「無職のおやじが、面接先に電話をかけるまでのお話」
「無職のおやじが、面接先に電話をかけるまでのお話」
喫茶店、「メコダ珈琲」のモーニングのトーストは、いつもミミが焦げている。
絶対、家でダブルソフトを焼いて食べた方が美味しい。
けれど今、うちにはトースターがない。
母親が持って出て行った。
いるのは、無職の父親だけだ。
無職なくせに、わたしを「メコダ珈琲」に毎朝、連れてきては、やや威張った風を見せる。連れてきてやったぞ、ま、何でも頼め風な、余裕を醸そうとする。モーニングセット、AかBの二択しかないのに。しかもゆで玉子付きで少し高いBを頼もうとすると嫌な顔をするくせに。
誓っていいけど、高校生ながらコンビニで週3バイトしているわたしの方が稼いでいる。でも、そんな素振りをチラとでも見せようものなら、絶対いないと思ってた場所で、見ちゃったよ、ごきぶり、みたいな目でわたしを見た後、
「退職金があるんだよ、俺は今まで真面目に働いていたわけだからな。当然の権利だ。お前のバイトとはわけが違う」
とか嘯く。それがどうした、今は無職のくせに。
店のラックにささっていた朝刊を、顔を隠すように広げて読む父親を睨む。父親が読んでいる面と反対側の、文化面が見える。瀬戸内寂聴のインタビューが載っている。(過去にしがみついてはいけません、今に生きなさい。)ほら、寂聴もそう言っている。
父親は、老眼鏡を外したり掛けたりしながら、求人欄を舐めるように見ていたが、おもむろにジーンズのポケットから、スマフォを取り出した。気になった求人欄を写真に撮るのだろう。毎朝の日課だ。片手で新聞、もう片方の手でスマフォを持ち、ヨレる新聞に、上半身を傾けながら、なんとか写真を撮る。撮り終えると、それでもう、8割方、仕事も決まった、みたいないやにさっぱりした顔つきで新聞を畳み、
「お前、ちょっと太ったんじゃないか」
など、1ミリも面白くないことを唐突に言ったあと、わははと一人で笑っている。
「そういう、無駄口叩く暇あったら、早く仕事見つけてよ。そうやって毎日このお店で、変な格好して写真撮るだけでさ、電話かけたことすらないじゃん。ねぇ、そうやって変な格好で写真撮る暇あるなら、電話すればいいじゃん、この場で今、すぐ。寂聴もそう言ってる」
思わぬ、娘の長広舌にあい、面食らったのか父親は押し黙ったが、そこが反撃の糸口と思ったか、
「寂聴は、関係ないだろう」
と決めつけた。かじっていたパン屑が口から飛ぶ。汚い。
「そんなだから、お母さんにも逃げられるんだよ」
「お前、それを言うか」
わたしをギロと音が出そうなほど睨むと、気持ちを落ち着けるように、ロイヤルミルクティをすする。父親は、360度、どこからどう見ても隙なくおやじなくせに、ロイヤルミルクティを愛飲している。砂糖は、角砂糖がいい、など贅沢なことも時折口にする。女子大生か。おやじは大人しく青汁でも飲んでいるがいい。
「母さんは、よそに男を作って出て行ったんだ。責めるべきはその不貞だろうが」
「結局、お父さんに甲斐性がないからじゃん」
「これだから女は駄目だ。すぐ金の話をする。世に、金より尊い、正義というものの在るを知らん」
「その正義でさ、会社の偉い人に楯突いて、しかも周りに全然味方してもらえなくて、結局会社に行けなくなっちゃって、辞めることになったの誰でした?メンタル豆腐な人は正義なんて語らないで欲しいんだけど」
父親は、眉をぴくぴくさせたが、小指を立ててカップを持つ余裕の態度を崩さない。
「敗れてなお、正義の御旗は倒れず、という言葉もある」
「ないよ。勝手に作らないでよ」
「まぁ、お前には分からないさ」
そう言うと、シャカシャカせわしげに、ティースプーンをカップに突っ込んでかき回し始めた。
「タイミングを逃すと、砂糖の溶けが悪いからな。何でもタイミングなんだ、覚えとけ、やたら、電話をすればいいというものではない」
ミルクティーの砂糖にかこつけて、時間差で反論してくる。みみっちい。だから、誰も味方してくれなかったんだ。
「そんでどうすんの?家賃。もう少し安いところに引っ越せば?あ、もしかして、今のとこに居れば、お母さんがまだ戻ってくるとか思ってる?言っとくけどそれ、ないからね、ひゃくぱー」
とたんに、父親の顔が赤くなる。ついに、ちるちるすすっていたミルクティーのカップを乱暴に置く。
「うるさい。バカみたいに略して喋るのはよせ」
「バカって言うけど、家賃半分出してるの、わたしなんですけど」
「それがどうした。困った時に助け合うのが家族だろう」
「口にパンいれたまましゃべんないでよ、汚い」
「汚いとは、なんだ!」
父親が怒鳴ったところで、ウェイトレスが足早に近づいてきた。静かにしてくれるようにと、注意を受ける。ひたすら頭を下げ、その姿勢のまま、ウエイトレスが遠ざかったのを確認すると、すかさず、わたしに文句をつける。
「みろ、お前のせいで迷惑が掛かったろう」
「お父さんの声が大きいから叱られたんじゃん。人のせいにしないでよ」
「お前が怒らすようなことを言うからだろう。誰のおかけでそんな、もぐもぐ、のんきにゆで玉子を食えると思ってる。俺のおかげだろう」
わたしは黙って父親を睨む。
「もういい、わかった。わたし、トースター買うから。でも、お父さんは使わないでね。お父さんは明日から、一人でこのお店に来たらいいよ」
わたしは財布を取り出すと、500円玉をピシリと棋士のようにテーブルへ打ちつけると、席を立った。
「まぁ待て。何をお前はそんな、興奮してるんだ。話せばわかることだろう」
父親は慌てたように手を広げると、急に笑いかけてくる。
「そう言って犬養毅も撃たれたでしょ。歴史から学びなよ」
「犬養毅は、今関係ないだろ」
さっきよりやや父親は声を殺して言う。きっと、ウエイトレスが怖いのだ。
「まぁいい。お前がそういう気なら、父さんも一緒に電気屋に行こうじゃないか。なに、気にするな、トースターくらい買ってやる。父さんもここで、毎朝食べるのもいい加減、不経済だとは思っていたのだ。何事も改革は大切だ。お前もたまには良いことを言うじゃないか」
取りなすように、一気に喋ると、水を飲み、お手拭きで額の汗を拭う。わりと冷房強めなのに。暑がりめ。
わたしは席を立ったまま、腕組みをして父親を見下ろす。
「いちいち偉そうに言わないでよ。買ってくれなんて頼んでないよ。でもどうしても一緒に来たいなら、条件がある」
「なんだ、何でも聞こうじゃないか」
やや落ち着きを取り戻したのか、父親はミルクティーのカップを取り上げ、中身がないのに気づいて、小さく舌打ちする。
「電話してよ」
「電話?」
「さっき写真撮ってた会社。面接の申し込みの電話してよ」
「いやしかし、それはさっきも言ったが、タイミ…」
「今でしょ!林修も言ってる!」
わたしの大声に再び近寄りかけたウエイトレスを睨んで牽制する。
「ま、まぁ、それは確かに言ってるな」
「でしょ?だからさ、今、電話してよ。わたしだって、お父さんのこと心配してるんだよ」
父親はしばし目を瞑って何か考えていたが、おもむろに目を開けると、手を叩いて、ウエイトレスを呼び、ミルクティーのお代わりを頼んだ。
「心を落ち着けないとな」
はよ、電話しろや。
イライラしながら、わたしは再び席につく。
20分後、お手拭きでもう一度汗をぬぐった後、父親はスマフォを握りしめた。今度は写真を撮るためじゃない。
番号を押す指がわずかに、震えている。
がんばれよ、おやじ、正義の御旗を、見せてみろ。わたしは心のなかそっと、エールを送る(終)
本作は、某チェーンの喫茶店「コ○ダ珈琲」とは何の関係もありませんが、作者は、「コ○ダ珈琲」のモーニングが大好きなことを、蛇足ながら付け加えさせて頂きます。
なお、トーストのミミは焦げていません、ええ。