072.解明
翌日、空気を読まないルンケイオスが早朝からやってきた。まだ寝ている者もいる中で、僕はルンケイオスと並んでコイケが作った朝食を食べていた。
『このうどんと言うものはなかなか上手いのう。』
『こちらの世界には似た食べ物はないのですか?』
『わしは聞いた事が無いのう。これは小麦でできているのであったか。小麦で作るものと言えばパンと決まっておる。これには宗教的な理由があっての。今一番力を持っておる宗教が、小麦とそれから作られるパンを神が与えた神聖なる物と位置付けておるのじゃ。』
『それは事実には反するのですか?宗教もいくつかある口ぶりですが、いくつもあるというのも不思議ですね。女神が実在して力を及ぼす世界であれば、信仰を統一できると思うのですか。』
『うむ。確かに女神様は実在する。そしてその宗教も、他の宗教の多くも、女神様を主神として崇めておる。だが宗教とは人が人のために作り、人が人に伝えるものであり、そこには人の思想が差し挟まれているものじゃ。先ほどの話しで言えば、パンを神聖な物としている宗教の始まりにはパン屋が絡んでおる。わしの知る限りでは小麦は単なる狩猟における収穫物じゃし、パンはその食べ方の一つに過ぎんの。』
『随分と俗物的ですがそんなものですか。ところで小麦は狩猟で収穫するのですか?農業による収穫物ではないのですか?』
『ふむ。どうやらそちらの世界とは様子が異なるようじゃな。この辺りでは小麦はシェルガンという魔物から採取できる。狩猟による収穫物じゃ。』
アローは小麦が魔物から取れると聞いて驚愕していた。翻訳の魔石で「小麦」と訳されることから、性質はアローたちの知る小麦と同等であろうと思われる。そして倉庫に大量にあったことからこちらの世界の主食なのだろう。その主食が魔物から取れる収穫物ということは、この世界は想像していた以上に魔物が身近でかなり物騒な世界なのかもしれない。
『実物を見せた方が早いであろうな。次回は魔石だけでなくシェルガンの実も持ってこよう。それと製粉の魔石ももってくるかの。これもまた興味深い文字が刻まれておる。まあ、それは置いておいて調査結果を報告しようではないか。』
ルンケイオスはうどんの器を脇に置くと、早くも今日持参した魔石と資料を床に並べ始めた。
ルンケイオスによる調査結果の報告に同席していたサヤカはアローの異変に気付いた。アローとルンケイオスは何やら深刻な様子で話している。特にアローの様子がおかしい。
「アロー君、どうしたの?」
サヤカが横から話しかけるとアローは驚いた様子で振り返った。
「ああ、サヤカさん。何でもないよ。ちょっと考え事をしていただけ。」
アローはそれだけ言うと再び黙って考え込んでしまった。
「何かあったのかな。」
サヤカはそう独り言を呟くも、話したくなさそうな様子のアローに遠慮に様子を見ることにした。
僕はルンケイオスから齎された情報を整理していた。僕がルンケイオスから神聖語を学んでいる理由は、勇者召喚の儀式について調べるためだ。そして勇者召喚の儀式を調べる理由は、勇者召喚が理解できれば逆の送還もできるかもしれないと考えているからだった。つまりは元の世界に帰ることが目的だ。だがこの世界の人は、ルンケイオスもジーヤコブズも、僕たちが何もせずに元の世界に帰ろうとしているとは想像もしていないようだった。彼らからすれば僕たちは女神が呼び寄せた勇者だ。女神を信奉するこの世界の人にとっては、女神が呼び寄せた勇者が何もせずに帰りたがっているなどということは想像の範囲外なのだろう。ルンケイオスもジーヤコブズも、女神の神託については完璧ではないと疑う心を持っている。だがそれは神託を伝える方法が巫女の夢の中だけであるがための伝達の問題と考えているようで、女神そのものについては疑いを持っていないようだった。
お陰で何の抵抗もなく勇者召喚について調べることができているのだが、ルンケイオスが僕の希望通りのことを調べてきてくれたお陰でかなりのことが分かってきた。僕一人では到底なしえなかった成果であり、ルンケイオスの助力によるところが大きい。そして分かってきた中で最も重要だと考えていることが、勇者召喚の魔石に描かれた神聖語の様式が、レンガ製造の魔石の様式と同じであるということだ。
レンガ製造の魔石で作られたレンガは、今僕たちがいる部屋の壁や床にも使われている。ルンケイオスが勇者召喚の魔石と様式が似ているからと持ってきて、実際に動作も見ることができた。レンガ製造の魔石は、魔石を挟む様に二つの箱を並べた状態で使用し、片方に材料となる土を入れる。そして魔石を起動すると入れた土が消費されてもう片方の箱の中にレンガが生まれるというものだ。レンガができる瞬間は箱の中が真暗になり見ることができず、暗闇が晴れて光が差し込むとそこにはレンガがある。まるで手品のようであり、物理法則など一切無視した現象だった。ルンケイオスに頼んで材料となる土を変えて何種類か試してみたところ、出来上がるレンガの色は用意した土の色で変わることが分かった。このことから用意した土を材料としてレンガを製造していると考えてよいだろう。
ルンケイオスはこの魔石を、「掘った土がその場で壁や床材に変えられる、地下迷宮造りには欠かせない画期的な魔石である。」と紹介していた。確かに地下を掘る工事において廃材がその場で建材に変わるのは素晴らしいことではあるが、今の僕にとってそんなことはどうでもいい。見逃せないのがこの魔石がレンガを「製造」する魔石だということだ。その機能を見る限り、土を供物としてレンガを「召喚」する魔石には思えなかった。このレンガ「製造」の魔石と、勇者召喚の魔石が同じ神聖語の様式なのだ。神聖語の異なる部分と言えば、起動条件の部分と、製造する物に関する情報の部分だけだった。二つの魔石の様式は間違いなく同じであり、似た動作をすることは間違いない。両方とも召喚である可能性を否定する確実な根拠は存在しないのだが、レンガの魔石の方はどう考えても「召喚」ではなく「製造」と考えた方がすっきりするのだ。
僕はこの部屋に閉じ込められてからの自分を「割りと頑張っていた」と自己評価している。頑張ってくることができたモチベーションの一つに、「みんなを元の世界に帰す」ことがあったと思う。だがそもそも自分たちに帰る場所など無いのではないかと思われる結果が調査で見えてきてしまった。
調査の結果からは、今ここに居る自分たちはこの世界の材料を元にして「製造」された物だと考えられる。元の世界から転移した体ではないだろう。そうすると元の世界には自分たちの体が残ったままだと考えた方がよいだろう。つまり自分たちは元の世界の自分たちとは、少なくとも体は別人ということだ。
ここにいる自分たちは何なのだろうか。可能性の高いものとしては三つ考えられる。一つは元の世界など存在せず、あの瞬間に記憶を含めた全てを無から創造されたという可能性だ。これは可能性としては低いと思う。無から創造したにしては自分たちの持つ記憶が現状に対して意味を成さないものだからだ。無から創造するのであればもっと都合の良い記憶を作るだろう。この世界の言葉が分かるだとか、勇者としての自覚があるだとか、いくらでもやりようがあるはずだ。
二つ目に、器としての体はこの世界で作られたが、記憶を含めた思念的なもの、魂のようなものだけがこちらの世界に呼び寄せられたという可能性だ。この場合、元の世界の自分たちの体は抜け殻となってしまう。元の世界の体が今頃どうなっているのか、考えたくもない。そもそも魂なんてものが存在するか分からず、この可能性もほぼ無いと思っている。
三つ目が、この世界の自分たちが元の世界の自分たちのコピーであるという可能性だ。あの瞬間の元の世界の自分たちの足の先から髪の毛まで全てを寸分違わずコピーして「製造」されたとすれば、今の状況もありえるだろう。脳や神経の信号状態まで全てを完璧にコピーした結果、元の世界の記憶もあるのかもしれない。今思いつく中で最も納得できるのがこのコピー説だった。
そんな分析を冷静にしている自分に嫌悪感が沸いてくる。自分がコピーされた偽物かもしれないというのに。
色々と考えていると騎士の班長が迎えに来た。昨日に引き続き訓練をしようとやってきたのだ。頭の中がぐちゃぐちゃだったので馬鹿みたいに体を動かす訓練は余計なことを考える暇がなくなり好都合だった。無心でぶっ倒れるまで訓練した。
体が動かなくなるまで訓練して夜を迎え、倒れるかのように就寝した。だがあれこれと考えてしまい、まともに眠ることが無いまま朝が来てしまった。コイケが起きて炊事場に向かう音が聞こえてきた。コイケは元の世界に彼氏がいるらしい。帰りたかっただろうな。コイケには何と伝えたらよいだろうか。あなたは元の世界には帰れません。元の世界には本物のあなたが居て、彼氏と仲良くやっていますと言えばよいのだろうか。
起き上がってコイケの手伝いをした。朝食を食べた。シローが眠そうだなと言ってきた。ダイスケが無言で肩を叩いてきた。そして、ルンケイオスがやってきた。
『昨日アロー殿が話していた考察についてじゃが、やはり「召喚」ではなく「製造」と考えた方がよさそうじゃの。』
ルンケイオスの第一声がそれだった。自分と同じ結論だ。どう考えてもその可能性が高い。昨日、班長に連れられて訓練に向かう間際にその可能性についてルンケイオスに話してあった。
『改めて確認したのじゃが、確かに女神様の神託の中では「召喚」という言葉は使われていないようじゃった。神託の巫女が伝えた言葉の記録では「召喚」という言葉は使われておらぬ。それどころか「勇者」という言葉も見当たらなかった。「世界の危機を救う人を贈る」というのが実際の女神様の言葉のようじゃ。それを意訳して後に「勇者召喚」と呼び出したようじゃの。』
ルンケイオスは僕が辿り着いた勇者召喚が「召喚」ではなく「製造」だったという疑念について考え、同じ結論に辿り着いたようだ。
『そうですか。ルンケイオスさん。すみませんが今日は体調が悪いので調査をお休みさせていただいてもいいでしょうか?』
『うん?確かに顔色が良くないのう。分かった。今日は休みとしよう。後で何か体に良い物を持ってこさせよう。しっかり休養しなさい。』
ルンケイオスを追い返した。彼が齎した情報は有力なものであると同時に、残酷な真実を告げるものだった。彼は悪くは無い。研究熱心で学者としてはむしろすばらしい。ただ、こちらを心は理解できていないだけだろう。
サヤカさんがやってきた。体調が悪いからルンケイオスには帰ってもらったというと、心配してくれている。サヤカさんには何と言ったらよいのだろうか。あなたを元の世界に帰してあげようと思ったけれども、無理そうです。何故ならあなたはこの世界で作られた偽者ですから、と言えばいいのだろうか。
「ごめん。寝不足なんだ。ちょっと寝る。班長さんには謝っておいて欲しい。」
それだけ言うと寝袋に潜った。