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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
57/235

57 希う(1)

 延長八年 -九三〇年- 弥生 京の都



月白(げっぱく)の君は、月見の宴の頃に偶然目付殿の姫を見かけて、ずっと探していた』

『どこの姫かわからなかったのが、此度の宴で判明したので早速求婚した』

『目付殿はまだ姫が幼いからと渋り、裳着まで待つ事を条件としたのを月白の君は了承した』

『目付殿の姫は大層愛らしく、月白の君が姫君を溺愛しているらしい』


「・・・以上が、宮中に流れている噂でございます」


 常寧殿(じょうねいでん)の自室で不機嫌そうな顔をしている暁子(きょうこ)に、傍仕えの香子(かおるこ)が淡々と告げる。

 曲水(きょくすい)(うたげ)から三日、宮中では月白の君と呼ばれる源昭仁(みなもとのあきひと)内侍司ないしのつかさの監督官である、藤原盈時(ふじわらみつとき)の娘、藤原咲子(ふじわらえみこ)に求婚したという話題でもちきりだった。

 昨夜に東宮より昭仁が咲子との婚儀について帝への報告があったと聞いていたが、ここまで一気に噂が広がるとは、暁子も予想をしていなかった。


 ―あの男、一気に噂を流して他の貴族からの横やりや、藤原家や咲子さんへの心ない言葉を遮るつもりね。


 余りの手際の良さに、暁子が不機嫌な表情のまま、ため息をつく。

 曲水の宴の夜、東宮から月見の宴から探してした事を聞き、暁子は呆然とした。

 確かにあの月見の宴の時に咲子を常寧殿に誘い、幼い親王二人や気心知れた常寧殿の皆と一緒に楽しんだ。

 一体、いつの間に二人を合わせたのか、と、東宮に詰めよれば東宮も分からないという。

 ただ、あの月見の宴の日に、昭仁の扇を咥えて逃げた雪丸を探し、後宮へ入ったという。見かけたのであればその時だ。

 聞けば後宮に入ったのも、昭仁の形見の飾り紐を咥えた白猫を探していたとあれば、致し方ないと暁子も思う。

 暁子は膝の上で丸くなっている、白猫の背を撫でる。


「お前が二人を出会わせたの?」


 声はムッとしつつも、撫でる手つきは柔らかく優しい。


「よりにもよって、あの男なんて・・・」


 そう呟くと、もう一度溜息をつく。

 普段執着など見せないあの男が、はじめて見せた執着。

 そこに恋慕が加われば、どれほどのものになるのだろうと考えると、ため息しか出ない。

 心情的に大変なのは咲子の父、盈時だろう。

 溺愛する娘を、あの月影の家に嫁がせるのだ。

 一般の貴族に見初められ、嫁ぐのであれば問題はない。見初められ請われてであれば、愛しみ大事にしてくれるだろう。

 ただ、あの家はただの貴族ではない。家柄も、昭仁自身も優秀だが、帝を筆頭に、皇族の劔であり盾となる家の当主へ嫁ぐのだ。


 ―盈時様にはこちらから文を届けましょう。咲子さんの今後が心配でしょうから。それと、一度あの男とも話しておく必要がありそうね。


 ゆっくりと雪丸の背を撫でながら、暁子は文の用意をするようにと香子に指示した。






 昭仁が帝へ拝謁した日、昭仁は婚儀についての報告を行った。

 報告と言ったが、それは既に決定した事で、月影の家の総意として前当主である源倖仁の「此度の婚姻に異議はない」という文まで添えられていた。

 昭仁から手渡され、文を読む帝の顔色がみるみる白く変わる。


「これ以上、朝廷より私の婚姻についてのお気遣いは無用です。それと」


 昭仁が言葉を区切ると、帝が文から視線をあげた。

 まっすぐ帝を見つめる視線は射貫くように感じ、帝の喉がごくりと鳴る。


「我が妻となる姫や、姫の身内など関わる者に何もないと思いますが・・・。今後何かあれば月影の家が動く事をお忘れなきよう」


 そう告げると昭仁は深く頭を下げ、話は済んだとばかりに立ち上がり紫宸殿(ししんでん)を後にする。

 残された帝は、ただ茫然とその背を見送るしかできなかった。

 昭仁が紫宸殿を出ると、(ひさし)に一人の男が控えている。さっと視線を走らせると、東宮の傍仕えで見た事のある顔だった。


「月影様。東宮様が梨壺でお待ちです」


 男が顔を伏せたまま告げる言葉に、昭仁は頷く。


「わかった。向かおう」


 昭仁の返事を確認すると、男は立ち上がり梨壺へと足を向ける昭仁の後に控え歩く。

 昭仁自身、帝への報告が終われば梨壺の東宮へと使いを出すつもりでいたが、朝早く自分が帝への拝謁を希望した事で、東宮も内容を察したのだろうと考える。

 どちらにしても、これからの行動には東宮とその后である常寧殿の方の協力は必要だ。

 昨日の盈時との面会で、咲子の亡くなった母と常寧殿の方は従姉で、咲子は従姉姪にある事、咲子の事を、生まれた時から大層可愛がって貰っていると聞き、何故姫があの月見の日に常寧殿に居たのかも判明した。

 自身が月影の当主として宮中に関わるのであれば、妻として迎える咲子を守る為には、これほど心強い人物はないと考える。


「東宮様、源様がお見えになりました」


 以前、共に並んで茶を飲んだ梨の木が見える室に昭仁は通される。


「やあ、月白殿。朝早くから帝へ拝謁とは、何かあったのかな?」


 穏やかに、でも白々しくも聞こえる声音で東宮が言うのを、昭仁はため息ついて答える。


「兄上。わかっておいででしょう?」

「ふふ、色々と君の口から聞きたくてね。まあ、座ったらどうだ?」


 昭仁の言葉に口の端をあげ、東宮は自分の向かいに用意された(しとね)へ腰を下ろすように促す。


「で、どうだったのかな?」

「どう、と申しましても。我が月影の家としての決定を伝えたまでですから」


 素直に応える昭仁の言葉に、東宮がうんうんと頷く。


「まあ、帝としては驚いただろう。それにしても君の行動の素早さには驚いた。藤原盈時殿も大層驚かれたんじゃないかい?」


 曲水の宴が一昨日だ。

 その翌日には藤原邸へと文を届け、面会し、姫との婚儀について話をしたのだ。驚くのも無理はない。


「そうですね。藤原盈時殿も驚かれておりました」

「だろうね。で、帝に報告をしたという事は、目付殿には了承を得たという事だね」

「多少強引に進めましたが、取り敢えずは。ただ、」


 そう言うと昭仁が言葉を止めた。


「ただ? 何だい?」


 東宮が先を促すように相槌を打つ。


「盈時殿は、まだ姫が裳着を済ませていない事もあって、婚姻は裳着の儀を行ってからと。あと姫には政略結婚のような事はさせたくないので、姫との逢瀬の間、向き合って欲しいと」

「それはまた・・・」


 盈時が昭仁へと伝えた言葉に、東宮が驚きの声をあげる。

 家格としては上となる、源家の当主からの婚姻の申し入れであれば、藤原家は否とは言えない。黙って受け入れるのが通常の流れだ。

 それを盈時は条件を出した。家によっては無礼だと怒りを買ってしまう事になるが、それでも愛する娘の為と思って伝えたのだろう。

 姫を(こあねが)ってくれるのであれば、姫の気持ちに配慮して欲しいと。


「で、」

「もちろん、受け入れましたよ」


 続きを促そうとした東宮の言葉に、昭仁が即座に答える。


「それで姫が、我が手元に来るのであれば、簡単な事ですから」

「でもそれって、姫に君を好きになって貰う事が条件という事だろう?」

「・・・姫はまだ恋も知らぬ年頃。はじめは距離があっても少しずつ気持ちが自分へ向いてくれればいいんです」


 そう言って穏やかに微笑む昭仁を見て、東宮が呆れたようにため息をついた。


「それは、姫が君に絶対恋焦がれるという自信の言葉かい?」

「その為の努力は惜しみませんよ」


 はっきりと宣言をする昭仁を、東宮は眩しいものを見るように目を細めた。


「その為には、まず兄上に協力してもらいたい事が有るのです」


 珍しく昭仁からの願いに、東宮が穏やかに微笑む。


「なんだい、私にできる事が有れば」

「兄上の信頼のできる者から、今回の事を噂として流して欲しいのですよ」


 そう言うと、昭仁は人の悪い笑みを浮かべ、その顔を見た東宮がたじろぐ。


「私の婚姻については直ぐにでも広がるでしょう。その為まずは正しい噂を流して欲しいのです。私が姫を見初め、ずっと探していたのを宴で見つけ、姫を求めた。私と懇意である兄上からであれば、貴族達(よそ)の間違った噂も直ぐに訂正できます」


 東宮からではないその他の貴族からの噂となれば、藤原盈時が自分の娘を使い、月影の家に出世の為に差し出したと言うだろう。

 噂は悪意を持ち、やがて咲子を傷つけてしまうかもしれない。

 いくら昭仁が年下とはいえ、末席でも皇族に連なり、月影の家という特殊な身分を持つ自分に、娘の幸せの為に条件を出した盈時を、昭仁は好ましく思った。

 だからこそ、咲子だけでなく盈時も庇護したいと思う。

 そう伝える昭仁の言葉に、東宮は納得する。


「もともと欲のない、穏やかな人だからね。悪意に晒されるのは気の毒だ」

「それに、宮中で姫を庇護する者に常寧殿の方様がいると、心強いのも確かです」


 素直な気持ちのこもった昭仁の言葉に、東宮が穏やかに笑う。


「さて、父親である盈時殿との面会は出来たようだが、肝心の姫とは会えたのかい?」

「今日勤めが終わったあと、申二刻(15時30分)に藤原邸に行く事になっています」


 今の時刻は巳一刻(9時)を過ぎた頃。勤めは午三刻(12時)には終わる。


「愛しい姫に会えるのに、随分ゆっくりだね」


 東宮の言葉に、昭仁が片眉をあげる。


「愛しい姫に会うからこそ、身を整えて向かうんですよ。姫にこれから心を寄せて貰わなければなりませんからね」


 そう言うと、昭仁は見惚れる様な笑顔を浮かべた。







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