宿屋の主人
短めです。
うー...ん、と。
快眠とは程遠い唸り声をあげながらのっそりと起き上がる。
あの後やる事がなかったので、自室(?)に戻り結構早くにベッドに横になったものの、こちらの質問に対してヴォルドーが答の代わりに返した獰猛な笑みの意味を量りかねてなかなか寝付けずにいたのだ。
体を覆っていた布団は、まだ完全には覚醒していないレイヴァンの体にまとわりついていたが、日課の訓練を欠かすわけにもいかない。それに、
(夜明け前に中庭か...。)
たとえ訓練がなかろうとヴォルドーに呼び出しを受けていた。
部屋に一つだけついている採光窓から外を見る。空の濃紺色に対して家屋には黒々とした影が張り付いている。流石にこの時間に起きている人は少ない。
この宿屋にはレイヴァン以外にも多くの客が寝泊まりしている(厳密にはレイヴァンは客ではないが)。物音を立てないように細心の注意を払って戸を開けて通路を歩く。好意で住ませてもらっている身で苦情の原因になるわけにはいかない。床は、というか建物自体が木で作られているが、建ったばかりだからか改修をこまめに行なっているからか、どちらにせよ床が一歩ごとにギシギシときしむこともなく、それほど苦労せずに歩を進める。
宿屋の一階は共用で、受付や食堂などがある。二階から四階が個室になっている。そのうち一階と二階は吹き抜けになっており、開放感を感じさせる作りになっている。
(中庭といっていたが、さてどこにあるのか。)
とりあえず宿の出入り口に行ってみるが防犯上の理由でもちろんしまっている。取っ手部分には何やら魔道具らしき、いかにも無理に開いたら騒音を撒き散らしそうな器具がついているので開けるに開けられない。
とそこで、ふと出入り口の左の掲示板を見る。おすすめの料理や団体様歓迎と行った宣伝広告の中に、一枚だけ毛色が異なった手書きの紙を見つける。
(『小僧へ 公衆便所の前を右に歩いて、曲がり角を左。 ヴォルドー』...これ俺が見つけなかったらどうしたんだ?)
指示の通りに公衆便所へ。昨日使ったので場所はもう分かっている。次いで用を足していく。
便所を出て左折。一つ目の曲がり角をまた左折。すると扉があった。扉を開けると冷たい風が流れ込んでくる。タイレフは季節によって気温が大きく変動し、季節の境がはっきりとしている。今はまだ春先。夜明け前ともなると肌寒いのも当然であった。と、そこへ
ブゥン...ブゥン...
自然の風とは明らかに違う規則的な風切り音。レイヴァンも、師匠と過ごしていた時には自ら生み出していた。
ある程度確信はあった。音源の正体は剛腕に振り下ろされる棍棒のような木刀。そして振り下ろしている張本人はヴォルドーであった。
スゥッ...と、今までの周期とは違って、一息つく。
(来るっ)
休憩ではない。むしろその真逆。ゆっくりと振り上げ体が限界まで伸びきり、そしてっ
破ァッ!
ブゥゥンと高速で刃が振り下ろされる。第一印象は剛腕。ただしそれより特筆すべきは
(綺麗な太刀筋だ)
剣にはそこで切断対象を捉えるべき芯のようなものがある。極端だが根元で切ろうとする者はいないだろう。その芯が綺麗な円弧を描き最速になるように調整されている。
残心を解き、ふっ、と息を吐いてから男がこちらを見やる。
「よう、いい朝だな小僧」
「...なんのつもりですか?」
「おいおい、挨拶に質問を返すんじゃねえよ。それに、だいたいお前も把握しているだろ?お前が聞いてきたんじゃねえか。自分に合う仕事をな。」
「それに対して更に特技は何かって質問を返して、意味深なことを言って出て行ったのはヴォルドーさんでしょ?」
「察しの悪い男は嫌われるぞ?それを踏まえて俺が仕事を紹介してやろうとしてるんだろう?」
「宿屋の用心棒ですか?」
「俺で間に合っている。」
「それじゃあ何を?」
「お前、最近ここに来たと言っていたよな。その前は何をしていたんだ?」
「急な身分調査ですか?そういうのは昨日出会ってすぐにするものだと思うんですけどね。」
「ぐちぐちうるさい。さっさと答えないと追い出すぞ?」
はぁ、と喉の奥でため息を漏らす。別に何をやっていたかだけなら後ろ暗いことはない。
「冒険者ですよ。」
「だろうな。」
それで、とヴォルドーは言葉を更に続ける。が、雰囲気が変わった。
「タイレフに、いや俺の家族に危害を加えようなんて思ってねえだろうな?」
ここに来て、やっとレイヴァンは理解した。ヴォルドーが夜明け前という人目につかない時間に呼び出した訳を。
(まあ仕方ないか。いくら15歳でまだ大人ではないと言っても、服も着ずに倒れていた旅行者を名乗る不審者を疑わずに受け入れるほうがどうかしている。)
つまり、昨日出会ってから今に至るまでこの男は自分のことを心の一部で信用していなかったのだ。そして仕事の紹介を匂わせて呼び出した。
(ただ、本当に仕事を紹介して欲しいだけなんだよなぁー...。とりあえず誤解を解くというか、疑念を晴らすというか。)
一息ついて、ヴォルドーの顔を真正面から見る。
「危害を加える気は一切ありません。正真正銘の行き倒れですから。証拠を提示しろと言われても困りますけど。」
視線を外さず、こちらの真意を差し出すかのように。
ヴォルドーが瞼を閉じて視線を切った。
「はぁ...疑って悪かったな。」
「いえ、それが正しい判断だと思うので気にしてませんよ。」
器用に片目を瞑りながら、ヴォルドーは右手で乱暴に頭を掻く。必要であったとはいっても疑ったことに幾許かの罪悪感を感じているようだ。
「あーあ、やめだやめだ。お望み通り仕事を紹介してやる。といってもお前が前やってたことと変わらんとは思うがな。」
前やっていたこととは、つまり。
「タイレフにも、というか神聖国サンマルチアにも使徒協会という名前の冒険者組合のようなものがある。登録に際して身分、身元に制限はかけていなかったはずだから小僧でも登録できるだろう。」
それを聞いてレイヴァンは拍子抜けした。そんなことならあれほど悩む必要はなかったようだ。とはいえ、どのみち下着一丁ではどうにもならなかったのでサングウィン一家には感謝しかないが。
「だがな」
ヴォルドーは言葉を続ける。
「客ではないが、個人の身元を無理やり効き出すわけにもいかんが。俺自身以前世話になっていた手前、そう易々と身元も判然としない有象無象を協会に勧めるわけにもいかない。」
雲行きが怪しくなってきた。
「まあ、なんだ。俺と組手でもしようや。会った瞬間からお前に興味があったんだ。」
...言葉の選択!男に言われてもなんも嬉しくねえ‼︎
読了お疲れ様です。
序盤にサイドストーリーを始めると、どっちが本編かわからなくなる問題。