21 糸を引く(5)
カンっ!
晴れた空に摸造刀が舞い、大きな弧を描くと白砂に音を立てて落ちる。
勝敗が決まったのは、盈時より放たれた開始の声から、わずかな時間だった。
「おいおい、いくら何でも大伴様と子供じゃ力の差があり過ぎるんじゃ・・・」
「大丈夫かしら・・・」
白砂に降り立った颯水が、摸造刀を握り、感触を確かめている。その向かいでは大伴が腰に差していた刀を渡す代わりに、同じく模造刀を受け取る。
その様子を遠巻きに見ている家人や侍女たちが、口々に囁きながら、急遽行われる事となった手合わせを見守る。
「さて、これから手合わせとなるが、あくまでも実力を確かめるもの。相手に大きな怪我をさせることは禁止。どちらかが戦えない状態となった場合は、そこで終了とする。良いな?」
南廂から盈時が伝えると、それに応えるように大伴、颯水が頭を下げる。
「では、これより手合わせを行う。はじめっ!」
盈時の宣言とともに、二人が向かい合い模造刀を構えた。
「ちちうえさま・・・」
盈時の隣に座る咲子が、心配そうに眉根を寄せ、盈時の袖をぎゅっと掴む。
「姫様、大丈夫でございますよ」
盈時が答えるより先に、安心させるように浮島が咲子に微笑んだ。
大伴は向かい合った颯水の様子に違和感を覚える。
―なんだ?!
たかだか十にも満たない子供が、模造刀を構え、大人である自分と対峙しているのに、全く恐怖感も焦りも見えない。寧ろ子供ではなく、一端の衛士のような視線を向けている。
まだ三月のはじめで暑い季節でもないのに、ジワリと嫌な汗が大伴の背中を伝う。
―くっ、何でこっちが追いつめられる?!
ジャリッと、足元の白砂が鳴る。
知らず知らずに、自分の足元を踏みしめるように力を入れてしまったのだろう。その音が耳に、響き一瞬気を取られた。
ザッ!!!
地をを蹴る音が耳に響き、慌てて大伴が摸造刀に意識を集中した途端、ガツンっという衝撃が、体全体に響く。
次の瞬間、握る手への衝撃と同時に走る痛みを感じた時には、共に手にあった模造刀が弾かれた。
「なっ!!!」
衝撃が身体全体を襲った後、颯水は一歩下がり、躊躇なく模造刀をすくい上げるように、左斜め下から右上へと滑らせ、大伴の手にあった摸造刀を弾き飛ばしたのだ。その動きには躊躇い等一切ないもので、一部を除いて、皆、何が起こったのか理解できずにいた。
白砂に落ちる模造刀の音だけが、しんとした庭に響く。
「すごい・・・」
しんと静まり返った中、誰かの呟きが響く。
次の瞬間、わっ、と皆の歓声が上がった。
「そこまで!」
歓声の中、盈時の通る声が終了を伝えると、呆然としている大伴に颯水が礼儀よく頭を下げた。
盈時は隣にいる咲子を怖がらせてしまったかと、自分の袖を握ったまま固まったままでいる、咲子の手をそっとさする。
「咲子?」
「ちちうえさま・・・何が起こったのですか?!」
顔を覗き込むと、大きな目をまん丸にして、怖がるどころか好奇心いっぱいな瞳で盈時を見つめると、勢いよく盈時に問いかける。
「そうだね、父にも良く見えなかったが、颯水が大伴の刀を弾いたみたいだね」
怖がっていない咲子の様子にほっとしながら答えると、盈時の言葉を聞きながらも、咲子はこちらに戻る颯水にキラキラとした瞳を向ける。
「ちぇっ、颯水だけ格好つけて」
その様子を見た不知火が不満そうにぼそりと呟くと、それが聞こえたのか浮島をはじめ、近衛となる予定の少年たちが苦笑いを浮かべた。
「すごいです!すごいです!」
弾む声で繰り返す、咲子の頭を盈時が優しく撫でる。
「今ので皆納得できたであろう。さて、咲子。皆を案内してあげるといい」
「はいっ」
「こちらが、みなさまのおへやです!」
まず咲子が案内したのは、五人の為に用意された東対だった。
どこを案内しようかと可愛らしく悩む咲子に、付き添う侍女が「まずは皆様のお部屋をご案内したらいかがでしょう?」と提案してくれた。
その言葉に、意気揚々と案内を始めた咲子に、付き添う侍女が微笑む。
「主よりこのお部屋は自由に使ってよいとの事です。取り急ぎ必要だと思われる物は用意しておりますが、何かご入用でしたら仰ってください」
咲子の言葉に付け足すように、侍女が控えめな声で伝えると、五人は室の中に足を踏み入れた。
地方官の子息という地位と、姫付きの近衛という立場を鑑みてか、畳が置かれ、文机や厨子棚なども用意されているかなりの好待遇だ。
その後、東対の傍の侍所や車宿、咲子と浮島の住まいとなる北対、北対と母屋の間にある遣水の通る中庭、西対から西釣殿へと案内を続けた。
「ここは、なつはとってもすずしくて、おひるねするときもちいいです!」
釣殿に入ると咲子が楽しそうに五人に伝えると、その様子に思わず五人が噴き出す。
「姫様はここでお昼寝をするんですか?」
「・・・おやつたべるとねむくなりませんか?」
少し腰をかがめ、咲子の顔を覗き込んで封土が問いかけると、笑われたのが恥ずかしかったのか、はにかみながら答える。
「そうですね、お腹いっぱいになると眠くなりますよね」
恥ずかしそうに俯きがちだった咲子が、封土の言葉にぱぁっと笑顔を浮かべ顔をあげる。
そのやり取りを見ていた侍女が、咲子達の微笑ましい様子に、笑みを浮かべながら声を掛ける。
「丁度良い時間ですから、皆さまにもおやつをご用意いたしましょうね。席を外しますので姫様をお願いいたします」
先程の手合わせや、案内中の彼らの姫に対する態度などを見ていた侍女からの、彼らに大事な姫様を託しても大丈夫という気持ちが込められた言葉だった。
「・・・あれ?」
咲子の目の前にいる封土が、じっと咲子の髪飾りをみつめた。
「姫様、藤の飾りが一つが無くなっていますよ?」
封土の言葉に、咲子が照れくさそうに笑う。
「はい、これは、いただいたときからこわれていて。ははうえさまのかざりを、ちちうえさまからいただきました」
「では、その飾りは亡き奥方様の・・・」
封土の隣に並んだ颯水の言葉に、咲子がこくんと頷く。
「きょう、みなさまにあえるので、たのしみで、ははうえさまもいっしょにとおもって。でも、小野に『ふじのきせつではないし、めつけさまのひめがこわれたものをつけるなんて』といわれました・・・」
言葉を伝えながら、その時の様子を思い出したのか、みるみるしょんぼりとしていく。
咲子曰く、小野というのは一年前にこの屋敷に雇われた侍女の一人らしい。
「・・・別に良いんじゃないか?」
しょんぼりと下を向く咲子に、迅雷が優しく頭を撫でる。
「姫さんは、俺達を大切な母上様に会わせたいって思ってくれたんだろ? ありがとうな」
その言葉に、咲子が顔をあげる。
「別に壊れてようが、季節じゃなかろうが、関係ないさ。姫さんは姫さんのしたいようにしたらいい。これからは俺達がそれを叶えてやる」
「それに、その飾り良う似合うてんで。折角の飾りをつけへんのは勿体ないわ」
にかっと笑う迅雷の隣で、宵闇が穏やな声でいいながら、咲子の藤の飾りに触れる。
「あと、敬語なし。俺らは姫さんに仕えるんだ。普通に喋ってくれたらいい」
四人より少し離れた場所で不知火が素っ気なく、でも照れくさそうに続けた。
「頼ってくれていい、甘えてくれたらいい。浮島様も俺たちも何があっても姫さんの味方だ」
迅雷が告げるその言葉に、咲子がふわりと笑い、その大きな瞳からぽろりと一粒涙が落ちた。