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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
59/235

59 希う(3)

 はじめての逢瀬から、源昭仁(みなもとのあきひと)は三日とあけず藤原邸へと立ち寄る。

 勤めが終わると、昭仁は咲子(えみこ)が大好きだという蜜菓子(みつがし)や、蜂蜜などの他、屋敷の者へ唐果物(からくだもの)など必ず持参する。

 蜂蜜自体、源家の荘園である吉備の特産だ。

 高級品ではあるが、昭仁には珍しくはないもの。

 それで咲子の笑顔が見られるならばと、数種の蜂蜜を咲子の為に持参した時は、咲子の父である藤原盈時(ふじわらみつとき)の顔が青くなっていた。

 藤原邸では咲子と共に盈時、または浮島が同席し、時間が許せば夕餉を共にし、昭仁は源邸へと戻る。

 そんな日々が続く中、咲子に宮中から文が届く。

 普段は東宮の后である暁子(きょうこ)からの文だが、今日の差出人は中宮からだった。


「父上様、中宮様よりお誘いの文をいただきました」


 何度か宮中にはあがっているが、暁子の居る常寧殿(じょうねいでん)の中で過ごす事が多く、東宮に会うのも常寧殿の中だ。

 文を開いた咲子は眉を下げ盈時の顔を見ながら文を渡すと、盈時は文の内容へと目を走らせる。

 内容としては明日、弘徽殿(こきでん)で今回の昭仁との婚姻の祝を渡したいと言うものだった。

 目を通した盈時が溜息をつく。


「今日は月白(げっぱく)殿はこちらにはお見えにならないから、月白殿には父が文を出しておこう。咲子は中宮様へのお返事を書きなさい」


 盈時に言われ、咲子は北の対にある自室に戻ると、浮島に相談しながら中宮への返事をしたためる。


「浮島。中宮様の文の中に『一人護衛を弘徽殿に連れて来るように』とあるの。誰を連れて行ったら良いのかしら?」


 咲子が浮島に相談すると、少し思案した浮島が答える。


「まあ、中宮様の文にそのような事が。何故かわかりませんが・・・。そうですね。いつもように供は迅雷(じんらい)宵闇(よいやみ)颯水(はやみ)で良いでしょう。弘徽殿には、宵闇が良いかもしれません」


 中宮からの文の中には、なぜか弘徽殿に入る際には、一人護衛を連れて来るようにと指示がある。

 内裏は帝などの住まう後宮になる為、余程の事がなければ武に携わる者は入る事が出来ない。帝や後宮を守る専任の武官が控えている為だ。

 それなのに、中宮は供を連れて来いという。


「何か中宮様にお考えがあるのかもしれませんね。わたくしからも、旦那様にその事を伝えておきましょう」


 浮島に微笑まれ、咲子は安心したように頷くと、中宮への返事を書く為に再び文机へと向かった。






 翌日、中宮より指定のあった時間に間に合うようにと咲子は迅雷、宵闇、颯水と数人の供を連れて、大内裏へと向かう。

 車箱の中では、咲子が緊張した面持ちで何度目かの溜息をついていた。


「大丈夫か? 姫さん?」


 箱車の外から、迅雷が声を掛ける。


「大丈夫です。ちょっと、緊張してしまって・・・」

「緊張なさらなくても大丈夫ですよ。月白様の文でも『中宮様はお優しい方』とあったのでしょう?」


 頼りなく車箱から聞こえる咲子の声に、颯水が安心させるように言う。

 あれから中宮への返事を書いたあと、午後の琴の指南を浮島から受けていると、盈時からの知らせを受け取った昭仁の文が届いた。

 盈時へは勿論だが咲子への文もあり、盈時から受け取った咲子は文に添えられた白い小さな花に目を丸くする。

 ふわりと甘く優しい香りのする花だ。


「まあまあ! 今日の月白様はご用事があるとお聞きしておりましたが、どこで手配されたのでしょうねぇ」


 くすくすと微笑ましそうに笑いながら言う浮島と、苦笑いを浮かべる盈時に見つめられ、咲子の頬が染まる。

 恥ずかしさから急いで文を読むと、そこには咲子を気遣う言葉と、中宮様は優しい方だから安心していつもの咲子で会いに行くと良いという言葉が書いてある。そして最後に、中宮との面会が終わる頃、弘徽殿まで迎えに行くという事が書いてあった。


「それに、今日は傍には宵闇がいるんだろう?」

「はい。多分ですが、近くに控える事になるだろうと父上様も仰っていました」

「やったら、心配はいらへん」


 護衛三人に慰められながら、咲子を乗せた車箱は大内裏の美福門を通り、真っ直ぐ内裏へと進む。

 常寧殿の方からの誘いがある時にも通る、いつもの道のりだ。

 美福門の門番も藤原家の紋を覚えているのか、愛想よく通してくれた。

 内裏に着き、いつもであれば常寧殿の侍女が迎えに出てくれているが、今日は見慣れない侍女たちだ。


「藤原盈時様の姫様、お待ちしておりました」


 そう声がかかり車箱を降りた咲子は、その場に他の供と迅雷、颯水を残し、宵闇と共に弘徽殿へと向かう。

 心なしか周りから遠巻きに見られているような気がして、咲子は何となく落ち着かない気分で弘徽殿へと足を踏みいれる。

 宵闇は通された室の傍の廂で控える事となった。

 通された弘徽殿の室で咲子は顔を伏せて中宮を待っていると、しゅるり、と衣擦れの音がする。

 入ってきたのは、暁子の夫である東宮の生母、中宮だった。

 咲子の姿を目にすると、穏やかな笑みを浮かべる。


「其方が目付殿の姫・・・、いいえ、月白殿の大切な花ですね」


 盈時の役職を言いかけて、改め昭仁の名を言う。

 花と称したのは、まだ婚姻が成立していない為の言葉だろう。中宮の声音は穏やかで優しいものだ。


「はじめてお目にかかります。藤原盈時の娘、咲子でございます」

「顔をあげて良く見せて」


 咲子の挨拶が終わると、中宮は顔をあげるように言う。

 その言葉に、咲子がゆっくりと顔をあげ、恥ずかしそうに微笑む。


「まあ、お可愛らしい」

「本当に、花のように愛らしい姫ですこと。月白様の大内裏内の噂も本当の事だったのですねぇ」


 声を発したのは、中宮の側付きの侍女達だ。


「噂・・・?」


 咲子がその言葉に首を傾げる。


「これこれ、そのような事を聞かせるのではありません。月白殿に怒られてしまいますよ」


 侍女を制したのは年配の傍仕えだ。

 その様子を中宮がくすくすと笑い、その優しい雰囲気に咲子はほっとする。


「今日其方をここへ呼んだのは文の通り、月白殿との婚姻の祝いを直接渡したかったのです」


 そう言いながら中宮は侍女へと目配せをする。その合図と同時に、一人の侍女が塗の箱二つを持って入ってきた。


「これを姫に」


 中宮の言葉に、持ってきた侍女が塗箱のふたを開ける。

 中に入っていたのは一本の扇、そしてもう一つには中宮の象徴色である、白から浅緑へと色を変えていく飾り紐五本がある。

 扇の房には、中宮の象徴である芍薬が描かれた塗の飾りがついていた。


「これは・・・?」


 作りの見事さに咲子が驚きの声をあげると、中宮が柔らかく微笑む。


「わたくしの(しるし)の入った扇と、飾り紐です。宮中にあがる際にはこの扇をお持ちなさい」


 その言葉に咲子が目を丸くする。


「飾り紐は姫の近衛に。今回月白殿との婚儀で、良くも悪くも姫は注目されてしまうでしょう。大抵の事は月白殿が姫をそういった事から守ってくれるでしょう。けれど、内裏となると別です。ここは女の園・・・。月白殿でもすぐに対応できない事もあるでしょう」


 そう言うと中宮は小さくため息をつく。


「月影の家と皇族の繋がりは大切な(えにし)。此度の当主となった月白殿は、いずれ東宮の右腕となるでしょう。いいえ、そうなって貰わないと困るのです。その月影の家の当主が選んだ内儀殿には、わたくしたち皇族も最大の配慮をしたいのです。姫は常寧殿の従姉姪。姫が幼き頃から東宮と常寧殿が可愛がっているのを知っていますが、今の二人ではまだ其方の後見となるには弱い」


 そう言うと中宮がそっと目を伏せる。


「この扇を身に着ける事で、容易く其方には手を出す事が出来なくなります。内裏に入る際は一人近衛を。飾り紐はその印です。この飾り紐があれば、咎める者はいないでしょう」


 伏せていた目をゆっくりとあげ、咲子の瞳を見つめ中宮が微笑む。


「内裏で姫に何かあったら、月白殿の怒りに触れてしまいますからね。姫の近衛は幼き頃からあの須佐(すさ)殿から指南を受けているとか。側に控えているなら安心です」

「中宮様、」


 咲子は中宮の心遣いが伝わり、思わず涙を浮かべる。けれども、その涙を堪え笑顔を浮かべ、改めて居住まいを正す。


「中宮様のお心、ありがたくお受けいたします」


 そう言うと、深く頭を下げるその姿に、中宮をはじめ皆が息をのむ。

 そこに居るのは、十を過ぎたばかりの幼い姫ではなく、凛とした美しさを纏う貴人と言える姿だった。


「ふふ。やはりあなたは目付殿の姫ね。正しくものが見れて賢く聡い。そして、気持ちをくみ取れ優しい」


 中宮におっとりと笑顔で褒められ、咲子が途端、年相応にはにかむ。


「そう言えば、先の曲水(きょくすい)(うたげ)での姫の琴は素晴らしい音色でしたね」

「ありがとうございます」

「いつも常寧殿や東宮から話は聞いていたのよ? これからは弘徽殿でも披露して貰えると嬉しいわ。わたくしは常寧殿と同じく子は男子(おのこ)のみでしょう? 姫のように愛らしい娘が遊びに来てくれると弘徽殿も華やぐわ」

「あら、中宮様。年増ばかりで申し訳ございません」


 楽しそうにこれからの事を話す中宮に、古くからの傍仕えの侍女が言葉をかける。

 軽口を言えるぐらい、良い関係を弘徽殿では中宮と侍女たちは築けているのだろう。なんだか藤原邸のような温かさを感じて咲子に柔らかい笑みが浮かぶ。


「姫様、お腹は空いていませんか? 本日姫様がお見えになるのでお好きだと聞いていた水菓子など用意しておりますよ」

「ありがとうございます。とても嬉しいです」


 それは温かく、穏やかな祝いの席だった。







●蜜菓子とは甘味に付け込んで甘くした野菜や果物の事です。

●荘園とは公的支配を受けない私有地で、源家もあちこちに持っていました。当時の吉備(現岡山県)は蜂蜜の生産地でした。

蜂蜜は当時超高級品。そんなものを気軽に贈ってしまう源家はハイパーお金持ち。

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