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短編集  作者: 黒尽
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色褪せないもの。

 いつかいつかの遠い昔に存在していた綺麗な景色。それがどれだけ貴重で価値のあるものと知ったのはいつの日だったか、もう覚えていないが、それがつい最近だったという事は確かに覚えている。

 そういえば、あいつは今でもあの約束を覚えているのだろうか。それとも忘れてしまったのだろうか。あの時は本当にびっくりしたということを、今でも価値のあった風景と同じようにはっきりと覚えている。



 最初に会ったのは、月の光が差し込む森の中。虫たちの綺麗な鳴き声と、草木が風に揺れる音が聞こえる静かな夜だった。

 私が森の中を歩いていたら、どこからかすんすんと啜り泣くような声が聞こえてきた。幻想的で美しい夜の中というのに、だ。

 そんな奴に少し文句を一つ二つ垂れてやろうと声のする方へ足を進ませた。こんな美しい夜にはふさわしくないからだ。

 やがて、声の発生源にたどり着くと姿形が見えてくる。その声を発していたのは、幼少の子供だった。

 月明かりに照らされ煌めく涙の雫は、頬を伝っては零れ落ちていく。まるで流れ星のようであり、脆く、儚く、尊く感じてしまった自分を殴ってやりたい。頭を振って邪念を払う。

 なぜ泣いていたのかという深い理由はわからなくとも、それでもやはり泣いていては台無しだ。夜空の煌めきと涙の煌めきは、煌めきという同じ定義であっても状況は全く違うように、この涙という定義も、悲嘆からのものと歓喜からのものとでは意味を成すところが違うのだから。

 私はその子供に歩み寄っていき、一歩手前で立ち止まる。影が差したことに気づいたその子供は、ぐすぐすと鼻をすすりながら振り向く。


『おい人の子よ、泣くな。美しい夜を飾るのは、涙などではない。』


 一言、文句を告げるために開いた口からは、自分の意図とは別の言葉が紡がれていた。

 おそらく、私の心内でこの子供の定義が変わったのが原因だろう。別段驚くことでもない。

 その子供の涙は、一瞬の間だけ止まったが、すぐにまた零れ落ちていく。


『どうして泣くことがある?』


 どうとも思っていなかった疑問の答えを、私は自ら望んでいた。このことには驚きを隠せなかった。それでも、顔に出すようなことにならなかっただろうと思う。

 どうやら、この子供の影響は私の理解の範疇を超えているようだった。

 子供は、グスグスと泣きながら言った。


『大切だった犬のダオスが…死んじゃったんだ…。』


 絞り出すような小さな声は、この静寂の中でも耳を傾けていないと聞こえないほどだった。それは私の胸の中に妙なモヤを残して溶けていった。

 そうして、人間というのは悲しみで涙を流すものであったということを思い出した。こういった時に、どうやって言葉を返すべきなのか。残念ながら、私はその答えを持ち合わせないものだった。

 こう考えてみると、私は人間に対して意外に何も知らないのだということを認識することとなった。しかしながら、それは当たり前のことでもあるのだ。

 なぜならば私という存在は、人間にとって忌避すべきものであるからだ。ならば、今こうして関わっているということは、避けねばならないことではないのだろうか。私としてはあまり気にするところではないのだが、人間側はこういったことにあまりいい印象を抱かない。


『そうか。邪魔して悪かったな。』


 泣き止ませることは諦め、私はそう言って、早々にこの場を立ち去ろうと踵を返した。だが、一歩を踏み出したところで袖を掴まれて静止することとなった。

 きっと私はこの子供を訝しげに見ていたことだろう。


『なんだ?』


 そう短く問いかけると、子供は未だに鼻をすすりながら言った。


『あなたの名前は?』


 それは、私に対する呼称の明確化だったようだが、生憎と私にはそれを明示する名が無い。それどころか、私がどうやって生まれたのかだったり、私の存在意義だったりと、曖昧なものが多すぎる。

 長い間、今まで気にもしなかったことが、この子供の言葉によって想起されていく。それだけは確かなことであった。

 そうして黙りこくっていると、子供はまた泣き出しそうになる。


『わ、私に名などない。お前が呼びたい名で呼べばいい。』


 そう言葉にした後に、私は何を焦っているのかを疑問に思っていた。同時に、何かを嬉しくも思っていたことにも。今となっても、それはわからない感情であった。


『……。』


 少し、びっくりしたような顔を見せたかと思えば、目を瞑って思案を始めたようだった。人間たちは生まれたその時に名前をつけるというが、どうやら本当のことだったらしい。

 …そういえば、こいつの名前を聞いていなかったな。

 今までにない変化に、どうやら私は振り回されてしまっていると、そうして自覚することとなった。


 どれくらいそうしていたのだろうか。やがてその子供は目を開けて、私を見上げる。子供の紅いルビーのような瞳が私の瞳を見つめた。


『夜空の星から落ちたみたいだから……流れ星!』


 …どうやら、センスは皆無のようだった。しかし、どうにもそれをそのままバッサリと切り捨てるのはいかがなものかと思った。私も思案するために目を閉じる。

 流れ星というものは確か、宇宙にある塵が地球の大気に高速で突入して発光するものだったとか。地球に落ちるものは隕石といったか。

 …いやそういうことではないな。こいつの言っている意味合いとはきっと違うのだろう。

 考えれば考えるほどに、深みにはまり、そうして一つの疑問が湧き上がってきた。


『……。なあ。』

『…?なぁに?』


 私の言葉に首を傾げて言葉を返す。私は、私自身に解くことができない疑問を共有することにした。


『私は、お前たち人間にとってどんな存在であればいいんだ?』


 深く関わることを拒否しておきながらも、疑問を呈するのは間違っているのかもしれない。しかし、間違いを正すことによって少しであったとしても、人間たちに認めてもらえるのではないだろうか。

 私は、甘い考えであったとして、そう思わずにはいられなかった。


『わかんないよ。』


 子供は、疑問符を幻視するくらいに難しい顔をしていた。


『…すまんな。忘れて』

『でも、僕にとってお姉さんは、優しい思いやりのある人だってことはわかるよ。』


 泣きはらした目で、優しく微笑む。遠目からでも見たことのない――人間の、心からの笑顔だった。


『…そうか。そう言ってもらえるのは、過去にもこれからも、お前一人だけだろうな。』


 照れを隠すように、私はそう言った。

 結局のところ、流れ星に関して私が抗議する機会を得ることはできなかった。同じようにして、その子供の名前を訊くことも。

 しかし、そうであったとしてもはっきりと言えることはひとつだけあった。


 きっと、この出会いは必然だったのだろう、と。



 別れ際、私はそいつに名を問うと、どこか気まずそうに目をそらした。


『あはは…。実は、僕にも呼んでもらえる名前が無いんだ。』

『…?犬にはあっただろう。』


 犬には名前があったというのに、なぜこの子供には名前が無いというのだろうか。私は疑問に思った言葉をそのままに訊いてしまった。


『…きっと僕にも名前はあるんだと思う。でも、僕は自分自身の名前を聞いたことがない。呼ばれていたのかどうかも、わからない。』


 そう言ったそいつの目には諦観の色が見えた。その瞬間、私は何を言うべきなのか、どうすればこいつはこんな顔をせずに済むのかと、意識もせずに考えを巡らせていた。


『なんでもいいが、次会うときまでネーミングセンスとやらをもう少しどうにかしておけ。いくらどう呼んでも構わないとは言ったが、私でもわかるぞ。あれは名前につけても違和感が無いとは言い切れない、と。』


 そんなことを考えていたとしても、私が口にする言葉は相も変わらず自分の意志とは違う言葉のようだった。

 少しばかり、意地の悪い言葉と聞こえてしまっただろう。


『…だって綺麗なんだもん。好きなように呼んでいいって言ったじゃん。』


 そう言って拗ねたそいつの顔は、人間の年相応の生気という明るさが垣間見えたように思う。


『限度というものがある。ちゃんとした名前ならば、私だって小言の一つもたれることはなかっただろう。』


 じとっとした目で見てくるそいつは、私の言葉を嘘であると感じているようだ。…まあ、もし私自身が気に入らなかったら確かに文句を言っていたかもしれないが。


『ならば、次はちゃんと私の名前をつけてくれよ。この森の奥の神樹の前で私はいつまでも待っていよう。』


 話を逸らして約束を一つ取り付けた。私が逸らした話に対して、きっと何かを言ってくるに違いない。


『…うん。約束だよ。』


 しかし、また何かを言われるであろうと用意していた言葉を発することはなかった。拍子抜けもいいところだった。

 そうして私は、森の中にある自分の住処へと向かおうとした。ふとあることを思い出して、私は振り返り、そいつの背中に声をかける。


『おい、人の子よ。』


 そいつは半身だけで振り返った。私はきっと、意地悪く笑っているに違いない。


『お前のネーミングセンスに対する仕返しだ。私もお前の名前をつけてやる。』


 すうっと息を吸い込んで、告げた。


『お前の名前は、(しずく)だ。』


 そっと、一筋の涙が伝った。


『それじゃあ…仕返しになってないよ…。』


 それは未だ空高くに座する月からの光で、キラキラと反射して美しい景色を彩っていた。



 明くる日、明くる月、明くる年。そうして数えて何年が過ぎただろうか。果たして私は本当に数えていたのだろうか。幾年も明かしてきた私にとってはそれほど時間が過ぎたと感じてはいない。人間側にとってどうであるのかは理解しかねるが。

 あれから世界は一変した。

 木造建築の目立った人間の里は、コンクリートといった物に置き換えられていった。森がそのまま手をつけずに残されているのは、先人たちが伝えた私という化物の存在だろうか。

 そんな大層なものではないというのに仰々しいのだな、と私は思っていた。本当のところの理由は交流のない人間に訊けるはずもないのだからわからないのだが。


「にしても、あんなものを造って…。崩れたときの被害は計り知れないというのに。」


 目の前の…一際大きな建造物を見てそんな言葉を発していた。

 ただ天へと伸びるそれは、不安定な大地で支えるには少しばかり大きすぎるように思った。


「おおっと。そろそろ戻らねばな。もしかすると雫が来ておるやもしれん。」


 そうして私は、約束の地へと戻っていった。



 いうなれば――それは最果ての約束――。

 記憶は、色褪せることなく、

 ――ただただ、何もない日が積み重なっていった。


 その化物(森神)は、世界が滅びるその日まで、生活するに問題ない程度に食を確保しては、一日と約束の場を離れることなく、待ち人を待ち続けていたという。

前提として、

・化物の感性は至って真っ直ぐなもので、疑うことを知らない。

・化物は人間と違うということしか知らず、自分がなんなのかは分かっていない。

・その子供は、殺されたか、関わることを親類に拒否された。この場合は殺されている。

・化物は所謂、森の守神で、森は絶対不可侵。

・知識は生まれた時より与えられているもの。


という胸糞とご都合主義が詰まったものとなっていました。

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