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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
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44 曲水の宴(2)

 延長八年 -九三〇年- 弥生 京の都



 穏やかな日差しの中、曲水(きょくすい)(うたげ)の為、いつもより華やかに飾られた神泉苑(しんせんえん)には多くの皇族や朝廷関係者、貴族たちが集まっている。

 神泉苑は、大内裏の美福門(びふくもん)を出た通りを挟んだ向かい側にある、皇族をはじめ貴族の為の宴場だ。

 苑内には、穏やかな丘陵があり、こんこんと清水が湧く池からは小川が伸び、なだらかな流れをつくる。

 緑豊かな苑内には、季節の花木が植えられ、四季折々で表情を変える美しい大庭園だ。


 毎年、ここで朝廷が主催する曲水の宴が行われているが、今年は東宮の案もあり、いつもとは違う趣向となっていた。

 いつもであれば歌会から始まるが、今年は歌会の前に演奏を楽しむという。

 小川の流れる庭園を囲むようにある、寝殿造の対の建物から延びる中門廊(ちゅうもんろう)の先にある池の泉殿には、雅楽寮の者たちが控え、中門廊には琴が五張置かれている。

 早くから指定された対に腰を落ち着けている貴族達の間では、会話が華やかに弾み、その様子を源昭仁(みなもとのあきひと)(ひさし)に立ち眺めていた。


「この度は東宮様の案で、琴の上手な姫君たちが歌会の前に、演奏を披露するらしいですな」

「それは、楽しみな」


 ―なるほど、あの琴は兄上の発案か。


 昭仁は、まだ弾き手の現れない琴をへと視線を向ける。

 毎年の宴だけでは物足りないと考えたのだろう。音楽を好む兄上らしいと昭仁は思う。


「この場に選ばれるという事は、腕前も朝廷に認められたという事。選ばれた各家も誉な事」

「最年少は目付殿の姫とか。噂では大層琴の演奏が上手く、東宮様も気に入られているらしいですよ」

「ああ、目付殿の姫は、常寧殿様の従姉姪になられるとか」

「ほう」


『目付殿』と呼ばれるのは内侍司(ないしのつかさ)での監督官である、藤原盈時(ふじわらみつとき)の事だ。

 温厚な性格で人当たりも良く、何かと女同士でもめる事もある内侍を、うまく取りまとめている男だったと記憶している。


「おお、これはこれは、源様」


 横から見知った貴族の男から声を掛けられ、昭仁は声の方へと顔を向けた。


「今日の歌会では、源様も歌を詠まれるとの事。我が姫も参加するのですが・・・」

「今年の歌題は何だろうね?」


 さり気なく自分の娘の事を話し、売り込もうとした貴族の言葉を遮るように、聞き馴染んだ声がかかる。


「東宮様」


 昭仁の声に、周囲の貴族達が気付き、一斉に頭を下げる。


「まだこんな所にいるのかい? そろそろ帝もお越しになる。君の席は私の隣でも良いだろう?」


 そう言いながら東宮は昭仁に移動するように促すと、昭仁はそれに素直に従う。


「それでは、小倉様。お話の途中でしたが、これにて」


 そう昭仁に言われ、声を掛けた貴族は残念そうにため息をついた。

 東宮とその半歩後を歩く昭仁の姿を見て、貴族たちが声を潜め会話を始める。


「やはり、東宮様は側近として月影殿をお傍に置くおつもりだろうか?」

「それならば、早めに月影との繋がりを作らねば」

「まだ月影の若君は独り身のはず」

「だが、帝の末姫との婚姻の噂が出ておるではないか」

「噂は噂であろう?」


 ヒソヒソと顔を合わせ会話をする様子を見て、東宮がため息をついた。


「申し訳ないね。私も噂だとかねがね言ってはいるんだが、噂の出所が次々と噂を作るものでね」

「気にしておりません」

「いや、そこは気にした方が良いのでは。君の想い人となる姫君の耳に入ったら、障害になるだけだよ」


 淡々と答える昭仁に、東宮が呆れたように呟いた。


「さあ、歌会まではここで楽しもう」


 東宮の隣に腰を下ろし、暫くすると帝が現れる。

 正面の建物は帝が中心となり、皇族や重要貴族が座る場所だ。

 渡殿で繋がった西対には内裏の女人が、東対には貴族の女人達が座っている。

 ざわり、西対と母屋の空気が動き、何事かと昭仁が顔をあげると、渡殿を侍女に手を引かれ歩く五人の姫たちが目に入った。


 ―ああ、あの者たちが今回琴を披露する・・・


 そう思い眺めていた昭仁の視線が一人の姫に縫い付けられる。


 ―あの姫はっ!


 淡い桜色の汗衫かざみのにつつじ色と、それに合わせた春を思わせる打衣うちぎぬ纏った姫は、五張のうちの中心の琴へと導かれる。


「なんと、愛らしい。中でもひと際目を引く、あの中心の姫が目付殿の姫ですか」


 誰かが呟いた言葉が昭仁の耳に届く。

 五人とも愛らしく初々しい様子に、皆の表情が微笑ましいものへと変わる。

 柔らかい雰囲気が宴場を包む中、愛らしい姫たちの琴の披露が始まった。




 ◆◇◆◇◆




「どうしましょう、躑躅様・・・」


 一人の姫が、西対の後ろの控の間で泣きそうな顔をして咲子を見る。


「あんなに大勢の前で披露だなんて・・・」


 ふるえる声で呟いた言葉に、他の姫たちも不安そうな顔に変わっていく。


「大丈夫ですよ。たくさん皆様も練習したではありませんか」


 咲子も初めての曲水の宴に参加するのだ。

 まさかこんなに大きな催しとだとは、実のところ考えていなかった。

 会場全体からの注目を浴びて、緊張するなというのが無理な話だ。

 けれどもその不安を隠し、笑顔で訴えてきた姫の震える手を取る。


「わたくしも胸がどきどきしています。でも皆様でたくさん練習したのだもの。きっと上手くできます」


 咲子が元気づけるように言うと、他の四人に笑顔が戻る。


「そうですよ。姫様方はこの浮島の指導にも音をあげず頑張って参りました。自信をお持ちくださいませ」

「そうでございます」


 控の間に付き添っている浮島と、四人の姫の傍付きの侍女たちが勇気づけるように言葉をかける。


「姫様方、中門廊へご案内いたします」


 案内役の女官に声を掛けられ、五人は控の間を後にした。


 帝の言葉が終わると、一番手として五人の演奏となる。

 咲子はすうっと大きく息を吸うと、舞台となる中門廊へと歩き始めた。




 ◆◇◆◇◆




「これは・・・」


 愛らしい姫たちの琴の演奏が始まり、暫くすると集まった貴族たちが感嘆の声をあげる。


「なんと見事な」


 集められた姫たちは、最年少の咲子をはじめ十から十二になる。

 皆、琴の演奏技術は勿論、琴を弾く時間が楽しくて仕方がないと思っている者達だ。

 その中でも咲子は特に琴を弾く事が大好きで、浮島から直接幼い頃から指南を受けているのもあり、かなり技術も高い。

 咲子は他の姫君達を導くように、また他の姫君たちも咲子の音に引き上げられ、音を奏でる。

 小さな姫たちの奏でる音は、宴場にいる皇族、貴族たちを魅了していく。


「確か、指南は目付殿の姫に仕えている浮島と言ったか」

「ほう、あの琴の名手の!」

「いやはや、素晴らしい。特に真ん中の姫の奏でる音が良い」

「あの姫君が目付殿の正妻の姫君だそうだ。躑躅色の衣装が良く似合う」


 その言葉を聞いた昭仁は、宴が始まる前に聞いた話を思い出し、確信する。


 ―間違いない、あの時常寧殿(じょうねいでん)で見かけた姫だ!


 皆が琴の音色に耳を傾ける中、昭仁は五人の中心にいる咲子(えみこ)から目を離せずに居た。

 琴を弾く為に俯きがちだが、時折左右の姫たちに視線を送る時に動くその表情は、実に楽しそうで、可愛らしい笑みを浮かべている。

 あの時と変わらず、柔らかそうな頬と口はほんのりと染まり、長いまつ毛に縁どられた丸く愛らしい瞳は、琥珀のように煌めいて見える。


 ―やっと、見つけた・・・。


 そう思う昭仁の口元が、自然と弧を描く。

 長月のあの日から、ずっと探し求めていた姫が目の前にいる。

 それを頭が理解した途端、昭仁の心の臓が今までにない音を身体に響かせた。


「おや、どうしたんだい?」


 隣に座る東宮が、明らかに機嫌よく見える昭仁の様子に声を掛けると、昭仁はちらりと東宮に視線を向けた後ふっと笑う。


「・・・見つけました」

「見つけた? あぁ、探していた姫君? この宴場にいるのかい?」


 東宮が声を潜めて問うと、昭仁はそれは綺麗な笑顔を浮かべる。


「・・・月白殿、嬉しいのはわかるけど少し自重してくれると助かるかな?」


 姫君たちの琴の演奏が終わり、その後を引き継いだ雅楽寮の者たちの演奏が始まっている。

 これが終われば歌会となる為、参加する東宮と昭仁は皆の前に出なければいけない。

 微かに微笑む昭仁は艶っぽく、このまま皆の前に出してしまうと見物の女人たちが大変な事になりそうだな、と、東宮は溜息をついた。






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