56 呪詛
薄暗い部屋の中央には漆黒の護摩壇が設置され、その前に一人の女が座っている。
そこに居るのは、色鮮やかな袿を纏った吉野由加里だった。
座り込む前には、二台の三方が置かれ、一つの台には人形に吉野が手に入れた古びた紙片と、えりの髪の毛が巻かれ、もう一つには懐紙に置かれた人の爪が乗る。
胸の前で合わせている吉野の両手の爪が、いつも長く手入れをされていたものとは違い、短く切りそろえられている。
一心不乱に何かを呟く声が、少しずつ大きく響く。
「火よ! あの女、榴ヶ崎えりまで届いて焼き尽くせ!」
何度目かの言葉と共に、小さく燃えていた檀木の火が一気に大きく燃え上がった。
「ふふっ・・・、あはははっ あの女の幸せを奪い我が手に!」
壇から大きく燃え上がる火に魅せられたように吉野がふらりと立ち上がり、目の前に置かれた小刀を手に取ると、躊躇いもなく自分の髪をひと纏めにし、肩口から切り落とす。
手に収まり切れなかった髪の毛が、ハラハラと床に落ちた。
それを気にする事もなく、吉野は手にした髪の毛を炎の中に投げ込む。
パチパチという音と共に、たんぱく質の燃える独特の匂いが漂う。
「ロエアタ オイミスルク エアブオエサワイ ボトコナオロン」
吉野は、一心不乱に呪詛の言葉を呟く。
「ロエアタ オイミスルク エアブオエサワイ ボトコナオロン」
何度目かの呪詛の言葉に反応するように火が大きくうねり、龍のような火柱が上がる。
火に照らされた吉野の顔は禍々しい。ゆくっりと口の端をあげると、三方に置かれた人型を手に取り、ぐしゃりと握り潰す。
「ふふ、もうすぐ。あの時に叶わなかった願いが叶う・・・」
手の中で無残な姿になってしまった人形には、えりの名前が書きこまれていた。
スーツ姿の男二人が、駅の構内を全力で走り抜ける。
新幹線が駅へ到着すると、車両の扉が開くと同時に飛び出すように外へ出た月森拓と成瀬忍の二人だ。
焦りからかホームに降り立つと同時に駆け出す二人に、周りが驚いた目を向けるが構う事無く改札を抜け外へと向かう。
『公卿様、こっち!』
外へと出た瞬間、白狐が出迎え二人を誘導するように走り出す。白狐が向かった先を拓が見ると、運転席に座る久我一綺の姿が見えた。
拓と成瀬は目配せをするとそのまま乗用車へと向かい、扉を開け身体を滑り込ませる。
「お疲れさん。向かいながら話す」
二人が乗り込んだのを確認すると、久我が車を発進させた。
拓と成瀬が新幹線の中にいる間に、遠野瑞季からの情報である吉野由加里と欣子内親王の事は伝えていた。
その後、直ぐに営業で外に出ていた司波稜梧、桐生健に連絡をし、二人はそのまま吉野邸へと向かったという。
「今、司波たちと電話繋がってんで」
そう言うと、久我が無造作に自分のスマートフォンを後部座席に座った拓へと投げた。
それを受け取った拓は、スマートフォンをスピーカーに切り替える。
「なんか怪しいやつが、吉野邸に潜んどったらしいわ」
久我の言葉に拓の目が鋭くなった。
吉野邸で話しかけてきた男、立花優明についてスマートフォンの向こうから司波が報告する。
『ざっと調べたら、吉野議員の後援者からの縁故で秘書をやってる男、家族は地元だが本人は大学は関東、就職は関東だが、数年前身内の病気でUターン。その後地元で就職先を探してる所に親戚の紹介で議員秘書になったそうだ。秘書歴は六年』
淡々と読み上げられる情報に、成瀬が「よく短時間で調べましたね」と呟く。
『まあ、表向きは、だ。俺たちの事もだが、千年前の事も知ってた』
宙に浮かぶ立花は「千年前と同じ事」と言った。
欣子内親王が千年前に行った事を知っているのは、当時の宮中の一部の者と、関わった自分達、神々。
そして欣子内親王に呪詛を授けた「そのものとも無し輩」だ。
『それに、立花ってやつは、旦那の印の事も知っていた』
拓がえりのバレッタに込めた印は、かなり高度なものだ。
低級の妖や「そのものとも無し輩」では察知が出来ない。
その上、社内に張っている界の中からえりを連れ去った事といい、かなり上位の者だと電話の向こうにいる二人と、車に乗っている三人は察する。
『立花自体は姫さんには余り興味はないようだ。さっきの様子だと、あれは欣子内親王と吉野由加里が目的だな』
「姫様は切っ掛けですか」
『それは何とも言えない。どっちにしても、吉野由加里の行方だな』
「いま、吉野議員の事務所に向かってる。そっちから聞き出した方早いやろうと宗方と話したんや」
司波の声に答えた成瀬の言葉に、久我はバックミラー越しに拓の様子にちらりと視線を向けた後、先程待っている間に宗方と打ち合わせた事を伝えた。
「司波と桐生はその場で連絡を待て。吉野邸で何か動きがあれば教えろ」
低く怒りを抑えた声で拓が言うと、久我は先を急ぐようにアクセルを踏み込んだ。
拓と成瀬を車に乗せてから二十分。
三人の乗った乗用車は、あるビルの前で停まる。
「ここやな」
オフィス街の一画、十階建てのテナントビルの外壁には、他のテナントと並び「吉野永一郎事務所」の看板がある。
『現在、吉野氏は事務所内にいます。先程、こちらよりCOOが伺うと連絡を入れました』
スマートフォンから聞こえる声は、M.C.Co.LtdのCOO室にいる宗方俊哉だ。
「わかりました。では、私と公卿様で」
成瀬の言葉を合図に、拓と成瀬が車から降りる。
「そんなに時間はかからないだろう、久我はここで待機していてくれ」
「了解」
助手席の窓を少し覗くような姿勢で、拓が久我に言う。
「では、急ぎましょう」
成瀬の促す言葉で、拓はビル内へと足を進めた。
ビルに入って突き当りにある、共用のエレベーターを利用して八階まで進む。エレベーターの扉が開くとガラスの仕切りがあり、受付に座っていた女が慌てて入口の扉を開けた。
「月森様ですね。どうぞこちらへ」
促され、拓と成瀬は廊下を進み、応接室へと通される。
コンコンコン、と、三度扉をノックした後、女が「月森様がお見えです」と扉を開けた。
「申し訳ございません、本来であればこちらから―」
応接室に足を踏み入れた途端、吉野永一郎がソファーから腰をあげ、拓と成瀬の方へと進もうとするのを、拓が視線で制する。
吉野永一郎は制された事で、再びソファーへと腰を下ろした。
「失礼する」
拓は断りを入れると、成瀬と共に吉野永一郎の向かい側へと腰を下ろした。
「早速ですが」
拓の代わりに成瀬が口を開くと、一瞬だけ吉野永一郎の顔が強張った。
娘の吉野由加里が騒動を起こしたのは一週間前。
謝罪で手打ちとなったが、その後拓が関東への出張となった為、その機会が先延ばしになっていた。急遽拓と成瀬が来ると言う事で、その件だと思ったのだろう。
今後の選挙にも影響力の大きい会長夫妻が出した条件が、月森拓への謝罪だ。ここをうまく切り抜ければ問題なく選挙へと進む事が出来る。
ただし、月森拓が首を縦に振らなければ、首の皮一枚の状態となってしまう。
その事を考え、吉野永一郎は訪ねてきた拓の機嫌を損ねないようにと身構えた。
だが、その拓から告げられたのは予想したものとは違う、今以上に吉野永一郎の立場を悪くする内容だった。
「先程、帰りの新幹線で発覚しました。月森氏の婚約者である榴ヶ崎えりさんが、吉野由加里嬢と吉野氏の秘書の立花氏によって拉致され、行方が分からなくなっています」
淡々と告げる成瀬の言葉に、吉野永一郎が驚きで目を開く。
「そ、それは・・・何かの間違いでは・・・?」
絞り出すように言う吉野永一郎の言葉に、拓が冷たい声で答える。
「社内の監視カメラに、立花氏がえりさんを連れ去る場面が映っていたようです。まだ警察には知らせていません」
「まさか、そんな・・・」
映像、と言ったのは誇張だが、吉野氏に動揺が走る。
「二人はどちらに?」
「待ってください! 立花が映っていたとして娘がやったとは!」
「社内に入るには、本人のIDカードが必要です。本人が共犯として行動しないと無理なんですよ」
怒気を含んだ吉野永一郎の言葉に、成瀬が淡々と言葉を続ける。
「娘さんは月森氏に並々ならない執着がありました。それに一週間前の事も、榴ヶ崎さんに対して不遜な態度をしている。そして我が社より彼女の連絡先及び自宅に伺っても連絡がとれない事とこちら背にある映像。すぐに警察ではなく、あなたにまず面会を申し出たのは、せめてもの恩情です」
「ま、待ってくれ。今、今すぐこちらからも二人に連絡をっ! おい、誰かっ! 今すぐ立花と由加里に連絡するんだ!」
吉野永一郎の声に、慌てた様子で部屋に飛び込んできた秘書と思われる二人が、スマートフォンを開く。
「おい、誰でもいい、事務所の電話からも掛けるんだ! ベ、別荘にも連絡をしろ!」
足元から冷えるような拓と成瀬の怒りを含んだ視線に晒されながら、吉野永一郎は指示を出す。
事務所内が慌ただしくなるなか、皆が吉野永一郎への報告はどれも「電話が繋がらない」という言葉だけだった。
「そろそろ、二人の居場所を教えていただけますか?」
拓は大きなため息をつくとソファーから立ち上がり、呆然とした吉野永一郎の顔を見下ろした。
●呪詛について
本当はもっと細かく手順があるんですが、そのまま書いてしまうと本当に呪いが成立してしまうのでさらっと書いています。
呪詛の言葉もちゃんとしたものを書いてしまうのは拙いので、ある言葉をもとに造語しました。
人形・髪の毛・爪辺りは定番の準備物ですね。
●護摩壇について
これも仏様や神様を迎えもてなし願い事を伝えるのではなく、闇との契約として使っている、呪詛用のものなので、本文では記載していませんが一般的なものではありません。
これも実行しようと思うとできてしまうので省略しました。