警告
《魔海》と外部の境界線近くの戦いと、撤収していく石神たちの背中を見届けた灯夜は、《魔海》の王であるプラシノスに報告するため、巡回途中だが切り上げて、主がいるであろう巨大湖へ帰還しようと身を翻す。
カシムが、そんなに急がなくてもいいよ、大した報告内容じゃないしとか、駄々をこねているが、灯夜はそれを黙殺する。
内容がどうとかを、勝手に現場が判断するものじゃない。大した事柄かそうでないかは、上の判断。
最終的にそれを決めるのはプラシノスだ。・・・もしくは、プラシノスの主と言われる《大魔王》様とやらが決める。
ならば、あとは速度だろう。いかに早く正確な情報を共有できるか。それ次第で、対応も変わる。
もちろん、《魔海》の定期巡回も大事だが、何事にも優先順位はある。
従って、最速でプラシノスの元に帰還する必要がある。
(・・・決して、プラシノス様に会いたいがための理由付けではないぞ)
灯夜の言い分を、カシムは鼻で笑い飛ばした。
場所は《魔海》の王が生活の中心地とする巨大湖のほとりに移る。
「そう・・・そんなことがあったの」
カシムを介して、プラシノスにくだんの件を報告し終えた灯夜は、次の言葉を待つ。
プラシノスの保有する戦力だけで、アペイロン王国を滅ぼせる。・・・灯夜の予想ではおそらく、プラシノス単独でも問題はない。石神たちの戦いぶりを見て、そう分析した。
『ヴォルーク』十匹程度に、あの有様だ。『シミア』の群れを幾つか、あるいは『アルグトス』を数頭差し向ければ、勇者も含めて王国ごと殲滅できる。仮に出来なかったとしても半壊は避けられない。ならば同規模の戦力を追加投入するだけだ。あまり時間差を空けないことで、人間たちも絶望し、士気は下がるだろう。あとは簡単。へし折れた心と、肉体も一緒にまとめて、物理的に粉々に粉砕すればいい。
辿り着く結末に、大した違いはない。少し・・・ほんの少しばかり、こちらの手間が増えるだけだ。
しかし、プラシノスはあまり気が進まないのか。はたまた興味がないのか、反応は薄い。
ポーズだけは困ったわねー・・・と言いたげだが、今日の晩御飯の献立はどうしようかしらと同じくらいの悩みにも見える。つまり、あまり深刻な事態ではないと考えて・・・いや、そもそも思考する価値すらないのか?そんな風に思えるほど、関心がなさそうだ。少なくとも、灯夜の目にはそう映る。
カシムの言っていた通り、プラシノスにとっては些事同然か。
やはり、このまま放置だろうか?
そんな結論を予想していた矢先、プラシノスが口をひらいた。
「うん、決めました。今回のような事例が二度と起こらないように、人間たちには警告を与えましょう」
実に軽いノリで、警告という言葉を発した。
恐る恐るといった感じで、カシムが聞き返す。
「警告とは・・・具体的にはどのように?」
「《魔海》から手近な場所にある、人間の村か町を幾つか破壊してきなさい。線引きは貴方に一任するわ、トウヤ」
とんでもないことを、サラッと口に出した。
今日の晩御飯の献立内容はこれよ・・・。そんな取り留めのない話のような気軽さで。
《魔海》の王は、次々に具体的な内容を開示していく。
「一人だと色々大変そうだし・・・『ヴォルーク』の群れと、『アルグトス』を一頭率いて行きなさい。比較的、言う事を聞く子たちを選別しておくわ。細かい雑事は、魔物に全て丸投げしていいから。貴方は指揮官として、行き先を先導すればいい。もしかしたら報告にあった勇者とやらが出てくるかもしれないけど・・・今の貴方なら問題はないでしょう?開始日時は、明日の早朝ね。警告の意味合いも兼ねてだから、目立つように昼日中に行動して。逆に夜間は休憩すること。じゃあ、よろしくね」
(・・・・・・・・・)
「承知致しました」
灯夜の代わりに、カシムが了承の意を伝える。
そして早速、魔物の群れを手配するためだろうか、プラシノスがその場を後にした。
残された形の灯夜は、ただ立ち尽くす。
「・・・どうした?王様の命令内容に不服でもあるのか?」
(・・・・・・いや、プラシノス様があんなに立て続けに喋ったの初めて見たから、感動のあまり放心してた)
「そこかよ!?わかってはいたがお前さんの感性は独特すぎるだろ!突っ込みどころ満載かよ!!」
(不服も不満もないさ。確かに人間が住む町や村を壊して回るのは気が進まない。だが、プラシノス様の命令だ。拒否する気はない)
「そしてここで本題に戻るのかよ!?カシム様の突っ込みは全部スルーかよ!」
(うるさい。黙れ)
「扱いが雑になってきたな、おい!遠慮がなくなって、互いの距離感が近くなってきたって喜ぶべきか!?」
(はいはい。・・・それより、プラシノス様の命令に異論がないのは本当だよ。警告は互いにとっても必要だ。また同じことが頻繁に繰り返されても、面倒だしな。《魔海》の魔物が、自分たちでは手に負えないと王国側が認識すれば、今後は近寄ってこないだろう。地球でも、熊が山に降りてこないように、猟師が
銃で威嚇したり、間引いたりしてるって聞いたことあるし。それと同じだ)
「人間と熊の力関係をこちら側の世界に当てはめると、見事に逆転してるがな。・・・だが、そちらの世界の熊っころと違って、復讐に燃えて生きるのも人間って奴だろ?弱いくせに、時には魔物以上に執念深いことは知ってるぜ」
(その時はその時だ。強いなら、復讐心を燃やし続ければいい。気の済むまで、魔物を殺せばいいさ。弱ければ、あっという間に消し飛ぶ運命だろ)
「復讐の対象が、お前さんだったらどうする、トウヤ?」
(また死にたくはないからな。精一杯、力の限り抵抗させてもらう)
強ければいいのだ、この世界は。
奪う者は、常に奪われる者になり得る世界なのだ。
ならば・・・弱さとは罪だ。ひたすらに奪われ続ける。逆に強ければ奪い続けることが出来る。
どちらを選ぶかなど、愚問だ。
もちろん、灯夜がどちらを選択するかなど、明白である。
翌朝、プラシノスが手配した魔物の群れを率いて、灯夜は出発する。
目指す場所は、《魔海》から近い手頃な町か村。目的はアペイロン王国に・・・人間という種族すべてに警告を与えるため。
そこで思い知らせるのだ。
《魔海》の恐ろしさを。脅威を。
町の一つや二つでは、理解しないだろう。ならば、三つでも四つでもいい。
目に入る町や村を滅ぼす。いつ、襲撃を止めるかは灯夜の気分次第。
そう、強者はそれが許される。
弱者はただ蹂躙され、強者が立ち去るのを震えて待つばかり。
さほど遠くない未来、《魔海》にすさまじい強さを誇るデュラハンがいると、王国全土に広がる。
今はまだ、誰にも知られていないデュラハンが、災厄をもたらさんと動き出す。
その日は、青空の広がるいい天気だった。
フィシ村・・・人口二百人にも満たない小さな村でも、村人が口々に「いい天気だねー」と会話していた。さほど娯楽のない村である、天気一つでも話しは盛り上がる。
農業に従事する者が大半なので、快晴は喜ばしい。村人の誰もが「暑くなりそうだ」と愚痴りながら、どこか嬉しそうだ。そんな何気なく平和な一日を、いつも通りに村人は過ごそうとした。
・・・・・・その瞬間までは。
最初にそれを見つけたのは、若い村人だった。
農作業で痛む腰を、手で軽くほぐしていた時・・・その視界に、それが映った。
村を見下ろす形にある小高い丘の上。
そこに、成人男性の三倍はあろうかという巨大な魔物、『アルグトス』がいた。
その光景を目にした若い村人は、丘の上に山があると、一瞬とはいえ錯覚するほどだった。それほどの巨体。それほどの存在感があった。
『アルグトス』が目立つせいで、今は村人の誰も気付いてはいないが、その足元では『ヴォルーク』の群れが、今か今かと、灯夜の号令を待っている。
眼前に餌をぶら下げられ、待てを指示されている『ヴォルーク』の群れ、その数三十。
その全てが、我慢できないとばかりに鋭利な牙が並ぶ口から涎をダラダラ流し、血走った目で灯夜を見つめる。
その全身を射抜くような視線が集中したことに灯夜は苦笑し、『ヴォルーク』が待ちに待った命令を、カシムを介して下す。
「人間は『ヴォルーク』の担当だ。いいぞ、好きに・・・」
灯夜の命令が言い終わらぬうちに、『ヴォルーク』が駆け出す。
「・・・食らえ。・・・・・・あれ?言い終わってないのに行っちまったぞ、おい」
(まあ、所詮は魔物だからな。俺の指揮下である程度の指示を聞き入れるだけ、まだマシさ。それより、『アルグトス』に命令を)
「村の建造物は『アルグトス』の担当だ。すべて壊せ」
灯夜の命令を理解したのか、『アルグトス』がゆっくりとその巨体を動かす。
『ヴォルーク』に襲われ、逃げ惑う村人を無視しながら、手近な家屋から破壊を開始。
その巨体から繰り出された一撃で、簡易な木造家屋は吹き飛んだ。
後に、灯夜が《災厄》と呼ばれるキッカケとなる、警告という名の侵攻が、こうして始まった。
(村人を全滅させないよう、『ヴォルーク』に言い含めたはずだが・・・大丈夫か?)
「あーー・・・・・・無理かも。あいつら久々のご馳走で、血と肉に酔ってやがる」
灯夜の立てた計画では、そこに住む町や村の人間全員を、皆殺しにしないことを前提にしている。
プラシノスの命令内容は、人間たちに対する警告だ。ならば、《魔海》の魔物の恐ろしさをより多くの人間に知らしめねばならない。
だからこそ、少しばかりの生き残りを逃がす段取りだったのだが・・・。
(・・・腹が満たされれば、満足するか。ここの村人には悪いが、全員『ヴォルーク』の餌になってもらおう。次の村か町で、生き残りが出る程度に手加減するよう、手綱を握ろう。ここではもう無理そうだ)
「その意見に同意するぜ。せっかくの宣伝材料なんだが・・・まあ、仕方ねえな」
時間にして二時間弱。
こうしてフィシ村は、誰一人として生き残ることなく、全滅した。
老若男女、そのことごとくを全て、平等に、殺した。
「・・・壊した家屋は燃やすか?この辺りの村や町やらに、いい狼煙代わりになるぜ」
(そうだな)
人間を殺したことに、何の罪悪感も抱かぬまま、灯夜は魔物を指揮し、次の目的地に向かう。
こうして、この日だけで二つの村と、一つの町が壊滅した。
破壊した町の跡地で、灯夜たちは夜を過ごす。
夜こそ、魔物たちにとっての独壇場だ。ただでさえ強い魔物は、昼以上にその強さを発揮する。
だが、プラシノスの命令を守り、灯夜は一旦、侵攻を中断する。
そして夜が明けて朝になったと同時に、蹂躙を再開した。
人間たちにとっての《災厄》の日々は、まだ始まったばかりなのだから。