていない事なの。でも、当事者であるあなたは、知っておいた方が傷つかなくて良いでしょう?」


 そう囁くと、欣子は(あで)やかに笑う。


「いずれわたくしが嫁いでも、其方の事は悪いようにはしないわ。安心して頂戴」


 欣子は咲子にそう告げると、淡路を連れ、承香殿へと戻って行った。






 藤原邸へと戻った咲子は、欣子から渡された香の箱をぼんやりと眺める。


 ―内親王様が言っていた事は本当なのかしら・・・。


 『其方はいずれにせよ側室』という、欣子の声が何度も耳に聞こえる。

 それと同時に、婚姻の申し込みから今日までの、昭仁の態度や言葉を思い出し、咲子は俯く。


 ―なぜでしょう。胸が痛い・・・。


 泣きたくなるような感覚を打ち消すように咲子は立ち上がると、厨子棚から昭仁から貰った香箱を取り出す。

 あの時、昭仁は甘い笑顔を自分に向けてくれた。

 あの優しい眼差しは?

 ぼんやりと昭仁からの香箱と、欣子から手渡された小箱を眺めていると、声が掛かった。


「姫様、月白様がお越しでございますよ」


 浮島の声に、咲子がはっと顔をあげる。


「わかりました。直ぐ参ります」


 咲子は鏡を覗き込み、自分の表情を確認すると、入り口で待つ浮島の元へと向かった。





「姫?」


 九条家からの帰り、咲子の顔を見ようと藤原邸に寄った昭仁は、いつもと様子の違う咲子を見て声を掛ける。


「今日は、常寧殿の方様の所へ行かれると聞いていましたが、何かありましたか?」


 いつもは頬を染めてキラキラとした瞳を見せてくれるのに、心なしか咲子の顔が沈んで見えて、昭仁は表情を確認しようと咲子の顔を覗き込む。

 咲子は不意に昭仁の顔が目の前に来たことで、頬が染まり首を勢い良く振って否定をする。


「何でもないです。ちょっと疲れたのかもしれません」


 その言葉に昭仁が納得する。


「ああ、今日は日差しも強く蒸しましたからね」

「月白様、今日行かれた九条様の事を聞いても良いですか?」


 可愛らしく見上げて問われ、昭仁もそれ以上咲子の様子を詮索する事が出来なかった。

 その後、いつも通りの夕餉を済ませ、日が暮れると共に昭仁は藤原邸を後にする。

 時折、咲子がいつもと違う沈んだ表情を見せるのが気になったが、咲子が口を噤んでいる事を無理やり聞きだすのは忍びないと考える。

 車箱へと乗り込み、咲子に知らせず暁子に探りを入れてみようかと考えていると、車箱が停まった。


「どうかしたのか?」

「藤原の姫君の近衛の者が、若君にお話がある様です」


 若君と呼ばれ昭仁が眉を顰めるが、供についている者は祖父の代から仕えている者だ。癖のようなものだろうと溜息をつく。


「わかった、降りて話そう」


 昭仁が車箱を降りると、夕焼けに染まった風景の中、迅雷が控えていた。








女孺にょじゅとは、内侍司の下級女官で、定員は100名程。裁縫や掃除、明かりの管理、食事の給仕などの雑務一般を担当していました。女蔵人と呼ばれる事もあったようです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ