『ジビエ』
丁度、ママの生まれた年の映画を観ました。
貧しいながら助け合い
人々に夢があって活気に満ちていた、
人が人を敬い、想い、慕っていた。
ラストシーンの夕日が
とても、とても美しかったっ
朝、起きると窓から見えたのは、
一面に広がる雲海だった。
まるで雲の上で眠ったような
風景が目の前に広がる
深とした朝、
階下からは、
お日さまが上がる前から
働きだしたらしい物音が聞こえる。
「あんた~、
今日ぉ、東京からあの子のおっかさんが来るんやろ?」
「ああ、2時ので着くらしい、」
「ほならチャボ、潰すんかい?」
「………………………ん、」
「………そやな、そうしてやれ、」
都会のように
いつでも好きなもんが手に入るわけでもない
この村では
その土地の川から水を引き
畑を耕し、
その自然と共に生きていた。
チャボを絞めるということは
東京からおかあちゃんが来ると言うこと。
毎朝、餌をやって
卵を産んでもらって
可愛がっていた
チャボが殺されるというのに
”ごちそう”が食べられるという、
感覚しかなかった………
おかあちゃんが来るときは
”ごちそう”で
格別仲良しでもない
おばちゃんが、
顔が合えば微笑むという幸せ。
その日の午後、
おじさんがキノコ狩りから戻ってくると
東京からお客さんが来るのを聞いた
猟師をやってる おじさんの友達が、
獲物を持って来てくれた。
「ほら、これでも食わしてやれ!」
「いや~、立派な猪だなー」
「今日は久しぶりの大猟だったよ、」
得意そうに言う、猟師の傍らに
猪と小鹿が身体から血をしたたらせて
横たわっている。
「見事なもんだな~」
「いあや、危ないとこだったんだ。」
「犬に追い込まれてパニックになった
こいつが、俺をめがけて飛びかかってきやがった、
まあ、その瞬間に”パーン”と仕留めてやったがな、」
(うわぁ~残酷、)と言うものは
誰もいない。
猟師が、猪を天井から逆さ吊にし
皮を剥ぎ、
各部位に解体する。
そして獲物をしとめた英雄から
順番に選び持ち帰る。
それが猟のルールだ、
「猪はもも肉が最高なんだぞ、」
と、猪の爪のついた赤黒い肉を、
浅黒くて太く逞しい腕が”グイッ”と差し出す。
「これ、客に食わせてやれやっ!」
「悪りぃな、助かる
チャボ絞めようかと思ってたんだ、」
「んにゃ、んにゃ、」
「お互いさまやがな、」
「んじゃ、有り難く、」
「オーッ、」
と言った、猟師のおじさんが
嬉しそうに「ガハハ、」と笑う。
自然と対峙するときの
危うさは少しも感じられない。
大人も
子どもも、
チャボも、
ただ淡々と繰り返される
毎日の暮らしの中に
太陽や月の
季節の移り変わる
スピードで幸せを見出していた。
下界からは二層の雲が見える
あの真ん中の山ん中に
すべての営みがあった。
「うまいな~お母ちゃん、」
「猪、うまいやろ~」
せっかくの”ごちそう”の猪
お母ちゃんは よお食べへんかった、
好きやないんかな~
ひとつ寝て
次の日の朝
起きたらもう………
お母ちゃんはいいへんかった、
一番で帰ったんやて~
今朝も、雲のお布団ふかふか~
チャボ、おはようさん♪
。(笑)