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姫は宇宙に愛される  作者: 月瀬ハルヒ
第二章 泊瀬斎宮
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40 残夢(3)

 延長七年 -九二九年- 長月 吉日 京の都

 神嘗祭の宴



 宴の松原にある広場には、あちらこちらで祝宴の輪ができ、みな思い思いに楽しんでいた。

 昭仁(あきひと)の周りは、比較的年若い者が集まっている。

 社交場であるが、余り興味を引く話題が出ない為、昭仁は適当に相槌を打つ。

 そんな中、いつの間にか白猫が1匹、昭仁の傍に寄ってきた。

 年若い貴族たちは話をする事に夢中で、猫の存在には気がつかない。

 会話にも飽きていた昭仁はそっと猫へと手を伸ばすと、逃げる事もなく白猫はゴロゴロと喉を鳴らし、昭仁の手に顔を摺り寄せる。


 ―これは珍しい。首に飾り紐がついている所を見ると、どこかの飼い猫か?


 猫は愛玩動物として人気が高いが、数が少ない為に貴重だ。

 猫を飼えるとなると、余程身分の高い者に限られる。

 大人しく昭仁の手に撫でられていた白猫が、何かを目にしたのか動きが止まる。


「うん? どうした?」


 白猫が昭仁の懐にするりと入り込むと、何かにじゃれ始めた。


「こら、これはダメだ」


 どうやら、懐中していた扇の飾り紐を見つけたらしい。そのままじゃれつき、爪が飾り紐をひっかけると、するりと扇が飛びだす。

 あ、と反応した時には白猫が飾り紐を咥え、扇を引きずりながら走り去ってしまう。

 その様子に、昭仁は慌てて盃を置くと立ち上がる。


「どうされました? 月白殿?」


 話に盛り上がっていた周囲は、いきなり立ち上がった昭仁の様子を見て驚いた顔をする。


「申し訳ない。大事な物を、今ここにいた猫に持っていかれまして」


 昭仁が、少し離れた木立に居る猫に目を向けると、皆がそちらを見る。


「おお、猫だ」

「どうする? 一緒に追うか?」

「いや、皆はここで楽しんで下さい。・・・失礼」


 猫の姿を見た皆が、昭仁に手伝う旨を申し出るが、それを断り昭仁一人が白猫を追う。


 ―ああ、参ったな。


 木立に近づくと、白猫はせっかくの獲物を取られまいと飾り紐を咥え、ひらりと走り去ってしまう。


「やれやれ。扇は良いが、紐だけは取り返さないとな」


 あの飾り紐は、昭仁の亡き母が昭仁が七つの時に月影の跡取りと決まった際に、守りとなる様に作ったものだ。

 昭仁が八つの時に、母に次いで父も流行り病で儚くなってしまった為、それ以降は祖父の源倖仁(みなもとのゆきひと)が親代わりとなった。

 両親については幼い頃の記憶しかないが、あの飾り紐が母の形見となり、持ち歩く扇の飾り紐としていた。

 縹色(はなだいろ)浅葱色(あさぎいろ)、白色の絹糸で編み込まれたそれは、母自らが昭仁を思って編んだという。


 白猫は昭仁が近づくと、まるで追いかけらる事を楽しむように逃げていく。

 昭仁が見失うと、どこからともなく鳴き声を発し、居場所を伝える。


「はぁ、猫に遊ばれてるな」


 宴の松原から次第に離れ、気がつけば中和院辺りまで来てしまった。


 ―さて、どうするか。


 その場に立ち止まり、考え込んでいると背後から大きな声で呼ばれる。


「これは、月白殿! ここでお会いできて良かった」


 名を呼ばれ声の方へと向くと、陰明門の前に近衛装束の男がいる。

 その男は昭仁の姿を確認すると、駆け寄り、懐から一通の文を差し出す。


「私は承香殿(しょうきょうでん)の近衛でございます。欣子(よしこ)内親王様より月白殿への文をお預かりいたしました。直ぐのお返事をとの事でございます」


 昭仁は、さっと近衛の姿に目を走らせる。

 腰にある太刀の飾り紐は、欣子内親王を記す紺桔梗色、差し出す文から香るものは欣子内親王が好んで焚き染めている香りだ。

 昭仁は差し出された文を取り、開く。

 そこに書かれていたのは「今宵、承香殿にて月見をしましょう」という誘いだった。


「返事を、との事だが」

「はいっ!」


 文に目を留めたまま言う昭仁の言葉に、近衛の男は嬉々として答える。


「今宵は忙しい為、お断りとしたい」


 昭仁は淡々と言うと、文を元のように畳む。


「え、それは」

「申し訳ないが、そのようにお伝えしていただきたい」

「は・・・? いや、あのっ」

「このように急ぎの返事を望むのですから、口頭でも構わぬでしょう?」


 そう言うと、文を近衛の手へと握らせる。


「月白殿っ! この文のお相手は欣子内親王様ですぞ!」


 呆然と返事を聞いていた近衛が我に返り、慌てて声を荒げる。


「先の予定があるのですよ」

「何を! 内親王様からのお呼び出しでございます、何より優先されるべき事!」

「さて、そのような決まりはない筈ですが」

「しかしっ! 圭子(たまこ)様は何が有っても連れて来るようにとお命じにっ」

「おやおや、随分と物騒な話だね」


 荒げた声の近衛に冷静に返す昭仁。その二人の元に、のんびりとした声がかかった。


「これは、東宮様」


 声の主を確認した昭仁が臣下の礼をとると、近衛の男も慌てて膝を折る。


「何を揉めているんだい? 月白殿。そこの近衛は、ああ、末姫の所の者だね」


 傍仕えの者を共に、東宮がゆっくりと二人に近づく。


「で、どうしたのかな?」

「・・・欣子内親王様からの使いで、今宵の月見のお誘いをいただきましたが、生憎予定がある為お断りした次第でございます」

「なっ!」

「ほう」


 頭を下げたまま淡々と伝える昭仁の言葉に、近衛が慌てて声をあげるが、東宮の相槌に口を噤む。


「先約があるなら、断りも致し方ないであろう?」

「しかしながら、これは内親王様と圭子様よりのお言葉であれば・・・」

「月白殿の予定を確認せずなのであろう? どうなのだ?」

「・・・そうですね。前触れもなく、で、ございましたので」


 言い淀む近衛を制して東宮が昭仁に問い、その問いに返した言葉に近衛の男が目を丸くする。


「・・・圭子様は必ずお連れするようにと申しました故・・・」

「予定を確認もせずの強行とはいただけないね」


 穏やかに微笑みながら言う東宮に、昭仁は苦笑いを浮かべる。


「ああ、そうだ。承香殿の近衛殿、月白殿の返事と共に東宮の言葉も、末姫と圭子様に伝えてくれるかい? 夜に(おのこ)を誘うなど、あらぬ噂となりかねないので控えた方が良いと。いくら子供でも末姫は内親王だ。そういった噂は宜しくない」


 東宮にそう言われ、近衛の男は渋々と引き下がると出てきた陰明門へと戻って行く。

 それを見送った昭仁は、近衛の姿が見えなくなると東宮へと向きなおす。


「東宮様、助かりました」

「で、君の予定は何だい?」


 少し楽し気に問う東宮に、昭仁が答える。


「・・・大事な飾り紐を無くしまして。それを急ぎ探しております」

「飾れ紐? ああ、いつも君が持っているあの飾り紐か? だったら大変だ。君の母上様の形見ではなかったか?」

「その通りです。先程猫が持って行ってしまったので追いかけていたのですが、今の男に引き留められてしまった為に見失ってしまいました」

「猫? もしかして白猫? 真っ白に紺青(こんじょう)の飾り紐を首につけている?」

「ええ、よくご存じで」

「それなら心当たりがあるよ」


 昭仁の言葉に、東宮が穏やかに笑う。


「それは暁子(きょうこ)が可愛がっている猫だ」





 探していた白猫が、常寧殿の庭先の木立の下にいる。


「ああ、居た」


 あの後、陰明門に進もうとする昭仁を東宮が止め、玄輝門へ行くようにと行った。

 暁子の愛猫はそちらの門より出入りをしているらしい。

 門番もその事を知っているというので、昭仁一人で内裏に入るよりは、自分が一緒にいた方がいいだろうと東宮と共に向かった。

 門番に尋ねると、やはり白猫は門を通って、扇のついた飾り紐を咥えたまま中へと入ったらしい。

 門を入ったところで東宮に礼を言い、一人内裏の中を白猫を探して歩く。

 常寧殿で飼われているというのであれば、その近くにいるかもしれない。

 そう思い立木を潜り進むと、予想通り白猫が自分の足元に扇を落とし、毛繕いをしている。


「探したぞ。それは大事な物なんだ。返して貰うよ」


 猫を捕獲してから扇を回収しないと、また隙をついて持っていかれては堪らない。

 そう思い昭仁はそっと猫に近づくと、隙を見てひょいと猫を抱き上げ、目的の扇を拾い上げる。


 ―兄上様にも礼をしなければ。


 そう考えていると、大人しく腕の中にいた白猫がひと鳴きすると、するりと昭仁の腕の中から逃げた。

 その鳴き声から少しして、少し離れた常寧殿の(ひさし)がきゅうと小さく鳴った。


「雪丸?」


 鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえる。

 さすがに、後宮の中へ忍び込む姿を見られるのはまずいと思った昭仁は、傍の木立へと身を潜めた。

 白猫は、名を呼ばれると嬉しそうに声の主の足元へとすり寄る。


「今日はどこへ行っていたの? お散歩は楽しかった?」


 そう言いながら、声の主はふわりと白猫を抱き上げた。








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