狙撃手
そこには一面に、死が溢れていた。
広い町で、昼夜関係なく、多くの人々の活気に満ち溢れていた。・・・今はもう、その面影すら存在しない。
建物は破壊の限りを尽くされ、町の各所に、人間の死体が無造作に転がっている。
もはや、悲鳴をあげる人間はいない。わざと逃がした一部の住民を除けば、一人残らず、その悉く、死んだ。
死を携え、もたらしたデュラハン・・・鳴守灯夜は、その光景を眼下に眺める。
この町を含め、十にも及ぶ町や村を滅ぼした。二桁もやれば充分だろうと考え、そろそろ《魔海》に撤収するかと思案している最中だった。ちなみに、殺した人間の数は覚えていない。千を超えたくらいで、数えるのをやめたせいだ。
(結局、あいつら・・・勇者は姿を現さなかったな。まあ、元々は見知った顔ばかりだし、進んでやり合いたいとも思わなかったし、よかったというべきか)
「ん~~?何だ?ここで終わりにするのか?」
町の大部分が赤色に染まる光景のなか、純白を維持したままの梟、カシムが灯夜の肩に降り立つ。
やる事もなく、手持ち無沙汰だったカシムは適当に上空を飛んでいたが、飽きたのだろう。暢気に欠伸をしている。最初の方こそ、楽しそうに魔物たちによる血と肉の饗宴を見ていたが・・・ここで十回目だ。
飽きる気持ちも分かる。
灯夜だって、同じ内容の映画を十回も見れば、さすがに飽きる。きっとそれに近い状態だろう。
灯夜個人の気分的にも、《魔海》に帰るという選択肢に傾きつつある。
フィシ村以外では、ちゃんと生き残りは逃がしたし、存分に《魔海》の魔物の恐ろしさを心に刻み込んだはずだ。今後、《魔海》には不用意に近付いてはこないだろう。
プラシノスの命令内容は、達成されたのだ。
ならば・・・帰ろう。この瞬間、帰還が決まる。
(ああ、ここが最後だ。《魔海》に帰還しよう)
「ふーーん・・・しかし終わってみれば呆気なかったな。武装した人間共も抵抗したが、こちら側に損害なし。弱すぎて、途中から人間共を応援しちまったぜ」
(カシムが応援した甲斐もなかったな)
「まったくだ。よっしゃ、帰るって決めたんなら、さっさと帰ろうぜ。少しばかり《魔海》の空気が恋しくなってきた」
(そうだな。プラシノス様にいい報告も出来そうだし、きっと喜んでくれるだろう)
灯夜の思念に、しかしカシムは内心で、それはどうだろうかと首を傾げる。
この程度のことで、《魔海》の王は喜ぶだろうか、と。
《大魔王》がこの世界に出現する前、五大魔王の筆頭格とも恐れられたのが《緑》の魔王だ。
他の《赤》、《青》、《黒》、《白》・・・全ての魔王から一目置かれた、ダークエルフ。その実力を、疑う余地はない。そして同時に、その内面を窺い知ることもできない、ある種の不気味さがある。
《大魔王》が突如として出現し、《黒》と《白》の魔王がほぼ同時に殺された時。真っ先に《大魔王》の軍門に降ったのが、《緑》の魔王だった。
そのせいと言うべきか、《赤》と《青》の魔王も戦わずに、《大魔王》に降った経緯がある。
その功績で、今では《大魔王》の腹心・右腕の地位を確立したプラシノス。まるで自身の感情など関係ないとばかりに、効率的で無駄を省いた、合理的な思考をもつそんなプラシノスが、たかがこの程度の戦果で喜ぶ?
カシムはあり得ないと断言できる。
それこそ、灯夜が王国を滅ぼそうが、他の魔王を殺そうが、動じもしないだろう。
唯一の例外として、《大魔王》を殺せば、もしかしたらプラシノスの予想の外を超えるかもしれないが・・・それはあまりにも現実味のない話だ。例え話であろうと、無理がある。
カシムは、あまりにも下らないその思考を一笑。くしゃくしゃに丸めて、脳内からポイ捨てした。
「・・・・・・・・・そうだな。喜んでくれるといいな」
心にもないことを、口にしながら。
六日に及ぶ警告という名の侵攻は、こうして終わりを迎えようとしていた。
現在、灯夜たちが破壊し終えた町は、この近辺で一番の大都市だったので、丸一日以上かかったが・・・それでも、あらかじめ事前に計画されていた日程の範囲内だ。むしろ、これまでが順調すぎたのだ。
文句のつけどころはない。あとは帰るだけだ。
(帰るまでが遠足って言うしな)
「真面目だねー・・・気楽にいこうぜ。ここまできて、どんなイレギュラーな事態が発生すんだよ」
(・・・そんなことを口走っていると、フラグが立つぞ)
「はん!そんなフラグ、叩き折ってやるぜ!・・・お前さんがな」
(俺任せかよ)
そんな他愛もない談笑を、灯夜とカシムが交わしていた時だった。唐突に、《ヴォルーク》の悲鳴が響き渡る。
しかもそれは一匹だけではなかった。異なる方角から、たて続けに悲鳴が、断末魔が聞こえる。
何者かの襲撃を受けているのは明白。状況を把握しようとして・・・予告もなく、灯夜の額に、矢が命中した。
その衝撃で、フルフェイスの兜が歪み、地面に転がっていく。
(攻撃を・・・受けた?)
それは気配もなく、飛翔音もなかった。無音だったのだ。何より・・・驚愕すべき事に、矢が、まったく見えなかった。兜に当たり、その近くに矢が転がっていたからそこで初めて狙撃されたと認識したくらいだ。まさに、突然の出来事だった。
しかも、狙撃手がどこから撃ってきたのか、灯夜には皆目見当がつかない。少なくとも、灯夜の知覚範囲外からだ。第二射を受ける前に、カシムを庇いつつ、素早く物陰に身を隠す。
(どれほどの遠距離から、矢を放った?しかも不可視?いや、それ以前に遠くから撃ってこの威力だと?人間はもちろん、並の魔物の頭も吹き飛ぶ威力だったぞ。・・・ただの人間には無理だ。ならば・・・)
こんな真似が出来るのは、勇者しかいない。
結論は出た。あとは対処するだけだ。
(カシム)
「お、おう。なんだ?フラグ立てた文句は勘弁だぜ」
結構な緊迫した雰囲気だというのに、カシムの軽口は健在だ。これなら、焦って変な事はやらかさないだろう。
(カシムに文句はない。むしろ、これほど見事に奇襲されたのは俺の落ち度だ。帰還するのに思考の大半を割いてた結果、警戒網に緩みが生じた。勇者による多方面からの同時襲撃だ。『ヴォルーク』の分散も裏目に出ている。各個撃破されているようだ)
「・・・で、お前さんはこれからどうすんだ?」
(迎撃する。俺がここで何もせずに逃げれば、《魔海》の魔物の脅威認識が低下する。それは、結果的に任務失敗と同意義だ。例え相手が勇者でも、撤退させるか、ある程度の痛手を与える必要がある。俺に逃げるという選択肢はない)
「大丈夫か?こんなに多方面から同時ってことは、結構な人数が来てるんだろ?」
(おそらく十人以上。全員が勇者だろう)
「うへー・・・王国を本気にさせすぎたか?」
辟易とした様子のカシムに同意しつつ、灯夜はこの事態をポジティブに考える。
(好都合ではある。ここで王国の最高戦力を撃退できれば、インパクトは絶大だ)
「・・・それで?カシム様に何を望む?偵察か?」
(いや、一足先に《魔海》に帰ってくれ)
「おいおい、個人的には鉄火場は御免だから嬉しいが、いいのか?」
(戦場にいても、あまり役に立たないだろ?それに勇者と話す理由も必要性もないから、意思疎通をはかる手段もいらん。なら、カシムは必要ない。少なくとも、この場には、な)
「へいへい、そういうことなら邪魔者は帰るとするさ。このまま飛んで帰ればいいか?」
(いや、向こうには少なくとも一人以上、狙撃手がいる。射程距離も長いし、俺の額を寸分違わずに当てたから、命中率もいい。・・・多分だが、弓の腕どうこうではなく、勇者としての特殊能力だろう。カシムは目立つから、いい的だ。送還して、《魔海》に戻す)
「わかった。・・・ちゃんと帰ってこいよ。他の魔物はどうでもいいが、お前さんだけが帰ってこなかったら、《魔海》の王様に何されるかわかんねえからな」
(それ以前に、俺が万が一でもくたばったら、使い魔としての契約は破棄されて、元いた場所に帰るだろ?)
「それはどこか遠い異郷から召喚した使い魔の場合だろ。カシム様は生まれも育ちも《魔海》だよ。だから、逃げ場はなしだ」
(そうなのか?・・・《魔海》で、カシム以外の白い梟を見かけた記憶がないんだが?)
「種族として全体的に弱っちいからな、目立たないように隠れてるんだよ。まあ、頭はいい方だから、それで生き延びているんだわ」
(へえ~・・・・・・ん?・・・つまり、《魔海》の外に出たのは今回が初めて?)
カシムの発言に、思わず灯夜は凝視してしまった。
「そうだよ、悪いか」
(いや、悪くはないが・・・だからあんなに単独で、《魔海》の外に出るのを嫌がったのか?)
「・・・・・・うっせえな。さっさと送還しろ」
(スネるなよ。なんだ、可愛いところがあるじゃないか)
「この野郎・・・!」
これ以上は臨界点だなっと見切った灯夜は、即座にカシムを送還した。
文句は、帰ってから聞く方針だ。
(・・・さて、やるか。生きて帰らないと文句も聞けないしな)
灯夜はカシムとの会話中でも、町中に散らばっている『ヴォルーク』と、勇者たちとの戦闘音は聞いていた。それから判断するに、劣勢であると認識する。
(状況は悪そうだな)
灯夜の予想通り、戦況は奇襲に成功した勇者側が優勢だ。実際、三十はいた『ヴォルーク』はすでに半分にまで減っている。良くも悪くも目立つ『アルグトス』は、どうやら後回しにされているようで、牽制である程度の動きに誘導、限定されていた。その巨体ゆえに、動き自体はそれほど速くはない。プレッシャーに気圧されず、落ち着いて対処すれば時間稼ぎは容易だろう。
天秤の秤は、勇者側に傾いている。だが、決定的瞬間は訪れていない。
戦力は半減したが、『ヴォルーク』も不意の奇襲から立ち直りつつあり、群れの統制を取り戻し始めている。勇者側の思惑通りにいっていないのか、やや膠着状態だ。
確かに、灯夜側の状況は悪い。それは確かだ。だが・・・最悪とまではいかない。
ならば、ここからこの不利な状況を覆すことも可能である。
(ここから巻き返すかな、と)
灯夜が、攻勢に転じる。
一方、勇者側で唯一の長距離狙撃手である、佐伯駿二は冷や汗が止まらなかった。
一方的に、弓矢によるロングレンジからの安全な狙撃。その攻撃手段は、佐伯の性分に合っていた。
勇者として発現した特殊能力【ティラル・キエト】。それこそが佐伯駿二の不可視にして、無音の狙撃の正体。
能力発動には高い集中力が必要で、発射には時間がかかり、連射も出来ない。だが、今回のような奇襲や待ち伏せという状況下では、これ以上ないほどに強力な能力だ。特に、魔物は群れのリーダーを失えば、統制が執れなくなる。それを狙い撃つのが佐伯の役目だった。
何せ見えないし、聞こえない。威力も高い。佐伯が今まで出会ってきた魔物は、全て一射で仕留めてきた。
・・・だが、今回ばかりはそれが失敗した。能力を発現してから、初めてかもしれない。
いや、確かに標的には当てた。当たったのだ。その意味では、成功だ。
額を撃ち抜き、手応えも感じた。矢を発射した瞬間に確信したほどだ。これは当たる。やったと。
しかし、対象は死んでいない。攻撃が命中した衝撃で、兜は吹き飛んだが、それだけだ。
死んだかどうかの確信など、直接この目で死体を見るまではもてない。それが佐伯の信条だ。
しかし、今回ばかりはまだ死んでいないと確信できる。その場に崩れ落ちるように倒れれば、やったかもしれないと八割がた、思ったかもしれない。
だが、今回の標的は・・・当たった直後に、素早く物陰に隠れたのだ。
明らかに第二射を用心しての動き。
突然、知覚もできない未知の攻撃を受けた場合、それが人間であろうと魔物であろうと意識に空白が生じるはずだ。そして攻撃された方法がわからないことに混乱し、焦り、慌てる。そこに無駄な動きが出てきて・・・隠れるべき時間を浪費し、二射目で射殺される。
佐伯の能力は短時間で連射できないので、そもそも二射目を射ることができないが・・・佐伯が冷や汗を流している理由は、別にある。
アレは、一射目直後に、即座に動いた。つまり、すぐに攻撃内容を理解したのだ。
どのような攻撃を自身が受けたのか、動揺もせずに、瞬時に判断し、次に備えた。
佐伯にとっては最悪の対応をする敵だ。無駄がないし、隙がない。
既にアレは、佐伯の攻撃に常に備える心構えが出来た。直撃は、もはや難しい。
無論、あくまでこの戦場に限定すればの話である。また次の機会、別の戦場ならば不意をうち、直撃させることも可能だろう。
・・・今回のようなチャンスが、次に訪れればの仮定だが。
正直、今回のような状況は二度とないとも言える。
初めての邂逅。初めての敵。初めての攻撃。
情報は、武器である。初見殺しという言葉もあるほどだ。
前知識、前準備がなければ、死は避けられないそれも、裏を返せばそれは知識があり、準備をすれば避けられるということ。
アレは、その知識を得た。次はそれに備え、準備するだろう。
ならばどうするべきか。次の機会を待つ?別の戦場でどう戦うかべきかを考える?・・・論外だ。
今、ここで殺す。情報を持ち帰らせない。準備もさせない。この戦場で、仕留める。
アレはきっと警戒しているだろう。次の狙撃では仕留めきれないかもしれない。だが、それでもいい。
「要は、オレたちが勝てばいいんだ。オレが仕留めきれなくても、隙をつくることは出来る。その隙に、他の奴がアレを殺せばいい。結果的に、それがオレの、オレ達の勝利に繋がる」
自分に言い聞かせるように、佐伯は呟く。
アレは、ここで殺さないといけない存在だ。そうしなければ、後々にまで悪影響が及ぶ。
そんな確信をもてる、不吉な存在。
佐伯は、弓を握る手に力を込める。脅威と認識するアレが、かつてのクラスメートだと知らずに。
殺意を込めて、照準を合わせる。鳴守灯夜という名の、デュラハンに。