報告、報酬、そして回想
なかなか進まなくて申し訳ないっす。
1
「...い。...きろ。」
(う...ん)
「おい、起きろジン」
レイヴァンの声が聞こえて、ジンはなんとか重たい瞼を少しだけ持ち上げた。
「んん...なぁに、レイ?」
「早く起きろジン。とっくに太陽は登ってんだよ。」
そう言われて、ガバッと起きた。
今日から稽古をするということを思い出したのだ。
起こしてきたレイを見ると、腰に手を当て、やれやれとでも言わんばかりだ。
「ごめん、レイ。寝坊しちゃった...」
こういう時は素直に謝るべし。
「はぁ〜。でもまあ、確かに昨日は疲れただろうし仕方ねえか。明日からはきちんと起きろよ。」
レイはこういうところがしっかりしていると思う。
「気合が足らんのだ!」とか「やる気がないんだろ!」とか言わないから。気合いの有無に関わらず、眠い時は起きれないのだから仕方ない。
「予定変更だ。今日は先に協会に行って報告してから稽古にしよう。」
というわけで協会へ。
昨日も行ったはずだが、なぜか随分と前のことに感じられた。
とりあえず木の扉を開けて中に入る。
相変わらず人がたくさんいて賑わっている。
…とそこで
「レイ、ジンくーん!」
「だから言葉遣いをしっかりしろっていってるでしょ!」
スパンッ
「もうっソフィア先輩、いつもいつも叩かなくてもいいじゃないですか!」
声の主は見るまでもなく分かった。
俺とレイはアレアの方へ近寄った。
「よう、相変わらずソフィアさんにしごかれてんな。」
「そうだぞー、アレアさん気をつけないと。」
俺たちの声を聞いて、アレアが振り返った。
「レイヴァン、ジンくん!」
一転して明るい声をあげる。
「依頼どうだった?怪我はない?」
咳き込むようにこちらの身の心配をされると、ふざけてた俺とレイヴァンは少し決まりが悪い。
「あぁ、俺もジンも怪我はねえよ。今回は薬草採取だしな、普通にやってりゃ怪我はしないって。」
「そうは言っても密林の中に入ったんでしょう?そしたら魔物と遭遇しちゃうかもしれないじゃない。」
「ねえレイ、もしかして俺たちが魔物と遭遇しなかったのって、実は結構運がよかったの?」
「そうだな、普通は遭遇するぜ。だからお前には短刀を持たせたんだろ?」
「あれ本当に使わせる気だったの!?あんなので戦えって、無理に決まってんだろ!」
「それはお前がその程度だってことだろ。」
やいのやいのと言い合っていると、アレアが割り込んできた。
「まあまあ、その辺にして依頼の達成報告しようよ、ね?」
アレアに仲裁されて本題を思い出し、とりあえずお互い鞘に納める。知らず知らずのうちに周囲の視線を集めていたようで、そこかしこから忍び笑いが漏れ聞こえてくる。恥ずかしい...
俺たちは依頼報告の窓口に向かって歩くと、アレアもついて来て、窓口横の出入口から入った。
「アレアさんって使徒登録窓口の担当じゃなかったの?」
「実はそんなにきちんと担当部署が決まってるわけじゃないの。ほら、窓口同士近いでしょ。だからそれなりに経験がある受付嬢はいろんな窓口で活動するようになっちゃうの。」
私これでも結構”べてらん”なのよ!
なら言葉遣いにもきちんとしろよと思った。
2
「…46、47。うん、依頼達成です。ええっと、本当は40本でいいんだけど余分な17本はどうする?協会で買い取ってもいいんだけど。」
依頼の本数は40本だったがレイが50本取ろうと言ったのには理由がある。とった薬草が全て指定されたものとは限らず、また状態が悪いと受け取ってもらえない場合がある。依頼通りの本数丁度をとって来て、間違った草や、受け取ってもらえない薬草があって依頼を達成できなかった、なんて間抜けなことにならないように予め多めに薬草を取って来たのだ。
「買取で頼む。」
クリウォル草に限らず薬草は、薬学を修めていない薬を調合できない者が持っていても仕方がないので、レイの判断は当然のものだ。
「改めて、初の依頼達成おめでとう、ジンくん!これからも怪我に気をつけて依頼をこなしてください。」
これが俺の初めての依頼達成かと思うと、体にじんわりと熱がこもる。力が湧いてくるわけではなく、程よい脱力。達成感というか、清々しい気分だ。
アレアから薬草の買取代金と依頼達成の報酬をレイヴァンが受け取ると、昨日渡された協会証を渡すように促される。2枚の協会証を受け取ると、アレアはいったん裏手に引っ込んだ。どうやらジンが見たことのない不思議な直方体の機械に協会証を通しているようだ。すると一瞬協会証と機械の読み取り部が青白く光り直ぐに収束した。
「ああやって魔道具で協会証に依頼達成の記録をつけているんだ。あんな小さいカードじゃ、字を書いて記録してると直ぐにはみ出してしまうだろう?」
戻って来たアレアから協会証を受け取り、やっと初めての依頼が終了した。
アレアと別れ、協会を後にする。街を歩いている最中、レイヴァンはずっと辺りを見回しては、あそこにするか...いややっぱりこっちの方がいいか...と一人で呟いている。さらに何が楽しいのか時折鼻でふふ、と笑うものだからジンにとっては結構気持ち悪い。意を決してレイヴァンに話しかけてみる。
「報酬をもらってからどうしたんだよ。少し気持ち悪いんだけど。」
声をかけられたレイヴァンはジンのなんのことか分からないと言った顔を向けてくるが、直ぐにハッとして口を手の平で押さえる。
「まさか声出てた?」
「うん、はっきり。」
あちゃー、といった顔をしている。
「いやさ、一人で生活してると独り言が多くなってしまってね。癖だから仕方ないんだけどなあ。」
そう言われてジンは自分はどうであったか思い出すが、一人で考えていたことを口に出したことはないと思う。
「やめた方がいいよ。急に『ふふ』って笑い出すと怖いもん。」
「そうは言ってもな。癖はどうしようもないだろ?お前だって、なんか癖があるはずだって。無くて七癖って言うしな。」
「レイは七癖じゃ止まらないよ。癖が強すぎるもん。」
「この生意気小僧め。明日からの稽古、覚悟しておけよ?」
唐突に稽古の話に飛んだ。
「いやさ、そんなの年下に向かってすることじゃないって。大人気ないよ。」
「俺は大人じゃねえから関係ないなあ。」
はあ、っと嘆息してから、レイヴァンに尋ねる。
「それで、結局さっきの独り言と一人笑いはなんだったの?」
「そうだったな...なあジン、これを見ろよ」
そう言ってレイヴァンは、肩にかけている袋の中から巾着を取り出して渡してきた。受け取った時に袋に手の平が触れて、金属同士が擦れる軽い音がした。結構重い。紐を緩めて中を見ると、たくさんの銀色の硬貨が入っていた。ジンが雑用で働いていた店で、客から代金として受け取っていたものと同じもの。最もあの時は他の色の硬貨も混じっていたが。
ジンがまじまじと硬貨を見つめているとレイヴァンが声をかけてくる。
「そいつが今回の依頼の報酬、タイレフ通貨で1000スノン硬貨22枚だ。あら?そういえばお金はわかるか?」
「うん、わかるよ。料理店で働いていた時に客から代金を受け取ってたから。だいたい、これ1枚で料理だけなら一人前って感じだったかな。」
「まあ妥当な値段だな。今回の依頼の正規の報酬が2万スノン。あとの2千スノンは俺たちが余分に採ったクリウォル草の買取分だな。アレアのやつ、ちょっと色つけてくれたかもしれんな。」
「もっと金額の高い硬貨はないの?22枚って結構重くない?」
「まあ、それは確かにジンの言う通りなんだが、この上の5000スノン硬貨が少なかったか、俺らが1000スノンずつ使いそうとか思ったんだろう。」
ジンと話しながらレイヴァンは自身が初めてタイレフで報酬をもらった時のことを思い出し、それに関連してアレアと出会った時のことも思い出した。
レイヴァンとアレアの出会いは、レイヴァンがこの街に来たばかりのことだ。『運命の』といったステキな言葉とは無縁の風情のかけらもない出会いだった。
3
それはレイヴァンがタイレフに来て間もない頃だ。
師匠と別れ、ようやく一人の生活が始まった。急に話し相手がいなくなり、気楽さを感じつつも、唐突にさみしさを感じたりと、少し落ち着きに欠けていたのかもしれない。
(とりあえず当分は保存食の残りがあったし、それなりに所持金もあったため一週間は持つだろ)
ある朝周辺部を流れる川で水浴びをしようと、不用心にも荷物を全て川岸に置いたまま、川に降りて行った。それから、川で水浴びをしながら泳ぎ、川を泳ぐ魚を捕まえようと一人でバシャバシャはしゃいで夢中になっていた。
しばらくして、川を出て坂を登り、川岸の荷物を取りに行って絶句した。
「荷物が...なくなっている。」
正確には全て無くなっていたわけではない。唯一使い古され、所々ほつれた下半身の下着だけが、残されていた。
「パンツがポツンと...ハハッ...」
たとえ15歳で大人ではないからといって、男がずっと真っ裸で呆然と立っているわけにはいかない。というか股の間を風がスースーと通り抜けて落ち着かない。ひとまずパンツを穿き、そして川岸から川へと続く斜面に仰向けで寝転んだ。両手を頭の後ろにやる。ずーっとそうしていた。タイレフに着くまでの旅の疲れと、これから先どうすればいいのかという不安で頭の中が混乱していた。
「おいおい神聖国さんや。あんたの国の民は、着いたばかりで右も左も分からない哀れな旅人から、平気で全てを奪っていくというのかい...」
ふっと吹いた風に煽られた下半身の布が、まるで自分は残っているとでも言うようにひらひらと肌をなぞった。
それからさらに時間が経ち、夕陽があかあかと燃える頃、レイヴァンはいつの間にか眠っていた。荷物を全て取られた人間とは思えない不用心さだが、全てを奪われてもう何も残ってやしないという開き直りだろうか。師匠との旅で野宿に対する慣れも手伝ってか、寝息をスースーとさせてぐっすりと。
しかし、唐突に寒気を感じてぶるっと震えて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。すると、誰かがレイヴァンの顔を覗き込んでいた。それまで寝ぼけていた意識が急激に覚醒して、思わず全力で体を転がして起き上がった。相手もびっくりしたのだろう。後ろにのけぞっていた。
「なっ、なんだよお前!俺は見ての通り何も持ってないからな!食っても美味しくねえぞ!」
「たっ、食べたりなんかするわけないでしょ!あなたこそなんなのよ、パンツ一丁で寝っ転がるなんて普通じゃないわ!」
高い声を聞いて改めて相手をじっくり見ると、レイヴァンと同年代に見える小女だった。
改めて自分の格好を見る。
(そりゃあ、普通だったら俺だってパンツ一枚で眠らないって。)
「俺は最近ここにきた者でな。昼に水浴びしているうちにパンツ以外荷物を取られちまったんだ。というかお前こそなんなんだよ。普通パンツ一枚で寝転がっている男に近づくかあ?寝込みを襲う気かよ、変態。」
「変態じゃない!寝込みを襲う気なんて微塵もないわ!あなたみたいな子供が何も持たずにパンツ一枚で寝転がってたら心配して声をかけるに決まってるでしょ!」
自分のことだから悲しいが、客観的に考えて下着一丁の男を見ても普通は声を掛けず目も合わせずに立ち去ると思うんだが...
「お前俺に声をかけたかあ?なんも聞こえなかったんだがなあ。」
「声をかけようとしてたの。ていうか、眠ってたら声をかけてもわからないでしょ!なのにあなたが急に目を覚ますから、驚いて心臓止まりそうだったじゃない!」
少女がフーッフーッと肩で息をしている。落ち着くのを見計らってから、レイヴァンは声をかけた。
「ところで、お前さん、なんて名前なんだ?」
少女は怪訝な顔をしながらも、仕方ないといった様子で名乗った。
「...私の名前はアレア・サングウィン。あなたは?」
「俺はレイヴァン。ただのレイヴァンだ。」
「そっ。それでレイヴァン、あなたどうして裸なの?さっき荷物を取られたって言ってたけど。」
レイヴァンは少女にざっと事情を話した。師匠と旅をしていたが、最近一人で旅をするようになり、そしてこの街にたどり着いたこと。そして、着いて2日目にしてパンツを残して全てを盗まれ無一文になったこと。
話を聞き終わると、アレアの顔に呆れと同情が浮かんだ。
「荷物から目を離したらそりゃダメでしょ...。それでこれからどうするつもり?」
どうするつもり。どう・する・つもり?
「聞くまでもないかも知れんが一応聞いておこうかなあ。」
「何よ。」
「下着一丁で出歩く奴をどう思う?」
「間違いなく奇人変人よね。衛兵がすっ飛んできて連行される未来が鮮明に見えるわ。」
「全く同感。」
この国は未開の蛮族の国ではなかったようだ。
(どうもならんだろう。街の中歩くだけで捕まるんじゃあ、おちおち食料も探せないじゃないか。)
「とりあえず今日は野宿するしかないよな。まあ腹は空くが食べ物もなんとかするしかないし...いやちょっと待て、事情を話せばわかってもらえるんじゃ」
「聞く耳を持ってもらえたらね。」
「だよなあ。」
さすがに身分不詳の下着男では分が悪い。
そして本格的に手詰まりだ。そもそも街を出歩けないんじゃ、町の外に出ることさえかなわない。
途方に暮れていると側で鼻から空気が抜ける音が聞こえた。
「仕方ないか。あなたをうちに泊めてもいいかお父さんとお母さんに聞いてみる。」
バッとアレアの顔を見る。
天使の福音が聞こえた気がした。
「本当か!?」
「待って。聞いてみるだけよ。許してくれるかはまだ分からない。」
「いや、十分だって!かあ〜この国にもいい人っているんだな!」
暫くして。
「多分大きすぎると思うけどこれを着てちょうだい。」
アレアが家から服をとってきてくれた…のだが、規格外に大きい。レイヴァンだって決して体は小さくないが、サイズなんて丸っきり無視されている。裸のままでは街を歩けないのだから服を着るのは当然だが、袖を通すと膝まで届き、足を通すと裾を二重三重に捲らなければならない。紐を限界まで引っ張り、腰周りで縛ってなんとか着ることができた。
頭、だぼだぼの服を着た上半身、腰周りで縛って裾の広がった下半身。丸、四角、三角でどこかの串料理のようなフォルムになっている。
ぶふっ、と吹き出したアレアに非難の視線を向けるが、顔をそらして下手な口笛を吹いている。
服を貸してもらった側ということでレイヴァンは諦めた。
ようやっと街に繰り出す。少し歩くと町の中に門のようなものがあった。周辺部と中心部の境界だ。
さすがに裸では通り抜けられなかっただろうが服を着ている子供二人なら何も言われずに素通りできる。
レイヴァンは今まで周辺部でしか行動していなかったので、物珍しさもあってしげしげと辺りを見回す。
「すげえ綺麗な街だな。さっきまでいたところとは大違いだ。」
「この国は信徒以外には厳しいからね。周辺部には信徒以外の人が暮らしてて、中心部には信徒が暮らしてるの。でも中心部に住んでて周辺部で仕事をする人はいるし、逆に周辺部に住んでて中心部に仕事をしに行く人もいるから、そこまで検問は厳しくないかな。」
へぇー、と生返事が帰ってくる。レイヴァンは白い石を削って作られた噴水や整然と並ぶ白を基調とした家屋の列に見入っていた。
「見えてきた。あれがお父さんとお母さんが営んでいる宿屋よ!」
アレアが指差す方を見ると、確かに木造の建物から道に金属の棒が突き出し、そこから木の板が懸かっている。それには『宿屋』の文字が。
「ここが私の家族が経営してる宿『白馬の館』よ。中心部でもお手頃価格と美味しい料理で人気なんだから!」
しれっと宣伝を挟んでくる。妙ちきりんな名前の宿だが、奇妙な名前の宿屋はそれほど珍しいものでもない。いちいち由来を気にする必要もない。
(師匠が『幽霊の宴』なんてのに泊まるって言いだした時は正気を疑ったな。)
旅の途中、森の中を歩いている時に雨が降り出し、日も暮れていたため、偶然明かりの点いている建物に飛び込んだ時のことを思い出す。
(すげえオンボロだったし名前が洒落になってないんだよな。)
「ただいまー」
「お、お邪魔しまぁーす」
アレアはそのまま宿の戸を開ける。自分の家なのだからアレアが堂々と入って行くのは当然だが、レイヴァンはここに止めてもらえるか否かでこれからの命運が決まると言っても過言ではない。ついつい及び腰になってしまう。
「おかえりなさい、アレア」
声をかけてきたのは金色の髪の綺麗な女性だった。すらっとした体型で優しい眼差しをしている。アレアに比べて目尻が下がっておっとりしている。髪の色は違えど、一目でアレアの母だと分かるほど似ていた。
そしてその目がレイヴァンの方を向く。
「それで君が…ふふっ!」
なぜか笑われた。いや、理由は明白だ。どう考えてもこの不恰好な服装のせいだろう。
「ごめんなさいね。主人が昔来ていた服を他の人が着ているのを見ると不思議な感じで。大人用しかなくてサイズが合わなかったでしょう?」
「いえいえ!こちらは服を貸していただいた身でありまして、大変感謝しておりますとも!」
アレアがぎょっとしてこちらを見た。恐らく急に変わった言葉遣いに対してだろう。これくらいの猫かぶり、もとい礼儀は弁えている。
「あらあら、丁寧にどうも。役に立ってよかったわ!」
アレアが肘で小突いてくるが気にしない。
三人で話していると大柄な男がのっしのしと歩いてきた。大きな体にも関わらず、体の軸がしっかりしている。髪が燃えるような赤色で何処と無く風格のようなものが漂っている。剛毅、という単語が浮かんでくる。
(この人...強いな)
「おっ、帰ったかアレア。そんでこの坊主が件のパン一少年か。」
髪の色や呼び方からして、アレアの父なのだと、こちらもすぐに分かった。
あんまりな呼称にうんざりしてしまう。
「さすがに無料で個室を貸しちゃあ他のお客さんに面目が立たないからな、お前さんがいいのであれば奥の物置部屋を貸そう。」
「ホントですかっ!ありがとうございます!!」
「まあいい、さっさと働き口でも見つけて次は客として来い。そんときはもてなしてやるよ。」
鍵を渡され4階建ての建物の一階、便所がある右奥ではなく左奥の通用口に向かう。通路の最奥、扉を開けるとベッドと布団、机に椅子、そして一つだけの窓。物置部屋と言われてどんなにごちゃごちゃしているのかと内心不安だったが、部屋の隅に木箱が積まれているだけで、人ひとり生活する分には全く不自由しない。先ほど貸してもらった宿の中で履くつっかけの靴を扉をあけてすぐの所で脱ぎ部屋の中へ。
布団のシーツ表面を撫でるように軽く払う。しかし塵一つとして舞わなかった。物置にもきちんと掃除が行き届いている。本当にいい宿屋のようだ。
アレアと出会った時は既に夕暮れ時だった。今はもう暗い。
疲れた体をベッドに横たえる。
(目下最大の問題は金になった。なんとか住居は貸してもらえたしな。)
ただこのままでは事態は悪化するばかり。早晩空腹に喘ぐことになる。
(...。何か俺でもできる金稼ぎを聞いてみるか。)
トントンと戸がノックされる。続いてアレアの声が。
「レイ、入ってもいい?」
レイとは、アレアが例につけた愛称だ。と言っても初めの二文字をとっただけでは愛称か略称かは怪しいが。アレアが言うに、‘ヴァ’が言いづらいそうだ。
「おういいぞ。」
戸を開けて入ってきたアレアは茶色の料理着を着て肩につくかつかないかのさらさらとした紅髪を三角巾で覆った従業員の姿をしていた。親の手伝いをしているらしい。看板娘といったところか。不覚にもドキッとしてしまった。
(なんか働いている同年代の女の子とかなー。ずるいと思うんだわ。)
誰に宛てたものか分からない言い訳をしてしまう。
「それで、どうしたんだ?」
「お父さんが料理を作りすぎたから食べたいなら勝手に食べろってさ。ふふ、お父さんなんだかんだで世話好きだから。」
「行く行く、すぐ行く!きたあー待ってろ俺の晩御飯!」
「待ちなさいって!」
そしてレイヴァンは弾丸になった。
結局場所が分からずアレアに連れられて食堂に行った。
(くそ、今の俺なら料理の気配を知覚できると思ったが修行不足だったか...。)
「来たか素寒貧坊主、飯の残りならそこだぜ。」
「なんか呼ばれ方がもっと酷くなってるんだけど、お前の父ちゃんに俺なんかしたっけ?」
「日頃の行いじゃない?」
なぜか出会って数時間で日頃の行いまで評価されてしまうことにげんなりするレイヴァン。
しかしテーブルの上にある料理を目にして一瞬でどうでもよくなった。
血が滴るような分厚いステーキ、ホクホクとした白身魚の蒸し焼き、みずみずしい野菜サラダ、心温まるスープ。他のお客様が食べて残った料理だから少し冷めてしまってはいるが、そんなこと全く気にならないほどの豪華な料理たち。
「ここが楽園だったか...。」
「おら、ぼうっと呆けてんな。早く椅子に座れ小僧。」
俺15歳なんだけどなー、なんてそんな些細なことは今はどうでもいい。
いまはこの目の前の至高の料理を自分の口一杯に頬張るのみ‼︎-
ビュッ
レイヴァンが伸ばした手を掠めてフォークが机にビィィィィンと突き立った。
たらり、と冷や汗が頬を滑り落ちる。視線を飛来したフォークの延長線上に向けると、まるで何事も無かったかのように、いや逆に何かあったとしか思えない笑顔で赤髪の大男が腕を組んでいた。
「落ち着け、そして席に着け。礼儀知らずに食わせる飯は無えぞ?」
スタッと椅子に座って背筋をピィンッとのばす。
全員が椅子に座ってサングウィン一家が祈りを捧げる。レイヴァンも勿論見よう見まねで祈りを捧げた。
「フン、食べていいぞ小僧。好きなだけ食うといい。テーブルマナーも見逃してやろう。」
パァッとレイヴァンの顔が明るくなり、次の瞬間食べ物をどんどんフォークに刺しては口に放り込む。
「あらあら、ふふっ」
「すご...。」
「ったく、本当にマナーを無視しやがって...。」
朝ごはんを食べる前に保存食を盗まれ、昼ごはんは抜き、それだけでなくここ最近はこんな暖かくて温かい料理を食べ食卓を囲む機会がなかった。
早食いをしてはもったいない、もっと味わって食べないといけないと分かってはいるのに手が止まらない。
涙が出そうだった。師匠と別れ、一人で旅をして、食べるものはあまり変わらずとも話し相手がいなくて寂しかった。知らず知らずのうちに心は疲弊していたらしい。
結局5人前くらいの量を食べた。食べ終わった後、まるでお辞儀でもするかのように深々と頭を下げて、
「ごちそうさまでした」
と言った。
ジャアーと水の流れる音がする。
奥の台所でアレアの母がアレアと一緒に食器を洗っている。
自分が洗うと申し出たのだが、カレアに優しく微笑まれて
「いいからいいから、あんなに美味しく食べてもらえたら料理人冥利に尽きるわ」
と言われ、アレアの父のヴォルドーにも
「ふん、お前は客ではないが雇った覚えはない。」
と言われてしまい、少し居た堪れないが仕方なく椅子に座っていた。
自分から話すことはないわけではない。しかしなんとなく、仕事を紹介してもらおうと口を開きづらかった。
そんなレイヴァンの気配を察知したのか。低く太い声でヴォルドーが話しかけてきた
「小僧」
視線はグラスについだ透明の液体に向いている。まさか水ということはないだろう。
「なんですか?」
「お前、仕事に当てはあるのか?」
言葉に詰まるが、ここで強がってもどうしようもない。
「ないです。」
「ふん...。うちで働くか?」
レイヴァンの瞳がピクリと揺れた。
問われて、レイヴァンは考えた。
なるほど今日の自分は相当運がいいらしい。行き倒れかけていたところを偶然宿屋の少女に声をかけられ、少女の家族が経営している宿屋で仮の住まいを与えられ、ついには雇ってまでもらえるとは。
師匠と別れ一人で生き始めてから久方ぶりの人の優しさに触れて心が温まった。
だから、言葉はすぐに出てきた。
「誠にありがたいお話なんですが、お断りさせていただきます。」
だからこそレイヴァンはこの提案を受け入れない。
違う、と思ったのだ。この先の人生では自分の意思で選択すると師匠に約束し、自分に誓った。確かに自分はこのサングウィン一家に助けられた。その分の恩返しはいずれ必ずせねばならないと思う。それこそ頼まれたのなら宿の手伝いを喜んでしよう。
しかし、雇ってもらうのは話が別だ。俺が普通の客として宿に来ていたら、絶対俺を雇うとは言わなかったはずだ。
こちらに気を遣って、同情を隠しながら窮状を助けるために『雇う』という形をとったのだろうが...
自分の意思と選択で生きていく。
宿屋で働く日が来るかもしれないが、今じゃない。
「そうか。そりゃ残念だ。」
ヴォルドーは口の端に笑みを滲ませながら、言葉通りには思っていないのだろう、軽く言った。
勢いで断ったものの、レイヴァンの心中は後悔と自責の念渦巻いていた。
(なんっで断っちゃうんだよ俺!?絶対受けた方が良かっただろー...)
今更取り消すのは格好悪い...という見栄もないことはないが、一度傾いた心の天秤は、自分を騙しでもしない限り反対側には傾かない。
仕方ないので質問をぶつける。
「...。俺みたいな身分の怪しい奴を雇ってくれるようなとこってありません?」
「今目の前にいたんだがな。まあいい。小僧にも考えがあっての返事なのだろうからな。...何か特技はあるか?」
「戦闘と野宿ですかね。」
ピクッとヴォルドーの眉が動く。
「ほぉう、やっぱりか。」
先ほどの淡い笑みとは毛色が違う、好戦的というか獣のような、というべき笑みを浮かべ、目を爛々と輝かせている。
(何かまずったか?)
何も後ろ暗いところは無いはずなのになんだか悪いことをした気分になってくる。
ガタラタタ、と音を立てながらヴォルドーが席を立った。
「明日使う分の食材を取ってくる。」
今のはカレアに向けた言葉だろう。話は終わりとばかりに出口に向かって歩き出す。
はーい、とカレアの返事をした。
結局特技聞かれただけでなんも仕事教えてくれなかったなー、と心中でため息を吐いていると。
「夜明け前に中庭に来い。」
えっ、と顔をヴォルドーの背中に向けるが、何事もなかったかのように右肩に左手を置いて右肩を回している。
なんなんだ、一体...。
唐突な回想(っぽいようで違う何か)を始めてしまい、すみませんね。