101 常しえ
「成瀬、おはよう」
そう言うと、過去は源昭仁であり、現在は月森拓となった主は、後部座席に身を滑らせ乗り込む。
公卿様は穏やかで温厚だが、今日は何時にも増して、機嫌が良いように感じる。
そんな公卿様も、妻であり、我ら御劔の本来の主である姫様の事になると、今も昔も色々と抑えられなくなる。
二週間前の関東への出張でもそうだった。
元々視察や社内会議で国内を色々まわる事が多い為、その場所の名産を御劔達へと買ってくる事が多い。
最近では甘党の桐生のリクエストで菓子類、司波や久我へ地酒など。宗方は酒よりもその土地の銘菓や特産品を有難がる。
公卿様は皆から必ず聞いて買ってくるのだが、姫様には自分で用意したかったのだろう。少し早めに駅に着いた後、姫様への贈り物を、それはそれは真剣に悩んでいた。
受け取った時の姫様の笑顔を思い浮かべるのか、時に目元が甘く緩み、それを見た他の買い物客や店員が頬を染める、と言った事が何度か起きる。
そのうち絞り切れなくなった公卿様は、姫様の好みに合いそうなものを端から買って行こうとか言い出し、慌てて止めた。
この方は、当時から本当に姫様の笑顔見たさに、色んなものを手に入れては贈っていた。
交易船で取り寄せたという、外国の飾りや置物。姫様が琴の名手であった事から、象牙から加工した琴爪に、鼈甲の櫛。螺鈿細工が見事な扇。珊瑚を使った髪飾り。
贈られる姫様も、珍しいものを見ては素直に驚き、大切に身に着け使用する姿を見て、公卿様も幸せそうに笑う。
きっと当時の姫様は、価値などはわからなかっただろう。
それでも、自分が心を寄せ、自分を愛しんでくれる公卿様から贈られたもの、と、いう気持ちからどれも大切にしていたのを思い出す。
「そんなに山のように贈られては、姫様も困られるかと。またこちらに来ますから、その時にまた贈られてはいかがでしょう?」
本気で買いそうな勢いを止めると、公卿様はしばらく悩んだ後に、いくつかの候補から、姫様が今も昔も好んでいたドライフルーツの入った1口大のケーキの詰め合わせを買う。
今も、と言うのは早くからこちらの支店へ合流していた、司波と桐生からの情報だ。
味も勿論だが、外装も可愛らしく姫様が喜び、好みそうなものだ。
その土産も、根の者である初鷹と吉野由加里が起こした騒動で、直ぐには渡す事も出来ず、姫様の入院中に渡す事になった。
でも、あの出来事も過去と同じく、お二人の心が通じ合う切っ掛けになったのかもしれない。
過去の記憶を思い出していないにもかかわらず、姫様は公卿様を受け入れ、心を寄せた。
過去もそうだったが、この方は姫様の為には時間も手間も惜しまない。
姫様がこの会社に入社した事は、ある程度決められた事だったが、心を寄せ合う為には公卿様の思いの強さと、彼女に対する真摯な気持ちがなければ、受け入れる事はなかっただろう。
・・・まあ、この方なら色んな手を考え、姫様を自分の腕の中に収めただろうが。
そんな事を思いながら声をかけると、公卿様はそこに姫様がいる様に甘く目元を緩ませる。
「機嫌が良いですね」
「今日から躑躅が出勤するからね」
入院中は小まめに病室に足を運ぶ事は出来たが、自宅療養となるとそうもいかない。
が、公卿様は姫様の通院日に付き添う約束を取り付け、半日と少しのデートを楽しんだ。
その日、姫様の今世での母君が通院に付き添えない事を聞いた公卿様が、付き添う事を提案したらしい。
姫様の性格からして、主治医から了承が出なくても、無理をしてしまう可能性を見越しての提案だった。
それに関しては、御劔としても異論はない。手が空いていれば、御劔の誰かがつく事でも良かったが、傍に居る理由としてはCOOという立場は利用しやすい。自分の上司からの提案であれば、姫様も受け入れるしかないだろう。
吉野由加里のおこした事件以来、公卿様の守りの他、我ら御劔の使いである白狐達も傍に控えている。
根の者が動き、あの創造主が関わっている可能性があるならば、過去のような手落ちを起こさない為にも、出来る手は尽くしたいのが本音だ。
その為であれば、公卿様も御劔も喜んで動くと断言できる。あの絶望感を二度と感じる事の無いように。
「社内の守りは強化しているので、此度の様に紛れ込む事は難しいでしょう」
「・・・それでも『絶対』はないからね」
「はい」
公卿様の甘さを含んだ瞳が、すっと冷めた瞳へと変わる。
「あれの件はどうなっている?」
「吉野氏に対しては代理人が進めていますが、かなり向こうは堪えているようです」
「こちらとしては『吉野側の全面降伏』以外は受け入れない。譲歩など言う様なら俺が出よう」
「公卿様が出る必要はないかと。それよりも公卿様は姫様のケアを優先してください」
そう言うと、公卿様は苦笑いを浮かべる。
「躑躅を思いきり甘やかしたいのだけどね。中々彼女が許してくれないんだ」
姫様は今日から会社に復帰するが、心配した公卿様が朝、迎えに行く事を提案したら、断られてしまったという。
その中に「成瀬さんにも迷惑です」という言葉があったようで、それを聞いた私の口元が自然と弧を描く。
姫様はやはり姫様だ。
御劔の皆が愛しみ、大事に思う唯一。
「そう言えば、来月は姫様の誕生日では?」
鏡越しに問うと、我が主は再び甘く微笑む。
「幾つか、考えてはいるんだけどね」
過去もだが、今も変わらず公卿様は姫様に関しては独占欲が強い。それを上手く消し、何でもないように姫様に接するのだから、大したものだと感心する。
姫様が周りへの配慮の為、お二人の事を公にしないという「お願い」を公卿様にした為、公卿様はそれを叶えるだろうが、それでも「自分の愛する人だ」という主張をするような贈り物だろうと察しが付く。
「公卿様の事ですから、姫様だけの為のもの、ひと手間かけたものになさるおつもりでしょう? でしたら早めに用意した方が宜しいかと思いますよ」
私がため息と共に伝えると、公卿様は柔らかく微笑んだ。
7階フロアに着くと、既にCOO室には姫様と司波、久我の姿が見える。
姫様は退院の前日に姿を見て以来だから、十日ぶりだが顔色も良いようだ。
白狐達からの報告はあるが、やはり自分の目で確かめる方が数段も安心する。
薄く化粧をしている様子から、頬にあった傷も綺麗に消えたようだ。
いつものように公卿様がフロアにいる皆に声をかけると、その声に答えながら報告や提案があるのか、数人が集まってきた。全員が公卿様に、という訳ではなく、秘書的業務を行っている私に指示を仰ぐ者も居る。
一人ずつ話を聞きながらちらりとCOO室に目を向けると、司波と久我に何かを言われたのか、頬を染めて俯く姫様の姿が見えた。
「やっぱり一緒に来ればよかった」
「え、COO。何か言いましたか?」
「いや、何でもないよ。じゃあ、それは・・・」
公卿様からの言葉が聞こえたのは空耳ではない筈だ。
丁度話しかけていた営業課の者が、微かに発せられた公卿様の声を拾ったのか反応すると、公卿様は何事もなかったように話をしている者に指示を出す。
そろそろ、公卿様をここから解放しないと、司波と久我に被害が行ってしまう。
まあ、公卿様の単なる独占欲だとわかっている御劔には聞き流す事も慣れている。が、その独占欲が姫様に向かうのは避けたい。
そう判断した私が「とりあえず、話は朝のCOO室での打ち合わせが終わったら聞きましょう」といい、集まった皆を解散させた。
私の言葉に公卿様も「それじゃあ、報告などがある人は後から話そう」と皆に声をかけた後、COO室へと向かう。
COO室に向かう、私と公卿様の気配を司波と久我は気がついたようだが、姫様は気がついていないようだ。
「やっぱり、人間関係を考えると、私とCOOがお付き合いしてると周りが知るとCOOが困ったり、不都合に思う事も沢山ありそうで」
俯いて、頬を染めた姫様は、とても愛らしい言葉を言う。
自分が、ではなく「COOが」と姫様は言う。
在りし日も、姫様は自分が公卿様のお傍に居てもいいのか、と悩む事もあったのを思い出す。
―ああ、やはりこの方は生まれ変わっても変わらない。
誰よりも優しく、思慮深く、心根が清く、真っすぐで愛らしい。
だからこそ、公卿様が焦がれ、御劔の心を掴んで離さない。
「僕には困る事も、不都合に思う事なんて何もないんだけどね」
そう言いながら、公卿様は愛おしそうに姫様の頭を撫でる。
姫様に不安があれば、公卿様がすべて取り除かれるでしょう。
「COO、ここは社内ですから程々に。榴ヶ崎さん、おはようございます」
皆の前で公卿様に触れられ、固まってしまった姫様に柔らかく微笑む。
「目の前に愛しい恋人がいるんだから、この位は大目に見て欲しいな」
「私は慣れてしまったので気になりませんが、皆の前では榴ヶ崎さんが可哀想ですよ。それに約束したのでしょう?『社内では今まで通りに』と」
「・・・仕方がないなぁ」
貴女様はただ、幸せに満たされ、この方の腕の中で微笑んでいるだけでいいのです。
あの時、自分の魂よりも姫様の為だけに、躊躇いもなく選択をした公卿様の唯一の願いは、それだけなのです。
そしてそれは、我ら御劔の願い。