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英語歴

さて、英語を趣味でなんとなく学習している方も多いと思います。


理由は他人様々(ひとそれぞれ)

・ 仕事で少しは使うから。

・ ペラペラしゃべれるとカッコ良さそうだから。

・ 学生時代に苦手だったからトラウマをなんとかしたい。etc


ラクーにも全部当てはまる意見です。


今回、英語をやり直すにあたって、自宅にあるハウツー本を全部読み直しました。

こういう本は、何回読んでもその時々で得るものがあります。自分がそこから読み取る部分も変わるからでしょう。


「やっぱり英単語と英文法の強化からだな」


予想していた通り、基礎固めにはそこからしかないのです。

それはレベルに応じて、何回でもくぐらなければならない関門です。



ラクーは三度の海外旅行経験があります。


★ 1994年 ハワイ

★ 2007年 オーストラリア ・・13年後

★ 2016年 カナダ ・・9年後


これは、ラクーが小学生の頃から夢見ていた、赤毛のアンの故郷「プリンスエドワード島」に至るまでの、地道な努力の過程なのです。


まず、ラクーの旦那様になったダンナーは、英語が嫌いでした。

その上、外国に行ったら銃で撃たれるから危ない!と信じ込んでいました。これはある意味、現実的ではありますが、ラクーの夢を打ち砕く頑固さでした。


一緒に住んでいた義理の両親も昔からの職人気質(かたぎ)で、ラクーが嫁に来るまではチーズやヨーグルトが食卓に上がったことがないという、完璧な純和風の日本人だったのです。


結婚したら朝はトーストと目玉焼きとサラダ、それにコーンスープがあれば完璧ね。なぁんていう夢も描いていましたが、昔の歌にあるレースのカーテンが揺れるような家ではなかったのです。

(^_^;)


最初は諦めかけた夢でしたが、ラクーは筋金入りの魔女だったので、次々と産み落とした子どもを味方に引き入れていき、徐々に家の雰囲気を変えていきました。


最初の爆弾投入はデ〇ズニーに代表される英語教材の導入でした。


そしてチマチマと貯金をし、長女のノンビリーが幼稚園に上がった時には、家族でネズミーランドに行くというウッタテを打ち立てたのです。


この頃のラクーの英語学習での目標は「自分が苦手だった英語をなんとかして生活に取り入れ、我が子が英語を苦手に思わないようにしてやりたい」というものでした。

自分では簡単な挨拶などの英語の定型文を覚えていませんし、高校の英単語もあやふやなまま、中学校の英文法なんかほとんど覚えていない状態でした。


これを幼稚園や学校のPTA活動、生活費を稼ぐために始めた様々なパート仕事、次女ヨムリンの突然の病気、義母の死ぬ一歩手前までいった難病の介護、子ども達のお稽古ごとや子育てのもろもろをこなしながら、なんとかしようともがいていたのだから、大したものです。



子どもの英語の実践の場になるから!

ハワイは島で安全だから!


そうダンナーと義両親を説得して行ったのが、最初のハワイでした。☆彡



けれど夢が一つかなった時、その向こうには新たな目標と夢が見えてきたのです。


なんとかして、カナダのプリンスエドワード島に行きたい。

それは執念にも似た願いでした。



ハワイでは、簡単なぶつ切りの文章を並べて、店の定員や偶然出会った老夫婦、バスの運転手さんと会話ができました。

しかし質問に応答する時に、とっさに文章が口に出てこないのです。どうしても最初は相手に単語をぶつけることになりました。

海岸で知らないおじさんに「Are you cold ?」と聞かれた時、ほとんど音が消えていて最後の「コー?」しか聞き取れなかったのです。三歩歩いて、言われたことに気づき振り返った時には、おじさんはワイキキの波の中に消えていました。

リスニングにも課題がみつかったのです。



この頃には娘たちも大きくなっていたので、ラクーにも自分の時間が取れるようになっていました。

家に帰って、ラクーはラジオのすべての英語番組を聞き、テレビのすべての英語番組を視聴するようになりました。


買った教材もCD付のもので日本人が苦手な「r,l,th……」などの発音練習を意識したものでした。


その頃、勉強熱が高じて、娘たちの大学費用を捻出するために塾を始めました。

最初はく〇ん、その後が、が〇けんです。ライバルだし……(笑)


どちらの生徒たちからも得るものがありました。

指導者、生徒関係なく、お互いに切磋琢磨して勉強していたんですね。



子どもが完全に独立し、住宅ローンの返済も済んだ後に行ったのが、オーストラリアです。

この頃、ラクーは生理痛が酷かったので、身体に負担が少ない時差ボケのない場所に行くことにしました。


ハワイで洋風な生活の快適さに目覚めたダンナーは自宅を新築しました。

そしてここオーストラリアのプール付きのホテルでは、鳥のさえずりを聞きながらお酒をプールサイドで飲むという究極のアーバンライフを送り、この世の天国を味わっていました。

(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ ダンナーの考えを変えるのにはだいぶ成功しつつあります。カナダまで、後一歩のところまで来たわ~


しかし肝心の英語力はついているかしら。

ハワイで課題になった簡単な文章での会話や聞き取りはできるでしょうか?


プールでの幼児との会話は成立しませんでしたが、大人との会話や店の人への注文、タクシーの運転手、ホテルの人への質問や要求など、ある程度の会話はできるようになっていました。

どうやら中学英語の英文法辺りは身についているようでした。


聞き取りもそこそこできて、オーストラリアなまりの発音や「グッディ」などの独特の言い回しの文化も楽しむことができました。


これは海外旅行程度ならなんとかなるレベルまできたな、と思ったのです。

ただ、外人と親しく話し合うレベルにはまだ到達していませんでした。



この旅行から帰った後しばらくして、ラクーは大腸がんになりました。


もう死ぬのかなと思っていましたが、ありがたいことに神様から余命をいただいたのです。

これはなんとしてもカナダに行くしかないな。

ラクーはそう密かに決意したのです。



長くなったので、カナダの旅行の顛末とそこから得た目標は、次回にまわしますね。


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