第86話 君に涙は似合わないぜ、べいべー
ティアナを探すのには、それ程苦労はしなかった。
走り去っていく彼女の姿を見ていた者が何人かいて、その言葉に従って追って行けば探し当てる事が出来た。
そこは城の最上階にあるバルコニーだ。
ティアナの私室に近く、そこから暗闇の中にぼうっと浮き上がるようなルティアの都が一望できる。
光が遠目にはゆらゆらとして、ある種幻想的な光景ではあるが――
ずっとこうなのだとしたら、それはそれで変化が無さ過ぎて辛いだろう。
ただティアナが言うには、ルティアの都が現在の場所に移ってからは相当経っている。
もう誰も、光の当たる場所の事など知らないのだ。
だからこれを当たり前として受け入れて、何の感慨も沸かないのかも知れない。
簡潔に言って、慣れているのだ。
ティアナが超貨物船を奪還するための出兵を要請した時――
王様の体の事があるにせよ、王様自身も周囲の人間も、今一つ反応が鈍かった。
それにも、この暗い世界への慣れがあったのかも知れない。
この都をじっくり見て回ったわけではないが、何度か通り抜けるだけでも、住んでいる人達はそれ程困窮せずに暮らしているのが分かった。
街の雰囲気で言えば、セクレトの街の方が確実に暗かった。
あちらはダルマールと配下のオーガの集団という脅威が身近に差し迫っていたが、こちらは乗っ取られた超貨物船からは隠れ住むことが出来ている。
その違いが、人々の表情に如実に出ているのだ。
そんな中でティアナは、少々異質なのだろう。
この暗い都に留まる事を良しとせず、光の当たる場所に憧れ、そこに人々を導く事こそが、このルティアの人々を束ねる者の務めだという信念を持っている。
それが正しいとは、王様も言っていたが――
ただ、必ずしも正しい事だけが人に望まれるとは限らない。
特に、王様がもう長くない今という状況では――
「ティアナ、その……大丈夫か?」
俺が声をかけると、ティアナは自嘲気味な笑顔を見せる。
「んー……あんまり大丈夫じゃないかも――」
「そっか……」
「ごめんね。戻って来たのが無駄足になってしまうかも知れないわね――」
「いやそれは別にいいけどさ」
ティアナは俯き、ぐっと強く唇を噛んでいた。
白い手が自分の腕を、震えるくらいの力を込めて握っていた。
「ダメね……王族失格だわ、あたし。本来ならあんな甘えた事を言うお父様を叱らなきゃダメなのに――王は命が尽きる最後の瞬間まで、民の事を考えて動くべきだって、突き放さなきゃいけないのに――あんなに痩せ細ったお父様にあんな風に言われたら、何も言えなかった……! 側にいてあげたいって思ってしまって……本当にダメだわ――!」
ティアナは震える声でそう絞り出しつつ、目に涙を溜めていた。
感情に流されそうになっている自分が許せない――という事なのだろうか。
だが俺には、今のティアナがそんなに悪い事をしているようには思えない。
「別にダメじゃないだろ? 王族だって人間なんだから、そういう気持ちがあるのは当然だしな。むしろ全くない人間の方が冷血過ぎると思うけどな、俺は。だからティアナが思ってることは悪くないって」
「……そうね。それはそうかも知れない――だけど、心はどうあれやるべき事はやらないといけないのよ――」
「――俺さ、前もちょっと話したかもしれないけど……俺の育ての両親って、村に王権を探しに来たダーヴィッツって奴に殺されてさ。別れを惜しむ時間とか、最後にゆっくり話す時間とか、そんなもの一切無しでいきなり最後だった。それってやっぱり寂しいからさ、最後に一緒に居られるなら、居た方がいいと思う」
「……」
「王様もそうして欲しいって言ってるんだしさ。な? 気にせずに一緒に居ればいい」
「……ルネスは優しいわね」
「まあ、たまたま王権持ってるだけのただの村人だからな。王族どうのっていうより、家族としてそうした方がって思っただけでさ」
「そうね。家族としてはそう。ルネスの言う通りよ――でも……王族としてはこの機会を逃して超貨物船を奪還出来なかったら、国の人達に顔向けできないのよ――」
「そこはそんなに難しく考えなくてもいいだろ?」
「え?」
「終わり良ければ全て良しって言うだろ? ティアナがここにいて、ルティアの都から兵が出なくても、超貨物船が戻ってくれば別にいいわけだ」
「そ、そうだけど――」
「なら話は速い。俺と親父達だけで行ってオーガ共を退治してくればいい。ティアナはここで王様と一緒にいてあげてくれ。俺からもお願いするからさ」
俺はティアナに笑顔を向けて、ポンと肩を叩く。
あの王様の弱りようを見ていると、俺からも最後に側についていてあげて欲しいと思えてしまう。
俺自身、俺の家族にはできなかったし、もう叶わない事だからな――
父さん母さんとニーナはもう亡くなった。そして親父は初対面から死んでいたし――
しかも即スケルトンになって元気一杯だ。
一体親父はどうやったら本気で死ぬのだろう。
多少思考が逸れた俺の服の袖を、ティアナがぎゅっと掴んだ。
「あ、ありがとう……あたし――ごめんなさい、ご厚意に甘えさせて下さい……」
ティアナの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
――女の子に泣かれるのは苦手だぞ。
俺は努めて明るく振舞う事にする。空気を変えよう空気を。
「全然いいんだよ! どうせ俺達も、上に行くためにはやらないとどうしようもないんだからな! ついでだついで! まぁのんびり待っててくれよ、あいつらボコボコにしてくるからさ!」
「うん……ルネスってオーガには容赦ないわよね」
ティアナはちょっとクスッとするが、まだ目には涙があふれている。
「君に涙は似合わないぜ、べいべー。礼なんていらないさ、ただ戻ってきた俺を熱いキスで迎えてくれれば、それでいいのさ」
「……!?」
いや俺っぽい声がしたけど、今の俺じゃないぞ!?
しかもなんだその恥ずかしい台詞は!
あ、親父か! こいつキャサリンブレイカーに宿って俺の背にぶら下がってるし!
俺の声の真似して馬鹿な事を――!
罵声を飛ばそうとしたが、その前にティアナの両手が俺の頬を挟んで、くいっとそちらを向かされた。
そうすると、その整い過ぎる程に整った顔がもう目の前にあって――
「――!」
唇と唇がやや強めに重なり合う。
しかし女の子の唇は、何でこんなに柔らかいのだろう――
俺はティアナを振り払う事は出来ずに、そのままになってしまっていた。
「……そんな成功報酬みたいなことはしないわ。前金で払うわよ? 太っ腹でしょ?」
唇が離れると、ティアナは悪戯っぽく微笑む。
照れ隠しの意味もあるのだろう。頬はほんのり紅潮していた。
「いやえーと……何と言うか――」
今のは親父のせいだから! とは言いづらいのだが――
とりあえず後で文句は絶対に言うが。
頭蓋骨を蹴り飛ばすくらいの事はさせて貰わねば。
オーガの遊びでいう所のサッカーか? あれをやってやる。蹴り倒してやるからな!
「ご、ごめんな。無茶な事言って……」
「え? 吃驚したけど、いいのよ。相手があなたなら嬉しいもの……ヴァイスやノワールなら蹴るけど」
「ははははは――」
「必ず無事に戻って来てね。そうしたら成功報酬も――ね? それまでヴァイスにもノワールにも、あたしは指一本触れさせないから」
「あ、ああ――とりあえず俺は客室に戻って、ナタリーさん達と荷造りしてくるから」
「うん。あたしはもう少しだけここにいるわね。すぐにそっちに行くから――」
「ああ分かった」
俺は頷いて、バルコニーを後にした。
ティアナが少し遅れてくるのは、好都合だった。
バルコニーを出て下り階段に入るなり、意思ある剣化した親父が喋り出す。
「ヒュウ♪ どーよティアナちゃんのお味はよぉ! 得しただろぉ!? 感謝しろよ!」
「うるさいわこのどアホがああああぁぁぁぁーーーーーッ!」
俺はキャサリンブレイカーを思いっきり壁に叩き付けていた。
面白い(面白そう)と感じて頂けたら、↓↓の『評価欄』から評価をしていただけると、とても嬉しいです。




