25 東風
課長に呼ばれて一緒に向かったミーティングルームには、部長と支店長がすでに座っていた。
促されるまま、課長と並んで向かい側に座ると、一枚の印刷された紙を目の前に出される。
「榴ヶ崎さん、君には四月からCOO室付きになる事が決まってね」
「はい・・・」
支店長の切り出した話に、思わず訳が分からず曖昧な返事をしてしまう。
「この通り、君に辞令が本社から出たんだ」
とても怪訝な顔をしていたんだろう。支店長と部長が苦笑いを浮かべている。
「確認してくれるかい?」
支店長の言葉に、目の前の机に置かれた用紙を手に取ると、そこには『辞令 四月一日付で総務部一課よりプロジェクトCOO室勤務とする』と印刷されていて、最後には『今後の活躍に期待します。』とまである。
「COO室付きとなっているが、COOには本社から秘書の成瀬氏がついてくるから、榴ヶ崎さんは、成瀬氏と七階のプロジェクトフロアの調整役となるだろうね」
支店長の言葉に、思わず顔が引きつりそうになる。
「あの、何故私が・・・?」
「君は気がついていないみたいだけど、社内外において君の評判は凄く良いんだよ。うちの会社は取引先に定期的にアンケートをお願いしているのは知っているね? その結果、榴ヶ崎さんであれば、こちらに来るCOOと現場のサポートを、上手くできるのではないか?という事になった様でね。大変だと思うが、ぜひ頑張って欲しい」
「全体の辞令は三月二十日だ。他の社員は七階が管轄となるが、君の直属は七階ではなくCOOとなるからそのつもりで」
支店長の後に続く部長の言葉に、やっぱりため息しか出なかった。
私の移動は少し特殊な為、支店長たちの気遣いで早めに通知をしてくれたらしく、その数日後に、社内メールと張り出しによって辞令が公開された。
転勤となる人達の為、総務が忙しくなるのは毎年の事だが、今年は入ってくる方が多いので仕事量も増えそうだ。
「わーっ! 吉野さん七階に移動なのね!」
「おめでとう」
総務二課の方から女性の弾む声がする。
「ありがとう。せっかくエリートが集まる部署だもの。前々からお願いしてたから、通って嬉しいわ」
少し鼻にかかった甘い声が、ひと際響く。
「・・・『希望』じゃなく『お願い』っていう所がコネ使いましたって感じだよね」
隣に座る香澄ちゃんが眉をしかめながら、ちらりと声の方を見て声を潜めて言う。その様子に、思わず私は苦笑いが出てしまう。
吉野さんは二年先輩の社員で、おうちは地元で老舗と言われる会社を経営している。代々親族の誰かが県会議員を務めていて、いわゆるお嬢様だ。確か彼女の父親も現役の県議だったはず。
見た目も華やかで、この会社に入ったのも父親のコネで、スペックの良い結婚相手探しという事を、隠す事もなく話している事もだけど、自分の興味のない仕事は、なんだかんだと別の人に押し付けてしまうらしく、一部の女性からは評判は良くない。
香澄ちゃん曰く『本人に選民意識があるから、下々の事は気にしないみたい』という理屈らしい。
私達とは課が違うので、殆ど接点はないけど、聞く噂では周りが大変そうだなとは思う。
そう言えば、司波さんがこちらに来て少しした時『あれ、何とかなんねぇか?』と疲れた顔をして、受付で愚痴を言っていたのを思い出した。
多分、吉野さんからアプローチを受けてたんだろうなぁ・・・。
あ、だから私、吉野さんからチクチク言われてたんだ。
少し遠い目になりながら当時の事を思い出していると、香澄ちゃんの声で飛んでいた意識が戻る。
「えりも七階でしょ、わーん。寂しくなる―」
「大丈夫、お昼一緒に食べたり、帰りに寄り道したり今まで通りだよ」
「あら、榴ヶ崎さんも七階に移動なの?」
香澄ちゃんの声に、吉野さんが反応して声を掛けてきた。
「あ、はい。その様です。四月から宜しくお願いします」
私は慌てて立ち上がると、吉野さんへと笑顔で頭を下げる。
「ふぅん」
顔をあげると、彼女が私の頭から足までさっと視線を動かしたあと、にこりと笑う。
「まあ、宜しくね」
そう言いながら、彼女が私の耳元に顔を寄せる。
「わたし、COO狙いなのよね。あなたもそのつもりなら早めに諦めてね」
予想外の言葉に思わず目が丸くなっていると、吉野さんは満足したのか自分の席へと戻って行った。
「なにあれ!」
香澄ちゃんに、私が言われた言葉が聞こえたのだろう。
吉野さんが自分の課に戻って、周りの女性たちと賑やかに話をした始めたのを見て、香澄ちゃんがムッとした顔で毒づく。
「嫌な感じ。というか、確かに綺麗だけど、会った事のないCOOを狙ってるなんてよく言うわぁ。知ってる? あの人、社外の人に対してもスペックで態度かえるからクレーム多いらしいよ」
ぷんすか、という言葉がぴったりな様子の香澄ちゃんの様子に「気にしてないよ」と笑う。
「嫌な事が有ったら、我慢しなくていいからね!」
「大丈夫だよ。・・・たぶん?」
首をかしげながら答えると、香澄ちゃんがぷっと噴き出す。
根がポジティブなタイプなのか、実際何かあって落ち込んでも、感情のコントロールは上手くできる方だと思う。
「移動先も二人だけって事はないだろうし」
「まあ、そうだよね」
「という事で、帰りにカフェに寄る為にも、定時上がり目指して仕事しよう!」
そう言うと、二人で今日の処理分の書類を分けて取り掛かった。
辞令があってからの十日間はあっという間だった。
今日から新しい部署になる為、いつもより少し早めに出社する。
更衣室で支度をして七階に向かうと、パラパラと早めにフロアに出ている人もいる。見かけない人もいるので転勤組だろう。皆どことなくわくわくとした様子だ。
「おはよう、今日から同じ部署だな」
ぼんやりと入口でフロアの様子を眺めていたら、後ろから聞きなれた声が聞こえて振り返る。
「おはようございます、司波さん、桐生さん」
元々、二人はこのプロジェクトの為に先発隊で来ていたのだから、ここにいるのは当たり前の事だ。今回のプロジェクトを発案し、形にしてきたのもCOOや司波さんや桐生さんと、今日こちらに来る三人の、併せて六人だというのは、社内では有名だ。
司波さんや、桐生さんの営業力は数年見てきたけど、確かに群を抜いていたと思う。
「あそこが総務だ。机にネームプレートがあると思う。でも姫さんは俺達と同じで、こっち側にいる事は少ないとおもうぞ」
「え、なん」「あ、司波さん! お久しぶりです!」
首をかしげ理由を聞こうとした時に、フロアの少し離れた場所から司波さんを呼ぶ声が掛かった。その声に振り返った司波さんは、「じゃあ、あとでな」とだけ残し、その人たちの方へと移動してしまった。
とりあえず司波さんが言った場所、フロアの一番奥まで進むと、六つ程机が固まっている場所がある。その場所には、ストレートの長い髪を後ろでまとめた、落ち着いた雰囲気の細身の女性が座っていた。
私はその人の傍に行くと、声を掛ける。
「よろしくお願いします。榴ヶ崎えりです」
「はじめまして。榴ヶ崎さんね。本社から来ました遠野瑞季です。よろしくね」
経済関係の雑誌を読んでいたのを止め、遠野さんは立ちあがって笑顔で応えてくれた。
ネームプレートを見ると「主任」と書かれているので、遠野さんが上司になるのかなと、思いながら返事をすると、穏やかな笑顔を向けられ安心する。
何回経験しても、新しい場所や人間関係の一歩は緊張してしまう。
その後、転勤してきたという男性三人がやってきて、それぞれと挨拶を交わし、和やかに自己紹介をしていると、始業五分前に吉野さんが入ってきた。