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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
42/235

42 残夢(5)

 承香殿(しょうきょうでん)に足を運んだ帝は、酒を一口飲むと小さく溜息をつく。


「いかがなさいましたか?」


 帝の近くに座り、瓶子を手にした圭子(たまこ)が首を傾げた。圭子の顔へと視線を向けると、また一口盃へと口を付ける。


「・・・圭子、欣子(よしこ)をここへ」


 帝の言葉に、圭子が不思議そうに頷きながら几帳の影にいた淡路(あわじ)を呼ぶ。


「淡路、欣子を」

「畏まりました」


 淡路は返事をすると、欣子がいる室へと向かう。


「・・・何かございましたか?」


 暫く無言が続き、何も語らない帝へ圭子が問いかけるが、帝は目を伏せたまま何も答えない。


「・・・もしかして、欣子の婚儀についてでしょうか?」

「欣子内親王様、お越しでございます」


 ずっと保留となったままの婚儀の事かと、圭子が口にしたと同時に淡路の声が重なる。


「父上様!」


 几帳の影から現れた欣子は、いつものように甘える声で帝を父と呼ぶ。


「お呼びとの事、どのような御用でしょうか?」


 無邪気に問う欣子の声に、帝が手にしていた杯を置き、欣子、圭子へと順に視線を向ける。

 高灯台の油がジジっと音を立て、炎が揺れる。


「此度、神意によって欣子内親王が斎宮に選ばれた」

「「・・・え?」」


 帝の発した言葉に、圭子、欣子それぞれの驚きの声が重なる。


「・・・斎宮? 欣子が、ですか?」


 聞き間違いではないかと、圭子が繰り返す。


「そんな・・・斎宮になれば都を離れなければなりません。それにっ、欣子には嫁ぐ話が出ていてたではありませんか!」

「圭子も知っているだろう? 斎宮は皇族で未婚の女子のみで、」

「それなら他に二人いるでは・・・!」

「・・・これは神意なのだ。こちらが選べるものではない・・・」

「でも、帝は欣子が可愛くはないのですか? 都から離れて一人、神に仕えるなど・・・。それに斎宮など、今の暮らしのように自由も無くなるではありませんか!」


 取り乱し、帝に縋りつく圭子を帝が抱きかかえるように支えたが、そのまま圭子は俯きはらはらと涙をこぼす。

 その二人の姿を、欣子はただ茫然と見つめる。


「・・・それと、月影の家との婚姻はあれから進んでおらぬ・・・」

「・・・それは、・・・どう言う・・・事ですか・・・?」


 苦渋の表情で告げる帝の言葉に、圭子の表情が固まった。


「其方からの願いがあって、源家(みなもとけ)に欣子の輿入れを伝えたが・・・」

「なぜ・・・? 帝が命をすれば・・・源姓であれば臣下と同じ事・・・っ」

「・・・源家には政略結婚を強いる事は出来ぬ。源姓ではあるが、あれらは都と我ら皇族に降りかかる災いを払う役目を担っている。何者も源家には干渉せぬ事、これが太古からの我らとの契約なのだ。それが守られる限り、あの一族は我らを守る・・・」

「わたくしは、源家に輿入れできない・・・?」


 呆然と帝を見上げる圭子の背後から欣子の呟きが聞こえ、慌てて二人が欣子へとにじり寄る。


「なぜ、ですか? それに斎宮なんて・・・! わたくしは都を離れたくはありませんっ」

「欣子・・・」


 告げられた言葉に顔色を無くし、ふるふると体を震わす欣子を圭子が抱きしめる。


「ええ、ええ。あなたを遠い地へなどやりません。そうでしょう?」


 そう欣子に告げながら、圭子が帝を見る。


「斎宮など、ならなくてよいのです。欣子は私の傍でずっと暮らすの。帝だって可愛い欣子を手放す事はしないでしょう?」


 圭子は再び涙を浮かべ、帝へと訴える。


「だが、しかし・・・」

「神意で選定されたからと言って、必ずそうならなければいけないという事はないはずです」

「しかし、既に欣子が選ばれた事は宮中では準備の為、通達が出ておる。それに神意は絶対だ」

「父上様、嫌です・・・! 宮中での暮らしと同じようにできない場所など、欣子には耐えられません。それに、源家に嫁ぐ事になると幼い頃から言われていたのです。それ以外は絶対に嫌です」


 圭子によく似た面差しながら、大輪の花のような愛しい娘が泣いている。

 それだけで帝自身の身が切られるような思いになるが、帝という地位を考えれば自分の思いだけではどうする事も出来ない。


「・・・なるべく今の暮らしと変わらぬようにとの配慮はしよう。神に仕える身となれば、今ほどの自由気ままな暮らしはできぬ」

「嫌でございます! 斎宮になど、斎宮のような暮らしなどしたくありませんっ」


 いやいやと首を振り、欣子は拒否をするのを圭子が抱きしめる。


「どうか、どうか今暫く・・・。源家が婚姻を断ってもまだ月白(げっぱく)殿は独り身。野宮(ののみや)に行くのはまだ保留として下さい・・・」


 子供のように泣く欣子を宥めるように抱きしめ、圭子が帝へと訴えると帝が目を閉じ、眉根を寄せる。


「・・・なるべく我からも月影の家には働きかけよう。勅使(ちょくし)にもまだ欣子の気持ちが乱れておるゆえ、野宮に入る事が難しいと伝える」


 その言葉に、圭子が帝へ縋るような目を向けた。




 翌日、帝は勅使を呼ぶ。


「斎宮の事だが、欣子内親王が首を振らぬ為、暫し猶予が欲しい」

「しかし・・・」

「まだ幼い故、斎宮の任の重さも理解しておらぬ。また、圭子と離れる事を不安に思っておる。野宮に向かうのを延ばしたとして、いつぐらいまで可能か?」


 本来であれば、卜定(ぼくしょう)で選定された時点で準備を始め初斎院(しょさいいん)に入り、その後野宮である泊瀬斎宮(はつせいつきのみや)へ向かう。それを延ばせと言われ、勅使も困惑する。


「私どもの一存では・・・いったん持ち帰り各所との相談の上の返事とさせていただきたく存じます」

「・・・すまぬ」


 勅使達は困惑の表情のまま、紫宸殿(ししんでん)から下がる。

 その姿を見て、帝は深くため息をついた。






 常寧殿(じょうねいでん)(ひさし)に東宮と暁子(きょうこ)が仲睦まじく並び、庭の楓を楽しんでいる。


「随分と色づきましたね」


 暁子の膝にはあの日の白猫、雪丸が寛ぐ。暁子の撫で具合が心地いいのか、雪丸はうっとりとした表情で眠っている。


「最近、躑躅(つつじ)の姫を見ないね」


 思い出したように、東宮が咲子の事を口にした。


「どうやら浮島より、新しい琴の曲を習っているようです。『一番に常寧殿様に披露できるように頑張ります』なんて可愛い事を言うのですよ。折角お稽古に励んでいるのなら、呼び出しも控えようかと思いまして」


 ふふふ、と嬉しそうに笑いながらも「それでも可愛いあの子を構えないのは寂しいわ」と暁子が呟く。


「なるほど。では、躑躅の姫は次に来た時は新しい琴を披露してくれるんだね。それは楽しみだ」

「あら、まだ東宮様をお呼びするとは決まっていませんわよ」


 東宮の言葉に、暁子がくすりと笑いながら言う。


「君だけが独り占めとは狡いなぁ。あの子の琴の音は本当に心地いいんだ。皆にも聞いてもらう事が出来れば、年齢など関係なく、すぐに名手との噂が立つだろうね」


 東宮の言葉に、暁子が嬉しそうに頷く。


「きっと、紗子お姉さまの血なのね。琴を習いたいと強請ってからどんどん上手になって。今では東宮様からお褒めいただけるまでになるなんて」

「ああ、そうだ。弥生の曲水きょくすいの宴で、躑躅の姫が琴を披露するのはどうだろう?」


 良い事を思いついた、とばかりに東宮が暁子の顔を覗き込む。


「でも、咲子さんはまだ十歳ですよ?」

「琴の音色に年齢は関係ないだろう? あの子の琴は皆が耳にするべきだよ。それに十の少女があの演奏をするんだ、きっとみんな驚くし聞き惚れる。それに躑躅の姫ならどこに出しても恥ずかしくない程の教育を受けている」


 暁子自身、自分の夫である東宮が、溺愛している従姉姪を手放しで褒めてくれるのは嬉しいと思う。

 いずれ咲子も社交界への参加が始まる。

 少し早いが、東宮とその后である自分が後見となって宴に出れば、変な虫もつきにくかろうと暁子は考える。

 まだ幼さはあるとはいえ、しっかりと貴族の姫として教育を受け、その上、躑躅の花のような愛らしい容姿を持つ咲子だ。自分の目の届かないところで参加して、どこぞの貴族の男に目を付けられるならば、初めから目を光らせていた方がいい。

 そう考え、暁子が頷く。


「それでは、いろいろ準備もあるでしょうから、早めに盈時(みつとき)殿にお知らせしましょう」


 暁子の承諾が出た事で、東宮が機嫌よく頷く。


「一緒に演奏もいいなぁ、そういえば躑躅の姫の護衛達も、笛が得意だと言っていたな」

「それよりも、東宮様」


 意識が既に曲水の宴に向かっていた東宮が、暁子の呼びかけで引き戻される。


「なんだい?」

「折角、わたくしの可愛い咲子さんが皆に琴を披露するのですから、衣装はわたくしが用意しても宜しいですよね?」


 にっこりと笑顔を浮かべる暁子に、東宮は苦笑いを浮かべた。









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