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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
45/235

45 曲水の宴(3)

 穏やかに流れる小川の畔に、歌会に参加する者たちが案内されて行く。


 曲水(きょくすい)(うたげ)とは、ゆるやかに曲がりながら流れる遣水に、酒を注いだ盃を羽觴(うしょう)にのせ川上から流し、歌人の前に流れてきたところを二名の童子が羽觴を取り、歌人の前に置くと、歌人は歌題にちなんだ和歌を詠み短冊にしたためる。

 和歌を書き終えた歌人は盃を飲み干し、再び羽觴に乗せた盃を流れに戻す。全員が和歌を詠んで盃を飲み終えると童子が短冊を集め、神職によって朗詠され、神に奉納されるというものだった。

 歌題は着席した時に告げられる為、即興で歌を詠む技量が必要となる。


 今回の歌会の参加者は、男女五人ずつの計十人。

 どの参加者も、歌には評判のある者達だ。


「まあ! 此度は東宮様と月白(げっぱく)の君が参加されるのね」

「東宮様もだけど、月白の君の麗しいこと」


 遣水の流れに沿って座を作っているが、源昭仁(みなもとのあきひと)の場所が西対側に顔を向ける位置だった為、顔の良く見える西対に座る女人達がほぅ、と、ため息をつく。

 今までは、源家は当主であった祖父の源倖仁(みなもとのゆきひと)が時折参加をしていたが、昨年の元服時にあわせた当主交代で、今年は昭仁が歌会に参加する事となった。

 昭仁本人は面倒だと嫌がったが、倖仁より「源家の当主としての挨拶も兼ねて」と言われたのもあり、渋々の参加だった。

 ただ、渋々の参加の割に、この場での昭仁の表情は明るく穏やかな笑みを浮かべている。


「ご覧になって。ほら。あのように穏やかに微笑まれて」

「月のように冷たくも麗しい公達で、穏やかな東宮様と対のように言われていたけど、あのようなお顔もなさるのね」

「いつものお顔も麗しいけど、あのようなお顔をされるとまた美しさに艶っぽさが加わって・・・」


 内裏に勤める女官たちの華やいだ声に、制止をかけるように尚侍(ないしのかみ)の咳払いが響く。

 西対の一番下手には、先程琴を披露した幼い姫たちが座っている事を配慮してだろう。

 その咳払いを聞いて、女官たちが口を噤む。




「内親王様、今年の歌題は『花』との事ですよ」


 母屋に座る欣子(よしこ)に、淡路(あわじ)が囁く。


「牡丹の花のような内親王様がいらっしゃるのですから、今日の主役となる事でしょうね」


 淡路の言葉に、並び座る圭子(たまこ)と欣子は扇の影で頷く。

 昨夜、承香殿(しょうこうでん)へと渡った帝から、圭子は今日の歌会の歌題について聞いていた。

 歌題は『花』。

 大輪の牡丹と呼ばれる欣子だ。

 これだけ大内裏の中で、欣子との婚姻について噂が流れていれば、形だけでも昭仁から歌を送られるだろうという、圭子の願いを聞き入れた帝が出した歌題だった。

 実際、今回の歌会に参加する式部卿(しきぶきょう)宮内卿(くないきょう)に、圭子から内々に欣子についての歌を詠むようにと頼んである。

 圭子にとってこの歌会は、欣子の価値をあげ、欣子が源家へと嫁ぐ後押しを作る機会だと考えていた。




 泉殿の雅楽寮の者たちの演奏が始まり、羽觴が流される。

 一番手は東宮だ。

 童子が目の前に流れて来た羽觴を取り上げ、東宮の前へと置くと、東宮はほんのひと時思案して、さらさらと短冊へ筆を走らせる。


「さすが東宮様。今年もあっという間にお歌を詠まれたようですね」


 香子(かおるこ)が小声で囁くと、暁子(きょうこ)が優雅に微笑んだ。


「三番目にいるのが月白様ですね。初めての参加ですが、お歌も得意と伺っております」


 香子の言葉に、暁子が頷く。

 元々東宮と暁子、昭仁は昔馴染みで、暁子自身が昭仁と顔を合わせたのは幼い頃、東宮妃候補となった時だった。

 穏やかに、けれども本心を明かさない昭仁は、年頃になると漆黒の髪と瞳、抜けるような肌の白さ等が、手の届かない月の光を思わせる薄い青みを含んだ月白色のような印象から「月白の君」「月の君」と呼ばれるようになった。


 ―澄ましているけど、あの男が案外腹黒なのはみんな知らないのよね。


 扇の影で暁子はそっとため息をつく。

 昭仁は生まれた家が特殊だったのもあり、ごく限られた者にしか心の内を見せない。

 月影と呼ばれる源家の嫡男だ。

 皇族や権力を持つ貴族たちと対等にわたる為の幅広い知識や、武術や文学等学ぶべきものも多い。

 その見た目と年齢から侮って扱った者は、すでに昭仁が当主となってから、痛い目にあっているとも東宮から笑い話として聞いている。

 家柄的に、彼を含んだ源一族には執着という感情は無縁だが、自分が心を許したものには心を砕く。

 幼き頃から兄と慕う東宮とは、余程の事がない限り袂を別つ事はないだろう。

 おまけに昭仁の能力は、月影一族歴代の中でも群を抜いているという。

 昭仁が東宮の傍に控える事は、東宮が帝になった時の最大の剣であり盾となる。


 ―だけど、何となく気に入らない、と言うのはお互い様かしら。


 暁子自身、気に入らないと言っても別に昭仁に嫌悪がある訳ではなく、何となく自分と似た部分を感じるのだ。

 昭仁も同じように感じているのだろう。

 決して苦労や努力を他人に見せる事はない暁子と昭仁だが、その事を誰よりも理解し、労うのが東宮だった。


 ―それにしても今日は普段よりも機嫌がよく見えるわね。何かあったのかしら?


 普段の昭仁を知っている暁子は、心の中で首を傾げた。



 羽觴がゆっくりと流れ、昭仁の前にたどり着くと、童子がすくい上げ昭仁の元へと運ぶ。

 俯きがちだった昭仁の視線がゆっくりとあげられ、その視線は西対の一角へと向かう。

 そこにいたのは先程、見事な琴を披露した咲子が座っていた。


躑躅(つつじ)様。月白の君はまるで、絵巻物にある公達のような方ですね」


 咲子(えみこ)の隣にいた、治部少輔(じぶのしょう)の姫が好奇心を抑えきれず、扇の影から咲子に声を掛ける。


「ほんとうですね・・・」


 咲子は頷き、治部少輔の姫へと向けていた顔を、扇に隠しながらそっと昭仁の方を見る。


 ―あっ・・・!


 扇越しに、昭仁と咲子の視線が交わると、咲子は慌てて扇の影へと顔を隠す。

 扇の影からもう一度昭仁の方を見ると、再び目が合い昭仁の視線がふわりと緩むのが分かった。


 ―いけない、はしたなかったかしら?


 幼くても貴族の姫として、今の態度は良くなかったかもしれないと、咲子は内心焦ってしまったが、再び目の合った昭仁の視線が柔らかく緩んだ為、ほっと息を吐き安堵する。

 そのまま咲子が昭仁の様子をていると、昭仁は何事もなかったように短冊へと筆を走らせ始めた。


「凄いですね。私は歌が得意ではないのです。参加している皆様のようにすらすらと書けません」


 感心したように治部少輔の姫が言うと、他の姫たちも頷く。

 そうしているうちに書き終えた昭仁は筆をおき、童子が運んできた羽觴から盃を受け取ると口に運んだ。



 歌会はゆっくりと進み、参加者十名すべての歌が童子によって神職の元へと集められ、詠まれた歌の披露へと移る。

 披露の順は、歌を詠んだ順がそのまま充てられ、一番手で詠んだ東宮の歌からの披露となる。

 神職が節をつけ、朗々と読み上げる。


「さすが東宮様、歌の技術もお高い」


 貴族たちから感心したような声があちこちから上がるなか、続いて式部卿の歌が読まれる。

 式部卿の詠んだ歌の中には、牡丹を指す表現があった為、皆が欣子を称えるものだと理解する。

 そうなると次に披露される昭仁の歌に、皆が興味を示す。

 大内裏内では「欣子内親王が源家へ降嫁するのではないか」と噂が絶えないのだ。

 大輪の牡丹の花のような内親王と月の光のような麗しい公達。

 そうなれば、似合いだと皆が囁く中、欣子と圭子が満足そうな笑みを浮かべた。


「源昭仁様―」


 神職の声に、それまで囁き合っていた貴族たちが一斉に口を噤んだ。

 皆からの期待の籠った視線を浴びる昭仁は、涼しい顔でその視線を流し、ただ一人へと視線を送る。




「春の日の 名も知らぬ花 身染めたり

 つつじの蕾 わが恋ひわたる」


 名も知らぬあなたに心奪われていましたが、この春の日に再び出会えました。

 つつじの蕾のような貴女に、私の恋を届けましょう。





 神職の読む昭仁の歌が、静寂の中響いた。







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