3 何気ない、日常 2
「今日の受付は姫さんか」
始業の五分前に、受付について前日からの引継ぎノートを確認していると、頭の上から聞き覚えるのある声が聞こえた。
M.C.Co.Ltdでは、受付業務の専門課はなく、総務が当番で受付業務を担う。
二人一組でローテーションを組んで、男女に拘らず熟すので、たまに受付に男性がいる事で来社する人によっては意外といった顔をされる事も多い。
日替わりなので、引継ぎノートは重要。背面には鍵付きの棚があり、ロビー受け渡しの書類などはここで一旦預かる。
「おはようございます。司波さん、桐生さん」
顔をあげると、頭に浮かんだ顔と同じ顔が目に入る。隣にいる後輩は頬を染めて「お、おはようこざいます・・・」と消えそうな声でに挨拶をした。
「おはよう」
司波さんは、初見はちょっと近寄りがたい雰囲気だけど、打ち解けると気のいいお兄さんだ。
司波さんの後ろには、司波さんの直属の部下になる桐生さんが、図面ケースを肩に背負って立っていた。
私と目が合うと、軽く頭を下げてくれる。
「今日の担当が姫さんでよかった。10時に上総建設の担当が、この書類取りに来るんだ。頼んでいいか?」
そう言いながら司波さんは、ビジネスバッグからA4サイズの封筒を取り出した。それを両手で受け取りながら「わかりました」と笑顔で返す。
「姫さんなら顔見ただけで、外回りに来た会社の、どこの誰かわかるだろう? あれ、他所の営業には評判良いんだよ」
司波さんが機嫌よく笑顔を浮かべると、隣の後輩が耳まで赤く染まったのが分かった。
―うん、今日もイケメンですね。
元々、司波さんと桐生さんは本社勤務の人だ。
こっちの支社を主として、大規模な開発プロジェクトが立ち上がったのが、私の入社の一年前。
元々、一族経営でありながらも実力主義のうちの会社は、そのプロジェクトに社長のご子息、現在のプロジェクトのCOO(最高責任者)を中心としたメンバーを選出した。
初めは、息子という肩書からの選抜だと思われていたんだけど、実はこのプロジェクトの発案はCOOだと聞いた時には驚いた。
大型商業施設誘致を含めた、街一つを作ってしまうという大プロジェクトを発案し、細かくデーターを作り、上部役員を含めた会議でCOO自らプレゼン会議をし、決定したという。
もちろん、うちの支社からも選抜隊が組まれたけど、それだけでは到底こなせるわけがない。
数年前から、全国の支店から選ばれた精鋭でプロジェクトチームを作り、動き出している。
その中で営業チームの責任者として、本社からやってきたのが司波さんと桐生さんだ。
営業の地盤を作るという事で、本格的な指導は来年の春からなのに、一昨年にこの支社に早々にやってきた将来有望な人達。
「お役に立てている様で良かったです。それよりも、そろそろその『姫さん』って呼ぶのやめませんか?」
困ったように笑顔で返すと、司波さんが口の端を上げた。
そう、一昨年からなぜか私はずっと司波さんから「姫さん」と呼ばれている。
恥ずかしいから、いい加減名字で呼んでくれると嬉しいんだけどなぁと毎回思いながら、やんわりと伝える事二年。
呼ばれ始めた時は二十四歳だった私も、二年経った今では呼ばれると居心地が悪い。
「そりゃ無理だな。姫さんは姫さんだからな」
司波さんの答えになっていない答えに、一歩下がった桐生さんも何故か頷いてる。
何度このやり取りをしただろう。
まず、何で「姫」なのかが分からない。
見た目もスマートで仕事もできる、おまけにフリーの三十一歳(当時二十九歳)の優良物件である人にこう呼ばれる事で、初めは司波さんガチ勢の先輩方にこっそり陰口を言われていた。
主に呼ぶのは司波さんだけど「イケメンに人から『姫』呼びをされるなんて、そりゃあ嫉妬の対象にもなるよね」というのは香澄ゃんの言葉だ。
でも甘い雰囲気などなく、どちらかというと妹扱いのような気安さのせいか、段々とその呼び名も愛称のような扱いになってきた。
実際に呼ぶのは、この二人だけ。だけど支社で「姫=私」の認識は、頭が痛い事に周知されてしまった。
一応、事ある毎には異議を唱えてみるけど、改善される事もなく、二年も続けば半分諦めの気持ちにもなってきた今日この頃だ。
「司波さん、そろそろ出ないと遅れる」
腕時計に目をやった桐生さんが、司波さんに声をかけた。
表情豊かな司波さんに対して、桐生さんはちょっと素っ気ない印象で、印象通り愛想は余り良くはない。
本社で、入社直後から司波さんの直属をやっていると、こちらに来た時に上司たちが話していた将来の有望株の一人。
部署は違うけど、支店に配属されてから二年程見てると、仕事ぶりも司波さんのサポートも卒なく熟している。
たまにこちらから話しかければ、多少素っ気なく感じる事はあっても、丁寧に応えてくれる人だ。因みにコーヒーよりもココアが好きらしい。
「じゃあ、行ってくるな」
「はい、お気をつけて行ってきてくださいね」
「お、お気をつけてっ」
いい笑顔と共に手をあげて言う司波さんに応えると、私の声にかぶさるように後輩の声が重なった。桐生さんと言えば、先に玄関ロビーを抜けてしまっている。
―二人共、後ろ姿も颯爽としてるなぁ。
そんな事を思いながら二人を見送った。
二人の姿が視界から消えると、後輩から「はぁ~」というため息が聞こえる。
「どうしたの?」
「・・・どうしたのじゃありませんよぉ。朝からイケメンコンビ、眼福です・・・」
どこかの芸能人にあったような、うっとりとした様子で頬に両手を当てて頬を染めている後輩が可愛らしくて、思わずふっと笑いが出てしまう。
「うん。そうだね。確かにしゅっとしててイケメンだもんね、二人共」
「え―、何ですか、その適当な答え」
確かに見ている分には眼福よね・・・。
そんな事をふと思い、笑いを抑えながら司波さんから預かった封筒を、背後にある鍵付き棚に収めながらいうと、後輩は不満そうな声を出した。
「なんでそんなに普通なんですかぁ」
「普通って。だって先輩たちだもの」
「やっぱり、見た目が綺麗な人ってイケメン耐性も高いんですね・・・」
ぽそりと、何か呆れたように呟いていたけど、聞き返さない方が良い気がするので、笑って流す。
―確かに、二人共素敵だもんね。
そう思うのは確かだけど、同じ会社内の人だし、どんなにイケメンでも学生時代のように、キャッキャと相手を見てはしゃぐというのも、何だか失礼な気がするんだもの。
「さぁ、お仕事しましょうか」
そう促すと、隣で「今日は朝からラッキーだから頑張れます!」という後輩の言葉に、私は笑って頷いた。