1-2 ケヴィン少年
同日少し前の時刻、都市というおごそかなコンクリートずめの景観と少しはなれて、背丈の低い住宅街がたちならぶ近郊にある。そこは街の北に位置する小さなアパート“フォレストベーレ”だ。その庭にバケツに水をいれて、何か忙しそうに作業をする子供がいた。まだ小さな少年だった。203に住む名前はケヴィン、今年13歳になる。よくみるとバケツに入れた水をそのままにして、ホースから庭木や花々に水をまいている。時折その手をやすめては、背中にてをあてて背を伸ばす。あくびが口からとびでて、花壇全体の様子をみた。ふとその花壇の中にかきわける小さなものがあった、ごそごそ、ごそごそと草木をかきわけ、覗いたのは少年の手のひらで、彼は無造作に花壇の草木の中を指でかき分けていたのだ。丁度そのとき背中に気配がして彼の背後のガラスがあいて「おはよう」と澄んだ女性の声がかかった、耳障りのいい声に少年は記憶をとりもどした、103号室の大家エメ・アンダーソンだ、同じアパートに住んでいる。少年も返事をする。
「おはようございます」
大家は何かと少年や少年の家族、といっても二人だが、祖父と少年二人にやさしくしてくれた。少年がこの共同水道を使っているのには、大家との関係性に理由がある、越してきたばかりであまりお金がなく、両親と離れ、少年は祖父と二人で共にくらしているため、何かと不便もあるだろうと大家に無償でこの共同水道を使う事を許されているの経緯があった。その事で大家には感謝していたし、その外の便宜も、実際上ひとり親という事で測られていた。
「ねえ、ケヴィンくん?ちょっと上がっていかない?」
「でも、僕もう、すぐ学校にいかなければ」
「わかってるよ、お姉さんに世間話でも聞かせて」
エメさんは変わった人だ、少年は思う。実際、大家は、変わった人だ、人目みた誰しもその輪郭や顔立ちを美しいと思わないはずはないだろう、敢えてそれを隠すような格好をしている、それが異様なのだ。化粧もわざと、幸福を、恋人を望まないように、あえてクマのようなメイクをしてまで、その美しさをひた隠しにする。この人の過去に何かあったのだろう、ケヴィンはいつもそう思っていたが一度も口にはださなかった。
促されるまま、庭での仕事を終えた少年は、階段を駆け上がり、203バケツを自宅の玄関の中にいれ、すぐさま一回下へおり、103へ、ドアはひらかれていて、大家のエメさんの声で、どうぞ、と中から声がする、しつれいします、遠慮なく上がり込むと、紅茶に、おかしにフランスパン。それがリビングにおかれていた。
「あの話、きかせてよ」
フランスパンを少しかじる、家にはすでに祖父の食事は用意してあって、後で自分も食パンを焼こうとおもっていたのだが、たまに様子みがてら、この面倒見がよい若い大家がこんな風に世話を焼いてくれるのだ。しかし、あの話、とは……大家は、まるで意地悪な姉の様な側面ももっていて、ことあるごとに、少年の思春期特有のお話などを聞き取ろうとするのだった。
少年は即座にさとった、あの話をしなければ解放されない、そして少し、1年前を振り返ったのだった。それはナナシの街を初めてしったとき、そして触れた時の事だ。それはこのフォレストベーレとまきこんで、少年の中でとらわれたひとつの記憶を形作っていた。
―—あの話、、どうせ、あの話だろう、転校初日の事だ、僕の好きなある少女のお話―—
転校初日少年ケヴィン、彼は恋をした。いじめられていた彼をたすけ、しかしそんな彼を叱り突然ビンタをした少女に。
「あの日、転校初日、見慣れない校舎を塀の続く、外の世界から仕切られた門の外からながめ、呆然とつったていてこれから始まる新しい中学生活にどきどきしていました」
大家はすでに知っている事だが、少年は幼くして、おととしのこと、両親を別々の病気でなくしていた。それによって少年にどのような絶望感がふりかかったのか、知る由もない。どうであろうと、この大家はきっと、この街の事をしらない二人だけの家族にやさしくしたことだろう、とケヴィンなら思う。
「その後、校舎と旧校舎の間、グラウンドへの道を通りました、入口やグラウンドは、入ってきた門と逆向きにあるので、だからその通りを通り、丁度もうすぐグラウンドへたどりつく二つの校舎の渡り廊下にさしかかろうとしたその時でした、新生活に似つかわしくない不幸に襲われました」
突然、大柄の、少し肌の浅黒い筋骨隆々の体形の男子がたちふさがった、大腕はって胸をはりあるき、みるからに威張り散らしていて、叫び越えのような怒声をあげて近づいてくる、その取り巻きたちは、威勢や顔だけは悪そうに、ただへこへことその大柄の男子のいうことをきいている様子で、はいはいとごますり頭を下げる。
「マイル、中学で一番質の悪い不良でした、初日にからまれるなんて」
それで?と大家が促すので、そこではじめて、自分の考えと大家の求めるお話が一致していたのだと理解した。
ケヴィンはそれから、その連中にこづかれたり、背の低い事や、少しくせっけである事をばかにされた事を大家に話して聞かせた。ケヴィンの評判といえば、まゆげが
ふわりとしてまるっこくてかわいいし、天然パーマのくせっけもわりと人気なのだが、いわゆる転校生をいびりたい衝動だけが、その悪ガキどもの考えの中にあったのだろう。そして、そして、と言いかけると大家がとめて、話しはじめた。
「あなたが、その嫌がらせに屈せず、あるいは抵抗もしなかったのでそれはエスカレートして、最後には、あなたは悪ガキどもに、その渡り廊下の右端の花壇においてあった、水のはいったバケツをぶっかけられた、やりすぎよね」
そして、大家はひと呼吸おいて、いつものように説教を始める。
「やり返さないから、こんなひどい事されるのよ」
「そっか」
「そっかって、だから、あなた、やさしさとゆうじゅう不断さを間違えないでね、自分の為だけじゃないのよ」
「でも、助けてくれる人がいてよかったんです、結果論ですが」
そのあと、おい!!マイル!!と叫ぶ声がグラウンドからしてきた、運動部のユニフォームをきた、ひときわ背が高く、細身でありながら、筋肉がしっかりついていて、きりりとした綺麗な顔立ちの男子が二人の間にすぐさま割って入ってきた、その人は、大事そうにサッカーボールを右腕に抱えていた。
「あとでわかった事ですが、それが、サッカー部主将ローウェルさんでした」
「そう、そのあとローウェルに助けられいじめっこたちはたじたじ、そこで妹がでてきたんだっけ?」
「そうです、妹のアラベルさん、そもそもローウェルさん達は、202号室の……」
「そうよ、アラベラ、あなたの大好きなお歌の綺麗な可憐な少女よ、そばかすをきにしていて、クスリと白い歯をだしいじのわるい笑い方をする子よね」
やめてくださいよ、と遮って、恥ずかしさを隠すように話を続けるケヴィンだった。その後の話は何度もしたので説明はいらなかった。
悪ガキマイルとお兄さんの睨み合い、お兄さんに仲裁され、別のサッカー部の連中が手助けにはいって、一人が教師をよびにいってその場は収まる
それからいじめっ子たちは先生につかまり制裁をうけていた。ケヴィンといえば、ローウェルの妹アラベラにやさしく介抱され、保健室に直ちにむかった、その途中で、いくつか話をした、お互いの生まれの話、この街のこと、さっきの悪ガキのこと、なぜかアラベラがひどく落ち込んで謝罪をして、この街を嫌いにならないでといった。保健室にたどりついて、そんな話の延長線で、なんでか、昔話になって、ケヴィンの両親の話もしたりした。ケヴィンは生まれてはじめて、女性の介抱によって、肩を抱えられ歩いたのだった、少し情けなくもあったのだった。しばらくして話につまっていると、どうやら少女はわざと
だまっていたらしく、落ち込んだようにしたをむいていたので、何か?と問いかけた。すると
「ねえ、さっきどうして黙ってやられるばかりだったの、普通だったらやり返すよね?」
ああ、とひとつ相槌をうったあと、説明するのも苦手なのだが、ケヴィンは思わず、心をひらいた相手に本心をはなしてしまった。
「大きな喧嘩になって、誰かが傷つくのはいやだから、あんな奴等でも一応、れっきとした人間」
そんな事をケヴィンがいったとき、アラベラがたずねた
「だからだまってたの」
黙りこくるケヴィンを、アラベラが何度も揺らして尋ねる。
「あなた、自分が傷ついたから、あんなふうに傷つけられても、仕返しもできないの」
アラベラは、すでにケヴィンの頭をふいたり、擦り傷を消毒しおえたりしていた、きがつくとケヴィンの眼をじっとみて涙ぐんでいる、怒っている様子でもあった、ケヴィンはというとその長い沈黙の間、ずっとだまってて、5分もすると耐え切れず、こくり、とうなずいた途端、ビンタがとんできた。
「あはははは」
現実のアパート、203号室では、意地悪く大家がわらっていた。
「ちょっと、面白くないですよ、それにビンタっていっても、ほんのかるく、ペタンですよペタン」
「何度聞いても面白い話ね、あなたやり返さないし、私だったら何をしてやろうかしら。」
少し拗ねて黙り込んでいると、大家はからかい過ぎたと思ったらしく、はかなげな瞳をケヴィンの鼻元へむけて、なだめるように話をきかせた。
「私はその話、素敵だと思うよ、私がいってやってもいいんだけど、言いたい事ははっきり言わないと後悔するからね」
「はあ、それどういう事すか?」
「あんたって、優しすぎるのね、優しすぎるから何か後悔するかも、その時になって気づくのよ、自分が大人にならなきゃって。ねえ、ときには、人のために言うべきことをはっきり言う事もやさしさの類に入る事があるのよ、例えば恋人ができたら……」
(ハリネズミのジレンマの話だ)
ケヴィンには続きの話はすぐにわかった、この話をすると、だいたいこういう事を言い出すだろう事はわかっていた。ごちそうさまでした、と立ち上がりすぐさま廊下へむかって、もう一度お辞儀をする、大家はニコニコしてその様子を見送っていた。
「言いたい事いわないと、お互いの気持ちもわからない、距離感もわからない、恋人と長続きしないぞ、でしょう」
「今日も詠唱ごくろうさま」
それが毎度の2人の挨拶だった。それが、とある大事件に巻き込まれる発端となるともしれず、開け放った窓からは、シンプルイズベスト、生活感のない
大家の部屋へ、さわやかな秋の風が吹き込んできていた。