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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
55/235

55 篠突く雨

 相思はぬ人を思ふは 大寺の餓鬼のしりへ額付ぬかつくごとし


 この歌を詠んだのは者がいたのは、平城の時代だったか。

 求めても手に入らない者が、自分へ意識が向くように揺さぶりたいという情念なのか。


 ―何とも面倒くさいものだ。


 そんな事を立花は思い、薄暗いワインセラーで吉野由加里(よしのゆかり)の背中を見つめた。

 吉野に「女を起こせ」と言われ、沈めていた榴ヶ崎(つつじがさき)えり意識を引き上げ、目覚めるのを待っていた。

 時間にして二分弱。

 閉じているえりの長いまつ毛が小さく震えると、ゆっくりとそのまつ毛に縁どられた瞼が開かれる。

 目覚めたえりは、完全に意識が覚醒しきっていないのか、焦点の合わない瞳をゆるゆると彷徨わせた。

 そのうち、少しずつ意識がはっはりとしていくのか、徐々に焦点が定まっていく。


「目が覚めた様ね?」


 腕を組み、えりを見下ろす吉野のを見て、えりの瞳が見開かれる。

 見えない力に拘束されているのか、身体は力なくソファにもたれた状態で、表情が微かに動く程度だ。

 えりが吉野に何かを言おうとしたのか、苦しそうな視線を向けた。

 だが、口も動かず、声も出せない事にえりは現状に困惑した表情を浮かべる。

 その表情を見て、吉野がくすりと笑う。


「無駄よ。これからあなたは私の人形になるの」


 そう言うと、吉野はワイン棚に備え付けてある引き出しから、ソムリエナイフを取り出した。

 薄暗い照明の光が、取り出したナイフに反射するのを満足そうに眺めると、くるりとえりへと向きなおす。

 口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと吉野がえりのソファーへと近づくと、腰をかがめ、えりの顔を覗き込んだ。

 スローモーションのように、吉野のソムリエナイフを持った右手がえりの首元へと近づく。


 ざらり。


 えりの耳元で不快な音と、ひやりとした金属が頬に触れ、声の出せないえりの喉がこくりと上下した。


「ふふふっ 殺されるって思った?」


 楽しそうにえりの顔を覗き込んた吉野は、ソムリエナイフを持っていない左手を、えりの目の前に掲げる。

 人差し指と親指で掴んでいるのはひと房の髪の毛で、先程の不快な音は自分の髪の毛が切られた音だとえりは理解する。


「私が今欲しいのは、これ。これがあればあなたは私の人形になるのよ」


 えりの瞳に怯えた色を見たのか、吉野が楽しそうに笑いながら覗き込んでいたえりの顔から体を起こした。


「そうねぇ。少し痛かったり、苦しかったりするかもしれないけど、我慢してね? あの時よりは短い時間で仕上げてあげるから」


 そう言うと、吉野は笑みを消し、手にしたソムリエナイフを無造作に放ると、カツンと硬質な音を立ててナイフが床に転がった。


「あとはよろしくね」


 吉野が立花に吐き捨てるように言うと、そのままワインセラーを後にする。

 その背を冷めた目で立花が見送り、完全に吉野の気配が消えるとゆっくりと立花がえりに近づいた。その行動に、反射的に瞳に怯えの色を濃くする。


「姫君も、見初められたばっかりに難儀な事だ」


 先程の冷めた視線から、心底愉快そうな色が瞳にあるのを見て、えりは吉野の時とは違う恐怖を感じた。







 市街地から少し離れた住宅地に、一台の乗用車が止まった。

 比較的大きな区画割が並び、この地域一帯は高級住宅街と呼ばれる地区になる。

 乗用車が止まった場所は、特に高い塀に囲まれた豪奢な門構えが目立つ家から、少し離れた場所だった。


「ここだな」


 その声を合図に、車の運転席から司波稜梧(しばりょうご)、助手席から桐生健(きりゅうたける)が降りてくる。

 宗方俊哉(むなかたとしや)との電話で、司波は今回の事に吉野由加里が関わっている可能性がある事を伝えられた。その情報源は遠野瑞季(とおのみずき)だ。

 あの後、少し強引だが早々に取引先から引き揚げ、宗方から伝えられた住所へと二人は向かった。

 月森拓(つきもりたく)成瀬忍(なるせしのぶ)が駅に到着するまでに、一度会社に戻るよりは直接出向いた方が早いと、出先から吉野の自宅へと向かう事にしたのだった。

 車から降りて二十メートル先にある、固く閉ざされた門の横にあるカメラ付きインターホフォンを司波が押す。何度かの来客を知らせる音の後、プツリと音がした。


「お忙しい所に申し訳ございません。吉野由加里さんのご自宅でしょうか?」


 カメラに向かって穏やかな笑みを浮かべ、司波が問いかける。


『はい、そうですが・・・。どちら様でしょうか?』

「私は吉野由加里さんの勤める、M.C.Co.Ltdの七階開発環境部の司波と申します」


 そう言いながら、首から下げた社員証をカメラにかざし、一歩後ろにした桐生も同じようにかざして見せる。


「彼女に、急ぎ仕事で確認したい事が有りまして。携帯も連絡がつかない為、自宅療養中とは聞いていますがご自宅に伺わせていただきました」


 そう伝えると、一瞬戸惑ったような空気がインターフォン越しに伝わってくる。


『・・・あの、来ていただいて申し訳ないのですが、お嬢様はこちらにおりません』

「居ないとは・・・。病院でしょうか?」

『申し訳ございませんが、わたくしの口からは申し上げられません』

「そうですか。わかりました。では、吉野さんに会社まで連絡いただくように伝言をお願いいたします』

『わかりました。ご足労さまでした』


 相手が淡々と答え、最初の時と同じようにプツリ、と、通話の閉じる音がする。

 それを確認した後、司波は先程の柔らかい表情を消し、桐生に向きなおす。


「まあ、知ってても言わないだろうが、ここには居ねぇな。声は拾わないだろうけど、いつまでも居れば目立つ。とりあえず車に戻るぞ」


 先程の会話から、吉野が自宅に居ないのは確かなようだと桐生も感じたようで、その言葉に頷く。

 二人で吉野の自宅の門にある、防犯カメラにちらりと視線を向けた後、停めてある車へと戻ろうとすると、一台の国産高級車が吉野邸のガレージ入口前で停まった。

 思わず足を止めた二人を見て、運転席から一人の男が降りてくる。


「こちらに御用ですか?」

「ええ」


 司波の言葉に、男がにこりと微笑む。


「ああ、僕はこちらの吉野議員の秘書をしております、立花と申します」


 そう言いながら内ポケットから名刺入れを取り出し、二人へと一枚ずつ渡した。


「これはご丁寧に」


 そう言いながら司波と桐生が受け取り、名乗ろうと口を開く。


「いえ、存じ上げていますよ。M.C.Co.Ltdの司波稜梧さんと桐生健さん」


 そう言いながら立花が二人を見て、先程の人好きする表情を消し、にやりと笑った。


「ああ、こちらの方が正しいのかな。迅雷(じんらい)不知火(しらぬい)。このお名前の方がしっくりくるのかな?」


 千年前からの名を、初めて会う男の口から呼ばれ二人の纏う空気が変わる。


「誰だ、お前」


 臨戦態勢に入った桐生が、低い声音で問いかけた。


「そんな怖い顔しないでくださいよ。今はまだ、君たちと(やりあ)うつもりはないんでね。それに一対二なんて不公平でしょ?」


 その言葉と共に、三人を囲む景色が一変した。


「・・・別空間に連れてきておいて、何が(やりあ)うつもりはない、だ」


 景色が変わったのにも動じる事もなく、迅雷と呼ばれた司波が好戦的な笑みを浮かべて言う。


「これでも僕も人の世に馴染んでいるものでね。被害があると後々大変でしょ」


 そう立花が言い終わるかの瞬間、立花の足元に向かって鎌鼬(かまいたち)のような衝撃が飛ぶ。


「・・・ったく、血の気が多いなぁ、不知火くん。危ないじゃないか?」


 衝撃をひらりと躱した立花が、桐生を見て飄々と言うと桐生は小さく舌打ちをした。


「それぐらい避けれるだろ、()()()()()()()()

「単刀直入に聞くぞ、うちの姫さんを攫ったのは吉野由加里と欣子内親王か?」


 立花の力量を試したんだろう。

 大した事はないといった風で桐生が言うと、時間が惜しいとばかりに司波が桐生を制して立花に問う。


「攫った、という部分であれば希望したのは()()()だよ。それを希望を叶えたのは僕」


 悪戯が成功したような、無邪気な物言いに向かい合う二人の空気が剣呑とする。


「今の所、君達のお姫様には傷はないよ。ああ、でもほんのちょっと、髪の毛は切られちゃったかな」


 二人の纏う空気が、怒気を含んだものに変わっていくのにも動じず、立花が楽しそうに言う。


「でも、これから先はどうなるかな。内親王様は大層お楽しみな様子だったよ」


 にいぃっ、と口の両端をあげて笑う姿立花の姿に、司波が閉じた扇をひと振りすると、雷光が真っすぐ立花へと飛んだ。

 激しい爆音と煙が辺りに漂うのを見て、司波が静かに怒気を含んだ声を出す。


「さっさと姿を現せ」

「酷いなぁ、君たちとは戦うつもりは今は無いって言ったでしょ。ああ、そうだ」


 ふわりと宙に浮いた状態の立花が、二人を見下ろしながら内ポケットから何かを取り出し、司波へと放り投げた。

 受け取った司波は軽く目を瞠る。


「君達のお姫様の物だよ。これがあると簡単に見つけられちゃうからね。君達の主に伝えると良い。欣子内親王様は、姫の魂に()()()()()()()をするつもりだってね」


 司波の手の中にあるのは、見慣れたえりのバレッタだった。








●篠突く雨

篠竹の竹林のように、強く細かく高密度で降る激しい雨の事。


●相思はぬ人を思ふは 大寺の餓鬼のしりへ額付ぬかつくごとし

訳→思ってもくれない人を思うなんて、大寺の餓鬼像を後ろから伏して拝むようなものです。

これは万葉集に収録されている、笠女郎かさのいらつめ大伴家持おほとものやかもちに贈った二十四首の歌のうちの一首です。

大伴坂上郎女とならび称される女性歌人ですが、中々愛の重い女性だったようです。

上記和歌は万葉集巻四に収録されています。

家持の心変りを知った、笠女郎の失望と最後の恨み言や嫌味含んだ歌。



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