33 火照り
手を繋ぎ、月森COOにエスコートされるまま、会場となっているホテルへと到着した。
受付の時に、一瞬だけ繋がれた手が離されたけど、ほっとしたのもつかの間、また笑顔で手を差し出された。
もう、このパターンで行くんだなと心の中でため息をつく。
確かによく見る、腕に手を添えるエスコートの方が何となく緊張感が増しそうだし、実際こうやって手を繋がれると、ドキドキはするけど何となく安心感はある。
受付を済ませロビーを進むと、会場になっているフロアのドアは全てあけ放たれていて、何人かがロビーで談笑している様子も見える。
「緊張してる?」
斜め上から月森COO声が聞こえてきて、思わず見上げるような形になり、しっかりと月森COOと視線が合ってしまった。
向けられる視線は変わらず柔らかくて、何となく甘さを含んで見えるのは、ドレスアップ効果なんだろうかとぼんやりと思う。
「榴ヶ崎さん?」
繋いでない方の月森COOの手がそっと頬に触れ、頬にかかっていた髪の毛を、後ろへと払ってくれた。
触れたのは指先で、ほんの一瞬。
その事を脳が理解した途端、再び顔に熱が集まる。
「あ、は、はい。大丈夫・・・です」
答えながらつい俯いてしまうと、くすりと月森COOが笑う。
「折角だから楽しもう。はじめはちょっと注目浴びるかもしれないけど、こんな感じに手を繋いでたら、そうそう邪魔、いや、話しかける人もいないだろうしね」
そう言いながら繋いだ手を少し上げ、柔らかく笑う。
フロアに一歩入ると、ざわりと空気が揺れるのを感じる。
月森COOはそんな視線も気にする事もなく「まずは主催へ挨拶に行こうか」と私に言う。
今日の主催は、県内を主として、主要都市部にもチェーン展開をしている、飲食店の会長だ。
その飲食店も、M.C.Co.Ltdが開発している場所に出店予定と聞いている。
目を通した出席リストに、いくつか出店予定の企業の名前があったのを思い出す。
残念ながら私は経営者の皆さんにはお会いする事はないので、企業紙の写真や出店リスととして情報を拝見した程度だ。
今回のパーティーはそんな繋がりもあるのだな、と、一人納得をする。
開場は、このホテルの一番広いフロアと聞いていたけど、それでもなかなかの人数で、家族同伴で参加している方もいる様だった。
そんな沢山の人がいる間を、手を繋いで進むのだから、目立たない訳がない。
「月森グループの御曹司よ・・・」
「あら珍しい。今日は女性と一緒なのね」
「お連れの方は初めて拝見する方ね?」
「まあ、手を繋いでエスコートなんて微笑ましいわ」
あちこちから、こちらを見てと思われるご婦人方の言葉が耳に届く。だけど月森COOは全く気にならない様子で、口元に笑みを作り、ゆっくりと私の歩調に合わせ歩く。
月森COOが堂々としているのに、私が委縮しては隣に立つ意味がない。そう思って、迷惑にならないようにと顔をあげ、緊張を顔に出さないように微かに口の端をあげ表情を保つ。
この辺りは、受付時の経験をフル発揮だ。
再び自分に気合を入れなおしていると、何かを思い出したように月森COOが足を止めた。
「ああ、そうだ」
「どうかしましたか?」
釣られて足を止めて月森COOを見上げると、月森COOはゆっくりと頭を下げ私の耳元へと顔を寄せた。
「言い忘れたけど、COOじゃなく出雲の時のように名前で呼んで。僕もえりさんって呼ぶから」
至近距離で目が合い、思わず目を見開いてしまう。
その様子に月森COOがくすりと笑った。
「いつもの呼び方だと、上司と部下ってすぐわかっちゃうからね」
思わず恥ずかしさで悲鳴を上げてしまいそうなのをぐっと飲みこんで、赤くなった顔でこくこくと頷いて見せると、楽しそうな表情で繋いだを引いて歩きだした。
―絶対、反応を見て楽しんでる気がする! というか、上司と部下じゃダメなの?!
折角気合いを入れたのに、顔に熱が集まる事に意識が向いてしまう。
やり取りを遠巻きに見守っていたギャラリーから熱の籠った溜息が聞こえてきて、ますます私の顔に熱が集まっていく。
―何の罰ゲームなんだろう、これは。
月森COOに気付かれないように、深呼吸を繰り返して歩きながら心を落ち着けていると、ひと際人が集まっている集団へと辿り着いた。
さすがに手を繋いだままというのもと思い、そっと手を解くと、月森、じゃなくて、拓さんが仕方がないなぁといった表情をして微笑んだ後、すっと表情を改めた。
いつもの仕事モードの顔で、ちょっとほっとしてしまう。あのまま続いてたら私の心臓が持ちません。
「失礼。ご挨拶をさせていただいて宜しいでしょうか」
「やあ、月森さん。お久しぶりですね。今日は参加をしていただきありがとうございます」
「本日はお招き、ありがとうございます」
絶妙なタイミングで、主催者へと声を掛けるのは流石だなぁと思う。
暫く主催者との当たり障りのない会話が続く中、時折、主催の方から、少し後ろに控えている私の方へと視線を向けられる。
一見優しげな印象の老紳士のように見えるけど、相手を見極めようとする視線を感じ、私は微笑む。
「ところで、そちらの女性を紹介していただけませんかな?」
さっきのご婦人方も仰っていたけど、拓さんが女性を伴う事は珍しいのだろう。ある程度、定番のような会話が続いた後、人好きする笑顔を浮かべて、会長は私を見ながら言う。
「ああ、そうですね。紹介します。僕のパートナーである榴ヶ崎えりさんです」
「ほう、『パートナー』ですか」
私を紹介しながら、拓さんはさり気なく腰に手を添えて前へと誘う。
「お初にお目にかかります。榴ヶ崎えりです」
言い終わると、なるべく優雅に見えるようにゆっくりとお辞儀をし、最後ににこりと微笑む。
受付業務の為の研修は受けたけど、こういった場所でのマナーは正直不安だった。
拓さんには「普段のままでも十分だよ」と言われたけど、ネットで動画を見ながら、この数日、夜な夜な練習した効果はあったようだ。
目の合った会長が満足そうに笑う。
「なるほどなるほど。こちらのお嬢さんが。いや、とてもお可愛らしい。とうとう決められたという事ですかな」
「ええ。うちの抱えるプロジェクトが動き出したばかりですので、落ち着くまでは控えますが」
拓さんもその言葉に笑顔で返した。
―え・・・。何だろう。すごく含みがある気がするけど、それをここで言ってはいけない気がする。
そう悟って、曖昧に微笑んだ私に、会長も柔らかさを含んだ視線を向けてくれた。
「今日は月森さんが来るという事で、紹介して欲しいという者が何人かおりましてね。少しお付き合いいただければ」
その言葉と共に、会長の後ろにいる数人が視線を拓さんに向けた。
「是非、とお答えしたいのですが、彼女はこういった場に余り慣れておりませんので」
「大丈夫ですよ。お仕事のお話でしょう?」
拓さんが会長に答えた言葉を聞いて、思わず言葉が口から出てしまった。
そのまま拓さんを見上げると、心配そうな視線を向けてくれる。
「目立たない場所で待っていますから」
「僕が、えりさんを自分の視界の外に置きたくないだけだよ」
とんでもない言葉を言われて、私の思考が固まった。
勿論私だけでなく、このやり取りを見守っていた全員もだ。
「え、あ・・・はい」
思わず私の口から出たのは、とっても情けない返事だけ。
きっと拓さんは、場に慣れない私が、一人ぽつんとなることを心配してだろうけど、これは何も知らない人が聞いたら、とんでもなく甘い言葉なのでは?と、焦る。
とてつもない爆弾を拓さんが落としたおかげで、周りを巻き込んで微妙な空気が漂っていたのを、一掃してくれたのは会長だった。
「はっはっは! これはこれは大事にされているようで。そうですね。では、月森さんが話をしている間、えりさんはうちの家内と一緒という事はどうでしょう?」
その言葉を聞いてか、一人の着物姿の初老の女性が輪の後ろから現れ、私の隣に立つ。
「そうね。お仕事の話は男性に任せて、こちらで一緒にお話ししましょう」
その女性は私の肩にそっと肩に手を乗せ、顔を覗き込む仕草で優しく微笑んでくれた。
―どうしよう、行ってもいいのかな?
そう思って隣の拓さんを見上げると、やれやれいった風で小さくため息をつく。
「ごめんね、ちょっと離れるけど待っててくれる? 会長夫人、えりさんをお願いします」
「ええ、大事なお姫様は私がお預かりしますわ。さぁ。えりさん。あちらでお話しまょう?」
会長夫人は楽しそうに拓さんと私の顔を見て微笑むと、私の手を引いて輪の中から連れ出してくれた。