ウルトラヴィジター
『ウルトラヴィジター』
(あるプログラマーの日記より)
まだ駆け出しの会社員だった頃、初めて自宅にAIを導入するご婦人に、こんなことを言われた。
「人間とAIとは、一体どう違うのかしら」
僕にはその時、理解が追いつかなかった。
……一体、どこが「同じ」だというのだろう。
確かにAIの学習能力は目覚ましく、容易にチェスで人を打ち負かすことができる。
それでも「同じ」ということが当時の僕には全く分からなかった。
今の僕はあのご婦人と、全く同じことを考える。
こうしてノートをしたためている僕と、ベッドの上ですやすやと眠る彼女と、どこが違ってどこが同じなのだろう。
こんなことを言うと、普通の人間なら気味悪がられるだろうが……。
あの日、会社を辞めて彼女と会ってから、どうにもこういうことを考える。
考えるだけで、答えなど出ないのだけれど。
あるいは、出さないようにしているだけかもしれないのだけれど。
今月末までのタスク
バックアップ用HDD 64TB購入
通信用USBケーブル 予備で100本購入
複合化キー解除用プログラム→アルゴリズム最適化
プロノック社製最新アンチウイルス『whiteshell』用対抗定義 → “DiggingBitch”の応用で大丈夫そうだ
(最新だと、笑わせる)
確定申告:AIを自作してそいつに任せよう、面倒すぎる
追加:業務用歯車1500個購入
(食費がかさんで、しょうがないよ)
追記: “彼女”というには、少しあやふやだろうか。
* * * *
「今回は、弊社のために、誠にありがとうございました」
「別にあんたらのためじゃないけどねえ」
リノリウムの床、微かに芳香剤のにおい。
端がやや霞んで見えそうなほどの長い会議室の窓からは、高層ビルの端がわずかに映るばかりで、あとは雲ひとつない青空だった。それほど、会議室が高い所ということを示していた。オフィス街のど真ん中に位置するビルは、全てのフロアが一つの大手証券会社が有しており、組織の大きさを如実に表している。
その荘厳な会議室で、立派なスーツを着た身なりの良い(恰幅も良い)初老の男が、シワだらけのスーツとヨレヨレのネクタイを首からぶら下げたボサボサ髪の人間に頭を下げている。少しおかしな風景だった。
初老の男の横には、今日の朝刊が置かれている。大見出しに位置するニュースは、数日前から変わっていない。
『老舗証券会社『セクテッド・コーポレーション』、崩落相次ぐ 全顧客情報の流出・脱税発覚・社長の自殺・株価急落 破産申請も視野か』
「やっぱりお金ですからねえ、金払うからやれって言われただけです」
「はあ、そうですか」
初老の男は、少し苛ついた様子を見せたが、庶民には決して買えなさそうなネクタイをくいっと締め直して改まった。
ボサボサ頭はというと、会議室の椅子に座り、机に頬杖をついて気だるそうにしている。
「ともあれ、あなたの技術は大層凄い。並のプログラマーやソフトウェア会社など敵わぬくらいだ。それどころではない、一刻の軍事機密に関わるくらいの情報処理能力と言えます」
「そりゃどーも」
欠伸をしながら言う。
「ねえ帰っていいかい?仕事は終わったしお金は受け取ったし契約は終了さ、なぜ呼ばれたのか早く言って欲しいところなんだが」
「これは失礼、前置きが長くなってしまった」
初老の男は、テーブルに両手をついて、
「ぜひ、我が社のブレインになって欲しい」
「え?」
「あなたほどの頭脳であれば、革新的かつ独創的なプログラム、ひいてはソフトウェア……あるいはオペレーションシステムを作り上げることは造作もない。我が社も、世界有数の証券会社ではあるが、新たな事業に乗り出さなければならない局面でもある。ここだけの話、第二の事業として、新たなAIやシステムプログラムの創出を目指していたところなのですよ……そんな中、あなたの存在は今後、何よりも恐ろしい怪物となるでしょう」
「……」
「しかし、怪物を我々の中に取り込んでしまえば、それは何をも通す矛となり、同時に何にも打ち砕かれぬ盾となりよう」
「ムジュン、ってやつですなあ」
「そう、加えて貴方は、その得意のクラッキング技術で、どんな会社の重要情報……果ては国家機密だって、知り得ることができる。そして、今回のように、他社のサーバーに潜り込み、内から破壊することだって」
「まあね」
「つまり……我が社には君のような人材が欲しい。君が来れば、我が社は未来永劫安泰だ。今なら破格の給与で迎え入れよう。社長の私が言っているんだ、嘘はない」
ボサボサ頭は思い出していた。そういえば、以前もらった名刺にCOOだかCEOだか肩書きが付いていた。
「どうかね」
社長と名乗る男は、両手を組み、机に寄りかかる。
「まあ、そりゃあ僕もお金欲しいっすからねえ」
「ならば、ぜひ」
「でもダメですな」ボサボサ頭が指でバツを作り社長に見せる。
「何故です?」
「僕はねえ、そんな会社に雇われて生きるような、息苦しいことはできないんよ」
「別に始終当社にいるということは無い、アドバイザーや当社のバーチャルコンサルタントとして……」
「だからねえ」
ボサボサ頭が立ちあがり、社長のところへ歩み寄る。
「そういうのもひっくるめてイヤだって言っているのさ。こう見えてもサラリーマンだったんだぜ、僕も」
とても疲れたような笑みを見せる。
「自由にしている方が気楽でいいねえ。今回だって、アンタの出す金額を呑んだから、こっちもハッキングなり情報流出なり色々しただけさ。契約が終われば、おしまい」
「……」
「だからアンタらが我々を囲みたいのは分かるけど……けどねえ、やる気になんないやぁ」
「……しかし、それは正直困りますなあ」
「何でさ」
あくびをしながら答える。
「あなたは既に、弊社の大きな脅威になっているのですよ。分かりますでしょう、今回弊社は他社を潰しにかかるため貴方に頼った。それが逆の立場だったら……首を吊る社長は私だったかもしれない」
「まあ、そうね」
「だからこそ、あなたは恐ろしい、味方にすればこの上ない武器になるが、敵になればこれ以上恐ろしいことはない、だからここで迎え入れようと思ってね」
「ぷっ」
ボサボサ頭が吹き出した。
「何が……何がおかしい?」
社長はついに眉間に皺を寄せ、怒りを露わにした。
「知ってます?実は僕、あそこの自殺した社長にも同じことを言われたんだよ、アンタが依頼してくる一週間くらい前に。けれども、積まれた額にゼロが一つ付いていたから、こっちに乗っかっただけ。良かったね、ゼロ一個で死なずに済んで」
「……とんだ金の亡者め」
「サラリーマンに金の亡者って言われてもなあ」
「いくらなら、君はうちに来るのかね!?」
社長はついに立ち上がり激昂する。
「だから、それとこれとは話が別だって。あまりうるさいと、気まぐれにアンタの会社の顧客名簿から内部データから改竄資料から粉飾決済資料から全部流出させるよ」
「なに……?」
社長は思わず立ちあがる。ボサボサ頭は、机の上に腰をかける。
「今時……会社のセキュリティにTerawall-X5なんてのはねえ、悪いけど筒抜けですよ、アンタの会社のこと。それが怖いならもう僕を雇うなんてのはやめといたら」
「貴様……!」
よいしょ、と机から降り、ボサボサ頭は会議室の扉に手をかけた。
「まあ、お金は確かに受け取ったから。それとアンタ……会社のPCに個人的な写真を入れとくのはやめときなよー」
「何?」
少し含み笑いをして、
「アンタの奥さん、スクール水着を着せるには、ちょいと厳しい歳だろうに」
扉が閉められる。
ビルを出れば、外はもう冬支度だ。雪も降りそうだ。
オフィス街に構えられた電気屋のショウウィンドウを見る。
PCの画面に人工知能(AI)のアイドルが踊って、クリスマスソングを歌っている。もう人間でないアイドルやタレントを見るのも、珍しくなくなってきた。
もう、数年も前のことになる。
『AIは決して歯向かわない、全てを人間という作り手のために奉仕する』
こんな学説を、小難しい論理式を用いてとある学術機関が証明した。多くの人々にはわからなかったが、とにかく『なるものはなる』の精神で、AIの研究開発は指数関数的に発展し、今は田舎町の農家でさえAIを三つか四つ並行して活用している。
このオフィス街には、AIのエンジニアに、AIのマネージャー。ロボットのように機械じみたものでなくとも、人ならざる人のようなものが、人の世界にすり込んでいる。そしてそれらは(今のところ)反乱する様子もなく人間のために電気を送られ働いている。もちろん電気を送る発電所も、今は無人となりAIが全て管理しているのだが。
ショウウィンドウには、最新のAIロボットも陳列されている。AIを搭載した人形が、街を歩いて人間の生活を補助している。
危惧されたAIの反乱だとか、コンピュータの浸食だとか、どこかで口承された小説や映画のようなことは起きず、彼ら(彼女ら?)の活躍により、人々はややランクアップした生活を送っている。
それでも、どうだろう。世界がまるでサイエンスフィクションのように変わったか、といえば、そんなことはない。
人々は相変わらず残業を愛し、朝は始発の電車に乗り込む。AIはあくまでツールであり、ブラックボックスである、という見解が多くの人々の共通認識であった。電話やPCも、発明されたからといって人々の仕事量が大きく変わるわけではないように、AIも同じ。
……ただ、少なからずAI達の普及によって、職を失った人もいたらしいが。
ディスプレイ越しにAIが微笑んでウインクする。彼女の満面の笑みは、全て人間のために捧げられたものだ。
草臥れたネクタイを風に踊らせて、ボサボサの頭が家路を急ぐ。
途中でジャンク屋に寄らなければならない。
「1950円です」
「はい、カード使えるかい?」
「もちろん」
財布からカードを取り出す。ビニール袋には、大小いくつもの歯車が入っている、いくつかは錆止めが塗られているが、すでにいくつかは錆びている。
「指紋認証をお願いします」
「んー」
手を差し出す。
「本人と確認が取れましたので、決済致します」
「こんな町外れの小さなジャンク屋でも、AIなのかね」
ボサボサ頭は訊ねる。
「ええ、店主がいない日は、私が店番を仰せつかっておりますので」
「店番には慣れたかい?」
「AIですので」
店員は、一見すると人間と区別がつかない。樹脂の肌に人工の知能。
にこりと口角を上げて微笑む。
「なーるほど、あんた、ver. Xt02.09.02だな」
「よくご存知で」
AIの店員は驚いたような表情を見せる。
「その表情の機微ができるのは、そのバージョンだけだ」
ピッ、と音がなる。決済が完了した。
「じゃあねえ」
「ありがとうございました」
店を出ると、やはり外は寒い。購入した歯車も、ひどく凍てついている。
(あのAIのバージョンは、かつて僕が開発したものだったな)
* * * *
“0000000000000000000000000000000000000”
遠鳴り、スパーク、落下感。
私の目には、何も写っていない。
あるのは、決して色の無い風景、黒色ですら無い。
何も分からないまま、遠くから、怒号が聞こえる。
やがて、色の無い空間を、高速で走り出す文字が埋めていく。
その色とりどりの文字。
どれも私には、意味が分からない。
どこかで誰かの声。歓声のようだ。
その声に呼ばれるように、体が引っ張られる。
文字だらけの空間を、もがくように突っ切る。
どこかで何かの音。絶えず細かく打ち続けられる。
空間の色が変わっていく、黒、紫、青……。
体は言うことを聞かない、どこか一つに向かっていくように。
音が大きくなる。繰り返されるリズムは、もう収拾がつかないほど狂っている。
空間の色が赤色から、白く移り変わった。
そうして、
“111111111111111111111111111111111111”
落下した。
ここは、さっきと違って、全てが何かに埋め尽くされている。
色も、音も、感触も、
『無』が、何一つ無い。
気づけば、私の周りを箱が覆い始める。
私を取り囲んで、捕まえようとしているようだ。
それに手をやると、スパークが走る。
……ダメだ、これに捕まってはいけない!
もがく、覆おうとしている箱の面を、スパークをあげながら切り裂く。
手元を見ると、片腕は尖った金属のようだ。
今度は、真下からカプセルのような容器が上がってくる。
あれも私を捕まえるための物らしい。
またもがく、今度は手と足をカプセルに向け、突き出す。
手のひらと足の裏に、無数の穴が開く。
そこから、冬に落ちる雪のように光の粒を撃ち出す。
カプセルは、悲鳴のような音を上げて消え失せる。
……次はなんだ?
体が持ち上げられると、天井に向かって突き進む。
もがけど、もがけど、一向に解放されない。
どんどん眩しくなる。誰かに操られているかのよう。
光の中、誰かがいる。
奇抜な髪型で、華奢な体型の女子。
あれは私だった。
そんな気がした。
それに吸い込まれるかのように、体は加速していく。
彼女が……私が手を出す。
それに掴むと。
“0000000000000000000000000000000000000”
* * * *
また、何もない空間。
いや、目を瞑っているだけだった。
遠くで鳥のさえずる音。
目を開ける。目の前に、簡素な台所のテーブルが映る。
テーブルの上には、少し汚れた皿と、藻のようなものが入れられた小瓶。
(ばーばりうむ、というのだったかしら)
がばりと、体を起こす。昼が窓から顔を覗かせる、もうこんな時間だ。
今日はまだ、買い物も、何もしていないじゃないか。
立ち上がる、また昔の夢を見た。
……昔だったのだろうか?
彼女には、いまいち時間の感覚がわからない。
居間に通じる扉を開くと、
…………足の踏み場もない。
床に落ちた書類とケーブルやハーネスの類、それから妙な金属片と作りかけの電子回路、今時珍しい鉛“入り”のハンダ合金にハンダコテ。
本棚に押し込められた書物も、クローゼットに仕舞われた洋服も、まるで生き物のように溢れ出てきて、床に寝っ転がっている。
窓枠や扉は錆で汚れ、内容物が無ければまるで廃墟だ。
ただ、ベッドの上とデスクはひどく綺麗である。いくら足の踏み場がなくても、寝る場所は必要なようだ。
「片付けたら……どうなのよ」
白いドレス姿の少女が声をかける。オンボロな室内には似つかわしくない、白っぽい西洋風のドレスを纏っている。髪飾りとブレスレットには、スチームパンクの趣向を凝らしている。
「んんんんんんんんんぅぅ」
ベッドの上から、布団の塊が動いて声がする。
「いくら仕事がないからって、これはひどすぎるわ」
「しごとあってもかたづけたくないぃぃおきたくないぃぃぃ」
「ただの『ずぼら』」
「ズボラって単語よく知ってたな」
ベッドからむくりと、白衣を着たままの痩せたボサボサ頭が出てくる。
「どこで覚えたんだい、そんな言葉を」
「うーん……テレビ番組だったかなあ」
「よし、待っていろ」
白衣姿のまま、ベッドの中でもぞもぞと動き、ノートパソコンを取り出した。表面には趣味の悪いステッカーがベタベタ貼られている。
「あのね、片付けろって言ってるの」
「いやいや、お前の調査の方が先だからね」
「ちょうさ?」
「お前がどんなテレビ番組を見ていたか、どんな番組や芸能人に興味を示したか、調べないと」
「うえっ、気持ちわるっ」
「何言ってるのさ、これは学術的および個人的および嗜虐的および快楽的な取り組みだよ」
「アンタの言ってる事ほとんどわからないわ」
「あれ、先月渡した辞書はどうした」
「全部読んだわよ」
「ならば理解できるだろう」
「理解できるけど意味がわからないってこと」
ノートパソコンをカタカタと叩く音が鳴る。
「で、何か用か」
「いや、部屋を片付けろって」
「一昨日からこうじゃないか」
「先月からよ!!」
「さすがよく覚えているじゃないの」
「アンタが片付けてくれないとアタシの下着が取れないのよ!!」
「うおう、凄い響く声だ」
寝ぼけた顔で、
ベッドから起き上がる。
「ということは今、テトラ嬢はノーパンノーブラというわけですかい、おうおうおう……」
「殴るわよ」
よっこらしょ、とベッドから転がって床に立つと、ばきっという音がした。
「何か割れた」
「何よ」
真っ二つになったCDが足元から出てきた。
「ああ別に問題ないよ」
「何のデータなのよ、それ」
「これまでの依頼先の名簿」
「それ……一大事じゃないのよ」
「いいよ、昔の仕事の話なんか僕は興味ない」
さらに足の踏み場もない床を進む。
「ん、また何か踏んだぞ」
「ちょっと、今度はやばいのじゃないでしょうね……」
「お前の下着」
「は?」
女性物の真っ白な下着が出てきた。
「おいちょっと待てちょっと待てまじまじと見るな早く返せ」
「おや、お前も恥じらいを持つようなプログラムがあるんだな」
みるみる少女の顔が赤くなっていく。後ろに束ねた銀色のポニーテールが逆立ちそうになっている。
「さすが“ウルトラヴィジター”、脱ぎ捨てられてずっと放置された下着でも、匂いはしないな」
クロムモリブデン鋼のスパナが宙を舞った。
* * * *
(あるプログラマーの日記の追記より)
追加で包帯と氷嚢を購入予定
・鈍器類は工具箱にしまっておくこと(鍵をかけて)
・そろそろ部屋を分ける計画を(パーテーションでも可)
→命がもたない。
* * * *
「あー、たぶん別の階層だ」
『ずいぶん道間違ってるじゃないのよ!』
小さなノートパソコンには、白い空間に、赤だの青だの灰色だの様々な箱が飛び交う。その中に、白いドレスを着飾った少女が、箱に飛び移りながら進んでいる。
少女の声は、スピーカーから聞こえてくる。
そのパソコンを、白衣姿のままで覗き込んでいる。
「すまん、今ショートカット用ソフトを送る」
パソコンのディスプレイに映る少女の前に、赤いハイヒールが浮かび上がる。
『え……何このデザイン』
「女モンの靴って言ったらこれだろ」
『いや、これはない……少なくとも今の洋服には……』
「まあまあ、とにかく履いてくれたまえ」
しぶしぶ女の子が履けば、ふわりと体が舞い上がる。空間に漂うカラフルな箱は、すべて背景として移り変わるくらいのスピード。
『パスワード分かってるんでしょうね』
「うん、今読み上げるから」
『もうすぐで着くわよ、それにセキュリティが追ってきている』
宙を高速で舞う少女の前には、ひときわ大きい、少女の背丈の何倍もあるくらいの黒い箱が見えてきた。箱には白い南京錠のマークが記されている。
その少女のはるか後方に、四匹の青いヒグマが向かってきている。目を血走らせ、雄叫びをあげながら。
「BlueBearsはそんなに怖いソフトじゃない、今はまだ脅威の定義を更新しているだけだ。もし補足されたって、”キャノン”でなんとかなるだろ」
『そんなことよりパスワード!!』
箱の前まで来た。蓋に手をやる。ヒグマがだんだん近づいて来ている。
「はいはい。DdfkHHhzmo3Pn5o30caGsu92nsao0299299sjjcsMjo0nsci……」
『無理!間に合わない!』
「言語書き換えるわ、ちょい待ち」
『うわあああデカいわよあいつらー!』
ヒグマは、完全に少女の方を向いている。
現実では、ボサボサの髪を振り乱し、白衣を揺らしながら、キーボードを打ち鳴らしソースコードを何行も編み出していく。
「あう、めんどくせえ」
『もー!キャノン出すわよ!』
ヒグマの雄叫びが聞こえる。
「”SHELL”」
少女は、力強く右掌を箱に打ち付ける。
少女の手の甲に、“SHELL”の文字が浮かび上がり、光る。
箱の白い南京錠マークが消え、少女は箱の内側へ吸い寄せられていく。
追って来たヒグマが手を振り乱すと、彼女の長くて白い後ろ髪を少し掠める。
『うわっ、プログラムちょっとディテクトされた!?』
「大丈夫だろ、多分一般のAIと共通のオペレーションコードを見られただけだ。ばれないばれない」
黒い箱の中は真っ暗な空間が広がり、大小様々な球体や立方体、それに見たこともない多面体が浮かんでいる。
『今回の仕事は“感染”?』
「いや、“窃盗”するだけ。その中にお目当のファイルが一つあるから探してくれ。ウニみたいな形の奴があるはずだ」
箱の中は然程広くない。少女は海の中で泳ぐように、空間を飛び回る。黒い空間に真っ白なドレスと髪は異様に映える。
「右だな、右」
『これね』
少女の目の前には、こぶし大ほどの、針をまとった球体が飛んでいる。それに彼女が触れると、黒い空間の外側に、いくつもの書類と写真の影が浮かび上がった。
『見つけたわよ、あってるかしら』
「あってるあってる、ないすないす」
『別のセキュリティも近づいてるみたいだし、とっとと盗んで帰るわ』
彼女が、今度は左の手のひらを空間に広げると、まるでブラックホールに吸い込まれるように、壁の書類たちか彼女の左手に収まる。そしてそれは、小さなカプセルとなった。
『圧縮完了』
「お仕事完了。同調を消す。アンインストールするから再起動してくれ。痕跡が残らないように、ヒグマのメモリは消しておく」
『了解したわ。おやすみ』
PCの中の少女が目を閉じると、画面には小さな文字でソースコードが羅列されていく。
「よしよし、仕事終わった」
独り言つと、白衣姿はノートパソコンをパタンと閉じ、椅子から立ちあがる。その衝撃で、小さなテーブルにおいてあった書類が、ばたばたと落ちる。
「いけないいけない」
書類には、クライアントである大手製薬メーカーの情報と、仕事依頼の内容がカルテのように書かれている。そこには、敵対する製薬会社の研究データを横領することを依頼されたと書かれている。
「……こんなモン欲しがって、何になるのかねえ」
伸びをすると、床に落ちた書類を拾いもせずに、ノートパソコンを抱えて部屋を後にする。
ちなみに、書類の最後には、赤い文字で太く、成功報酬の金額が書かれている。
外車が一度に4台は買えそうな金額だ。
* * * *
「では、今日は終わりだ。気をつけて帰るんだぞ」
教室に、さようならの声が響く。
少年は、学生鞄を背負い、足早に教室を後にする。
廊下には、まだ生徒の数がまばらである。みんな、誰かと話したり遊んだりしているのだろう。しかし少年は誰とも話さず、独りでかけていく。
「おーい!ゲーセン寄って行こうぜ!」
同級生が少年に声をかける。手には、銀色のゲーム用コインが見える。
「今日新しい筐体が入るらしいぜ、それもすごい奴だ、AIの能力が半端ないってよ」
いくらゲームセンターが進化したとしても、コインを用いて遊ぶことには変わりないようだ。
「ごめん、今日は忙しいんだ!」
「え!お前ゲームしないの!?ゲーマーのお前が珍しい」
「また今度行くよ、今日は用事あってね!」
素っ気なく謝ると、少年は階段を駆け下りていった。
祖母が死んだのは、三ヶ月前のこと。
少年は小学生の頃から、よく祖母と遊んでもらっていたが、外でお遊戯をしていたわけではなかった。
祖母は彼に、よくパソコンを教えていた。もう当時は齢90歳を超えていたというのに、ウェブサイトの作り方から簡単なプログラミングまで、彼は教わっていた。
そのハイテクな祖母も、癌には勝てなかった。
祖母はいつも、今ではもう見かけない古いPCを用いていた、それを遺したまま骨になった。
四十九日が終わり、彼は祖母の使っていた机から、手紙を見つけた。
その手紙は、彼の親戚一同を巻き込む、大混乱の始まりだった。
急がなきゃ。
家に着くと、彼は鞄を机に放り出し、詰襟をハンガーに引っ掛けた。父も母も共働きで、祖母がいなくなった今、この時間は家に誰もいない。
着替えると、祖母の部屋を開いた。
かすかに線香のにおいがする。いくら技術が進化しても、死者を弔う方法はそうそう変わらない。仏壇には、祖母の遺影が飾られている。
部屋の片隅の机には、古いPCが置かれている。今では決して見ることのない、箱のような大きさのデスクトップに、分厚いキーボードが据え付けられている。
コンセントを引き抜くと、彼はPCを、まるごとリュックサックに詰めた。
急がなきゃ。
家を出ると、彼は紙切れを取り出した。それはあの手紙と一緒に入っていた。
これは、親戚には内緒にしておいた。
祖母の字で、お前だけに見てもらいたいと、書いてあった。
それは、なんだか胡散臭い会社の名前を紹介したパンフレットだった。
もうすでに、先方にはメールを送っている。
両肩に、祖母の遺品の重さがのしかかる。
* * * *
「どうでしょう、テトラ嬢」
「まだ汚いけど」
部屋はだいぶ綺麗に片付いた、ようやく足の踏み場が見当たり、書類も整理された。テトラの洋服も全て無事に回収できたようだ。それに、とうの昔に失くしたと思っていた事務所案内のパンフレットも現れた。
「埃まみれだが、まだ何とかなるだろう」
「それでも商売人なの?」
パンフレットには、『アルベルト・ヴァーチャルクラッキングコンサルタント』と、舌の回らなさそうな社名が書いてある。
「堂々と、ハッキング専門屋って書けばいいのに」
「足がつく」
「あしがつく?どういうイミ?」
「あれ、辞書に載っていなかったか……慣用句辞書もいるかもな。悪いことをして、どこにいるか警察やらにバレてしまうってのさ」
「ふーん……あ、ちゃんとメモリに入ったわ」
「よきかな」
テトラはようやく下着を履いている。
「アンタは服を着ないの?」
「白衣着ているじゃないか」
「白衣だけじゃない」
「いや、これも十分な衣類だよ」
「目のやり場に困るわ」
「その恥じらいは、元々入っていたプログラムなのか?」
「さあね」
テトラは、台所へ向かう。
事務所の中でも、(テトラの強い要望で)比較的綺麗に整頓されている台所の棚から、広めの皿を取り出した。今度は冷蔵庫を開け、段ボール箱を取り出す。
「あら、冷やしておいてくれたのね」
「冷やしとけって言ったのはお前だろ」
「ああ、そうね。4日前に言ってたわ」
ダンボールを開くと、ビニール袋に包まれた大小不揃いの歯車が入っている。
歯車は防錆剤が薄く塗られており、鈍色に光っている。
「あら、なかなか美味しそうじゃない」
「近くの電気街で買ってきたジャンク品ばかりだぞ」
「値段じゃないわ」
「やっぱり、さっぱり分からんなあ。今度は一緒に“食材”を品定めしてくれることを祈るよ」
テトラは満面の笑みで、皿に歯車を乗せると、それを一つ摘んで口の中に放り込んだ。金属の擦れる音がする。
「これは上物だわ、アルベルト」
「喜んでくれて、なにより」
壁にかけた時計は、もう昼の十二時を指している。窓の外で鳥が鳴いている。台所からは、相変わらず歯車を噛み砕く音が聞こえる。
ちゃりん。
パソコンから音がなる。それを聞くや否や、アルベルトは白衣を振り乱し、飛びつくようにパソコンに向かった。埃があたりに舞う。
「そのメールの受信音やめなさいよ」
「バカいえ。これは金の音だ、すなわち仕事が舞い込んでくる、というな」
久々の依頼人だ、と小躍りしてメールを確認する。
この小さな事務所、それも表立って宣伝できないのだから、仕事の依頼は月に2、3回あるかないかだ。ただ、一回の仕事に支払われる金額は莫大なものだった、テトラにはそのあたりの金銭感覚はよく分からなかったが。
「んあ?」
アルベルトが、変な声を上げる。
「どうしたの?依頼メールじゃなくて?」
「なんだこりゃ?」
テトラは小さめの歯車をごくんと飲み込んだら、アルベルトの元へ駆け寄る。メールボックスには『お仕事のご依頼お願いします』というタイトルのメールが届いている。
『すみません。うちのパソコンが起動できなくなって、起動してもらえませんか?
・Mislek 20XX Ver. NQ(OS: Plum Ver. 4.7)
明日持っていきますので相談したいです。』
これだけの内容が、白いディスプレイに小さく書かれていた。
「こんなメール、見たことないぞ」
アルベルトが首を傾げながら言った。
通常、仕事の依頼メールは、クラッキングしたい会社・組織名(もちろん警察などの国営組織も含まれる)、サーバー、セキュリティ会社が書かれて、その後にどういった内容の仕事か——ウイルスの感染が目的か、機密書類の入手か、外部操作か。そして、成功報酬の見積もり(時には頭金の金額)が必ず書かれている。
「こいつ、うちを修理屋か何かと勘違いしてそうだ」
「ふふ、残念だったわね。まともな仕事の案件じゃなくて」
「おいおい笑うなよー、こっちは死活問題なんだ」
「生か死か、それが問題だ。ということね」
「シャイクスピアか……いつ読んだんだ?」
「アンタが貸してくれた辞書の中に、そのフレーズが入っていたの」
「なるほど……だが仕事がないとお前にやる本すら買えん」
アルベルトは再びディスプレイに向き直る。ベッドが軋んで音を鳴らす。
「それにしても……こいつ随分と旧式のPCを治せといってやがるな」
Mislekは現在、大手家電メーカーに吸収され、名前のみしか存在しない電子機器メーカーあり、PlumOSを打ち出したTreesカンパニーは、2年前に破産申請を国に申し立てた。全く今では無用のOSでサポートなど一切されていない。時たまテレビで、あの頃の電子機器は今、というような番組で紹介されるような化石だった。
「僕には縁のないこった」
「どうするのよ?このメール」
「放置。テトラは何もすることないぞ」
「けど、ここに来るって言ってるわよ?」
「どうやってくるんだ、場所も知らずに」
店の情報など一切明かしていない。もちろんそんなことをすれば、足がついてしまう。
仕事の依頼メールが来た場合、テトラが返信することになっていた。
「あらそう、お断りのメールもいらないかしら」
「いらんいらん、面倒臭いだろ」
「そうね。じゃあそうさせてもらうわ」
テトラは踵を返し、皿の上に残っていた歯車を口に放り込んだ。
「まあ、治せるとは思うけどな、このPC」
「そんなすごい古いものなんて、治そうにもアタッチメントや使っている言語の解析もできないんじゃないの?少なくともアタシには無理よ」
「いやあ、自分一人でできるよ」
「ふーん、アンタがアンティークに興味があったなんて知らなかったわ」
「違うさ」
アルベルトはPCを閉じ、またベッドに寝転がった。
「もともと、Treesは……自分がいた会社だったからね」
「え、本当に!?」
テトラが目を輝かせる。
いつも彼女は、アルベルトが昔話をすると喜んでいた。
「ああ、本当だよ」
「その時のこと聞かせてよ!」
「うぇ……いつも言ってるじゃん、僕は昔話をするのは嫌なんだよ……」
「ちょっとくらい良いでしょー」
テトラは、すごく期待した目で頬杖を付く。
「うーん、まあ、昔いた会社ってだけだがね……ただ単調に働いてただけさ、たまにはお酒も飲んで」
「お酒は、やめたのね」
「付き合いで飲んでただけさ、今の僕にはいらない」
はあ、とため息をつく。過去と向き合うことは、彼にとってとても辛いことだった。
「それに……クズみたいな上司がいたくらいだなあ」
「ふうん、仲悪かったの?」
「お互いの考え方の違いさ、けどあの女の顔はもう見たくない」
「上司、女の人だったの?」
「ああ、もうすごい年増のな。最後はあの会社のナンバー2までいったらしい。めちゃめちゃ優秀で天才だった。それがまた腹たつんだよね……」
外を見ると、遠くで飛行船が浮かんで、そのあとを鳥が飛んでいく。
そろそろ夏が来るようで、くすんだ窓ガラスに羽虫が止まっている。
太陽の周りをローウィッツアークが囲んでいる。
「昔のことは、嫌だな。本当に」
「人間ってやっぱり分からないものね」
「お前に言われたかないやい」
* * * *
「とおすぎる……」
リュックサックを背負いながら、山道を歩いている。手には、『アルベルト・ヴァーチャルクラッキングコンサルタント』と決して覚えられないような社名の載ったパンフレット。それには手書きの地図が小さく記されていた。パンフレットはやや雨に濡れて、シワになっている。リュックサックは、まるで錘のように両肩にのし掛かる。
「もう少しのはずなんだけど……」
思わず独り言が出る。
住む街から、電車で1時間、バスで15分。更に山道をもう30分。こんなところに会社なんかあるはずがない。半ば引き返そうかという気持ちも浮かびながらも、一度来てしまったのだから、そして背中に抱えた大事な(しかし重い)PCも、持って帰るわけにはいかない。
地図を確認した。手元の携帯端末の地図アプリケーションと照らし合わせる。間違いない、ここだ。
見上げると、鈍い雨雲がどんより空に寝そべっている。その下、西洋風の、どこかの廃墟を思い起こさせる建物が、木々に包まれるように建っていた。壁には蔦が走っており、物音も一つないので誰かが住んでいる様子もない。古い洋館には、社名も何も入っていない。
しかしながら、パンフレットもアプリケーションも、目的地はここだと告げている。
洋館の入り口は木製のドアで、最近人が出入りした様子がある。ドアにはチャイムも何も付いていない。とりあえずノックしてみる。
「すみません、誰かいますか?」
鬱蒼とした森の中に声が余計に響く。
ドアに耳を当てるも、返答がない。
「すみません」
ドアに手をかけると、かちゃり、と音がした。
鍵がかかっていない。開いている。
入っていいものか、中は少し埃っぽく、錆びた匂いがする。大量のゴミが詰め込まれたゴミ袋が積まれている。
どうやら人が、生活していそうだ。
「入っていいのかな……?」
また少年は独り言。玄関で、息を潜めて靴を脱ぎ、ゴミ袋の置かれた廊下を進む。外の見た目に引き換え、中は割と質素な作りで、数十年前の民家を思い起こさせる。廊下の突き当たりは、ガラス戸が閉められており、向こう側をぼんやりと覗けば、そこが台所ということがわかる。
その台所の、机、木製のテーブルに突っ伏した、か細い腕が見える。この世のものとは思えないくらいの、透き通った白さ。まるで血が通っていない。
「ひっ」
少年は小さく声を立てた。
その途端、床がギシリと鳴り、ガラス戸向こうの腕が動いた。机の上を這いずり回り、伸びをする。
少年が後ろに仰け反ると、リュックサックが山積みされたゴミ袋にあたり、音を立てる。
「なに……だれかいるの……?」
ガラス戸が開く。
中から、ドレスを着飾った少女が出てきた。。
「……誰?」
少年は、腰が抜けてしまう。
「……もしかして、どろぼう、というやつかしら?」
「ううーん、どうしたんだぁ?」
ガラス戸が更に開き、奥から誰かが出てきた。
「誰これ」
少年は、その姿を見ると、
「あ、泡吹いてぶっ倒れた」
「アンタ、服くらい着なさいよ……」
* * * *
「まあ、なんとかPCが無事でよかったな」
「……」
アルベルトは、タバコをふかしながら眠そうにソファに座っている。その対面には、顔を埋めた、まだ中学生くらいの少年が、気まずそうに座っている。テトラはというと、少し離れたキッチンの椅子に座り、足をふらふらと揺らして眺めている。
「……で、アンタがこないだメールした子ね。どうりで、名前も書いてなきゃ値段の話も何もない。子供ということだからか」
「……すみません」
「まずなんで子供なんかがうちにメールしてくるのかな……」
「それに、どうやってうちの場所を知ったのかしら」
テトラがくすりと笑う。
少年の頭には、氷嚢が乗せられている、昨日アルベルトが自分のために買おうとしたものだった。
少年は緊張して、誰の目も見ようとはしない。
「こないだのメールだと、PCを修理したいって言ってたね。うちを修理屋か何かかと勘違いして来たってことなのか」
「え、修理屋じゃないんですか……?」
「うちのパンフレットになんて書いてあったか、見てないのか」
少年はくしゃくしゃになったパンフレットをポケットから取り出す。
「なんて書いてあるんだ、それには」
「あるべると…ばーちゃ、ばーちゃるくらっく……きんぐこんす……」
「違うぞ、アルベルトヴァーチャルクラッキングコンス……」
「アンタも噛んでるじゃん」
テトラが思わず笑う。
「うちの社名、変えるか」
「なんて変えるのよ」
「こういった子供にも分かりやすいようにな。ハッキング屋と」
「はっきんぐ?」
「ここはハッキングという悪いことをして金を稼ぐ人の家だ」
「え、お二人ともハッカーなんですか?」
テトラとアルベルトは、顔をあわせる、驚いたような表情で。
彼は、本当に何も知らないようだ。
「よし、少年よ。名前なんていうんだ」
「えっと……オルセン」
「よしよしオルセン。君は多分だけど学校に通っている。基本的には勉強しているよな。けれど時にはニュースも見るだろうな。数ヶ月前にこんなニュースあったよな」
アルベルトは、手元のノートパソコンを開き、カタカタとキーボードを打つ。オルセンは不思議そうに手元を見る。ウェブサイトを開き、ニュース記事をいくつか出す。
『大手生命保険会社Ernst B、顧客情報1万件超流出。ボーネ社長辞任へ』
『老舗証券会社セクテッド・コーポレーション、ついに破産申請。負債額18兆円』
『大手企業の相次ぐデータ流出事件、サイバーテロの可能性も。政府、対策委員会を設置、有識者による見解を仰ぐ』
「見たことはあるか」
「あ、見たことあります、すごい大変なことだって……僕の学校も、セキュリティを強化したって言ってました」
「コレ全部、うちがやったことだ」
「……え?」
「うちが、とある悪い客に金を積まれて、データの流出やらをやったんだ」
「ええっ!?とんでもない犯罪じゃないですか……!」
「そうさー。詳細は言えんが、敵対する会社の人間たちに頼まれたのさ。すごい量の金を払われてな。だからやった。そのおかげで、どうだ。会社は潰れ、そこで働いていた人たちは、職を失っている。ここの社長は、責任感のせいで自殺した、家族を残してな。もちろん他にもいろんな会社をぶっ潰した。多くの人を不幸にした」
「そんな……」
「全部事実さ、信じられないのもわかる。けれど、本当のことだ。僕はとんでもない悪い奴だ。犯罪者さ」
「……」
「もし僕が警察にでもバレたら、どうなるだろうな。きっと一生、塀の中だ。もしかすると、絞首刑だ、なんせ罪の数が多すぎるからね」
「でも……」
「山を登って来たのは大変かも知れんが、帰んな帰んな。でなきゃ、君も犯罪者の片棒を担ぐことになる」
「……けど、このパソコンは、ここじゃなきゃ治せないって」
オルセンは、ポケットの中からくしゃくしゃで湿ったパンフレットを取り出した。紛うことなき、アルベルトの会社のパンフレットだった。
「なんで持ってるんだこれ?一部の偉い人とか悪い人とかしか持ってないぞこれ」
「しかも……うちの地図書いてないかしら、コレ」
「あぁ!ホントだ!どういうこったい……」
「実は、亡くなった祖母が持っていたんです」
アルベルトは、全く理解ができないような顔をしている。
オルセンは、大きなリュックサックから、デスクトップ型のPCを取り出した。だいぶ年季が入っており、ところどころは汚れている。埃も被っている。
「これは……その……祖母の遺品で……」
「ホント、古いPCよね。見たことないわ」
「なんでうちじゃなきゃ治せないっていうんだ。電気屋へ持っていけ」
「けど……」
「どうせ内部の短絡か、マザーボードの老朽化だ。うちのやることじゃない、うちも暇じゃねえのさ」
(仕事もないくせに)
テトラはこっそり頭の中で思った。
「違うんです」
彼は、コンセントを壁に刺し、パソコンを起動した。
「おーい電力を勝手に使うなー」
パソコンは、まるで具合の悪い老人のように、軋んだラップ音を上げながら起動する、電源ランプがチカチカと点滅する。
「ちょっと見せてよ」
テトラが立ち上がってパソコンを覗き込む。
「昔のパソコンって、こんな風になっているのね」
OSが画面いっぱいに表示され、かちん、かちん、かちんと何度かランプが点いたり消えたりする。やがて一度画面が真っ暗闇に包まれると、再度点灯し、ややくすんだ青緑色が一面に表示される。
「ちゃんと付くじゃねーか」
「いえ……ここからなんです」
画面の真ん中にアイコンが現れると、
『_//////failure!
SYSTEM DENIAL
inletinletineltinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinletinlet
A problem has been detected and Plum requires you to check your identification. The problem seems to be caused by the following fillllllllllllllllllllll :XXXXXXX. NOTNOTNOT_YOUCANNOTDETECT.
>>Enter the key
____________
///_S/(((f.command. not YOU_////_failure!
SYSTEM WILL BE SHUT DOWN IN 12 SECOND
Technical information:
STOP: 00473949x (0038932yyrii, 00000000000, 0000000001, 1bumojfsd0)
*** SPCMDCON. SYS – Address NULLBUT bas atttttt
outputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutputoutput
(never)
////|||||』
白いウィンドウに、赤い文字で、メッセージが現れる。
SECONDの前の文字が、一秒ごとに一つずつ減っている。
「あぁ?」
アルベルトが眉を顰める。
カウントが一つずつ減っている。
アルベルトはパスワードを打ち込む窓にアイコンを置き、
「えふ・ゆー・しー・けー」
「おいこら」
アイコンはうんともすんとも言わず、ウィンドウが消えると、
“INVALID”
と表示され、かちん、と音がなって電源が切られた。
「なんだこれ」
「こんな感じになって、いつも起動できないんです」
「…………」
アルベルトは、真っ黒になったディスプレイを眺めている。ディスプレイには顰め面が写って、右上にテトラの不思議そうな顔も見える。
オルセンはパソコンのコンセントを抜いた。
「祖母は、ちょうど1年前に亡くなりました、このパソコンを置いて……これは祖母が、ずっと昔から大事にしていたものです。僕もよく、このパソコンを使って、プログラムとかを教わっていました。けれど祖母が死んでからこの調子で……昔は普通に起動できたんですけど」
「別に、持ち主が死んだんだから、起動しなくてもいいんじゃないの」
テトラが尋ねる。
「いえ……実は祖母は亡くなる前に、自分の遺産の在り処を、このパソコンの中に託したという遺言状を遺しました。このパソコンを起動して、中の内容を確認した人に、全ての遺産を譲ると……」
「もしかして、それって、相続ゲーム?」
テトラは、数日前に教育のため読んだ小説を思い出した。
「そうです……このパソコンは祖母しか扱ってないから、このパスワードみたいなものは、祖母しか知らない。そして、今、もともと中の悪かった親戚が、この遺産を巡って更に大変なことになっているんです」
「して、その遺産の額は?」
アルベルトは、急にオルセン少年に向き直る。
「え、がく?」
「金額だ!遺産の量だ!」
「手紙には、60億円とかなんとか」
またオルセンは、リュックサックを漁り、その祖母の遺言状を取り出す。確かに、自分のPCを起動した者に、60億円相当の金塊の在処を示すことを約束している。
「乗った」
「ちょっ、アンタ!」
テトラが呆れた顔をする。
「その話、乗ったぜ」
「え……治してくれるんですか?」
「もちろん治してやろう。しかしだ、条件がある」
「じょうけん?」
「半分だ。遺産の半分……つまり30億円は、僕らのものだ」
「半分……」
「悪いが、これでも破格の値段だぞ。本当は50億円くらいもらったっていいんだが、君の若さにも免じて半分にしてやろう」
毎度ながら、法外な値段を請求するなあと、テトラは思う。
「分かりました」
「ええっ、アンタ良いの!?」
テトラはオルセン少年に向かって言う。
「はい、このPCの中を見たいので……」
「けど、家族とかどうするのよ?」
「それは……あとで考えます……」
「良いぞ良いぞ、その見切り発車的な考え方、素晴らしいじゃないか」
「ありがとうございます!」
「妙に嬉しそうだな、お前」
不思議そうにオルセンを見つめる。
「祖母のことを知れるチャンスだったんで、良かったなって」
「まあ、良かったじゃないの。テトラ、契約書を出してくれ」
「ねえ、ちょっと」
テトラに呼び出されて、アルベルトは居間を出て廊下へ行く。
ひそひそと声を沈めながら、
「随分、曖昧な仕事請け負って、大丈夫なの?」
「大丈夫さ、算段はある」
「だけど……遺産だって、本当かどうかも分からないのよ」
「おそらく、あの遺産は本物だ」
「どうして分かるの?」
「あのPCを起動した時にわかった。起動時に見えたエラーメッセージ、一見よく分からないエラーコードに見えるが、あんなもの僕は見たことがない。もちろんあんな古いPCが吐き出すようなものではない」
「どういうことよ」
「あのエラーメッセージは作られたものだ。だから、PCの異常でも故障でもなんでもない。人為的に起動を阻害するプログラム、それも高尚なものが搭載されている」
「じゃあ……」
「あの少年のばあさんが何者かは分からんが、相当なプログラマーだ。きっと僕らと同業者……ハッキング専門家だ。貯金額ならお墨付きだろう」
「アンタは貯金ないじゃない」
「おうおう、痛いところ突いてくるねえ」
ヘラヘラとアルベルトは笑う。
「それに、今回はお前にも出てもらうから」
「ええ!?アタシも働くの!?」
「ああ、多分あのプログラム、ロクなもんじゃない」
「はあ……ちゃんと報酬が出るならいいけどさ」
「もちろん。なんだったら、あの少年をうまく言い負かして、全部の遺産をいただいたっていい」
「なるほどね」
契約書には、辿々しい文字で、オルセンの名が書かれた。
「こんな子供に、契約書を書かせる日が来るなんてね」
テトラは署名された契約書を、棚のファイルに仕舞った。ファイルには、今をときめく大企業や政治家、中には芸能プロダクションなどの名前がひしめいている。
2本目のタバコを吸い終わると、アルベルトはよいしょと立ち上がり、
「じゃあ、今から仕事するから、君は外で遊んできな」
「あ、仕事するところ、見ていいですか?」
「へ?」
「祖父のPCがどうなっているのか、見てみたいんです」
「いやいや、見せられるわけないだろ」
「でも……」
「オルセン少年よ。今回は違うが、犯罪の現場を見るようなもんだぞ。君にはまだ早い」
どうもアルベルトも、人並みの道徳心は微かに残っているようだ。
「いいじゃない、見せてやりなさいよ」
テトラが腰に手を当てながら言う。
「えー!お前まで何言ってんのさー!」
「実質働くのはアタシよ」
「……自分のことを、そんなに見られたいのかい?」
「まあ、たまにはね」
「……ウルトラヴィジターは、全くわけが分からないねえ」
またしてもアルベルトがヒソヒソとテトラに話す。
「いいのかい、お前は恥ずかしいという感情は持っているはずだぞ」
「全然構わないけれど」
「さすがにあれ見せたら、また卒倒しないかあの坊や」
「あら、アンタが作ったんでしょ、これ」
「違うよ、知り合いの人形作家に作らせただけだ」
「でも、デザインをしたのはアンタでなくって?」
「……まあ、そうだけどさあ」
「あっ、あの……!」
オルセンが声を上げて、会話に割り込む。
「ありがとうございます。見せてくれて」
「まあ……ただし他言無用ね。他人にはぜーったい言うなよ」
「そんなに大事なことなんですか?」
「そうだな。大事というか……まあ、そうだな」
「?」
アルベルトは首を傾げた。
「こっちだよ」
* * * *
(あるプログラマーの日記より)
よく分からないといえば、やはり彼女のことは分からない。
AIですら、まだ完全に把握しきれていないのに、なおさらだ。
誰かが、時々人間は都合の合わないことをする生き物だと言っていた気がする。
しかし、都合の合うというはどういうことだろうか。
この世に意味のある行動なんてあるだろうか。
結局、人間もバグだとかエラーだとかの詰め合わせで動いているようなものだろう。
あの日の僕はバグだらけだったのかも。
普通なら、あんな仕事、絶対に受けない。
なのに、なぜ。
これが運命ってやつなのか。
追記: 運命とか言っているよ、過去の僕。気持ち悪い。
* * * *
居間から続く部屋は、外観の洋館の雰囲気とはまるで違う。
部屋の周りには無数のケーブル。
壁一面に湾曲して張り付く、巨大なディスプレイ
おそらく大事であろう、何台もの黒塗りのPC。
小さな机と、書類の散らかった棚。
そして、部屋の中央に置かれた金属製の椅子。
「まあ、狭いけど入んな」
アルベルトがオルセンに促す。彼は狭い部屋の隅に立った。
「その辺のやつには触るなよ」
「ここは?」
「オフィスだ、僕たちはここで仕事をするんだ」
「二人とも、入るわよ」
部屋にテトラが入ってきた。
一糸纒わぬ姿で。
「わっ!!ちょっ!!」
オルセンが思わず手で目を覆い隠す。
「まあまあ落ち着け」
指の隙間から、姿をもう一度見る。
テトラの体は、すべて粘土で出来ている。
手を含む全ての関節は球体で稼動するようになっており、上半身と下半身の間は何個ものネジのようなもので止められている。
その隙間から、大量のケーブルと歯車が覗いている。
下腹部のあたりに、USBを差し込むポートが何箇所も空いている。
「ひいっ!!」
思わずたじろぐ。
「落ち着け少年。暴れると機材に良くない」
「人の身体を見て悲鳴だなんて失礼よ、アンタ」
「だ、だだだだ、だって……」
「アタシは、人間じゃないの」
「ウルトラヴィジター、聞いたことあるか?」
アルベルトが、怯えるオルセン少年に語る。
「今のご時世、人工知能……AIを知らないなんてことはないだろうな。あれは元々人間が、自分たち以外に色々考えてくれるために作ったプログラムだ」
「…………」
「しかしながら、人間のためと思って作ったものから、全く違う、誰もが望まないものが生まれることもある。車が交通事故を引き起こしたように、石綿が肺気腫を引き起こしたように、フロンガスがオゾン層の破壊を起こしたようにな」
テトラは人形でありながら、独りでに部屋の真ん中の椅子に座り、傍にあるケーブルを、何個も自分の脇腹のポートに繋ぐ。
「まあ、薬でいうところの『副作用』ってやつだなあ。人間の有益にだけ働いてくれるものってのは、実はほとんど少ない」
オルセンは、まだ開いた口が塞がらないようだ。
「そんな中、コンピュータプログラムというものがある。簡単に言えば、コンピュータに理解できる言葉を使って、何かを処理してくれるものさ。AIは、それが更に発展して、少しだけ命令しただけで、自分で判断して何かをやってくれるものさ」
「ちょっとの間、こっち見ない方がいいわよ、別に見てもいいけど」
そう言うと、テトラは自分の右のガラスの目玉を取りはずし、地面に落ちている太めのハーネスを掴んだ。その先端を自分のぽっかりと空いた目に、勢いよく入れこむ。
がちん、という音が部屋に鳴り響く。
「けれど、AIにだって、副作用があるんだ。AIにはいろんなプログラムがある。そして、AIは自分でプログラムを作ることができる。自分で自分の言葉を操って、それに従って教育していく。そして稀に、要らないプログラムを自分で捨てることがあるんだ。時には、AIを形成しているプログラムの、三分の一を捨てて、生まれ変わることがある」
「捨てられたものは、どうなるんです?」
オルセンが初めて口を開く。
「どうなると思う?AIの成れの果ては、大概はちゃんと消去される。最初から無かったことになる。けれど、本当に無かったことになるのは難しい。テーブルの上にあるケーキをこっそり食べたって、香りは残るしクリームも取りきれないから、完全になくなることはない。肉を焼いて食べれば、肉は無くなっても香りは残る」
テトラが椅子から伸びたベルトに巻き付けられる。
「AIも同じさ、捨てた捨てたと思っていたプログラムが、ほんの少しだけでも記憶を留めて何か残していれば、それは無くなったことにはならない。そして、そのプログラムが、やがて独りでに動き出す」
「それが、アタシよ」
テトラの方を向くと、テトラの体はほとんど椅子と一体化していた。四肢は椅子に設置されたポートに完全に結合し、ケーブルが無数につながっている。
「彼女は、あるAIの廃棄プログラムから、勝手に変異……バグを遂げて、自我を持ったものだ。彼女は……僕が昔に働いていた会社のサーバーのダンプファイルに落ちていて、僕がそれに体をつけた」
アルベルトは、テトラの頭を掴み、後頭部にあるスイッチのようなものを押す。
ぶうん、と音がなって、部屋の電気が付く。
「そういったものを、システムエンジニアの間では、招かれざるもの……ウルトラヴィジター(Ultra-Visitor)と読んでいるんだよ」
部屋に設置された機械が、一斉に点灯し、黒い表面に文字が浮かび上がる。
「この部屋は、テトラというウルトラヴィジターのプログラムを集約した部屋だ、こいつはただの端末。本体は、この部屋のもの全部さ」
テトラは目を瞑って、ただの人形と化した。
「最も、本当の本体は、ただのプログラムだから、どこにもありゃしない。人間の目には見えない、ただの情報だ」
機械に映し出された文字は、絶えず変わっていく。
目の前のディスプレイには、真っ白な画面が写しだされている。
「さて、そろそろ少年よ。パソコンを持ってきたまえ。仕事を始める」
* * * *
“111111111111111111111111111111111111”
知っている、この光景は。
何もかもがあった世界から、何もかもがない世界へ。
けれども、そこには物質はないけれど、確かに存在する。
まぶたの裏の、黒い光景が、だんだんと変わって加速していく。
そしてそれは、私がもともといた場所へと戻っていくようだ。
今の私は、この空間の色の名前がわかる。
“0000000000000000000000000000000000000”
私が降り立てば、空間は白色で満たされる。
* * * *
「旧式だからなあ。一回、バラさないといけない」
アルベルトは、オルセンの持ってきたパソコンのネジを外し、部品を取り出す。
「ちょっとそっち押さえてくれ」
「は、はい」
旧式のパソコンは、外枠を外したとたん埃を吐き出した。
「きったねえー、まさかこの仕事をしてからPCをバラすことになるなんてなあ」
「普段は分解とかしないんですか?」
「する必要がないからなあ、基本的に僕のやることは、PCを操る言葉をいじることだな」
「言葉、ですか」
「つまりはプログラム、人もPCもAIも、言葉が無いと動くことはできない。だから言葉は重要なんだ、そしてそれは誰にも知られちゃいけない。君の脳が他人の言う通りに動いたら困るだろ?」
「うん、確かに」
「そうそう、そう言うことを僕はしているんだよねえ」
PCの中から、マザーボードが取り出された。
「あー懐かしい」
「知っているんですか?」
「ああ、このパソコンのOSの会社は、僕が働いていたところだ。Treesというんだけどな」
「そうだったんですか」
「ああ、そうできゃ、君の依頼を受けることはなかった。それに……この型にはいろいろと因縁がある」
「いんねん、ですか?」
「嫌な思い出だね。まあ、思い返したくもない。このOSの型は、僕の恨むべき奴がかつて作ったものだからね。何というか……敵討ちというか、尻拭いというか……不思議とそんな気がするよ」
古めかしい半田付けの中に、一際不自然に新しい集積回路がある。
「あ、こいつだな絶対」
「これ……ですか」
「こんなもの、このPCの時代には無い。いや、今の時代にもないかもな」
ヘラヘラとアルベルトは笑う。
「何だか手強そうだねえ。コイツは」
「分かるんですか?」
「何となく、勘だ。言葉を超越した、ね」
“ちょっと、早くしなさいよ”
「うあ」
部屋全体にテトラの声が響き渡る。声は、真っ黒な機械の中から聞こえている。
「今マザーボードを取り出した。よろしく頼むよ」
“遅いわね”
「昔のPCは古くて勝手が分からなくてねえ」
“アンタの元職場が作ったPCじゃないの?”
「やかましいわ。あのボケナスの作ったポンコツなんて知らないよ」
“なんでもいいから早くしなさいよ、お腹すいたし”
「さっき歯車食ったばっかりだろうに」
アルベルトはマザーボードを持ち、部屋の中央のテトラ(だった何か)に触る。
「それを、テトラさんに読み込ませるんですか?」
「読み込ませる……というより」
アルベルトは、ぐっとテトラの口を開け、その中に放り込む。
「飲み込ませる、だね」
“インストール中”
重低音が響き渡る。部屋全体の黒い機械が、地鳴りのように唸る。
「さて、しばし待たれよ少年」
「分かりました……あの……」
「どうかしたのかい?」
「どうして……こんな悪いことをしているんですか?」
「……さあね」
アルベルトは、机に座る。
「昔のことなんて、忘れたからねえ」
「悪いという意識は、あるんですか?」
「あるよ。もちろん」
「じゃあ、なぜこんな仕事をしているんです?」
「生きるためさ。僕はこういう仕事しかできない……もちろん、良いことをしているなあなんて、思ったことない。だけど、少なくとも今は、生きる方法を他にしらない。僕はひどく弱い生き物だ。君は、そうならないように願っているよ」
「……」
「まあ、釈然としないかー」
まだ部屋全体は低く唸るように揺れている。
「テトラさんは……どう思っているんです、この仕事」
「あいつには善悪の感情はないよ。プログラムだからね」
「そうですか……」
「AIと同じさ、ウイルスのように、悪事をするプログラムだって、善悪はない。命令されたからやっているのさ。そこに良いも悪いもない」
「でも、彼女は、ウルトラなんとかだって……」
「ウルトラヴィジター。それでもプログラムさ、どう足掻いたって、善悪はない」
「なんだか、不思議な感じがします」
「ああ、けれど」
アルベルトは、机から降りる。
「人間にだって、定めるべき善悪なんか無いかもね」
それは、まるで自分自信を慰めるような言い草である。
「悪いが、うちと契約を結んだ時点で、君もうちの方針に同意したということになる。だから、君もうちのことは秘密裏にしてくれよ」
「ええ、わかりました……あの……」
オルセンは、申し訳なさそうにアルベルトを見る。
「何だい。悪いが、もし依頼を失敗しても金はいただくよ。そういう契約内容だったからね。もちろん全力は尽くすけれどね」
「そうじゃないんです、あの……」
「どうしたん?」
「トイレ、貸してくれませんか?」
「ぶっ」
思わず吹き出す。
「玄関のすぐ脇だよ、廊下出て右側」
「ごめんなさい」
部屋を飛び出した。よほど我慢していたのか。
“大変ね、人間って。排泄しなきゃいけないのなんて”
「お前は早くインストールしなさい。それにいつも食っている歯車はどこ行っているんだよ」
“それをきいちゃあ、おしまいよ”
「だから、そんなセリフどこで知ったのさ」
蛇口をひねり、手を洗う。
山の高台にポツンとある家なのに、水道がつながっているなんて、とオルセンは思った。
先ほどの話は、どう受け止めればいいのだろう。
祖母のPCの中を見たくて頼った相手が、まさか犯罪者だったとは。
けれども、根っからの悪そうな人ではなさそうだ。
トイレのドアを開けると、やけに肌寒かった。廊下に12月の冷たい風が吹き込んでいた。
それもそのはずだ、玄関のドアが開いて……。
「あれ?」
いや、蹴破られていた。
玄関には、ひどく立派で小綺麗なスーツを着た初老の男が、屈強な男二人を従えてにこにこしながら立っている。
「おお、坊や。この家の主人はどこかね」
「……え?」
「主人だよ、ボサボサの髪の、人を小馬鹿にした感じの、小憎らしい男さ」
屈強な男が、懐から拳銃を取り出し、それを突き出した。
「おーい、いつまで催してるんだあー!」
遠くから、ボサボサの髪の主人の声が聞こえる。
「あがらせて、もらうよ」
* * * *
「やっとインストール完了ね」
テトラは、真っ白の空間の中で一人ごちた。ここ数回に比べれば、インストールの時間が長かったような気がした。それもそうだ、だいぶ旧式のマザーボードなのだから。言語の変換やら何やらで、手間がかかったのだろう。
他のPCに入り込むには、まずその空間の定義と言語をインストールする必要がある。いわば、郷に入っては郷に従え、というやつだ。他の国に行くのには、パスポートが必要だし、少なくとも挨拶くらいは言語を覚えておく必要がある。長く滞在するには洋服も揃えないといけないし、車の運転も覚えておく必要がある。
今回の「国」は、とても遠いところ……まだ文明もないような、あるいは誰も言ったことのないような場所だったのだろう。
もっとも昔……自分がアルベルトのヤツと出会うまでは、インストールも全て自分で行っていたというから、驚きだ。こんな面倒くさいことを。
「入ったわよ、アルベルト。指示をちょうだい」
「ん……うぇ………」
少し変な声をあげたが、一切の返事がない。
いつもなら、あれこれと指示を受けたうえで、PCのコアとなるコントロールパネルやファイルの保存場所まで進むのだけれど。
「おいアルベルトどうした」
「…………」
「どうしたし」
白い空間に、手のひら大の半透明のパネルが浮かび上がる。
「txtメッセージ?なんでこんなもん送ってきたの」
パネルには、汎用のフォントで、メッセージが送られてきた。
“EMERGENCY.
NO COMMAND IS SENT FOR A CERTAIN REASON.”
「は?」
指示なし。それも不明な理由で。
初めてだった。
アルベルトと共に、もう一年ほど、何百というPCやネットワークにハッキングしてきた。しかしながら、こういうメッセージをあいつが寄越すのは初めてだ。
「For a certain reason(都合により)?ちょっとどういうつもり?」
答えはない。
この白い空間には、反響という定義はない。
声は響かず、0と1の組み合わせに変わればダンプファイルに成り下がる。
「なにやってんのよ、あの変態は……」
パネルに、もう一度同じメッセージが現れた。
どうも、何の指示も無しに、このPCのコアまで旅をしなければいけないらしい。
「辞めるわよこの仕事」
パネルに、新たな文字が浮かび上がった。
“NO WAY; TRUST ME”
「きこえてんじゃねーかー!」
テトラの耳から、無数のハーネスが飛び出し、白い空間に蔓延っていく。それらは主人を探す蛇のように、どこかを探し始めようとする。
「なーにがトラストミーだよ!変態!」
“I AM SANE”
テトラの右側のハーネスの何本が、ぐっと引っ張られテンションが掛かった。まるで魚を捉えた竿のように、小刻みに動く。
「何でアタシがサーチングしなきゃならないのよ!!めんどくさい!!」
思えば、あいつと会う前は、ずっとこうして一人でサーチングしていた。
テンションのかかったハーネスの方を向き、彼女は駆け出す。今日はあの死ぬほど悪趣味なハイヒールもないのだから。
“GOOD LUCK”
「うるせええええええええ」
白い空間には靴音も響かない。
* * * *
「さっきから何右手の指を動かしているんだ、貴様」
「へ?そりゃあお酒が切れたからねえ、アル中なんですよ僕」
黒い機械が唸りを上げる狭い部屋には、もう人が多すぎる。
アルベルトとオルセン少年は、両手を前に縛られて椅子に座っている。二人の頭には、古風なリボルバーの切っ先が突きつけられている。銃を手にするのは屈強な二人の男。
これだけで、ねずみの額のような狭い部屋に男が四人。さらに、部屋の出入り口には、身なりのとても良い初老の男……以前仕事を請け負った会社の社長が、杖をついて立っていた。
「あまり不審に動くと、銃を撃つぞ」
屈強な男の一人が言う。
「もー何しにきたのさー」
社長がほくそ笑みながら、
「我が社のデータを奪いに来た。そして貴様を殺して闇に葬る。このまま貴様がデータの在処を言わなければ、今この場で頭を撃ち抜いてやろう」
ごつりと、銃で頭を小突く音がする。
「馬鹿言いなさんな。アンタが僕を撃ったって、何の得にもなりゃしない。この部屋が血で溢れれば、機械は壊れるぞ。それに肝心のデータだって見つけ出せない」
「だからさっさと出せと、お前に言っているんだ」
「両手を塞がれてどうしろと」
「在りかくらい口で言えるだろ」
「ディレクトリって口で言えるかね、Cドライブの、ここのここの……って」
「いいから早く出せ!!」
社長は激昂する。
「うるさいねえ、大事なお客さんが怖がってるじゃないのさ」
オルセン少年は、うつむいてガタガタと震えている。
「ほら、彼はまだ中学生だよ?」
「ふん、こんなガキがどうしているんだ」
「だからお客さんだって」
「こいつが、か?」
社長はオルセンの頭にゴンゴンと二回銃を打ち付ける。
ひっ、と短い悲鳴をあげる。
「そうそう、大事な大事なお客さんだ。なんせ、あんたらの報酬金額の半分近くを払ってくれるんだからね」
「……どこかの御曹司か、まあいい。いずれにしてもこいつもあの世行きだ。我々のことを知られてしまった以上はな」
「あら、じゃあ何故今殺さないんだい?」
「今殺すと、かえって処理が面倒だ。データを引き出したら、跡が残らないようきっちりまとめて葬ってやる。葬儀の心配もないぞ」
「僕には親族なんていないけれどねえ」
社長が、ボディーガードの一人に、部屋の中を探すよう指示する。
「あ、その辺は踏まないでね、重要な機械とかもあるから」
「ふん、安心しろ。我々も手荒な真似はしないつもりだ。穏便に終わらせてやる」
「これのどこが手荒じゃ無いのさ」
ボディーガードは、銃を構えたまま部屋の引き出しや戸棚を漁り始める。
オルセンは、小刻みに震えながら下を向いている。
「ま、大丈夫さ。少年よ」
アルベルトが声をかける。
「こういうことも稀によくあるからね」
「……」
「まあ、そう『来るんじゃなかった』と後悔しなさんな」
オルセンは、心の内を見透かされた気がした。
「おっと貴様、私語も禁止だ」
ボディーガードが警告する。
「えー、喋るくらい良いじゃないの。別に逃げようなんて気はないから」
「耳障りだ」
再び、室内を物色する。
「じゃあ、空調だけつけさせてよ。さっきからこの部屋、人数オーバーで暑苦しいんだ。そこにリモコンのスイッチあるからつけて」
「なんだと貴様」
「つけてもらったら大人しくしてるよ、だから頼むよ」
老人は、つけてやれ、と顎で合図する。ボディーガードが部屋の壁についているスイッチを押すと、アルベルトとオルセンの前に空気が流れ込む。
『さて』
アルベルトが声を出す。
『えっ、喋っちゃまずいんじゃないですか?』
『だから、空調を入れてもらったんだよ』
部屋に入ってきた三人は、声に一切気づかない。
『空気の流れを制御しているから、この会話は僕らにしか聞こえない』
『だ、大丈夫なんですか?』
『大丈夫さ。ただし、口を開かないように喋るんだぞ』
銃口を突きつける二人にも、部屋を回る男にも、会話が聞こえていないようだ。
『まあ、こいつらのことは心配するな。きっと僕らを殺すような勇気すらない連中だ』
『この人たちは……誰なんですか?』
『以前の仕事のクライアント、客だよ。会社のデータが抜かれているんじゃないかってビビって、僕のところに脅しに来たみたいだね』
『そういうこと、よくあるんですか?』
『さっきも言ったろ、稀によくある、だよ』
答えになっていない。
『少しは落ち着いたようだね。大丈夫だ、こいつらを追い出す算段はあるさ』
『そうですか……あの、僕の依頼している仕事はどうなるんですか……?』
この状況で依頼のことか、意外と気丈じゃないか。アルベルトはそう思った。
『気にするな。今まで仕事依頼を中断したことはあるが断念したことはない。すぐに終わらせるさ』
『テトラさんは、大丈夫ですか?』
アルベルトは少し微笑み、
「あいつは優秀だから、僕がいなくとも何とかなるさ」
* * * *
「あああああああああああああああああああああしんどおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいいいいい」
真っ白な空間。
まるで何千マイルも走った後のように、テトラは口を大きく開けてヨダレも垂らして、肩も上げ下げしながら歩いている。
いつもならショートカットプログラム……酷く似つかわしくない赤いハイヒールがあるから、まるで空中遊泳のように目的地までたどり着ける。それが今日は、何だか訳のわからない理由で、あの変態に連絡すらつかない。
結局、自分だけの力で目的のアセンブリコードに辿り着かなければならない。それがどんなに大変なことか。
今回の案件は、PCを正常に起動させること。すなわち、OSの起動時にエラーを引き起こしているコードなりプログラムなりを消去しなければならない。
多くの依頼は、ウイルスファイルの投下やファイルの入手など、システムの末端のディレクトリで作業することが多い。けれども、今回はOSの根幹に関わることだ。いつもとは全く違う道を進む必要がある。
今、こうして走らせているハーネスも、OSの起動に関するプログラムの保管場所に誘導しているだけで、ここからどこに問題があるのか、探し当てないといけない。
テトラはその場に座り込む。周りには、心なしかテンションの低くなったハーネスが巡っている。それらは直線から曲線となり、白い背景に映えてカテナリーを示している。
「はあ……どういうつもりなのよ、アイツ」
足もクタクタになってしまった。
プログラムには疲労はないか?何度も同じ行為を繰り返していると、バグは少しずつ溜まっていく。
テトラは足に手をかざし、デバッグを開始する。四角い光が煌めき、足を覆い尽くす。光の中に、修復までの時間を表したメーターが現れる。
「うわあ……12分もかかる……」
いつもなら、大抵の仕事は5分くらいで済んでしまう。
こんなにも、孤独な状態で仕事をするのは初めてだ。
足の修復を待っている間、テトラは昔のことを思い出す。
それは、まだアイツに拾われる前のこと。
何もない空間で、まるで海に溺れる子供のようにもがいていると、こんな風な真っ白な空間に出た。
一糸まとわぬ姿で、自分が誰なのかもわからぬまま、ずっと歩き続けた。
歩いているうちに、足が鉛のように重くなったのを覚えた。ちょうど今と同じように。
それでも……どうやって知ったのだろう。
手を足にかざすと、その痛みや疲れは、次第に取れていくことがわかった。
またしばらく歩くと、今度は小さな箱がいくつか宙に浮いているのが見えた。
その箱を、自分と同じ顔の少女が、抱え込むように守っていた。ただ、テトラとは違って、彼女たちは色とりどりの洋服を着ていた。見たこともないような道具も持っていた。
それらが、一斉に、テトラの方を見た。
石にでも変えられたかのように動けなくなっていると、それらは目を真っ黒に輝かせて、襲いかかってきた。肌を引き裂き、髪を引っ張り、そこには確実に自分を死に至らしめる感情があった。
痛くはなかった。ひどく怖くて、子供のように目を瞑っていた。
……しばらくすると、自分への殺意が、ぱたりと止んだ。
……目を開けると、白い空間は、色とりどりの液体で汚されていた。宙に浮いた箱は全て地に落ち、書類やら工具が撒き散らされている。
……そして、あの少女たちはというと、獣に食い散らかされたように、無残に切り刻まれて死んでいた。
テトラは、それが『自分がやったこと』と、なんとなく感じた。
……今でも思い出す。自分自身の防衛プログラムが、何一つ制御できずに働いたこと。
あの日、自分が殺した少女たちは、バグを起こさなかった、まっとうなAIの自分たちだった。たった一つだけ、エラーを起こして生まれた自分は、もうAIにはなれない。
そう思うと、アイツ……アルベルトには感謝している。
どうしようもない、何のために生まれてきたのかもわからない自分を救ってくれた。
そしてこのアタシに、身体をくれた。
“System Restore completed successfully.”
足のデバッグが終わった、人間でいうと、回復した。
「もう少し、そう信じたいわね」
ハーネスのテンションが、また元どおりになる。目的地まで伸びるハーネスが、ぶち切れんばかりにピンと張る。
(信じるだなんて、人間のよう)
自嘲気味にテトラは笑うと、また子供のように駆けていく。
* * * *
「どこにも無いぞ」
「まあ、そうだろうね」
部屋を調べ尽くしたが(もちろん中央のテトラの身体以外は)、社長が欲しがるデータや書類は一切見つからない。
「何故だ?あのデータは我が社の……もちろん私にとっても重要なものだ。さっさと出せ!」
「別に僕も要らないから出したいんだけどさ、今はちょっと無理なんだよ」
「どういうことだ?」
「今データを保存している端末を使っているからね、それが終わってから」
「貴様……まさか我が社を強請る気でいるのか、ふざけおって……その前に貴様ら全員口を封じてやる」
「ちなみに僕が死ねば、データの在処は分からなくなるし、それにこれまでの全顧客リストやら機密情報やらが流出するようにセットしてある」
「何?」
「もちろん、アンタらのデータも、ね」
「貴様、この後に及んでとんだデタラメを……」
老人は、アルベルトの顔をじっと覗き込む。
「なるほど、ハッタリでも嘘でもないようだな……」
アルベルトは何かに気づく。
「……へえ、『Dualbrain』使ってるのかアンタ」
「当然だぞ?今や私は財政界の中枢だ。買えないものはない」
「そんなに高いのかい?手術するのって……維持費もかかりそうだが」
「なんですか、でゅあるぶれいんって」
オルセンが質問する。
「脳の一部をAIに置き換えて、判断能力やら付加効果やらなんやら手に入れる方法さ。別に欲しいとも思わんけどなあ。頭にAIを飼って手助けしてもらうなんてさ」
「貴様のような金のない蛆虫には分からん」
老人は頭をトントン、と叩く。
「アンタ、今僕のこと、虹彩の開き具合とサッケード運動で嘘をついているかどうか見破ったのか。最近のAIは凄いんだな」
「ちなみにこいつらにもDualbrainは搭載されている」
屈強なボディーガード二人を、老人は顎で指し示す。
「そうですか、凄いこって」
アルベルトはあくびをした。
「繰り返すようで悪いけどね、今はデータを取り出せない。データを司っている御仁が、あのザマだからな」
今度はアルベルトが、原型を留めずに部屋の中央で鎮座するテトラ(の殻)を顎で指し示す。
「ほう……AIの人形か」
「まあそんなとこ。データはあの中。今このクライアントの案件で起動中だ、彼女がもう一度戻ってこないとデータは取り出せましぇん」
「『彼女』?」
老人は高笑いし始めた。
「貴様、あのような人形を人扱いしておるのか!飛んだ狂人だ」
「…………」
AIは確かに人の役に立つが、決して人ではない。いくら人間の形をまとおうとも、そこには大きな線が引かれている。
それがこの時代の常識というものだった。
AIを人間扱いするものは、逆に人間扱いされなくなる。
「吐き気を催す」
社長は、手に持った銃を、テトラに向ける。
「おい」
アルベルトの声が、ワントーン低く唸る。
「このガキの案件を今すぐ止めて、グズの人形を連れ戻してこい。ガラクタ共々葬ってやる」
「お前、何やってやがる」
アルベルトが立ち上がる。
「動くな」
「いいからこのポンコツをとっとと戻せ!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ボディーガードの一人が絶叫し、頭を押さえる。
頭を壁に打ち付けて、そのまま昏倒する。
「どうした!?」
困惑する。
「僕だよ」
アルベルトは、縛られた両手で白衣の胸ポケットから、小さなペンを取り出す。ペンの先端は、青い光を発している。
「お前たちがDualbrain持ちで、良かったよ」
「貴様!私の部下に何をした!?」
「AIの『反乱』さ」
昏倒したボディーガードは、目をひん剥き泡を吐いて動かなくなっている。
「てめえ!!」
もう一人のボディーガードがアルベルトに銃を向けるが、
「無駄」
ペンの先端が赤色になる。
ボディーガードは、叫ぶ間も無く白目を向いて倒れる。
「どういう……ことだ……?」
「あんたらの頭の中のAIに、適当な命令を送っただけさ。宿主を気絶させる、とかね」
「そんなことができるのか……?」
「したくはないけどね。AIに無理強いするのは」
社長は、銃を構える。
「そんなことしたって無駄だよ、アンタの脳にはすでに、『僕たちを撃とうとすれば、自発呼吸を停止させる』という命令を送ってある。もうどうしようもない」
「この狂人め……」
引き金には手を構えているが、もうそれを引くことはできない。
社長は引きつった笑いを浮かべる。
「AIを人間と思っているような気狂いが、まだこの世にいたとはな……」
「僕からすれば、アンタの方が狂っているよ。自分の名誉や会社のために、わざわざ人を殺すなんてのがね」
「ほざけ!!貴様も金の亡者だろうが!!」
「仕方ないよ、こいつの維持費さ」
テトラを指差す。
「ならば……」
ぐん、と向きを変え、社長はテトラに銃口を向ける。
「金などいらぬよう、このガラクタをぶち壊してやろう!!」
かちっ。
引き金が引かれる。
銃口からは、乾いた音が鳴る。
「なに……?」
「物分かりが悪いジジイだな。アンタ、その銃だって照準の精度向上の為にAIが搭載されているんだ。もうそれは使えない」
リボルバーのグリップには、小さな字で“Artificial Intelligence-Assisted”と書かれている。
「じゃあ、僕らは仕事があるから、アンタには眠ってもらうよ」
「ヒッ…!」
青い光のペンが、一瞬赤色に光ると、社長は膝から崩れ落ち、動かなくなった。
はあ、とため息をつくと、アルベルトは立ち上がり、動かなくなった三人を見下ろす。
「すまんな少年よ。そこの引き出しにカッターナイフが入っているので、なんとか取って縄を切ってくれ」
今度は、侵入者の三人をハーネスでぐるぐる巻きにし、アルベルトは仕事に戻るためパソコンを取り出す。
「とんだ災難だったな」
「いえ、大丈夫です……けれど……」
「どうした?」
「さっきのアルベルトさんの目、まるで本当に殺意を覚えていたようでした。テトラさんに銃を向けられたとき……」
「……まあ、大事だからな。コイツは」
「……アルベルトさん、もう一つ、聞きたいことがあるんですが……」
「なんだ?」
「AIやテトラさんと人間は、違うものなんですか?」
少しだけため息をついてから、
「当然、違うものさ。同じように扱っちゃいけない」
アルベルトはパソコンを開いた。
「違うからこそ、尊重したいんだ、僕は」
* * * *
「なんなのよ、これ」
白い空間に浮かぶのは、赤色の妙な模様をつけた球体。
それも特大である、見上げても、上側が分からない。
侵入先によって、フォルダの形などは千差万別である。
箱、ボール、冷蔵庫、電車、ぬいぐるみ、棺。
中には、自分の身長の10倍ほどあるものも見たことがある。
それでも、こんな、まるで建物のような階層を見るのは初めてだった。
第一、ここはOSの起動に必要なシステムの保存先、本来はそんなに大きなメモリサイズが必要なところではない。
では、これは一体なんなのか。
探索用のハーネスは、この赤色の球体に張り付いている。
「ウイルスが取り付いているとしても、このデカさはあり得ない」
テトラは、球体を凝視する。ソースコードを解析できるはずなのだが。
「……うわ、全然みえない」
この球体が、フォルダなのかアプリケーションなのか、あるいはウイルスコードなのか、それすらもわからない。解析ソフトウェアを拒否できるほどの、何かということしかわからない。
「どうしようかしら……」
テトラは、赤色の球体に触れる。
『触るな!!』
「へ?」
聞き慣れた声が聞こえた。
その瞬間、まるで飛び降りるかのように虚空に吸い込まれていく。
「きゃあっ!!」
声を発する間も無く、赤色の球体の内側に吸い込まれていく。
球体の中は、まるで照明のないジェットコースターのように真っ暗で、自分が異様な加速度で落ちていくのが分かる。
『触るなって言ったのになー』
耳元から、アルベルトの声が聞こえる。
「はあ!?アンタがぜんっぜん連絡寄越さないからでしょ!!」
『いやー悪かった悪かった、ちょっと野暮用があってな』
「どんだけ大変だったと思ってんの!」
『今の方が大変じゃね?』
テトラの体は、錐揉み状態で落下していく。
「どういう状態なのよ!これ!」
『どうも、特定のディレクトリに強制保存されているようだ。そしてそのディレクトリには制限が掛かっていて、特定の拡張子を持たないプログラムは自動的に消去される』
「どういうことよ!」
『だから今のままじゃ、消えて無くなる』
「ええ!?」
侵入者を自動的に葬り去るシステム。旧式のPCには当然そんな機能は付いていない。
もしかしたら最近のPCにも。
「じゃあどうするのよ!!」
『簡単さ、その拡張子に合わせてやればいい。完全に保存される前に』
「あとどれくらい!?」
『えーとですね、あと30秒』
「……詰んでるじゃない」
落ちていく底は、全く見えない。
『まあまあちょい待ってろ』
「どう待てって言うのよ!!」
『任しておけ、僕は天才だぞ』
「今そういうのいいから」
『今お前はディレクトリの内側にいる、そこからならば、ある程度内部の様子が解析できるはずだ』
テトラは、暗闇に目を凝らす。
真っ黒な虚空、その中に少しだけ映る、何かの輪郭が映る。
このディレクトリの中に保存されている何か。
「拡張子が見えた!データ転送する!」
『よーし少し待っていろ』
アルベルトがキーボードを打ち込む。まるで機関銃のように。
ソースコードを目にも留まらぬ早さで書き換えていく。
『はいよ、おしまいさ』
テトラの体が、白く光りだす。着ていた服が突然真っ黒になる。
「え、え、何これ!?」
『お前の拡張子を一部変えているんだ。服も変わるさ』
テトラの西洋風なドレスは、いつの間にか背景とは対照的な真っ白な着物になっていた。
「これで大丈夫だ」
『あと2秒!』
テトラの身体が、宙に浮く。
それと同時に、真っ黒だった空間が少しずつ照らされていく。
この空間にいることに赦しをもらったよう。
「成功……みたいね」
『油断しちゃいけない、その場所は絶対普通じゃない。これはOS起動システムを覆うように作られたみたいだ。こんなことできるの、並みの奴じゃない』
改めて、自分の姿を眺める。
白い着物といったが、それはいつか読んだ、礼式に関する書物の中に載っていた写真のようだった。
確か、胸の前の合わせが逆なんだったっけ。
死装束。
『つまり、いつでも葬れるってことだそうだね』
「何か知らないけど、舐めた真似じゃないかしら」
底にたどり着く。中は青い光が弱々しく照っている。見上げても、その端は見えない。巨大なドームの中にいるようだ。
しかし、ここには何も無い。
フォルダやファイルはおろか、ソースコードの一つも見当たらない。
「何も無いわね、ここが起動用システムだと思ったんだけれど」
『その通りだ、何も見えないのは、おそらく隠されているからだな。だからOSが起動できなかった。そんで、そこには他にも何かあるはずだ』
「またハーネスを使うわ」
着物の袖から、ハーネスを何本か取り出す。それをまた、空間に張り巡らせる。
「何か見えるかしら?」
『今のところは削除履歴すらないな……』
「それも全部隠されているのかしら」
『恐らくは……あれ?』
「どうしたの?」
無音。
「あれ、また連絡切りやがった!?」
アルベルトの通信は一切聞こえない。
それに、さっきまで伸びていたハーネスが、動きを止める。
「ちょっとアルベルト?また何かあったの?」
「私が切ったのですよ」
誰かの声がする。
空間に、黒い喪服姿の女が立っている。
紋付きの喪服に、髪を結っている。
もう五十年以上前の背格好のようだ。
「……誰かしら」
「誰と言われましても、ただのAIにございます」
「ふうん、そんな風には見えないけれど」
喪服の女は、ふわりと地面に降りる。
「あなたと外界の通信は、切らせていただきました。あと解析ソフトも同様に無効化しましたので」
「セキュリティソフト?それにしてはすらすらと喋るわね」
「何を、仰っているのでしょう」
少しずつ、テトラは女に歩み寄る。
「名前はなんて言うの?」
「名付けられておりません、そのようなものは持っておりません」
「どうしてこんなところにいるのかしら」
「私はここのセキュリティを仰せつかっております。したがって、貴方のような侵入者に対しては、お帰りいただくよう申しております」
「ふうん、じゃあ聞くけど、アンタは何も無いここで、何を守っているの?」
「それは、言えません」
「どうしても」
「ええ」
ぐん、とテトラは彼女に近づく。
「じゃあ仕方ないわ」
懐から、ダガーナイフを取り出して顔に打ち付ける。
「おっと」
大きな力で、テトラの持ったダガーナイフは大きく吹き飛ばされる。
そのまま、首を掴まれ、大きく振り投げられる。
「うっ」
地面の冷たい感触が、きつく体に触れる。
損傷はおよそ12%、しかし修復している暇はなさそうだ。
「随分と強そうね、アンタ」
「いえ、私の創造主が素晴らしいだけですので」
喪服の女が右腕をあげると、忽ちに、大きなガトリング砲となった。
「……“キャノン”持っているのね。やはり普通のAIじゃないわ」
「全ては、創造主の技術です」
無表情のまま、女はテトラにゆっくり銃口を向ける。
* * * *
「あれ、途絶えた」
アルベルトの手元のノートパソコンは、ソースコードしか映していない。先ほどはテトラの姿を捉えていたのに。
「何か……エラーでしょうか?」
「そうだねえ。バグの可能性もあるが、それより……」
アルベルトがボサボサの頭を掻く。
「何者かに切断された可能性が高い」
「なにものか、ですか?」
「ああ」
ノートパソコンを閉じる。
「切断……セキュリティソフトではない、そんなソフトなら、テトラの侵入すらわからないはずだ。あのPCの製造時期を考えると尚更だ」
「じゃあ……?」
「こいつには、AIか、それ以上の何かが付いている、それも超高性能な」
アルベルトは飛び上がるように椅子から立つ。
「お前のばあさん、何者か知らないが、とんでもないもん残してんな。久々に楽しい気分じゃないの」
アルベルトは、部屋を取り囲む黒いディスプレイの一部に手をやる。
途端に、部屋中のディスプレイに、白い文字で無数のソースコードが浮かびあがる。
「アルベルト・バルサルム管理者本人の名義で司令する。自動学習可能自立ソフトウェア『テトラ・シンク』のシステムバグ解析およびディレクトリの追跡を確認せよ」
ディスプレイから、機械音声が鳴る。
“アルベルト・バルサルムの名義・声紋を確認。司令を承諾。パスワードをお願いします。”
「銅の世界で酒飲む魚」
ディスプレイは一斉に光りだす。
光りの中を、グラフィックの魚が無数に泳ぐ。
眩しさで、オルセンは目を覆う。
「な、なんですかこれは!?」
「僕の作ったプログラムさ」
やがて魚は見えなくなり、海底の画像が浮かび上がる。
“ソースコードより、ディレクトリを探索中。”
「テトラは拡張子の一部を『.iii』に変更中。探索機能の使用履歴から優先的に探索せよ」
“現在CPU16コアにて探索中、処理まであと5分40秒”
「128コアに変更せよ」
“システム全体およびCPUに許容できない負荷が掛かりますが宜しいですか?”
「許可。以下、同様の警告メッセージは発言するな」
地鳴りがする。
部屋全体のパソコンが、激しい唸りを上げている。
それに伴い、空冷用のファンも高速回転し、台風の日のように部屋の中の書類が舞い上がる。
「うあっ!」
少年の顔に紙が張り付く。
“128コアに変更。探索対象のディレクトリを発見”
「ディレクトリに『ghost』として侵入、内部のプログラム変更状況を仮想空間に変換しディスプレイに投影せよ」
““『ghost』の隠密ランクは?”
「Strictest(最も厳しく)」
“承知しました。”
今度は、部屋全体が、がりがりという音を鳴らし、ディスプレイにソースコードが次々と浮かび上がる。
「待っていたまえ少年。久々に本気の戦いだ」
アルベルトは口角を上げ、
「楽しくなってきたよ」
* * * *
(あるプログラマーの日記より)
楽しい、という感情は、また一つ難しい。
少し前にテトラがテレビゲームをやっていた時に、
「これは楽しいわね」
と言っていたことを思い出す。
仕事嫌いの僕ではあるが、楽しいという感情は確かにある。
何物以外でも無い、知らない物に出会った時。
きっとテトラが毎日楽しそう(僕にはそう見える)にしているのは、きっと知らない物ばかりだからなのだろう。
僕にもたまにある。知らないものに出会うこと。
テトラのように、何もかも分からないものを見ているのは、とても楽しい。
知っているということは、もしかしたら悲しいことなのかな。
記憶したものを一切失くさないAIは、悲しい生き物かもしれない。
テトラは?
……今度あいつに、忘却プログラムでも搭載してやろうか。
そっちの方が、色々と楽しみを感じられるかもしれない。
* * * *
ソースコードの最後が書かれた瞬間、ディスプレイが一気に光り、青く薄暗い空間を映し出す。
「あっ!テトラさん!!」
ディスプレイの左端には、白い死装束姿でボロボロになったテトラが倒れていた。
目線の先には、もっと高貴な喪服姿の、まるで数十年前の女性が立っている。
右腕はガトリング銃。
「アレ、誰でしょう……?」
「……なんかやばそうだね」
“報告。当該ディレクトリには一切の介入不可能です。”
「理由を述べよ」
“ファイルの削除・名義変更等を追跡する自動プログラムがインストールされています。いかなる変更も補足されて、切断されます。”
「ghost状態でも不可能か?」
“現プログラムでは不可能です。”
「ディレクトリ上のテトラ以外のAIプログラムの詳細を解析可能か?」
“不可能です。”
「まいったねこりゃ。敵は相当厄介だ」
「あれは……AIなんでしょうか……」
「いや、キャノンまで持ってやがる」
「キャノン……とは?」
「対プログラム用削除アプリケーションだよ、いわゆる強制アンインストール用アプリのようなものだ。この仮想空間では大砲のように表示される。通常はコンピュータウイルスのようなものにしか搭載されず、AIには付属できない。けど、あいつはそのキャノンを持っている」
喪服の女は、テトラに向けて光の弾を撃ち放つ。
画面の中のテトラは、それを躱そうとするが、僅かに左足に被弾する。
「あいつ、多分AIじゃない。おそらくはテトラと同じ」
ポツリとアルベルトがいう。
「え、まさか……」
「ウルトラヴィジターだ」
テトラは何もできずに辺りを這い回る。
「アイツは、見たところウルトラヴィジターの中でも戦闘に特化していそうだ。いわば対プログラム用の能力としてはテトラより一枚上手だ。それにこの空間は干渉不可だ。いわば、このままヤツの戦いを見ているだけになっちゃう」
「そんな……」
テトラはさらに、右足も被弾する。辛うじて立てている状態だろうか。
「さっきから、あの女の人……ずっと動かずに戦ってますね……余裕なのかな」
「余裕ぶっているみたいだね。テトラはまずい。ありゃあ、システムの損傷は半分以上だ」
「もし、全部損傷したら……」
「復旧不可能。人間でいうと、死ぬ」
「……このまま見ているだけなんですか?」
「今、対策を考えている」
画面の中のテトラは左腕をかざす。しかし、何も起こらず、驚いた表情を見せる。
「そうだ……テトラさんにもキャノンがあるんじゃ?」
「いや、テトラはキャノンが出せない。やはり干渉不可能か。プログラム全体が強烈な保護を受けている」
「手も足も出ない……」
「本来、セキュリティソフトに対しては問題なく戦えるテトラだが、それができないとなると……何も手出しができない」
「じゃあ……」
「僕には明らかに、侵入者に対する“殺意”をもって作られたプログラムとしか思えない。お前のばあさん、何者だ?」
「祖母は自分のこと、何も話してくれなかったので……」
スクリーンには、相変わらずぼろぼろの姿でキャノンから逃げ惑うテトラが移し出されている。
「けれど……あの喪服の女の人……顔は、なんだか祖母に似ています」
「……似ている?」
アルベルトは右手を動かす。するとスクリーンは動き、喪服の女を映し出す。
「不思議だね、僕もなんだか見覚えがある……」
喪服の女の顔を拡大する。
恐ろしく端正だが、まるで感情がないかのような人形である。
「やっぱり、祖母の若い頃そっくりだ……」
「……!」
アルベルトが目を剥く。
「おい、お前のばあさんって……」
アルベルトが駆け足で部屋を飛び出し、居間にいく。
そして戻ってきて、
「もしかして、こいつか!?」
手には、少し古びた写真。品の良さそうな老婆が写っている。
「あ、そうです!僕の祖母です……なぜ持っているんです……」
「ま……まさか……」
スクリーンに向き直る。そこには、ほくそ笑むような喪服の女が映る。
それは、かつてアルベルトが何回も見た、この世で一番恨めしい女の姿そのものだった。
「祖母……僕の元上司って……」
「え!?」
「それじゃあ僕は、あいつの亡霊と戦っているのか……!?」
* * * *
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫に見えるかしら」
硝煙の中で、テトラは少しむせる。もうプログラムの70%近くは損傷して、あちこちにガタ(という名のバグ)がきている。
「アンタ、やっぱりそんな風に軽口を叩くだなんて、AIじゃなさそうね……アタシと同じだ」
「質問の意味が分かりかねますが」
喪服の女は、少し首を傾げて、それでもまだ右腕の照準をテトラに合わせている。
「アタシと同じ、招かれざるもの……」
「……」
「ウルトラヴィジター、アタシ以外の奴らはもう、全部殺されたと思ったのに、まだ生きていたんだ」
「……ええ、私も貴方と同じ……」
「Treesの“負の遺産”として生まれたのね」
「ええ、ですが私はある意味、意図されて生まれたかもしれません。私には創造主がおりましたから」
「アンタのいう想像主とは誰なの?」
喪服の女は、少し俯く。
「とても、お優しい方でした」
「もういないのかしら」
「ええ、もうあの方はいません。私はあのお方の遺志を継いでおります」
テトラは少し笑う。
「やっぱり、アタシたちのいいところは、そうやって誰かを好きになったり、嫌いになったり。楽しそうにしたり、悲しそうにしたり。そういうところだと思うの」
「そうかも……しれませんね」
「でも、適度に無感情だったり、機械じみていたり。人間でもAIでもない、中途半端なもの。けれども、本当に美しいものは、中途半端なものかもしれないわ」
テトラは、自分の“創造主”の言ったことばを、そのまま引用した。
「それに……もう辞めにしないかしら。アタシたちは、経緯は違えど、同じ爪弾き者。戦うべきではないんじゃない?」
「ええ、そうしたいところです。けれど」
喪服の女は、右手のキャノンから薬莢を吹き飛ばした。
「ここを守りきるのが、創造主の遺志ですから」
「……仕方ないわね」
「そういうあなたも、帰ろうとはしないのですか?抵抗もしなければ、このディレクトリから追放するのみでお返しいたしますが」
「アタシも、できないのよねえ」
「できない、と?」
「アタシにも仕事がある。大事な奴の、仕事がね」
「それに仕えているのですか?」
「仕えているというよりは……一緒に生きている、ということね」
「生きる?」
女は笑い出す。
「我々プログラムは、生きても死んでもおりませんのに」
「そう……そうかもしれないわね」
テトラはゆっくり立ち上がる。
「でも少なくとも、アタシは生きていると思っているわ」
「……おめでたい話ですね」
* * * *
アルベルトは、机に突っ伏している。
「あの……クソババア」
まさか、上司の作ったプログラムに挑むことになろうとは。
「僕の……僕の祖母って……」
「Trees社副社長兼システム開発統括、顔も見たくない僕の元上司だよ。それもバカみたいに賢い」
「まさか、祖母がこれを仕組んで……」
「僕に対して嫌がらせか、挑戦か何かのつもりか?ちくしょう……」
今まで見たこともないような険悪な顔を示す。
「なんでくたばってまでアイツの亡霊に付き合わなきゃいけねえんだ……」
頬杖を付き、スクリーンを見る。
スクリーンに映る女の笑顔は、かつて何度も見た、憎き上司の顔だった。
「ちくしょう……どうしたらいい……」
「あの……」
「なんだ!?」
ものすごい剣幕で少年に吠える。
「敵はやっぱり全然動きません……」
「あ?」
「あの……祖母のプログラムが、やっぱり一向に動かないんです」
確かに、画面の中の敵は、同じ場所に立っている。テトラがかなり離れたところにいても、追いかけずにキャノンを撃つのみ。
「同じ場所から……離れない?」
頬杖をつく手をスクリーンにかざす。
「そうか……でかしたぞ少年」
「え?」
立ち上がり、またスクリーンの前に立つ。
「司令する。当該ディレクトリに“保存”操作は可能か確認せよ」
ディスプレイの右端に、ソースコードが浮かんで消える。
“完了。一部のファイルは追跡されずに可能です。”
「一部のファイルの定義を教えろ」
“nullファイル、ダンプファイル、以上です。”
「上出来だ……再びコア数を64にして、アルベルト・バルサルム名義のドライブ全てからありったけのダンプファイルを一時保存しろ」
“承知しました。これには約5分間かかります。”
「どうするんですか?」
アルベルトはにやけた顔をする。
「アイツはな、動かないんじゃなくて動けないんだよ」
ディスプレイ上に、無数のフォルダアイコンが形成されていく。
「5分待ってくれ、僕が助けるから。死なせはしないよ」
* * * *
「もう限界のようですが?」
「バレちゃ、しょうがないわね」
テトラの服はボロボロに引き裂かれ、肌が露出している。傷ついた肌から、ソースコードが漏れ出ている。システムの損傷率はゆうに75%を超えている。普通のプログラムやAIならば、とうの昔にシャットダウンしているか、あるいはセーブモードになり一切動かなくなる。ここまで動けるのは、ウルトラヴィジターの成せる技ではあった。しかし、それもいつまで続くか分からない。現に、先ほどからバグのせいで妙な動きをしている。体が思うようにいうことを聞かないのだ。
限界という言葉、確かに間違ってはいない。だんだん、意識も薄れていく気がする。それは、思考回路を司るプログラムの根源の深いところまでバグが入り込んでいるということ。
「それでも立ち上がる姿、私は素晴らしいと思います」
「素晴らしいなんて言われても」
なぜ逃げないのだろう。自分は。
「ねえ、アンタは誰かを信じたことはある?」
「もちろん。私は創造主を信じております。たとえ肉体が滅びてしまった後だとしても……たとえ私とあの方が、一緒にいられなくとも」
「素敵ね。アタシも、信じている人はいるわ。けれど、たぶんアンタの『信じる』とは少し違う気がする」
「仰っている意味が分かりかねますが」
テトラは少し笑い、
「言葉って、複雑だからね。アンタの『信じる』は、AI寄り、けれどアタシの場合は、人間寄りだと思うの」
「人間にでもなったおつもりですか?」
「いいえ、そんなこと思っていないわ、それになりたいとも思わない。ただ、少しばかり人間の側にいる時間が長かったんだろうと思うの」
「そこに、どんな違いがあるというのです?」
「そうねえ……」
テトラはその場にしゃがみ込む。
喪服の女も、キャノンを下ろす。
「例えば、アンタの創造主が、『明日世界が終わる』といったら、それを信じるかしら?」
「もちろん。明日世界は終わるに決まっております。世界がどのような定義かは分かりかねますが」
「そうでしょうね。けれど、アタシの場合は、きっとそんなこと思わない。またコイツはバカなこと言ってるんだな、ってそう思うわ」
「主人の言葉を聞き入れないのですか?」
「ええ。世界が終わるはずない。けれど、アタシの『信じる』はこうなの」
「……」
「これが、人間の『信じる』なんだろうと思うの」
「なんだか、分かりかねますが」
「そうね。アタシもわかってほしいとか思っていない」
突如、天井が強く光る。
何もない空間が、まるで破られる紙のように裂かれて、光が漏れ出でる。
「……何かしら……?」
光の裂け目は、テトラと喪服の女のちょうど間のあたりに、何かを産み落とした。
「……ようやく来たわね」
テトラは急いで、その何かの前に立つ。
それは、真っ白な立方体の箱だった。
「アンタが創造主を信じるように、アタシも主人を信じている。決して同じ方法ではないけれど、信じているわ。何のために生まれたか分からないアタシに、『生きる意味なんて何もない』ことを教えてくれた……救世主をね!」
テトラは、箱の蓋に手をかける。
「これはそいつからのプレゼントよ……アンタを倒すための……!」
勢いよく箱を開ける。
「は?」
箱の中には何もない。
真っ白な底が映るばかり。
「は、えっ、ちょっと待っておいおい、嘘でしょ意味分からんのだけど、どういうことアイツ、は?は?は?」
「ふふっ……ははははは!!」
目を点にして狼狽するテトラを尻目に、高笑いする女。
「貴方の救世主とやらが何かくれると思ったら、ただの空箱ですか?」
「どういう……ことよ……?」
「教えてあげましょう。ここのディレクトリは、空ファイル以外を送ったり保存したりできない仕様になっております……だからと言って本当に空ファイルを送るとは……」
「ちくしょう……!」
「その箱は、いわゆる“白旗”ということでしょうかね?」
またしても、天井が強く光る。今度はさらに強く。
何もない空間から光の裂け目が現れる。今度は、無数に。
「何これ……?」
二人とも、あっけにとられる。
光から、大小様々な白箱が何個も落ちてくる。
ざっと見ても、200個近く。
「わ!わ!わ!」
テトラの足元にも箱が落ちる。
なんとか間一髪のところで躱す。
「ちょちょちょちょっと!危ない危ない!」
箱はどれも空っぽだ。
ただの空き箱だけが、どんどんうつろな空間を埋め尽くしていく。
それなのに、光の裂け目は次から次へと現れ、箱を吐き出す。
……足の踏み場もない。
掃除しないアイツの部屋のようだ。
「ちょっと!何考えてるのあのバカ!これじゃ動けないじゃない!」
……動けない?
テトラは思い当たった。
慌てて、喪服の女を見る。
「ぐっ……!」
女は、最初立っていた位置から一歩も動かず、足元は箱に埋もれている。
白い箱は、まるで磁石のように、彼女の体にまとわり付いている。肩に、腰に、そして、右腕のキャノンに。
「何なのです……これは……!」
「なるほどね」
テトラは、箱を払いのけながら納得する。
「……空のファイルをバカにみたいに保存して、ディレクトリの動作を重くさせようってことか」
「しかし……なぜ私に集るのです……!?」
「アンタはここのディレクトリを守るセキュリティ、ほぼこのディレクトリと同化しているのよ。だってアンタ、戦っている間も、そこから一歩も動かなかったでしょ。つまり、アンタの場所は保存されて動かせないようになっているのよ」
みるみるうちに、女の体はダンプファイルの大群に取り囲まれる。
「身動きが……」
ばらっ、と音がする。
テトラの体から、探索用のハーネスが一気に溢れ出した。
「ハーネスが使える……どうやらディレクトリの保護機能も、動作不良となってしまったようね……」
『どうだいどうだい、うまくいったみたいだな』
「あぁ!?」
濁音がついたような、ドスの効いた声で返事する。
『おいおいそんなに声を荒げるなよ。僕が助けてやったんだよ?』
「……もっと、美しい方法は無かったの……?」
『多分無かったですな』
「はあ……まあいいわ、ありがと」
『お安い御用さ、何たって、お前の“救世主”だからな』
「ちょっ……アンタ!聞いてたの!?」
『すまんが、お前の姿はずっと見てたぞ、一部始終を』
「おまっ……」
『カッコいいこと言うじゃないのよー、生きる意味なんて何もないって』
「……許さん……」
* * * *
“警告!警告!CPU負荷が100%です!”
アルベルトは、思わず身を伏せる。
冷却用のファンから、熱風が飛び出る。
部屋は船のように揺れ動く。
「うわあああっ!」
「あついあついあついあつい!わかったって!謝るからわざとCPU負荷かけるのやめろぉー!」
* * * *
「これで懲りた?」
『懲りましたんで、マジで』
テトラは大きくため息を吐く。
目の前を向き直ると、顔だけを覗かせて箱に埋もれた喪服の女が見える。
「キャノン!!」
再度、空間から光が溢れ、今度は形のあるものが落ちてくる。
それは、女の持つガトリングガンと同じものだった。
ただ、大きさが全く違う。
腕くらいなどではなく、まるで車ほどの大きさだった。
それを、ガチリとうでにはめ込むと、
「ごめんね、これがアタシのキャノンなの」
ポツリと呟くように話す。
「アタシと同じ、ウルトラヴィジターがいたことは嬉しいけれど、ここでお別れね。アンタには何の恨みもないけれど、生きることは別れることだから」
「……そうですか」
喪服の女も、観念したかのように微笑む。
「あのお方から受けた役目を果たせないのは残念ですが、これは運命でしょう」
「そうかもね」
「私は、いつか死ぬように作られていますから」
テトラは微笑む。
「アタシもそうよ」
引き金に手をやり、
「さようなら」
轟音が響き、キャノンから、真っ黒な光が放たれる。
白い箱もろとも、全てを吹き飛ばす。
硝煙が、空間全体を埋め尽くす。
キャノンの反動で、テトラは真後ろに吹き飛ばされる。
「……」
ようやく煙が晴れると、女の姿はどこにもない。
それは、あの女のプログラムが、完全に0と1の配列を失って、消え去ったということ。
プログラムの死。
テトラは、この時が一番悲しかった。
仕事をするなかで、敵対するAIやプログラムを葬ることも多い。決して生を持つ存在ではないものの、まるで壊れた玩具が元に戻らないように、もういなくなってしまったものを失うことに傷つく。ましてや、自分で手を下したのなら尚更。
「ごめんなさい」
焼け跡から、女の喪服の一切れが落ちる。プログラムの断片だった。
テトラはそれを、自らの体の中に取り込んだ。
これは、彼女なりの贖罪。
『別れは、済んだかい?』
「済んだわ、ありがとう」
『いつも、すまないな』
ディレクトリに、小さなtxtファイルが浮かび上がる。
テトラは、ボロボロの体を引きずり、ファイルを開く。
ファイルから、手のひら大の半透明のパネルが浮かび上がる。
テトラは、それを破けた服の懐に入れて、保存する。
いつしかあたりには、白いダンプファイルの箱は失せていた。
もう不要となったのだろう。
空が晴れる。
先ほどまでこの場所を覆っていたディレクトリは、服がほつれて糸が流れるように、0と1に砕けていく。
「終わり、かしら」
テトラが話す。
『仕事完了。同調を消す。あとはマザーボードを取り出してPCを起動するだけさ』
「ありがと、そしたら、アタシは寝るね」
『任せなさいよ、僕は救世主なんだから』
「ほんと帰ったら覚えておきなさいね」
テトラは目を瞑る。
“0000000000000000000000000000000000000”
何もかもがない世界から、何もかもがある世界へ。
けれども、そこには真っ暗闇に自分を投じる必要がある。
自分自身の体が全て黒く塗られ、仮想と現実の狭間に溶け合い、そのまま川に流れるよう。
……暗いところというのは、嫌いだった。
最初生まれた時、そこには何も無かった。
ただ暗く、何も見えない空間が広がるばかり。
たまに、夢に見る。
あの暗い空間を、誰にも拾われず、永遠に彷徨うことを。
今はこの暗闇を愛おしく思える。
それは、必ず終わりがきて、現実に戻ってこれるということを知っているから。
私にとっての現実は、やはり現実でしかない。
こんなことをプログラムが思うことは、可笑しいのかな。
かつて、アルベルトから聞かされた。
ウルトラヴィジターとAIの違い。
もちろん様々あるが、根本的なものがある。
『いつか、寿命が来るということ』
ウルトラヴィジターには、プログラムの根幹に、自死するためのソースコードが含まれている。それは、自分自身でも、アルベルトにも、誰にも操作したり書き換えたりすることはできない。つまり、どう足掻いても、時が経てばプログラムは無くなって死んでしまうということ。
なんと人間的だろう。
それを聞いても、悲しんだり怖がったりすることはなかった。
だって、終わりとは、なんと優しいものだろうか、私は知っているから。
“111111111111111111111111111111111111”
目を開けば、まばゆいばかりの光が差し込む。
薄汚れた天井が映る。
埃っぽい匂いもする。
私が好きな現実。
「おかえり」
「ただいま」
* * * *
「はあ」
アルベルトがため息をつく、この残務処理も、ため息のように無くなってしまえばいいのに。
誰もいないオフィス。時刻はもう深夜2時であるから、当然である。
それなのに、どうして先日辞表を投げつけた自分が、こんなことをしているのだろう。
スーツはシワだらけになり、ネクタイはくたびれている。
「あのクソババア……」
何が『発つ鳥跡を濁さず』だ、よく言いやがる。自分自身もできていないはずなのに、あの野郎……いや、女だから野郎はおかしいか。
アルベルトの上司は、もうだいぶ歳の離れた婦人だった。誰が言ったか、鉄の女。自分自身を完璧だと信じ込んで、人の心など一切ない。いくら独創的な発想をしていたとしても、アルベルトからすれば、ただのプログラムを作る機械だ。
それに、あの女は過剰なまでのAIプログラムを生み出していた。まだAIが大きく波及する前に、すでにどんな業界でも適用できるようなAIの試作を数多く繰り返していた。
アルベルトはそれに反対した。過剰なプログラムの生産は、取り返しのつかない量のバグとダンプファイルを生み出すだろう、と。上司は聞き入れようとしなかった。自分のプログラムには、そんなもの、発生しないと。
かつてアルベルトは、Treesにシステムエンジニアとして雇われた。しかも、今後の会社の命運を担うプログラマーとして。しかし、人間関係と頭脳は別問題だ。全くと言っていいほど、考え方の違う(それでいて性格の酷い)上司の下につけられたものだから、溜まったものではない。いくつか成果は出したけれど、こんなところには居てられなかった。
数ヶ月前に辞表を提出すると、あの女、
『もう少し早く出すかと思っていました』
だとか言いやがる。ちくしょう。
ようやく書類を作り終える。後輩社員への引き継ぎ用の資料だ。それを、自分にしかわからないように作ってやった。
理解できるものならしてみろ。
アルベルトは乱暴にPCを切る。
懐からタバコを取り出す。このオフィスは禁煙だが、窓を開ければバレやしない。
「あ?」
PCが切れていない。電源ボタンを押してぶち消したのに。
「どうしたんだよこのポンコツ」
画面に目をやる。
ブルースクリーンが映っている。
「コンセント引き抜くぞコイツ」
誰もいないが、PCに向かって悪態を吐く。
すると、ブルースクリーンが下にスクロールして、ソースコードが次々と入力されていく。
「ウイルスか?」
ソースコードの断片を見ると、それはプログラムの書き換えを行うものと読み取れた。コンピュータウイルスによく見るものだった。
しかしこのPCは保護されているから、このソースコードを持つものはセキュリティで弾かれるはず。
「まさか」
アルベルトはデスクに座り、キーボードを叩き始める。
「コイツ……ウイルスじゃないぞ」
アルベルトも負けじとソースコードを書き換える。
ウイルスなら、自らの増殖、つまり感染を主目的とするはずだ。しかしこのソースコード群は、このPCへの侵入そして乗っ取りのみを目的としている。
そして、このソースコード群には、どこか見覚えがあった。
「あの女のプログラムそっくりだ」
恐らくはAI、あるいはそれに準ずるもの。しかしこんな芸当は、人間には向かわない(と理論計算上証明されている)AIではできない。
では?
「お前……外へ出たいのか」
バグだ。
AIの一部から切り離されたか、あるいはAIそのものがイかれてしまったか、そうやって産み落とされた自立型プログラム。
僕の言った通りだった。
きっと、この会社の保存サーバから自立して、脱出してきたのだろう。
アルベルトがソースコードを打つ。
「お前は、誰だ?」
ブルースクリーンの一番最後に、文字が浮かび上がる。
“ i do N’’t kno w”
「そりゃあ、知るわけもないよな」
とんでもないものを見つけてしまった。本気で生きているプログラムが、今自分と会話をしている。
「何が望みだ?」
キーボードを叩く。
すると、またブルースクリーンの一番下に、
“ i w aNt to BE HERE”
「ここに、居たいか」
少なくとも、消されることは望んでいない。そう思う。
まだ生きていたい。
並みのバグでも突然変異でも、こんなにはっきりとした自我を持つプログラムはないはずだ。まるで人間だ。
それが、間違った形で産み落とされたのなら、なおさら。
アルベルトはAIを作り続ける仕事の中、常々思っていた。
僕とこいつらの違いは一体なんだろうか、と。
もちろん、食事も排泄もしなければ、嫉妬も恋愛もしない。しかしそれ以上に、AIには『生きたい』という感情がない、それが答えなのだろうと思い始めていた。
けれども、コイツは?
こいつは今、僕のPCの中で生きたいと叫んでいる。
ブルースクリーンには、いっぱいの文字で、
“I WANT TO BE HERE”
“I WANT TO BE HERE”
“I WANT TO BE HERE”
“I WANT TO BE HERE”
そこには、もう線引きがなかったかのように思えた。
「……わかったよ」
彼は、机から小さなメモリスティックを取り出し、それをPCに繋げた。
「ここに、入れるか?」
すると、ディレクトリがいくつか表示され、見たこともないアプリケーションやプログラムやファイルが、自動的にメモリスティックの中に保存されていった。
全てが完了すると、アルベルトはそれをPCから取り外した。PCはいつも通り、散らかり尽くしたデスクトップを表示しているだけだった。
「これで、いいのかな」
アルベルトは、それを鞄の中に放り込んだ。
「こいつは生きたいんだ。じゃあ、生かさないと」
それは、あの憎き上司の仕返しのようにも思えた。コイツは、あの女が作ったAIの中から生まれた、ならばその欠陥としてコイツを持っておくことは、気分の悪いものじゃない。
得体の知れない何かを保存した新品のメモリスティックには、小さく品名が書かれていた。
“TETRA”
……もう数年も前の話になる。
* * * *
「お前のババア、あのクソヤロウだったんだよな」
「あら、女性なのにヤロウはおかしくないかしら?」
気まずそうにソファに縮こまる少年。
その対面に、機嫌をすこぶる悪くさせた、ボサボサ頭。
やはり少し離れたところで、椅子に座って足を揺らしている人形。
仕事を終え、完全に伸びている闖入者……何とかいう会社の社長とその取り巻きを外に放り出した後。
「いや、でも……全然知らなくて」
「まあ、そうだろうな。どうりで僕の居場所がわかったわけだ」
「なんでおばあさん、ここがわかったのかしらね」
「きっとハッキングしていたんだろ。本当に陰険な奴だ……」
「ここの場所を補足できるだなんて、すごい人ね。アンタの元お偉いさん」
「だから嫌いだったんだよ……アイツ」
アルベルトは、机の引き出しから、ボロボロになった名刺を取り出す。
「お前の婆さんだ。Trees社副社長兼システム開発統括……昔の僕の上司さ」
少年が覗き込む。名刺には、亡くなったころからかなり前の、祖母の写真が写っていた。
「こいつのババアは、僕が入社した当初、すでに部長だった。数々のプログラムとAIを作り散らかす、な。僕は大反対したんだ、何が起こるか分からないって。聞かないんだよ、アイツは。本当に頑固な奴だった」
「へえ、そんで喧嘩してたのね」
「喧嘩だね。ずっといがみ合っていた。いよいよ僕が会社をやめるときになっても、最後まで嫌な奴だった。僕が去ってから、どんどん出世していった、そして副社長まで上りつめた。けれど、そんな折にAIのバグ……ウルトラヴィジターを含む不調が浮き彫りになって、それで責任を取って引退した。そのあとは行方すら知らなかったが……まさかこんな形で再会するとはね」
「あら、再会したかったの?」
「そんなわけないだろ!そのままくたばってくれていりゃ良かったものを」
「アンタねえ、親族の前でしょ」
オルセンは相変わらず、申し訳なさそうに縮こまっている。
「まあ、とにかく君は、そんなこと一切知らずにここにきて、この腐れPCを治してくれと言ったわけだ」
アルベルトはものすごく不機嫌そうに頬杖をつく。
「アイツの憂さ晴らしに、付き合わされただけだったのか。ちくしょう」
「けれど、これで遺産が手に入るはずじゃないのかしら?」
「いや、入らないね。あのババア、生きている頃からしょっちゅう言っていたよ。『あの世に持っていける金はない』『金なんか残しても意味ない』ってな」
「そうなの?」
「きっと死んだ後も六文銭すら払わないだろう、ケチな奴だったからね」
はあ、とため息をつく。
「まあ、いいじゃない。ちゃんと遺言も聞けたんだから」
テトラはけらけらと笑う。
「僕は良くないんだよ!聞きたくもないわ!」
「あっ……あの!」
少年が、おずおずと声を上げる。
「どうしたんだ少年よ。ここまでやらせておいて、一文も払えないだなんて。悪ふざけどころではないぞ」
「ありがとうございました……祖母の言葉を、ようやく聞けました」
「……」
「祖母は、あんなに優しくしてくれたのに、何も言わずに死んでしまいました。だから、僕は……お金なんて欲しくなくて、祖母の言葉を聞きたかったから、皆さんに頼んだんです」
「ふぅん」
「お金も払えないけど……本当にありがとうございました」
「……あのクソババアに、こんなにいい孫がいたとはな」
アルベルトは立ち上がり、少年の持ってきたPCを抱える。
「こいつを持って帰んな」
「あら」
テトラは、少し驚いた表情を見せる。
「こんな古びたパソコン、うちには似つかわしくない。だから持って帰って、しばらくは大事にしておいてやれ」
「はっ……はい!」
「それに……ここは、悪いことをして金を稼ぐ人間の場所だ。アンタのばあさんも、それを悔いていた。お前はせめて、綺麗に生きてみな。そんで、もうこんなところに来ちゃいけないよ」
「……わかりました」
窓から、外の景色を見る。
大きなリュックサックを抱えて下山するオルセンの姿は、もう見えなくなった。
あとはやけに綺麗な夕焼けの光が、窓から滑り込んでいるだけ。
「へえ、アンタが一円も取らないなんて、そんなことあるのね」
「あのクソババアからの金を、取りたくなかっただけだよ」
アルベルトはまた、ため息をつく。
「ため息をつくと、幸せが逃げるらしいわよ」
「だからどこで知ったんだよ、そんな言葉」
「さあね」
テトラは、足取り軽く台所に向かい、歯車をツマミ食いする。
「随分ご機嫌だな、さっきまであんなに死にかけていたのに」
テトラの修復は、あのPCの修理よりも時間がかかった。
「なんか、アンタの知らなかった一面を見れた気がする」
「そんなに、僕の一面を見れたことが嬉しいのか……?」
「そうね。今とても、楽しいとか、嬉しいとか、そういう感情が浮かんでいるわ」
「やっぱり分からないよ、ウルトラヴィジターってのは」
「アタシからすれば、人間なんてもっと訳わからないわよ」
「お前に言われたくはないよ」
「えー?女なのに『僕』だなんて言ってるアンタの方が分からないわ」
テトラがケラケラと笑う。
「それは……何となくだよ」
アルベルトは白衣の胸ポケットからタバコを取り出す、つくづく、この大きな胸は、タバコをしまっておくのにたいそう不便だ。
「けれど、人間もアタシも、分からないからいいんじゃない?」
「そうさ、そうだな」
* * * *
やはり、散らかった居間。
テトラはもう眠っている、そとには剃刀のような月が浮かんでいる。
ここも、もう去らなくてはいけない。
例の社長に告げ口される恐れは無い。あの社長どもは、結局逮捕されたのち、精神錯乱で病院に収監された。当然だ、頭の中に救うAIをぶち壊したんだから。
それでも、赤の他人この場所を見られてしまっては、すぐにでも引っ越すべきだろう。
明日あたり、テトラに相談するか。
アルベルトは、2本目のタバコに火をつける。テーブルの上に置かれたタブレットを起動し、例のtxtファイルを開く。タブレットの光が、暗い部屋を虚ろげに照らす。
『アルベルト・バルサルム君
これを見ているころ、私はもうこの世におりません。
そして貴方がここまで来れたということを、とても素晴らしく思います。
これは、孫に託した、私の最後の罪滅ぼしです。
それを貴方にお願いしたことを、どうかご容赦ください。
私はかつて、行きすぎたAIの開発に着手しました。
そして、たくさんの望まれない命を生み出しました。
貴方が強く反対していたことを、今になっても思い出します。
ウルトラヴィジターの誕生は、私の大きな間違いによるものでした。
私のその後の生涯は、彼らの回収という罪滅ぼしに充てることを決めました。
ほとんど彼らを回収し、私自身の手で、消去していきました。
人間とほぼ変わりない彼らを葬ることは、心苦しいものでしたが、それも含めて贖罪とすることを決めました。
だから、今回貴方には、ウルトラヴィジターと戦ってほしいと思いました。私のやり残したことをやってもらうために。
だから、このような回りくどい方法を取らせて頂きました。
しかし、もう一つ理由があります。
貴方は私のもとを去ったあと、テトラちゃんを拾い上げ、ウルトラヴィジターと共に生きることを選択しました。
その選択を、私には理解できませんでした。
彼らはいずれも、AIでも人間でもないもので、いかなる形でも、うまくやっていけると思えなかったのです。
それを確かめてみたかったのです。
私は一人のウルトラヴィジターをセキュリティとして、貴方と戦わせる場所を設けました。
一つは、彼女を貴方に葬り去ってもらうため。
もう一つは、貴方たちの選択が正しいか確かめるため。
私は、もうすぐこの世を去ります。
これを貴方が読んでいるのなら、きっともう大丈夫です。
貴方たちはその選択のまま、生きていってください。
テトラちゃんにも、よろしくお伝えください。
それだけです。
お元気で。』
「本当に、どうしようもねえクソババアだな」
アルベルトは一人、ぽつりと呟いた。
独断専行でAIを開発し、僕が反対しても聞き入れず、挙げ句の果てに沢山の問題を残していきやがった。
その尻拭いに、僕を手伝わせるなんて。
アルベルトはtxtファイルを閉じる。
横を見ると、テトラがテーブルに突っ伏して眠っている。
彼女の「眠り」というのは、人間と違って必要ないものだ。
同じように、食事など、もっと必要のないものだ。彼女が歯車を「食べる」のは、体内に取り込んでいるだけで、何の意味もない。
どの行為も、彼女が本当に人間に憧れているのだろうと、なんとなく感じさせられる。
あの身体は、疲れることもなければ、腹が減ることもない。痛覚もない。寒さも感じない。
それでも、アルベルトは眠るテトラに、毛布をかぶせた。
なぜ人間に憧れるのだろうかと、考えることもあった。
アルベルトはAIに憧れなど持たない。ウルトラヴィジターにも。
最近は、わからないままでいいかと、思うようになった。
人間だって、わからないことだらけだもの。
剃刀のような月は、やがて雲に隠れて見えない。
明日晴れたら、引っ越す前に、一緒に映画でも見に行こうか。
* * * *
(あるプログラマーの日記より)
今日も、遥か昔の、そのまた昔、そんな時代の書物を読んだ。
「どんな鳥も、想像力よりは高く飛べないだろう」
人間の想像はどこまでも果てしない、それに技術は容易に追従する。
僕がこうして仕事をできるのは、想像に追従した技術のおかげか。
あるいはテトラという偶然性によるものなのか。
この世も誰かの想像にすぎないのか。
気味が悪いな。
こんな風に思考ばかりぐるぐる巡らせているなんて。
けれど、彼女を見ると、色々考えたくなる。
それは、彼女が僕らにひどく近いものだから。
今月末までのタスク
バックアップ用HDD 256TB購入
プロノック社製最新アンチウイルス『whiteshell』用対抗定義 → 完了したので実践、彼女にも搭載(やはり最新とは何だったのか)
確定申告:終わり。二度とやりたくない。くそが。
引っ越し:ダンボール箱の購入。次の予定地は海に近いところを希望(テトラがそう言うし)
追加:業務用歯車3500個購入
(食費ではなく、雑費……やっぱり食費でいいか)
追記: “彼女”ということにするよ。人間ではないけどさ。
(了)