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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
60/235

60 希う(4)

 延長八年 -九三〇年- 弥生 京の都

 曲水の宴より、四日後



 圭子(たまこ)が隠密に動ける者を手配した翌々日、欣子(よしこ)と圭子を除いた承香殿(しょうきょうでん)の皆は、源昭仁(みなもとのあきひと)の婚姻についてを知る事になる。

 相手は内侍司(ないしのつかさ)の目付、藤原盈時(ふじわらみつとき)の正妻の娘である藤原咲子(ふじわらえみこ)という。

 藤原家は官位三位、低くはないが源家へと嫁ぐには不釣り合いと言えなくもない。

 ただ、噂によれば見初めたのは昭仁で、此度の宴で姫の素性が分かった為に、即日申し入れをしたと言う。

 大内裏(だいだいり)の中では「藤原盈時が己の出世の為に、娘を差し出したのではないか」「まだ裳着(もぎ)も行っていない、姫の事を知るなど無理だ」と言う貴族もいたが、噂の元が東宮の側近からという事、また咲子自身が常寧殿(じょうねいでん)の従姉姪で、宮中によく出入りをしていた事等が正しい情報に追加され、肉付けされて行く事で悪い噂が上書きされて行く。

 それでも、昭仁との婚姻を望んでいた事が周知である、圭子と欣子には聞かせないようにという配慮がされていたのだろう。

 圭子自身も、体調の思わしくない欣子の帳台(ちょうだい)に詰めていた為、圭子自身が手配した隠密によって一日遅れで知る事になる。


「承香殿様、先日指示した者より文が届いております」


 几帳の影から、圭子の側付きの侍女より文が淡路に差し出されると、淡路が躊躇いを見せる。


「どうしたの、淡路。文をこちらへ」


 喉が渇いたという欣子の為、麦湯を飲ませていた圭子が手を止め、淡路に指示をする。

 仕方なく、といった風で文を受け取った淡路は、その文を圭子へと差し出した。

 圭子は文を見ると、美しく紅が引かれた唇に笑みを浮かべる。


「母上様? いかがされたのです?」


 倒れてから四日間、帳台の中で過ごしていた欣子は、今では顔色も良い。

 文を見て艶やかに微笑む圭子の様子に、欣子が問いかけた。


「先日の歌会で、月白殿が歌を詠んだ相手が記されているのですよ」

「まあ!」


 その言葉に欣子の表情が明るくなる。

 自分が手に入れる物を攫おうとする、邪魔な存在。それが誰かわかるのだ。

 文を広げて圭子が読む間、欣子が目を輝かせる。

 だが、文を読み進めるうちに、弧を描いていた圭子の口元が元に戻り、ふるふると小さく震える。


「母上様?」


 先程とは正反対の、怒りとも絶望ともとれる圭子の表情に、欣子が無邪気に問いかける。

 その様子を傍で控えていた淡路が、痛ましい物を目にしたように顔を伏せた。


「母上様?」


 もう一度欣子が問いかけると、圭子の手から読んでいた文が、はらりと欣子の膝へと落ち、手に取る。

 呆然とした圭子は、その落ちた文を欣子が手にした事に気がつかない。

 圭子の様子に首を傾げながら、欣子が文へと目を走らせる。


「・・・そんなっ!」


 文の中には報告の言葉と共に、源昭仁と藤原咲子の婚姻についてと、現在大内裏内で噂となっている内容についてが書かれてあった。





 急ぎ淡路からの知らせの文を読んだ帝は、片付ける要件もそこそこに、承香殿へと向かう

 欣子の室に近づくにつれ、圭子付きの侍女たちによって人払いがされ、奥に入れないようにと足止めをしている様子がある。

 帝の姿を見た侍女たちは、慌てて頭を下げ「承香殿様、内親王様の元へ」と促した。


「・・・圭子、欣子」


 到着した帝が声をかけ、欣子の室に一歩足を進めた途端、余りの惨状に言葉を失う。

 帳台から室まで調度品の散乱した状態の中、肩で息をする欣子と、暗い目で廂に座る圭子がいた。


「承香殿様への文が届いてから、このような状態でございます」


 入口で顔を伏せた淡路が帝へと伝える。


 ―月影の家の婚姻を知ったのか


 思い当たるのはただ一つ。

 源昭仁からの拝謁の後、側近達より「早くこの事を承香殿の女御と内親王様に伝えるべきだ」というのを、欣子の体調不良を理由にして、先延ばしにしたのは帝だった。

 あの時は、欣子の体調を思いやっての事だったが、その後については承香殿に勤める者たちの配慮で、二人の耳に入っていない事を知り、そのまま伝える事を躊躇っていたのは事実だ。


「うわあああぁぁぁっ」

 ガシャン!


 次の瞬間、欣子の声と共に几帳が倒され、大きな音が響く。


「っ! 内親王を落ち着かせるのだ」


 帝の言葉に、淡路が手配したのだろう。

 医師やその助手らが慌てて欣子を宥める。その様子を横目に、帝は圭子の元へと向かう。


「・・・圭子」


 圭子の傍に膝を折り、そっと肩を抱こうとした時、圭子の手の中に握り潰された文がある事に気がつく。


「なぜ、帝は月影の家の婚姻をお認めになったのですか」


 手紙に視線を落としたまま、圭子が低い声で呟く。


「・・・皇室(われら)は月影の家の婚姻に干渉する事は出来ぬ」

「欣子の、あの子の幸せを考えてはくれないのですかっ」

「そうではない・・・」

「月影の家に嫁げなければ、あの子は斎宮に決まってしまう」

「月影の家に拘らなければ、それなりの貴族へ嫁ぐ事で斎宮は回避できる」

「駄目です、月影の財力も地位も最高のもの・・・! それをみすみすどこぞの貴族の姫にやってしまうおつもりですかっ」

「そうではない、そうではないのだ・・・」


 圭子の言葉に、帝は弱く否定をする。


「欣子・・・っ!」


 はっと気がついたように、圭子が欣子の名前を呼ぶと、欣子がいたであろう帳台へと帝の腕を抜け、ふらふらとした足取りで向かう。

 先ほどまで激情のままに動いていた欣子は、医師たちに拘束されると同時に、力なくその場に倒れてしまったのを、支えていた助手たちによって帳台へと運ばれていた。


「気を失われたようです。急ぎ気持ちの落ち着く薬湯をご用意いたします」


 医師や助手たちが手配を始めるのを聞き、圭子は欣子の傍で頷くのを、帝はただ茫然と眺めていた。





 ◆◇◆◇◆





「中宮様、月白(げっぱく)の君がお越しでございます」


 弘徽殿(こきでん)での和やかな祝いが行われて一時刻(2時間30分)(ひさし)に控えた侍女が中宮に声を掛ける。


「あら、もうそんな時間? 折角だから月白殿もこちらに」


 その言葉を聞いて、昭仁が室へと入る。


「中宮様には、此度我が妻への祝いの席を用意いただき、ありがとうございます」


 中宮へ礼をとる昭仁の姿に、周りの侍女からは溜息が漏れる。


「まあ、嫌だわ。まだ妻ではないでしょう?」


 くすくすと笑って昭仁の言葉に中宮が訂正を入れると、昭仁がにっこりと笑顔を返す。


「いずれ妻となるのですから、同じでしょう? 私自身が姫を手放す気は御座いませんので」


 さらりと言う昭仁の言葉に一瞬咲子の表情が固まった後、ぽんと音がしそうな勢いで頬を染める。


「あらあら。こんなに頬を染めて愛らしい。姫は初々しいのだから余り揶揄(からか)っては駄目よ」


 扇の影でコロコロと楽しそうに中宮が笑う。


「楽しい時間はあっという間ね。また弘徽殿に遊びに来てくれると嬉しいわ」




 中宮の言葉で祝いの席がお開きとなったあと、昨日の文の通り咲子は源家の牛車で藤原邸まで送られる事となった。

 咲子が使った牛車と供の者は、昭仁が内裏へと着いた際に、迅雷と颯水を残して先に帰るようにと伝えていた。

 源家の護衛と共に、咲子の護衛である三人が牛車を守るように歩いている。


「あの、送っていただいても良かったのでしょうか?」


 おずおずという咲子に、昭仁が笑う。


「ええ、もちろんですよ。そういえば、塗の箱をいただいていたようですが」


 弘徽殿を出て、牛車に乗る際に中宮付きの侍女が宵闇に持たせた塗の箱の事を言っているのだろう。

 咲子はそう理解し、今日の弘徽殿での中宮との会話を昭仁に聞かせる。


「なるほど。では、私からも中宮様へとお礼を申し上げなければなりませんね」

「中宮様にまで気遣いをいただいてしまって・・・」

「いえ、中宮様のお心ですから。実際、内裏では中宮様の言うように、私ではなかなかすぐに動く事が出来ないかもしれません」


 昭仁の言葉に、咲子が少しだけ不安げな表情を見せる。


「大丈夫です。姫の事は私が守ります」


 そう言いながら、そっと咲子の頬に手を添えた。咲子の頬に触れる昭仁の指先は少し冷たい。


「っ、」

「すみません、少しだけ。ああ、あなたの頬は柔らかくて暖かいですね」


 触れられて、ますます熱を持つ咲子の様子を見て、昭仁が笑う。


「ああ、そうだ」


 思い出したように昭仁の指が咲子の頬から離れ、懐から何かを取り出すと、咲子にみえるようにと昭仁の掌に乗せる。

 大きな昭仁の掌に乗っているのは、小箱だ。

 小箱に視線を向けた後、咲子は首を傾げながら昭仁を見る。


「香なんです。何の香りかわかりますか?」


 昭仁の言葉に、咲子がゆっくりと小箱へと顔を近づける。

 ふわりと香るのは、甘い香り。


「あ・・・」


 その香りに気がつくと、咲子は嬉しそうな笑顔を昭仁へ向ける。


「月白様の香りですね」


 少し前、いつも昭仁から香る匂いが甘く、とても良い香りなのでまとう香について聞いたのだ。

 香は貴族が生活を楽しむ為には必要不可欠だ。それぞれ工夫して秘密につくられ、香りを焚き比べ鑑賞し、優劣を競う薫物合(たきものあわせ)という遊びもある。

 纏う香りもそれぞれ好みによって調合されるが、昭仁の香りは荘園から届く蜂蜜が多く使用されている為、花の香りに甘さが加わったものだった。


「少し前、お好きだと言っていたでしょう。貴女も私と同じ香りを使ってくれると嬉しいのですが」


 甘く解ける様な笑みを昭仁から向けられ、咲子は頬を染め、その小箱を大事そうに受け取った。







●平安時代には「皇室」という言葉は有りませんが、話の流れ上使用しております。

●お香について

この頃は、丸薬状の形のお香・練香で、自ら香りを調合し自分だけの香りを作って、薫物合たきものあわせで披露するというのが大流行していました。

今回月白さんが渡したお香も、月白さんオリジナルです。

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