28 嫉妬と執着
―イライラする・・・
吉野は自分に振り分けられた仕事を確認する為、パソコンの画面へと視線を向ける。
予備室で感情を爆発させた後も、まだ怒りが収まらないのを、スマートフォンの向こうにいる父の秘書を務めている立花にぶつけ、「では、僕の方からも調べてみますから」と宥められた。
初日という事もあって、急いで片付ける仕事はなく、今日は今後の流れや、フロアに配属されたチームの名簿と仕事内容を確認する事が主だ。
そのままフロアに戻る気にもなれず、医務室で「眩暈がする」と休ませてもらい、昼休みが終わると同時に席へと戻った。
幸い、フロア内の別のチームには、午前の出来事は伝わっていないのか、皆の吉野に対する接し方は変わらないままだった。
今までであれば、同じ課の誰かが自分の機嫌を取っていたのが、七階ではそれもない。
遠野をはじめ、同じチームのメンバーも何もなかったように接してくる事が、余計に吉野の神経を逆なでする。
ちらりとCOO室を見ると、個室を作る壁にはめ込まれたガラス窓越しに、室内にいる月森拓の他、責任者メンバーが打ち合わせをしているのが目に入った。
その中には榴ヶ崎えりの横顔もある。
防音の為、扉が閉まれば中の会話は聞こえない。
―そこは私の場所だったのに!
こちらを気にする事もなく、時折、司波や宗方と話し込み、熱心にノートに書きこんでいるのをみて、ぐっと吉野の眉間にしわが寄り、綺麗に色の乗った口元が歪む。
何か久我が冗談でも言ったのか、そちらへ顔を向けたえりの顔が一瞬真顔になった後、可笑しそうに笑う。
その様子に、また苛立ちが募る。
その時、えりの笑顔を見た、自分のデスクから目元を緩ませる拓の様子が目に入り、思わず入力の手が止まった。
ほんの些細な変化だが、吉野には一度も向けられた事のない、とろりと甘く解けた視線。
―どうして!
その視線は、自分には向けられた事のない、甘さを含んだもの。
自分はパーティーで月森拓と会う時、その他大勢と変わらない接し方をされるのに、何故はじめて会うあの女に、そんな視線を向けるのか。
―その視線は、私に向けられるものでしょう?!
屈辱と怒りで、頭に血がのぼるような感覚が襲う。
父親に月森拓が気に入ったと伝えると、父親や周りの行動は早かった。
もちろん、父親にもメリットのある相手だが、なにより溺愛する娘の希望ともあって、何とか見合いの席をと画策したが、一度も叶う事はなく今日まできた。
判で押したように返ってくる返事は、丁寧だが「抱えている仕事に集中したいので、結婚は考えていないらしい」というものだった。
それでも娘の願いを叶えるべく、父親は拓が参加するという集まりがあれば、顔つなぎをする為か同行させた。
いつも挨拶を交わす吉野親子に対しては、穏やかさはあっても一線を引いたような距離のあるもの。それは大手会社の代表として参加している者と、地方有力議員とその娘という立場があるのかもしれないと吉野は考えていた。
自分に自信のある吉野が親しくなりたいとアピールしても、会話は当たり障りのないもので終わる。
それでも何度か顔を合わせ挨拶を交わすうちに、父親の取り巻き達が吉野がM.C.Co.Ltdの社員である事を伝えた為、自分が七階に配属となった時点で、拓から何らかのアクションがあるものだと思っていた。
流石に、何の反応もない筈はないだろう、そういったのは吉野の父親だった。
今日の挨拶の時、目が合ってもいつもと変わらない視線だった。そして告げられたのは、あの女が拓の傍に配属されるという事だ。
仕事上だけの接点しかないのに、何故、あの女にはあんなに甘く視線を向けるのか。
―許せないッ・・・絶対に認めない!
ふと、頭の中に、今朝のミーティングルームで言われた遠野の声が頭に響く。
『榴ヶ崎さんの事は、月森COOが望んだ事よ』
―『あの女を望んだ』? いいえ、望まれるべきは私。
暗い光を宿した瞳で、吉野はCOO室のガラス窓をみつめ続けた。
「お疲れさまでした、由加里さん」
終業後、足早に会社を出た吉野の背後から男の声がかかる。
不機嫌そうな表情を浮かべ、吉野が振りかえると父親の秘書の立花が立っている。
「・・・迎えは結構だと言わなかったかしら」
「お昼の由加里さんの様子で心配になりまして。目立つのは嫌でしょうから、少し先に車を停めてあります」
穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと吉野に近づくと、エスコートの素振りを見せる。
振り切る事も可能だったが、何となく促されるままに立花と共に歩きだしてしまう。
不思議とイライラと感情が高ぶっても、いつも立花のペースに持ち込まれてしまう。
―さすがあの父の秘書をやれるだけあるわ
三年ほど前、後援者の親族という事で紹介された立花優明は、父親の優秀な秘書の一人として勤めている。
年齢は三十半ばになる頃と聞いてはいるが、ワンマンなタイプである父親を上手くサポートできているらしい。
見た目は可もなく不可もなく、大学は東京の有名私大を出たとは聞いていたが、吉野自身あまり立花へ興味がない為、深くは父親に詮索していない。
スマートに後部座席のドアを開けられ、当たり前のように吉野が乗り込む。
止まっていた車が吉野が出かける際に使われる、国産高級車の為、父親に迎えに行く事を伝えているのだろう。
運転席に滑り込んだ立花から、テイクアウトされたカフェオレが手渡される。
「お父様には、由加里さんの体調が宜しくない様子だと伝えています」
バックミラー越しに目が合い、立花が穏やかに微笑む。
「今回の異動は、やはりお父様の影響を持っても新事業フロアまでだったようですね」
「・・・そう」
「どうでしたか?」
「別に、どうもないわ。雑用が多くて面倒よ。何の為に移動希望をしたんだか」
吐き捨てるように言う吉野の言葉に、立花が苦笑いを浮かべる。
「由加里さんが雑用とは。そういった事はやるべき者がいるでしょう?」
「そうね、私ではなくあの子がやる事だわ」
「あの子?」
「・・・私の代わりにCOO室付きになった子」
再び不機嫌そうに言うと、貰ったカフェオレを一口飲み、吉野は車の窓の外を見る。
―ああ、なにか方法はないかしら・・・。
イライラとした様子で、吉野は下唇を噛む。
―地方議員の妻や、その辺の男と結婚するなんてまっぴら。
地方の有力議員を父に持ち、地元では名家の令嬢と呼ばれ、夫は全国規模の大きさを誇る会社の御曹司。
会社を継ぐ訳ではない分、気楽に主婦という名の社交をこなすだけ。
夫は見た目も良く、立ち振る舞いも人目を引く。
そんな世界が相応しいの。
その為に、就職なんて面倒な事もしたのに・・・。
「その口ぶりでは、由加里さんの代わりとなった者は、分不相応な女性のようですね」
―そう、あんな女には勿体ない。傍らに立ってサポートをし、並び歩くのは私。
立花の問いに、吉野はカフェオレをもう一口飲むとホルダーへと置く。
―ああ、イライラして頭が痛い。
「大丈夫ですよ。まだ始まったばかりですから、いくらでも方法はあります。・・・折角ですから、これからどこかお買い物にでも寄られますか?」
目を閉じると、立花の穏やかな声がかかる。
「・・・今日はいいわ」
ゆっくりとシートに体を預けると、ため息が出た。
―体が重い・・・
そう思うと同時に、吉野の意識がゆっくりと闇の中へと沈む。
「立花さん、少し眠る、わ・・・」
「わかりました。着いたらお知らせします」
バックミラー越しに、立花が吉野の様子を見てかすかな笑みを浮かべた。
「今度こそは、上手く進めてくださいね」
声になるかならないかの声で、立花が吉野に向かって呟く。
―そう、今度こそは。そう思ったのに。
沈む意識の中、吉野は心の中で呟く。
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