5
カイはベルノルトと二人だけで話したとき、廊下にいたケヴィンからひっそり隠れて、ボスからの伝言を一つ受け取っていた。
「対サイボーグ構成員、カイ」
「そう呼ばれるのも久しぶりだ、ベルノルト」
玄関の前、去り際にベルノルトは、カイにだけ、耳を近づけろというジェスチャーをしてみせた、ボロい廃拠点でどこが一番ぼろいかといえば、その玄関といえるだろう、そんなところで、虫がくい、ところどころ拳銃の痕跡が見える、そんな家がある事自体がファンタジックなのだが、内装が、靴箱が青色で、一段あがったところに向かい合う二人の距離は、人間頭一つ分の隙間ほどしかない、しかし心の距離感はもっとはっきりと距離を保っていた。
しぐさ、雰囲気、表だってこそ衝突を起こさないが、緊張がそこかしこから見て取れる。ベルノルトの中でそうさせる何かが、冷静なカイと比べて、ぶっきらぼうな口調と態度をカイの前でだけ、二人だけの空間で表現していた。それは二人だけの空間でだけ見せるような、いつもの自分と比べようのない粗雑な態度。だからその右腕が差し出した手紙が、一瞬へしおれた、玄関のドアにに衝突しへしまがった
のを、彼は確かに確認した。 ある責任ある立場にある人物が原因になって、冷たく冷え切っていて、そして、睨み合っていた、瞳は確かに睨み合うと表現するのがよく似合う。
二人とも互いに、鋭く瞳をとがらせて、その目の奥の奥まで、その鋭さを煌めかせているような様子。肩や腰にはしる緊張と、筋肉のきしみ、神経思想、そのすべてに緊張が走り、その様相はまるで野生動物が全身の毛をさかだてて、威嚇の行動をみせて、緊張を表現するときの、まさにそのものといった感じでもあった。二人だけの空間がそこにあった。部屋の間、廊下が軋み、木製の独特の匂いが、その空間を際立たせていた。
「カイ、今はカイとよぼう、“そう僕が呼ぶのも久しぶりだ”これは、手紙だ。ボスのアデルから預かったものだ、君のためにだけね」
ベルノルトの瞳の奥は笑ってはいなかった。カイは同じく眼光を鋭くして、彼の右腕から、差し出された手紙を受け取った。
「あ、ああ、わかっているさ」
そうしてひらいた手紙の封、簡素な封筒の中にあったのはメモきれだった。
【カイ、今回の騒動は、 お前が自分の過去と、お前の今の心のひっかかる信念を動機にしておこったもの。それはお前の中の問題だ、お前の中の問題を
我々を巻き込み、組織と結び付けて大きくした事件、最終的には、お前がけりをつけるんだ、これは命令だ。】
親愛なるカイへ。 ジンクスファミリー、アデル。
た。
こんなもので、伝令をすませてしまうとは、そもそもアデルが変わった人間で、横着物といわれている事もあったが、毎度の頃に肝をぬかれる。部下とのやりとりをこんな簡素なものですませようとする上司は中々いないだろう、それはカイに向けられた、他の部下とは違った、特別気を使った厳しくも優しい言葉でもあった。もちろん、それに アデルとは、間違いなく、ボス、カイの所属するジンクスファミリーのボス、つまり差し出し人はボス、アデルからの思われる、メモの切れ端だ。
ボスアデルの別の目論見もあったが、しかし、それは今のカイには眼中にない些細な問題だ、カイは、本心から、ケヴィンだけを救いたいとその時願っていた。ただボスのアデルは実際には、それとは違う卑しい企み感情をもち、(ベルノルトに話して聞かせてはいたが、隣町ダシのクローファミリーのボス、クローとは、確執がある方が都合がいい、もともとその組織体制を、アデル自身忌み嫌っていた)
その証拠に、前日、そのメモを書いている最中にボスのアデルのしぐさをたどると、いつものようなスーツ姿で、貫禄のある口ひげをはやし、左人差し指と親指でなぞり、誰もいない拠点自室にて、人知れずにやりと笑う姿があったのだった。
夕方になるとフォレストベーレの2階、202号室には、いつもと同じ出来事が起こる、といって自然に起こる事でもあるし、平凡な生活の一部である。
それは夕方、まるで静かな森の中の教会に鳴り響く鐘の音のように、自然な丸みを帯びた、自然の音ににた響きを持っていた。心が平穏を求めるもの、その近辺で生きる、全ての生きとし生けるものの心に響き渡る音。
アラベラはその日決まりきった日常のひとつのような、202号室の廊下をいった奥、リビングの隣の自室で歌を唄う、ただ、一人の少年の、その歌への感情はアパート管理人エメのみがしっていて、その恋心に土足で入ったのも彼女であり、その他大勢の住民たちには知らされていなかった。
心細いこのパンドラの地で、ひとつ心の支えにしている、ある少女とその歌の記憶。少年ケヴィンにとって彼女アラベラは、始めこそあまりいい印象はなかった。
歌は綺麗だが、自分にビンタをした失礼さと理不尽な正義感を持つ人、彼女はあの初登校での事件あと、確かに自分に謝罪を入れたのだ。それからケヴィンは彼女とその歌、あのひの事件の意味について考えるようになった。それはちょうど転校三日後の事、少年ケヴィンに向って腰から頭にかけしっかりと角度をつけて謝罪をしたあと、もう一度軽く頭をさげて、こういった。
「ごめん、きっとあなたは、やり返さないと、黙って彼らにいじめられてしまうとおもったんだ、ごめんね、でもやっぱり私のやり方、間違っていたよ」
そうなんだ、この人は、考えが大きく行動に現れてしまう人なんだ、とその不器用さにどこか自分に似た所を感じたのだった。
少女の歌はとてもきれいで、少年の心を無意味にも安心させ、ふいにきた日常の不条理さえも消し去ってしまうほど澄み切った美しさを持っていた。
少年はそれをいつも楽しみにしていた、今は同じ場所にいないが。いつもきまって同じ響きを持つアラベラの歌を楽しみにしていた。歌は少女の心の決まりだった。
日が昇って沈むように当たり前の事で、その日何があっても可能な限り繰り返すべき出来事だった。少女自身、そんものは、見返りのない神への祈りと同じ事だ、しかし、ただ歌うだけで、それでも自分の心にとってさえ、心の支えだった。
午後6時10分、決まりきった時刻に、少女は歌を唄う。その歌の旋律が、ある種の人種、あるいはある種の信念、性格性質を持った人の心に特別な意味を込める事の意味は、彼女自身が隠し持っているその規則的な習慣の発端へと遡らなければいけない。
彼女はかつて、小さな時代に、身を引き裂くような痛みを経験していた、それは8歳の頃、まだ幼い、未熟な少女の頃、歌という安心をそれほど重視していなかったときのこと、それは母の死だ、小さな身に耐えかねるほど大きな重い意味を持つ経験だった、母の死、それによって彼女はある意味での孤独をしった。母はよく歌をほめていた、だから母の病死からずっと同じ時間に歌を唄う事に決めた。
少年にとってこのフォレストベーレの202号室の聖歌が特別な意味を持つように、少女にとっては、悲しい事が二度と起きないように、その願いを込めた歌は、特別な意味をもつし、とても美しい。彼女の痛みは確かだが、その痛みを知っているからこそ、刻み付けようと願う、生きてしまった自分のため、
その時間にいつも、少女は歌を唄う。その歌が、街の幾人もの見ず知らずのひとたちの心まで温めるとも知らず、少女は歌を唄う、もちろん少女は、そんな偶然を狙ったわけではない、きっと少女はその他大勢の幸福な人を呪うし、うらやましいと思うし、それに、むしろその他大勢のほうが正しいとさえ思う。
けれど、同じ時刻は必ずやってくる、そのため、少女は歌をうたったのだ、そこにだけ、そこのみに歌の意味が存在しうるとしっていて。そう、少女はいつもその歌を決まって、夕方歌って奏で、自分にとって特別な、あの優しい母を思い出すのだ。
少女は一人、自室にこもり、歌を続けた。
「ルゥールゥー(鉄の羽をはやした天使は、道化師のいた町で、生まれたままの姿を取り戻し、こんな歌をつくり、踊りました)
“昨日”生れた赤ん坊は、今夜はなきじゃくり。老いた人は、質問で言葉をふさいだ。若者は、あわててしゃべる言葉で自分の声も聞こえない。でも皆忘れている、知らない。簡単なことを忘れている、昨日と同じようにあらゆる者が同じように、踊れるか、歌えるか、それが人間たちには大切な事なのよ。”」
歌が歌うと、とたんに日常に引き戻される、これまでと同じ日常、けれど、そこには一つの事件が確かにあり、同世代の、親しい少年がいない。そのもの悲しさに打ちひしがれ、宿題をしていた机から目をそらし、下を見る、足に感覚を感じたからだ。
いつのまにか、彼女の足元には、白黒まだらの猫がよりそっている。それは彼女の苦しみによりそうように悲しげな声をだす。首をかしげて、愛らしくこちらを見上げている、その物欲しそうな顔は本当に感情が存在しないものの瞳だろうか、そういわんばかりに気持ちに寄り添う。ペロという愛猫である。
ペロ、その名前を呼び、また彼女はいつものように歌を唄う、鼻歌だ、リビングでくつろぎソファーに座る人々、そこにいるのは母と父だ。兄はまだ部活で帰らなかったが、突然消えたわけじゃない。漠然とした不安、明日学校にいけば、そこにいないのは、隣の部屋に住む少年。いつもと同じ光景に彼だけが、欠けている。
日常というパズルがあったとして、彼の写真だけが空白のピースでできたように存在が抜け落ちてしまった。そこにあるのは言い知れぬ不安と欠落。やがて、少女は歌を反復し、真剣な歌声が、その音を耳にいれた者たちの胸へ響き渡っていく。そしてアパートの住人、そしてそばの通りをいく人々ははいつものようにその歌を聴く。
歌もいつもと違っていた。時折、真剣な歌声にまじって、泣き声が聞こえてくるために、何事かとそちらを見るものもいた。この街で生まれた人、そうでない人、これからこの街の外で合う人、あなたのために言葉を残すといって、母は手紙をかいて少女に渡した。病で苦しいはずの母は、その苦しみを、子供たちに残させようとはせず、一生懸命に明るい言葉を残した。私はその意味を込めて、歌を唄う事を習慣ずけた。子供、若者、老人わけへだてなく接しろと母はいった、その言葉を守って、その母の想いを忘れないために、私はこの習慣を繰り返していた。それはこの街の寓話。(機械天使少女)の歌。
少女は、ケヴィンの事をおもった、隣人の事を想いだしたのだ。いつもの祈りがこんな形で自分の想いを見つめ返させるとは、何だろう、大事な親友を失ったかのような気分に浸ったのだった。聖書も、歌も、同じ事、私の中で新しく意味を持つのなら、同じ事、私は彼のために祈りましょう。
やがて少女は、上下真黒な寝巻にきがえ、いつのまにか自分のふかふかのベットの上で、人知れず、眠りについた、その姿は、黒猫のようだった。
実はその時、遠く離れた廃拠点の地にいるケヴィン少年も同じ気持ちでいた。自分が日常を離れ、非日常へと追い落とされた悲しみ、苦しみ、
言いようのない不安がそこにあった。それは転校の時に感じたものと同じ、なぜ自分がこんな場所にいるのか、いつもと同じ生活ができないのか。
その日は朝からケヴィン少年は、四六時中ぼーっとしていた、いつもは、もう少し落ち着きがない感じで、髪の毛をいじったり、読書をしているはずなのだが
ぼーっとした感じが強く危なっかしい感じで、あからさまに何か気がかりがあるという感じで、そこで誰かが心配するという構図、いつかと同じ風景があった。
それはアパートの夕方、エメと同じ部屋にいて、二日前と同じように午前の事で、彼女の事を茶化された事があって。今もそんな風に、ぼーっとしている自分にエメからの心配や、あざけりが飛んだのだったが、今現実のこの時間にいる自分に対して、カイの、心配するような、軽く不注意をあざけるような声がとんだ。
たった今キッチンに食べ物をとりにきて、そして下においてある小さな箱を蹴飛ばしたのだ。その箱を直した。キッチンは、簡素な造りで小さな流し台がひとつ右に調理場やひとつだけガスコンロがあった。とても小さなキッチンだった。
「あ、ああ、すみません」
ああ、今日はあの子の歌がきけないんだ、きっと、カイにはこんな悩みなどないのだろうと思ったりして、それによって悩みがひとつ増えてしまった、彼はたんたんと夕飯の準備をしていたのだ。
いきなりさらわれた身ではあるものの、かくまわれている事は事実だし、彼のいう事には一理ある、もちろん反発はしたが、彼から感じるオーラは、生活感がなくかといって、普通に料理や炊事、洗濯のときには、必ずといっていいほど突然に湧きたつような、生活感に満ち溢れていて、期待にみちていて、食事や、しぐさ、彼のする運動や、ストレッチ、生活感があるものの、どこか絵画のような美しさを感じ、諭すような態度に満ち、そのすべてが独特の美学に満ちているきがした。
ただ、ケヴィンはこう思ったのだ、きっと自分がいなくても、彼女の日常は進んでしまうのだと。むしろこれまでの非日常を、非日常だと決定づけるほどに強烈な痛みであり、むしろ快感のようでもあった、そこに自分が存在しない、そのことで、自分は、何か楽になったのではないかと、そういう思いもあった。
そう、今自分は、これまでの日常にいない、それは客観的な事実であり、自分はマフィアに誘拐された、というのが、世間で言われる噂でもあり、
そのことが、これまでの事がすべて現実であったことを認識づけるほどに、痛快な、経験のひとつだった。
そうだ、こんなことがなければ認めたくないのだ、彼は何気ない日常を大事にしていたのだ。けれど強く、彼女の存在そしてその歌を思い出し、反芻する事に、何かしらの意味を見出そうとしていた。しかし、ともすれば自分は何かしら、道を踏み外すような気もした。
そうだ、少女は、一度ケヴィン少年に窓ごしにその歌をほめられた事があった、丁度フォレスト・ベーレ管理人のエメが自室を訪ねて来たときのこと、自室は窓際にあって、そこで和気あいあい話していた。まだ朝、その日は祝日で、あまりにいい天気だから時折空を眺めたりして、会話をかわしていたが
彼は窓から見える日常のその風景の一部とかしていて、しかし、庭の共同水道からいつもの感じ、毎日するように水をくんでいた。 アラベラは庭にいたケヴィンの存在に気付かず、彼自体がそういう生活をしている事はさとって、エメからはきかされてはいたが、その日は知らなかった。
そんな中部屋中央に座していたエメにもとめられ、むしろエメのためだけに小声で、いつもの歌声をきかせると、小声て彼女をほめる声がした。それがケヴィンの声だった。彼はすぐに顔をそらしたが、少女アラベラは、その時のことを今もよく覚えている。窓は明けはなたれていて、はじめて部屋の中にいて、横着で多少無礼だったが、初めてそんな状況で人からほめられたのだ。それは、アラベラにとって、特別で、ある種の好奇心を持った出来事だった。
廃拠点、思い出の日の事を想いだすケヴィン。憂鬱な気分のままで、もし、昨日のまま、おとといのままに日常生活が遅れていたなら、自分はこんな悩みもなく、普通に読書をして、仮想世界の住人になっていて、それならば今よりも多少マシにカイという青年と難なく話せたし、ここで起こることに不安を感じ、毎日ここで何が起るのかについておびえることもない。
そしてなによりも、フォレストベーレに夕方ひびく、アラベラの声も普通に聞こえたのに、そんな事を想いながら、今日は人気のない山の中の余り知られていないような廃拠点にいて、何者だろうか、計り知れない外の世界から、そのいびつな日常を変えてくれるような、特別な訪問者がくるのをただ期待し、口をあけてまつような日々がある。それは警察のようでもあったし、あるいはアラベラや自分の一緒に暮す祖父ヴラドのようでもあって、今の自分の現状を捕えるたびに、これまでと変わらない日常がそこにある気がして、想像した。その様子が瞼の裏にちらついて、カイの事を信用する気持ちと反発を起こした。
ここにいるいびつさ、何より、確かに自分で選択したということ、そしてせわしなく過ぎていく日々、確かにマフィアに追われた一つの事実が、少年の胸を苦しめ、感性をするどく際立たせて落ち着かせなかった。
カイもケヴィンの様子を見て、なぜだかその日は、昼すぎからずっと元気がなく、その様子はカイが何をしても同じであったため、四六時中落ち込んでいる事にきがついていたが、わけは聞かなかった、それよりも彼に教えるべきことがあった、身を護る事。
拳銃の使い方をどうしても教えたかった。朝起きてからすぐに(食事、冗談をいう時間、歯磨きの時間などはカイなりに考慮にいれたが)それを提案すると、もちろん平凡な小学生らしく、驚愕の反応をした、目をぱちぱちさせ、それは明確な拒絶の意思を示した。
「拳銃を教えるから」
「え?」
「拳銃の使い方を、ここにいる間にマスターしてほしい」
「なんのために」
初めこそ、反発はしていたもののしぶしぶ頭をかきながら、一応大人のいうことは聞いておく、そのケヴィンの行動原理は、まさに日常の延長線上いにる彼らしい所もあって、自分ながら、自分のそうした日常の習慣に自嘲気味になり、頭をかいてこっそり笑い、それによって安堵した事を覚えている。
昼過ぎごろ、ベルノルトの帰ったのを確認したあと、いくらかフランクになったカイ、コーヒーだのなんだの、コンビニで調達してきて、一緒におかしをたべた。その後真剣な顔になって、背中をおされながら、カンを、廃拠点の前の、ぼろっぼろの机の上にたてろといわれた。机はまずカイが運んで並べていた
ものらしかった。
庭の射撃場(最も、古びたテーブルと空き缶を距離をおいてならべただけのものだったが)が出来上がった事にきづいたのは、カイがその射撃の的(つまり缶)にむかって一発無言で拳銃でうちぬいた事によってだった、でこぼこの森の中、丁度土がもりあがったところの間に三メートルほど間隔でテーブルを5つならんで、そこが射撃場だとカイからつげられた。
「すごいですね、命中しました」
一番遠くの缶、30メートルほどもある缶を、手持ちの小さな拳銃で打ち抜く、その腕はさすが、表社会の住人でもなく、マフィアである彼らしい。それよりもケヴィンは気にしていることがあり、外にでてからケヴィンは、しきりに右手を気にしていた。寒いのだろうか、とカイは気を使い、余っていたシャツの上衣をきせたが、しかし、変わらずさすっていたので、これはおかしいな、とその時すでに気がかりにはなっていた。射撃場に並べられたテーブルとカンをめがけ、立ち振る舞い、姿勢、コツなどをおそわったのだが、始めは1メートル、そこから始めても、いっこう上達できない、そこでカイは思い切って、本当の動物を撃つ事についてケヴィンに尋ねた、ケヴィンが答えあぐねたので、上空に銃を発砲して、その瞬間、発砲音に驚いた鳥が飛びあがるのをみた。
(あ、鳥だ!!)
その的より少し距離のあるところで、ほとんど3メートルくらいのところで、その鳥にむいて引き金をひいた。瞬間ケヴィンはその目の前で起きた出来事から目をそらす事くらいしかできなかった。その時、自分の胸が確かに痛みを伴うのを感じて、そしてそれが、明かなこれまでの日常と非日常の境目のようなつもりになって、どこかで彼を軽蔑した。
「あっ」
「気にするな、練習さ」
(そんな、突然に?)まあ、勿論、ケヴィンにとっては、いくらカイが頼りにするべき人間とはいえど、闇社会の、表社会における常識が通用しないような所はわかっているつもりでいたが。小鳥を、森の中でただ穏やかに暮らしていた小鳥を、自然界の闘争を抜きに、人間の手で何の意味もなく殺す事は正しいのか?野生動物とはいえ、あまりに説明もなく、粗末だと感じた。
ケヴィンは目を背けた、しかしその目を背ける行為を、カイは快くおもわなかった。
「続けるぞ、さあ、銃をこちらへ」
「やっぱり、僕は人殺しは……」
「身を護るためだ、それにあれは人ではない」
「そんな、でもそれは、屁理屈です」
彼の憂鬱は何だろうか、さぐる。確かに要因のひとつだった、ケヴィンはさとった、それは有無を言わせない人間の目だと、彼女“アラベラ”は、アパートに住んでいた頃のケヴィンの心の支えだった、けれど、ケヴィンのところへ、その日の彼女の歌声は届かなかった。
カイは、奇妙だった、さっき鳥を殺してしまったあと、一番最後までその鳥の死体を、五つならぶテーブルよりも、もっと遠くの小川のほとりに落ちた死体を、最後までながめていたのは彼自身だからだ。
「なあ、ケヴィン、お前が生きるか、あいつらが生き残るかだ、どうする?おまえ、自分の身を護れずに何もいわずに死ぬのは嫌だろう」
「あの鳥は無関係です」
「お前が生き残る事を選んだなら、なにも無関係ではないさ」
「でも」
「植物も動物も、いつか死ぬ」
言われてみれば、という所はないでもないが、多少強引さは感じる、そもそもなぜ、そんなにも動物の死に、ひとつの死に静寂の意味を持たせて、そして彼はそれをじっと見つめていたのか。しかしケヴィンの心には傷が残ってしまった。ここでこうしていていいのか、ふつふつと湧き上がる疑問と怒りがあった、それは単にカイに与えられたものではなく、むしろもっとその前の、自分を追いかけて来た“悪い奴等”に与えられたものだとおもう。
「けれど、あの鳥の命も、使い捨てではないです」
そういうと、多少陰りと薄ら寒い狂気をもっていたカイの瞳は、少し落ち着いたかのように見えた。
・三日目の夕方
三日目のその日、仮にも彼の仮の住まいとなっている廃拠点、廃屋のような家の中で、落ち着きなく歩き回り、立ち止まり考え、ときたまスマートフォンの
画面をみたり、貧乏ゆすりをしたり、本棚の本を手に取ったり、また元に戻したりする謎の動作を繰り返していたりして、落ち着いたかと思っても、彼はまだ時に頭をかきむしってたりしていた。
夜といえば夜で、これまでと同じように、カイに気を使い、手伝えるところは手伝う、というような様子があったが、カイはカイで、何か難しい哲学の本を
読んでいるようで、片手でフランスパをかじっていた。その様子は、当事者というよりも第三者、焦りを持つ主観的な存在というよりは、自分さえ自分を遠くから見ているような傍観者のような様子だった。
ケヴィンもケヴィンでその様子をじっと認める様子は、昨日までとまるで違う焦りを持った今の彼には、あるはずもなかった、夜は夜でぼーとしているだけだった。夕方はただうろうろしていただけでましで、元気がなく、不健康の顔いろがみてとれる。その理由をカイは訪ねはしなかったが、食べ物は昼間手を付けただけ夜はずっとそうで、あまり働きもしないのにごはんもほとんど手を付けず、その様子を心配した表情をみせていた。
食卓にはチャーハンとオニオンスープ、チャ-ハンはカイだけたべて、あまり食欲はなさそうで、その様子を訪ねても、とくに健康に問題があるというわけではなく、ぼーっとしている、という感じだった。
ケヴィンはケヴィンで、自分のその様子を子供っぽいという所があった。なぜならただ、いつもの習慣が抜け落ちたというだけ、つまるところ“ある少女の歌声”を聴くという事ができない。”それだけなのだ。なのでカイのほうでは、その様子をテーブル越しに彼のことを、どうしたものか、気にしすぎるのも問題か、とじーっと見つめて考えを巡らせるほかには、手立てはなかった。
カイが夕食を作る時、ケヴィンが何をしたかというと、ただうとうとしたり、カイのコーヒーを入れてくれという頼みを飲んでつかいに部屋を歩いたり。ただそれくらいで、本を読む事はあっても、ときたま換気のため明け放してある窓から外をみたり、その前の森や木々をみつめたり、ノートに落書きをしたり
やはり落ち着きがなさそうだった。カイが何かを尋ねても、心ここにあらずという感じで、6時……6時……というだけだった。なのでカイには、その日の出来事を締めくくると、家の中の木製の棚だとか、キッチンの家具だとか、拠点の一番近くにある細長い老木の梢が揺れている事のほうが、人間である彼より、
かえって生活の印象にのこったくらいだ。
そしてやがて、時刻は午後9時を示してとまった。とうの昔に食事をおわらせていたカイは、ケヴィンが落ちつきはらってふと素に戻る事にきがついた。
カイ30分も前ほどから、暖炉の前にいき、一人で何かしらの作業に手を付け始めた頃。
「“ヒヒイロカネ”」
刀に手を入れていた青年の手がとまった、刃や、持ち手、さや、部品が分解されている。不気味な様相、そして刀身は、不気味に赤く光りを帯びている、
それはいつかみたもののようだった。それは希少なものだから、少年が興味を示したのにも無理はなかったが、実際カイのほうは、こんなところで無頓着に
簡単に彼の前で武器をひけらかしてしまった事に後悔を感じたのだった。
「これが」
「そ……そうだ、お前はまだ、見たことがなかったか、すまない、何の説明もなく、こんなものをちらかしたりして、すぐにかたづける」
「い、いやいや」
答える言葉を持たなかった。しかし、まさかそこにそんなものがあるとも思えなかった。“ヒヒイロカネ”ありとあらゆる人間とつながる人間の身体の代替可能な“コア”となるものの一部。一般の人間ではとても扱える品ではない、“明るく光る石”それを刀身にもつ刀。それをどうしてカイがてにしているのだろう?
「カイさん、これは……間近でみたのは初めてです。それ、そんなに簡単に手に入る品物じゃないでしょう」
「少年、だれが、簡単にっていった?これはそれなりに努力して手に入れたものだよ」
下からねめつけられた。背筋がぞくっとした、やはりこの青年からは、ただならぬ悪の気配と匂いがした。そしてそれは、とてもケヴィン少年の若いやさしさで包み込む事ができないほどのものだった、ケヴィンはそれに対して、“何らかの記号”という答えしかもたない、“記号”とはケヴィンの感じる、文化であり感情であり、その人物の持つ性質や過去であり、その人物を象徴する情報の集まり、しかしそれはカイという記号で、記号という事、それは分ってもケヴィンはその全体像を知る事もできない。
彼の立ち居振る舞い、それに応じるすべを失ったとき、それがまるで歯が立たないことは、彼の立ち居振る舞いからすべて予想出来てしまう、だからきっと、優しい言葉がかけられず、なかなかケヴィンからあゆみよることができない。ケヴィンはこういう時、作り笑いを浮かべる、そういう時考える事はこんなことだろう。(この人の過去になにがあったのだろう)と。
ただ、記憶の中にあったのは、ヒヒイロカネという特殊な赤い鉱石の事だ。
“東方の喪われた文明の秘宝”
もとはそういうものだ、しかし、4度対戦がおこり、その後100年間のうちにいくつもそのコピーが生産され、今はまるで宝石のように、不純物や精度といった基準が設けられているという。そしてそれは、現在ではサイボーグ技術に利用されているのだ。
その日、ついにケヴィンは、自分から夕方の秘密を暴露する事はできなかった、夕方、いつも安心の材料にしている、彼が好意をもっているある少女の
歌は、彼の耳に届かなかった。
二人の間には、どこか、埋まらない壁があるような感じがした。ケヴィンは今思うとそのときほどこの青年のその虚ろな感じのする目を憎んだ事はなかった、
自分とても、だるく、落ち込んでいるのだ、その日、午後6時、少女の歌が聞えなかった、いつもきまり切っている安心の材料がない、もうそれだけで、それだけの事で少し前の日常生活とは違っていて、彼はまるで、彼のこの場所での彼のまるで半身を失ったかとでもいうような荒んだ気分になった。だから
カイの配慮は無駄だった、カイはケヴィンに、その後、食卓のテーブルでただ惰眠をむさぼりつつ本を読み、さっきの出来事で心の壁を持ったケヴィンにこう尋ねた。
「さっきの鳥の事をきにしているか」
返答をまたずして、ケヴィンにこう追い打ちのようにしてひとつ聞かせた。
「人の命に比べて、安いものだ、人の一生にくらべて、それにくらべれば、君が今を大事にすること、一生を大事にすることにこそ、本当に価値がある」
とはいえ、ここへきてから変化もあった、今朝から、ケヴィンに拳銃の訓練や、本の読み方、勉強を教えてもらったりした、そのほかにものほうでも、まるで弟のように優しく接してくれているふしもあった。
「銃は使いたくない」
そういうケヴィンを説得するために苦心もした。
拳銃の扱い方を教えようとしたのは、つまり彼の身を護るため、少々強引な合意の取り付け方をされたとはいえ、確かにおしえてくれた。そのおかげかこの状況が危機的状況である可能性も、感じ取れた。近寄りづらい別社会の住人という所も感じつつもやはり、親身に自分に何かを教えてくれる人だ。
そして親身になってこれからの相談を受ける事の出来る唯一の相手であることに変わりはなかった。昨夜、一緒にカレーをつくり昨晩夕食のじぶん、彼の肩に手を置き、はにかんだ表情でカイはこんなことをいった。
そのとき、いつもの暗い調子とも、ときおりみせる冗談をいうときのカイでもなかった。その時、ケヴィンは、おつもはカイの特等席であるはずの、暖炉の左側、窓辺の近くにおいてある安楽椅子にこしかけている自分むかって突然真剣な目をして、暖炉右前にあるテレビのスイッチをきった、そしてゆっくりもの悲し気な目で少年を見下ろし、両肩にそっとてをさしだし、しっかりとめをつむって、深呼吸をまるで魂を注ぎ込むようにして、大げさに肩に力をいれてそしてカイはこういった。
(俺がここにいる間は、お前の事を必ず守ってみせる)
その言葉を信じ、その言葉だけを信じ、いくらか心境はおちつき世間では誘拐事件として扱われている自分の状況を、不幸とは思わなかったのだった。
そのかわり彼は、今日の夕方、こんなことを、信頼のおけるようになったカイにはなしてみせた。
「先生、僕は暇な人間ではないでしょうか」
「なぜだい」
「ここでこんなことしていいのかって、皆慌てている、日常を送るのに必死で、僕だけとりのこされた気がする」
それに青年は答えなかった、その代わりに今、同じ事を訪ねようとすると、それを察したかの様にしめしあわせたかのようにこんな問がケヴィンにかえって
きた、ケヴィンは、以前から気になっていた事をこの街の、国の住人であるケヴィンに尋ねる。
「なあ、ケヴィン、話を聞かせてくれないか、この国の神話について、この街でこの話はとても重要な意味を持つのだろう?人口的な神話だ、女神のな」
神話ですか、言い伝えはあるみたいですが、それは、こんな話です。
{パンドラには、まるで神話のような、おとぎ話のような、こんな話しがあります}
前置きをして、深呼吸をして、ケヴィンはカイにむけて、まるで親しい友人に語るような口調で、唐突に優し気に話し始めた。それはまるで、自分の事を探られ
アラベラの事に言及されることを避けるような態度でもあった。
その昔、サイボーグの移植手術を受けた人間がこの地に多く移住してきていた。彼等は最後の対戦から、何とか生残り、安住の地をもとめてきた民族だった。
まだ世界にそうした手術“体の一部を機械化”してまで生き残るという人間も少なかったころ、彼らはどこか定住の地を探しもとめるほかなかった、
人間同士の戦争ではなく、機械同士の戦争。……21世紀の終わり。最後の戦争と喧伝された第四次大戦。それも終わり、それまで10年もの長きにわたった戦争は、世界のあちこちを混乱させ、正常さを失わせた。一つとして元通りとなる国がないなかで、新しく居場所を求める彼らに、その他に住まう世界の人々は、簡単に生きる居場所を与えなかった。
そのころ、同じく科学者たちも嫌われ者で、もちろん、戦争の責任を問われるとき、本当に問われるべきはそこではないのだろうが、世界を隅々まで荒れ地のように変えてしまった、“最後の対戦”はそれほどまでに嫌われていたわけだが、その戦犯とも思われた、やがて酔狂な科学者たちが、とある哲学者たちの力をかりて、嫌われ者たちを集め、ひとつの新しい国の礎を築いた。それは元居た民族たちとの競合で、“人体を改造し、もとの人体よりも屈強な人間を作り上げる”という理想のもとに、ありとあらゆるサイボーグ研究が行われていった。それがパンドラと、科学研究の密接なつながりの始まりだ。
それからのち、パンドラは、自分たちの領土を守り、資本主義のシステムの元、他国との諍いや生残りの中で戦った。それは、並大抵な努力ではなかった。しかし、やがて世代を経るにつれまたもや時代の流れ、大きな世界的な物事、経済、文化の潮流にのまれ、記憶は薄まっていく、やがて時がすぎ、その活気も失われつつある頃、パンドラは多いに栄えており、だれもが何不自由なく暮らせる場所はありつつも、まだ不幸をもったものや、理不尽な扱いを受けるものがいた。その中で、一人の少女が経験した出来事が、物語となり、パンドラの成立のこの物語を思い起こさせた。
“パンドラには{サイボーグ化産業}が不可欠だ、パンドラという国は、サイボーグ化産業を捨てない、初期の心ざしを思い出そう”
失われた先祖、と呼ばれていた、もはや初めにパンドラの礎を気づいた民族たちの姿はどこにもなかった、その依り代は、過去にはなかった、未来にあったのだ、一人の少女が、それをパンドラの人々に思い起こさせた。
それは1世紀も昔からパンドラに語り継がれる、とある少女の話だった。
パンドラの中心、今は発展して首都となったアロアという街のこと、遠く東の国の山中、村に生れた少女は才能もなく、目も映ろで、見栄えもあまりよくなく、新しい土地に移り住み、そんな自分を変えようと考えた一人の少女。というのも、体調の改善も、彼女や彼女の家族の心の中にはあったのだ、そもそも、彼女の家の近くにはたちの悪いサイボーグ工場があり、不法に廃棄物を処理したり、そのせいでいくつかの病を抱えていた事に彼女が器量がよくない事の関係があって、貧しい国で、そういった不備を見て見ぬふりをしなければ立ち行かない状況だった。新しい家に移住しよう、そう決めた時、初めは彼女も同意だったが、いざ離れるとなると生れ故郷にはなつかしさや愛着もあり、彼女は、やがて半分むりやりに、環境も含め幼いうちから変えようと、彼女の祖父、祖母がつれてきたのだった。
しかし少女はこの国でも変わらずいつも気弱で、虚ろだったため自分の居場所がわからなかった。着の身着のまま移住だけをおえて、そこまではよかったが父母は、自分たちの娘をあまりよく思っておらず、あまり良い暮らしができずにいた。容姿がよくないというのも、生まれもってのものではなく、肌のぼろぼろな感じや、顔の妙にでこぼこしたところも、全て例の工場があった弊害、それさえも自分のせいにしたりしていた。
しかし、徐々に生活にはなれ、苦しい事もあったが、嬉しい事もそこそこにあった、彼女はそれを自分で見つけていった。近くの公園には、どこかの国からやってきた道化師の格好の大道芸人ががいるといる、住む場所もなく、貧乏だが、やがて、やはりその公園へと落ち着いた。昼間公園にきては小金を稼ぐ。
その大道芸人は、少女が一人でいても、少女の前で歌い、踊った、とても楽しそうで、いつしか少女は心をひらいて、その他、公園に近寄るもの大勢が心をひらいていくようになった、大道芸人は、大道芸を披露するとき、まるで別人のようになった。といって普段を知るわけではないものの、なんだか、特別に気合がはいって普段と違う、もっとかっきあにあふれ、自信に満ちた存在となった、その芸をみていると暖かい気持ちになり、少女もその芸を学び、その芸の秘密をしりたいと思うようになった。
ジャグリングに、トランプ遊びに、パントマイム、大道芸人は、人前で姿を見せず、いつも赤と白のメイクにつつまれていたが、少女はその人を尊敬し、もう一人である事を悲しいとは思わなかった。尊敬できる存在、たとえそれが、白いメイクに赤い眉毛や縁取りの奇妙な風体の隣人であろうと、少女はその事に安らぎを感じた。
湖の公園と呼ばれる場所。
ひとつ、この国のこの街において、彼女の心の支えとなるものができた。そういってしばらく喜んだ。もう一人の孤独を見つけたのだ。友だちといえるかはわからなかったが、それは駅広場で芸を披露していたどこかの国からきたという大道芸人だった。
彼女は、もともとこの国に来たのは顔や地肌を機械化する目的で、もともとここに住んでいた両親に頼んで、祖父と祖母と移りすんできたのだが、その大道芸人がひょうきんもので、いつも顔にメイクをしていて、それなのに笑顔が絶えず、雰囲気やしぐさ、自分の技能だけで人々を喜ばせるその姿勢に関心していた。持ち前の明るさが漂っていて、この街に知り合いは多くないようだったが、すくなくとも大道芸を、その広場やほかの広場で表現するときにだけ、この国の文化や、人々と通じる事ができていたようだった。
その大道芸人を公演で見かけるようになってから、彼女はいつしか、顔や容姿をいじる事はせず、体だけを直そうと考え始めていた。
その大道芸人は誰とも優しかったが、特にいつも一人でいたその少女とは訳もなく交わす挨拶、そして徐々にうちとけ、身辺の生活や、街やパンドラの国の回りの事の話をする事が多かった。少女は初めて、親しく話せる仲間のようなものを見つけて、そして彼はひとつ芸を持っていたため、それは少女のあこがれとなっていったのだった。
初めこそ、よくいる客と、一人の人気のない大道芸人という間柄でしかなかったのだが、徐々に少女が芸について質問をふやして、大道芸人は、
世界を旅するのが好きなようで、その旅の話もよく聞かせてくれた。
やがて、少女はその大道芸人とともに、時に一緒に芸を披露する事もあり、その時は、誰が見ても、双方が幸せな友人といる時のような雰囲気が漂っていた。いつの日か、なんでも話せるような気さくな関係になった時、彼女はそのころには、大道芸人は街で一番有名な大道芸人になっていた。
そのころには、少女はある事に気がついていた、大道芸人は自分の素顔を見せる事を避けていたのだ。
丁度一年と2カ月がすぎた秋のある日の事、いつものように駅前で、大道芸人が大道芸を披露しているときのことだった。遠目にみて、多くの観客が沸き上がり、その観衆の中ひとりぽつりとこちらを見ている少女の姿をみた、しかし、いつものように終わるまで待っているわけではなく、途中で抜けてしまったので、あら?と気になってはいた。
そしてもう一人、観衆の中に、彼女のそばにいて、こちらをずっと見ているものがいて、それはシマシマの服をきた少年だった、彼女が帰ったことさえ忘れて、芸の終わり、拍手につつまれたあとで和やかにギャラリーと言葉を交わすその大道芸人、すると、その少年が駆け寄ってきて、彼に何かをさしだした。
いつもここに通っているという、彼女からから手紙を預かったといって手紙を渡した。手紙にはこう書かれていた。
【実は私、以前から家族とうまくいっていなくて、容姿の事、体の弱さの事、だからあなたに話していなかったけど、私、手術したのよ、体の中だけ、それでもまだまよっているのよ、ほかにどこかいじる必要があるのかどうか】
(迷い?いったい何の迷いだろう)
そこには、大道芸人にはじめてであった時の事から、彼の笑顔やメイクに励まされたことなどが描かれていた。そして彼女の事情の事も……。
次の日、神妙な顔をして、大道芸人は広場にたって少女をまっていた。その日は休みの日で、少女が朝からまっているだろう事は予想できた、少女は休日には読書をしているのが決まりだった。やはりいつものように読書していて、決まりきった日常がながれ、あの非日常的な手紙の内容などは、まるで夢か幻のように思われた。虫が鳴いている夏の事だった。
“こんにちは”
“こんにちは”
微妙な沈黙と空気がながれ、二人の間をさまよっていた、そしてちぐはぐな会話は、まるで出会った当初の事を思い出させるかのようなものだった。神妙な顔をして、道化師は、諭すように話を始めた。そのときいつもつけているメイクはなく、見たことのない顔の男性で、額に傷があった、それは何かの武器によって負った傷らしかった。両目がきらりと光っていて、その時、初めて大道芸人の両目が眼が義眼であったことをしった。彼が少女に語ったことは、まだ幼いころ、少年兵として国々を渡り歩いていた頃の話だった、そして芸もその時身に着けたという事らしい。
大道芸人は義眼であるためにそれも、安い目であったため、大道芸人はこれまで、視力が弱く、少女の姿が見えず、相談にのれず、本当の悩みを知れない事で、あの手紙を読んでからずっと、大道芸人が一人で悩んでいた事を白状した。そして、これまでの我慢も相まって、ひとつ相談ごとのように少女に話した。それは大道芸人の少女と接する中で、いつか彼女に伝えたいと思っていた事だった。大道芸人は、マスクをつけて、その上にメイクをしていたが、それは自分を隠すためではなかったという。それは、いつか自分の言葉で、自分の本性を誰かに伝えるため、この芸は、自分の本心を見つける、自分と同じく、心に傷をおった人のために披露し、いつか受け継ごうと考えていたものだといった。いつか現れる希望、受け継ぐべき希望、その人のために磨いていただけで、評価されようとされまいとどちらでもよい、そんなものだったと。
「どんな時でも、自分が信じられることを何か一つ大事にしていさえすればいい、時にそれは支えになり、時にそれは自分を縛り付けるだろうが、本当の自分を見つめるための糧になる」
君に、いつか私の技術を学んでほしい、人を楽しませる事ができれば、本当はサイボーグ化など必要はないのだと、知ってほしい。そう思っていたのだと、話しの最後に、大道芸人は少女に伝えた。大道芸人は、その後一か月くらいはこの国に滞在していたが、少女には、あれ以来説教じみた事はいわなくなっていた、ただ時折、夕刻、人が集うその公園で、芸が終わり二人でいるとき、少女に向って、世間話の変わりに、この目が見えない事が悲しいのだ、とつぶやくばかりだった。
少女は、それでも迷っていた、街角にある巨大モニターの美女を見るたびに、映画館のポスターに映る美しいヒロインの姿をみるたびに、それが自分にとって正しい自分の追及の術とおもえたのだ。
その後しばらくして大道芸人はこの国をさるのだが、大道芸人と少女は、彼が自分の国に帰ったあとも、手紙のやりとりをしていた。大道芸人は色々な国で稼いだ金で多少裕福にはなったが、相変わらず視力が弱く、その手紙さえ人に書いてもらったものだった。やはり彼は相変わらず、意地のような、信念のようなものがあり、はっきりとはいわないものの、いくらお金を持とうと義眼は鈍いままにしたいようで。やはり、意固地なまでに少女の外見の改造には反対の意見をもっていた。
その思いとは反対に、少女はその後、手術を終えてあるものを取り付けてしまった、それは背中につける羽だった、パンドラに住んでいた、母は少女が地味で器量がない事を憎み、拒んでいて、そうでなければ、同じ地域で、同じように暮らしたくないという。その母と折り合いをつけるため、羽はとり付けざるをえなかったのだ。きらびやかな、動く羽。それは母の皮肉にも思えた。
羽をつけてしまった後、彼女は酷く後悔した、だから手紙を書くのをしばらく控えた。顔は、病の影響を抑える薬を飲む事だけに控えて、大道芸人と同じくメイクをした。もう顔の傷のようなものは気にしなくていいし、大道芸人には本当の事を打ち明けなくてすむ、けれど彼女は時折、芸の最後に一人悲しくななった。大道芸人の想いを受け継げなかったこと。観客につたわらないように、すぐに涙をふいたが、その水滴は、メイクに人知れずシミをのこした。
少女は、それから羽をつかって、とんだり跳ねたり、様々な大道芸を披露するようになった、もう大道芸人は国に帰ってしまっていたが、彼女の想いはひとつだった。いつか、あの大道芸人のようになりたい、もちろん、ほかに色々な夢はあったが、休日は数時間大道芸を表現するのが日課になった。たとえ目が見ただけの世界がどんなものであっても、本当に必要なのは、自分がどうありたいかという事だけなのだと、彼女の羽はすりへり、時に故障し年々傷を刻んでいった。少女は老婆になり、いつしかその話は手記として記録され、
一冊の本として売り出された。それがこの国の発展の出来事と絡んで、ひとつの伝説的な語り継がれる物語となったのだ}
暖炉の前でその夜、その話を相手に聞かせながらも、ケヴィンは左腕をよく気にしていた。それは、カイもきづいていて、寒いのか?とときどき声をかけた、寒いわけではい、と返答がきた、その事はカイもわかっていたが、ただ沈黙を貫いていた。少し、その話をして活気を帯びたケヴィンの様子が意外だった。
その日、その後で、暖炉を囲んだ二人は、以前よりも親しげに、秘密を分かち合う様だった。カイもケヴィン同様に一つの大きな話しをしてきかせた。その時の話こそがカイという人間を形づくる全体像そのもので、彼の信念そのもののように感じられるものだった。
まずは、カイというひとりの青年、自分がなぜ、こんな商売をやっているか、そういう流れの話だった、カイは、カイで彼の過去を少年に話てきかせた、少年ケヴィンにとってはその話は自分の話した伝説よりも、より伝説的なものに感じられた。
話しの始まり、ピクニックへと出かける少年と、母、父娘、まずそこを通りかかるスリ師がでてくる、スリ師によって財布を盗まれた父と、その後一家で帰宅するという話、それから一家が帰宅したまではよかったが、運悪く空き巣を狙った強盗が自宅に侵入しており、父が果敢に強盗を探したまではよかったものの、まず父が強盗の被害にあい、目撃してしまった事で泥棒に一家が襲われる、強盗は凶器をもっていたため、一家全員が、子供一人を除いて惨殺されたという話だった。
そして、その子供の苦しみが語られる。それ以前にスリをされた人間に彼だけが助けられたという、そのすべてが不気味な、あるいみ何か教訓じみた、おかしな雰囲気を醸し出していた。
ケヴィンにとってはその日、カイの口から語られた事は、どこか浮世離れしたような異国の幻想の話の一部ようで、どこか空想じみて幼稚でそしてそのカイが昨日よりも親密になったことも、どこか夢の中の出来事のようで、いつもは早寝の彼といえどもその日は、深夜1時までおきていた。落ち着かなかったのだ。それはもちろん、後から考えると認めたくはないが、アラベラという少女の存在も関係していた事だったかもしれない。
自室でおとなしくしていたが、月をみて、眠れずにいた。それでも開け放っていた理由は、たまにはこういう夜があってもいいとおもったからだ。
カイは自分と向き合いリビングにいて、暖炉のほうをみて、一人の人間に、唐突に過去をに白状した。それは重いものであると同時に、自分がまきこまれた不幸と比較され、脳内で非日常的な、異空間的な感覚のバグを引き起こした。
「どちらも本当の悪ものだったはずだ。しかし、俺はスリ氏に命を救われ、その後の人生を救われた」
そういってつくえにつっぷし、うつぶせに右腕に頭を載せた彼、彼は、額をかくしていたため、しぐさの意味はうまく伝わらなかったが、ケヴィンにとっては、きっとそれが彼にとって、その心情と深くかかわりのあるものだと思った、そして少し距離をとって、自分のイスを引いたのだ。そして付け加えるようにカイは終わり際こう言った。
「だから俺は“悪”というものを本当の意味では憎めない気がしている」
なぜだろう、どうしてこの時間、この時代、この状況で、ある人物と、それほど心が近しい位置にある事を思ったか、そしてケヴィンがどうしてカイを、信じるにいたったか、それは当初、感覚のようなものの選択でしかなかったはずだ、それなのに今では、確かな彼の信念をしってしまった。だから眠れなかった。
「裕福な家庭で何不自由なく生活できるはずだったが、犯罪をして生きる事になってしまった。そのスリ師の後をついて生活を始めたのだ。父母のかわりに身よりもおらず、あれから、今もずっと、生きる意味も見いだせずにいる、けれど自分は、この世の負の側面をしって、負の側面を愛してしまった、“持たざるもの”あのスリ師は、持たざるものの生命力を教えてくれたんだ」
という言葉をきいて、何と返すか、言葉を失ってしまったようになった。
カイは、ベルノルトがきてから、人が変わったように、ケヴィン少年にやさしくなった、そもそも初めから助けられた
時点から、どこか後悔したような、責任を感じて思い詰めていたような表情があったのだが、それもなく、変わった、まるで白紙のノートのようで、あるいは
それは、以前のカイより好印象、それどころか、不気味ささえも、少年の心に感じさせた、カイは、そのとき、少年に心を開いたのだろうか、それは
その時のケヴィンにはわからないままだ。