K.C.コンフィデンシャル(2)
今回もバトルはありません。今回のエピソードも闇が深いです。でも出来るだけ面白おかしく書いていきたい。
「はい、艶。あーん。」
「あーん。」
卵焼きを持つ蜜溜の箸が入ってこれるよう、艶はその紅く艶やかな唇を大きく開いた。
「あ、艶。ちょっと舌も出してみて。」
「ん?こうか?」
艶は素直に蜜溜の言う通り、口内からライトなピンクの舌を少し出して、下唇に乗せた。同じ赤系統の色でも、ナチュラルでヴィヴィッドな紅い唇とは彩度的に対になっており、瑞々しい美しさを互いに引き立て合っている。また、その動作は表情筋の連動と呼吸動作の阻害により、艶の普段のぱっちりと開いた瞼をほんの少し閉ざし、トロンと色めいたような表情を自然と生み出していた。
隣の席に座る蜜溜は欲望丸出しのニヤケ顔でゆっくりと卵焼きを向かわせながら、左手に持ったスマートフォンで、開口する艶の姿を撮影した。
「何で撮ってんだ?」
蜜溜のその表情や不可解な行動に気付きはしても、全く嫌悪する事なく、運ばれた卵焼きを頬張る艶。
「いや、後で使おうと思って。」
「何に?」
「それよりどうだ?美味いか?」
「おう、美味いぞ!蜜溜、料理も出来たんだな。」
撮った画像の確認をしてササッとスマートフォンをしまいながら、蜜溜はナチュラルに誤魔化してみせる。艶も特に気にする事もなく、蜜溜が作ってきたという弁当の出来を評価した。
「艶と初めて会ってから、ちょっとずつな。オレって立場的にそういうのと関わる機会なんて全然なかったし。」
「あんま他人の事言えないけど、お坊ちゃまだからなぁ。でもさ、『会ってから』って言うと1年くらいだけど、色々忙しい中でだろ?すげぇじゃん。」
「そりゃあもう。オレは艶の為だったら何でも出来る男だし。」
「変態じゃ……変態じゃ……ド変態じゃ……」
「え?何が?」
煌良は向かいの席から、赤らめて恥じらう表情を扇子で隠しながらも、蜜溜の所業をバッチリと見つめ、静かに呟き続けていた。しかし、煌良の隣に座る麻弥は、艶と蜜溜のやり取りにまるで興味を示さず、手に持つ大きな握り飯に夢中で、煌良の言動の意味も全く理解出来ていなかった。
「成る程ね。作ってきたおかずの対価として、自分のおかずを「それ以上はやめろ。」
空気を読まず的確に蜜溜の企みを解説しようとする寄絃を、美柑は恥じらいながら諌めた。
叢雲庁の緊急招集があった次の日。瑞光の一行は皇都から西へ向かう為、新幹線に乗っていた。
三人掛けの座席に、窓側から蜜溜、艶、寄絃。その向かいの座席に煌良、麻弥、美柑という形で、男女に分かれて座っているという構図である。
「まぁ今まで色んなとこに行ってるけど、岐阜は初めてだな。」
「正直、妾も岐阜に新幹線の駅があるのは知らなかったのう。」
年齢の分、六人の中で比較的古参の蜜溜と煌良は、今までのやり取りなどどこ吹く風と言わんばかりに会話を繋げる。
「岐阜って名前だけは聞いた事あったけど、皇都より左にあるんだね。何となく右だと思ってたよ。『ぎふ』の『ぎ』は『みぎ』の『ぎ』かなーって。」
「ハハハ、どこから突っ込もうか?」
同い年で、実力でも六人の中で一、二を争う艶と麻弥。純粋な戦闘では麻弥に分があるが、一般常識では艶の方に分があるようで、麻弥の頓珍漢な発言に、艶は作り笑い越しの乾いた笑いしか返せなかった。
一行の目的地は岐阜県G市。
その街には、維新後から前大戦時までの地元出身の英霊を祀りながらも、現在では神前結婚式の会場として人気の護國神社があり、一行はそこをまず目指したが、今回の任務は神社関連ではない。あくまでそこは今回の任務に於いての一時的な拠点でしかない。
蜜溜と美柑がその神社にあやかって御守を買おうとしていたが、人を待たせているという事で、煌良に命じられた麻弥によって二人は子猫のように首根っこを掴まれて、後回しにせざるを得なくなった。
荷物を預け、一行は再び駅近くへ戻り、小さなビルの事務所へと入っていった。
事務所にいたのは、先に到着していた叢雲庁の黒服エージェント二名と、艶達とは初対面の男が一人。
「これはこれは皆様!ようこそお越しくださいました!」
艶達を歓迎している様子のその男は、年齢は恐らく四十前後。水平な細目でふっくらとしたフェイスラインは、私達の世界で言うところの大仏を彷彿とさせる。その柔和そうな顔立ちに加え、ヒゲもきちんと剃って眉毛も整え、服装も清潔感のあるビジネススーツ。
男は艶達の入室を見るなり、奥のデスクからすぐに艶達の元に向かい、一人ずつに深々と頭を下げた。オールバックの短髪が乱れるのをものともせず、自分の年齢の半分ほども生きていない若者に対してのその姿勢に、少なくとも悪印象を覚える者はいなかった。艶達もそれに合わせて、会釈を返した。
「既に皆様、叢雲庁の一条さんからお聞きになっているかもしれませんが、私、臆藤と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。」
臆藤と名乗ったその男は、艶達に一枚ずつ、名刺を配った。その名刺によると、臆藤の職業はフリーのジャーナリスト兼ライターのようである。
「おくとう……ほつれさん……?」
「ええ。臆藤 解でございます。読みにくい名前で申し訳ありません。」
「いえ、こちらこそ失礼しました。おれは神事省叢雲庁青年有志隊"瑞光"の数橋 艶って言います。」
一応この六人のまとめ役という事になっている艶の挨拶を一番に終え、残りの五人も順番に名を名乗っていった。
「さて。立ち話もなんですし、どうぞ遠慮なくおかけになって下さい。SPの皆様も是非。」
臆藤に促され、六人は応接スペースの長ソファに腰掛け、臆藤も奥側のソファに座った。
黒服のエージェントは丁重に断り、その場に立ったままである。
事務ロボットが湯呑を人数分持ってきて、そこに急須で茶を汲み始めた。
「それでは早速本題に入りましょう。皆様、突然で申し訳ないですが、『押し紙』というものをご存知でしょうか?」
「知っておる。……成る程、確かに意趣返しには丁度良いかもしれんのう。」
煌良は即答し、しかも、袖に入れていた扇子を取り出して広げた頃には、臆藤の通報内容をある程度だが推察してみせた。
「あー……アレね。ふぅん……」
「寄絃、知ってるか?」
「俺も聞いた事ない。」
「寄絃が知らねぇんじゃ、アタシが知ってるわけねぇな。」
「……『折り紙』?」
煌良以外で知っていたのは蜜溜のみで、何故か冷めた顔をして返答した。
「ご存じないのは無理もありません。公には存在していないという事になっていますからね。御座さん、妃房さん。ご存知のところ申し訳ありませんが、お互いの認識に差があっては今後の動向に差し支えが生じかねませんし、私の方から説明させて頂いても宜しいですか?」
「うむ、遠慮なく。」
「良いんじゃない?」
「ありがとうございます。ではまず結論から申し上げますと、『押し紙』とは要するに、『新聞社が販売店に押し付ける、過剰な量の新聞』の事です。」
「んーと……つまり、新聞社が新聞の売上を伸ばす為に、そのしわ寄せを販売店に負わせてるって事ですか?」
左手薬指で唇をなぞりながら、艶は推察する。
「『新聞社が利益を求めて』という点に関しては正解と言えるのですが、正確には少し違いますね。」
臆藤は汲まれた茶を一口だけ飲んで続ける。
「そもそも新聞というのは、単体じゃそんなに儲からないんですよ。皆様が普段新聞を読まれてるかは存じませんが、新聞に掲載されている広告や、折込チラシはご覧になった事があると思います。新聞の儲けというのは、大部分が広告によるものなんですよ。」
「じゃあ何でいっぱい刷るの?勿体ないじゃん。」
「新聞の広告収入というのは、主に発行部数と売上部数で決まるのです。広告が広告として機能する為には、実際にその新聞をどれだけの人が読んでいるかが大事になりますが、そんなものをいちいち調べるわけにはいきません。だから、その新聞がどれだけ刷られたか、どれだけ売れたかが基準となるのです。」
「……それで広告の儲けを維持する為に、新聞を刷れるだけ刷って、売れるかどうかは全部販売店に任せてる、って事ですか?」
「そういう事ですね。押し紙を断れば新聞社はその販売店との契約を打ち切ったり、販売店が泣く泣くそれを呑んだとしても、今度はそれを必要な分だけ売らなければならない。そして売上維持の為に、販売店がそのまま余った新聞を買い取るという事も珍しくありません。」
「ネットとかで新聞社が叩かれまくって、若い世代が全然新聞買わなくなったのに、有名な新聞社の発行部数が昔とあんまり変わってないのも、それが原因だよ。」
またもや蜜溜はぶっきらぼうになっていた。
「アタシもニュースはスマホで十分だしなぁ。周りも大体そうだし。」
「そうですね。しかも、大手の新聞社は不動産業が収益の柱になっているのが現状ですからね。発行部数はともかく、売上の減少は新聞社にとってそこまでの痛手ではありません。」
「アホらしい。そんな無茶な売り方しなくても儲かってるのなら止めればいいのに。」
「長きに渡って圧倒的な発行部数を誇る新聞社が経営しているからこその信用というものもある。皇国民もそういうものをありがたがるものじゃからな。妾等とて、そういうところで苦しむ立場であろう?」
「……確かに。」
寄絃の直情的な正論を、煌良は自分達の苦々しい現状を以て諭す。
「でもそんな大変な事、何で殆ど知られてないのかな?煌良ちゃんと蜜溜さんは知ってたけど。」
「麻弥。『押し紙』で儲かるのはどこか分かったか?」
「新聞社。」
「よし。それじゃあ、世の中にニュースを伝えてるのは?」
「テレビとかネットとか新聞とか……あっ、そうか。」
「そういう事。大きい新聞社はテレビもやってるからね。報道が右や左に傾いてるとかそんなの以前に、こういう仕組みがある以上、どっちみち『報道の中立性』なんてあってなきが如し、って事だよ。」
「蜜溜、麻弥の扱いに熟れたのう。」
扇子越しに、どこか思う所がある視線を蜜溜に送る煌良。
「麻弥の話は煌良から散々聞いてきたからね。悔しい?」
少し不機嫌そうだった蜜溜の表情が悪戯っぽい笑みに変わる。
「悔しいのう。じゃが、お主の機嫌が少しマシになったのなら許そう。」
「……ありがと。」
今度は蜜溜も純粋に微笑んでみせた。
「しかし、先程数橋さんが仰ったように、歪んだ仕組みは必ずしわ寄せを生むものです。新聞社がどうであろうと、販売店にとっては新聞の買い手が必要である事に何ら変わりはありませんからね。」
臆藤は茶を飲み干し、空いた湯呑に事務ロボットが再び茶を注ぎ直した。
「今回皆様に御対応をお願いしたいのは、そのしわ寄せの一つ、"拡張団"です。」
「"拡張団"……?」
「皆様も街を歩いている際に新聞の販売店をご覧になった事があるかと思いますが、どこの販売店も商店街にある店一つと変わらないくらいの規模です。そんな規模の店舗だけで、新聞の配達や仕入れ、広告の準備や集金、そして新規の配達契約の為の営業など、全てを賄うのは不可能です。新聞という売り物の性質上、経営を維持出来るだけの売上を確保する為には、非常に広いエリアをカバーする必要がありますからね。移動距離も時間もかかって仕方ありません。」
「つまり、その"拡張団"ってのは販売店の業務を請け負ってる集団って事ですか?」
「そういう事です。拡張するのは販売契約数。まぁ早い話、皆様も恐らく聞いた事があるであろう、『新聞の押し売り』ですね。」
「ああ、それなら確かによく聞くね。」
「その押し売り販売員をまとめているのが拡張団です。」
「でもさぁ、それって問題なんすか?確かにあんまり良い話は聞かねぇっすけど、業務のイタク?っつーのはよく聞く話ですし、御貴使が出しゃばるような話じゃねぇと思うんすけど?」
「元々拡張団というのは、勧誘の強引さも勿論問題になっていました。販売店に勤められる方というのは大抵地元の方。そういう方々のプライベートを守る為にも、そういう嫌われ役はよそから来た拡張団に任せたくなるものですからね。それに組織自体も団長による中抜きや団員の待遇の悪さがよく取り沙汰されますね。」
「皇国民が中抜き大好きなのは古の時代から。それこそ、どこにでもある皇国の闇じゃない?」
「拡張団はかねてより反社会的な組織との繋がりが疑われてきましたが、数年前の暴排条例の適用などにより、近年はその疑いがより濃くなってきました。そして、ここG市周辺のエリアを受け持つ『恵祝新聞』の販売店の証言により、その疑惑が確信となりました。」
「……!ほう……」
「その販売店と契約している拡張団は……詳細は専門外なのでわかりかねますが、異能行使者集団である事は間違いありません。」
「その根拠は?」
「私はここ岐阜の生まれで、このオフィスも私の活動拠点の一つです。それに、今はフリーで活動しておりますが、かつて私は皇都の恵祝新聞社に勤めておりました。その販売店の店主とも旧知の間柄です。その店主が経営の逼迫から店を畳むのと共に拡張団との契約打ち切りについて交渉しようとしたところ、異能による脅迫を受けたそうです。」
臆藤はそう言うと、中央のテーブルに掌を上にして手を差し出し、六人に見えるようにした。
「編神。」
すると、臆藤の掌から小さなタコが出現した。
「臆藤さん、御貴使なんですか?」
「脅迫なんて上等な真似が出来るのを羨ましく思えるくらい下級の、ですがね。」
自嘲気味に笑ってみせると、臆藤は編神を解除した。
「店主の話によると、少なくとも編神らしきものは見ていないそうです。」
「となると、極左か、外国勢力の可能性が高いのう……」
「しっかし、『傾歪新聞』、ねぇ。」
蜜溜は呆れたように鼻で笑った。
恵祝新聞社。発行部数国内二位を誇る大手新聞社。
大学入試の試験内容にその記事がよく引用される程、皇国の情報網に深く根付いているが、いつの時代も言論が明確に右か左に"傾"いていて、しかもその為に報道内容を"歪"めるところから、特に一部の若い層からは"傾歪新聞"という蔑称で呼ばれている。
「『押し紙』って陋習を編み出したのも、そもそもは今の傾歪のトップだっていう噂だけど?」
蜜溜は上目遣いで、しかしどこか軽蔑しているような表情で、臆藤を見つめる。
「末端だった私に知る術はありませんが、そういう話はよく耳にしますね。」
臆藤はそれに不快感を示す事なく、変わらず毅然とした態度で返した。
「おい蜜溜、やめろよ。失礼だしカッコ悪いぞ。」
珍しく蜜溜に厳しく当たる艶。流石にそれには蜜溜もバツの悪い表情にならざるを得なかった。
「臆藤さん、身内がご無礼を働き、申し訳ありません。」
艶は臆藤に頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず。私も妃房さんの気持ちは理解出来ているつもりです。」
再び湯呑を傾ける臆藤。
「報道とは、そもそも疑われた時点で不完全なのです。中立であるという信用があってこそ、報道は報道としての意味を成すのです。かくいう私も、社が一世紀を超えて築き続けてきた信用を自ら崩すような姿勢に疑問を抱き、今の道を選んだのですから。」
臆藤は懐から小さなカメラを取り出した。
「これは、私が恵祝に入社してからずっと愛用しているものです。大して高いものではありませんが、この小ささは、自由に活動出来るようになった今の方が、むしろ便利に思えるようになりましたね。志は変わっても、私がやっている事そのものは変わらないまま。」
カメラをしまい、蜜溜の方を見つめ返す。
「ですが、それでも。報道機関の一部が信用を失う事はあっても、報道というもの自体の信用が失われてしまってはならないと、私は思っています。だから私は、誰かに信用される最後の報道元の一つになりたいのです。それが配信されるのが、新聞とかネットとか、そういうものは関係なく、です。」
蜜溜は渋面して頭をかき、
「……すみませんでした。」
臆藤に謝罪した。
「お気になさらず。さっき言った理由も、退社してからの後付ですから。散々『タコ助』やらと罵倒された後の、ですよ。」
臆藤は微笑んで、その謝罪を受け容れた。それを見た艶は安堵し、立ち上がった。
「臆藤さん、この度の通報と情報提供に感謝いたします。それでは早速、調査に入ります。」
「宜しくお願いいたします。」
瑞光一同と臆藤は改めて頭を下げた。
テーブルにはすっかり冷めてしまった、口がつかなかった湯呑が六つ残った。
次回以降はバトル&アクション中心になると思います。