36 ここは電脳空間なのです
#36
イモスナさん、拳王さん。
ネコジンさん、パンさん、オズさん。
ネルソン君、私。
私たちは不可思議な青いトンネルを歩く。
先頭を歩くイモスナさんが、「お昼はヤキトリにしよーゼ!」と牙をむき出しにして笑っている。直立した二メートルのプードルは大迫力である。
あのキモイ鳥を食べるのか。
そう言って茶々を入れようと、私が口を開いた瞬間、時が止まった。イモスナさんたちは凍りついたように動きを止めた。
トンネルを包んでいた青いノイズがオレンジ色に染まる。色の反転した空間が広がっていく。
『【システム通知】:城主さま。今お時間よろしいでしょうか?』
よくない。
突然迫り上がってきた地面に“足”を取られ、私は床を舐めた。
そして、身体を襲った異変に、呆然となった。
「て……てが、手がない……」
『【システム通知】:【システム通知】ですから、手はございません』
「あし……あしが……」
『【システム通知】:【システム通知】ですから、足もございません』
「……」
朗らかに返事をする【システム通知】の声が、ちょっと怖い。
気がつくと私は、目の粗い金網の上にうつ伏せになっていた。
節くれだった装飾的な金属棒が、「ジャックと豆の木」よろしくウネウネと手を伸ばし絡み合っている。
「ここって…………」
私は、十メートル級の巨大なガーデンテーブルの上にいた。
『【システム通知】:城主さま。申し訳ありません。侵入者でございます』
混乱したまま、私は顔を上げる。
このテーブル──青銅製の格子床──には、すごろくのゲーム盤のようなマットが敷いてある。
盤上には、人形たちが蠢いている。
こちら側には青い蟹の群れ。
向こう側には赤い蟹の群れ。
「……これが侵入者?」
『【システム通知】:左様でございます』
私は、チロチロと舌を出し入れして、蟹のにおいを嗅ぐ。土臭いのが赤、磯臭いのが青である。青はどうやら味方らしい。
「なにこれ冒険者? 数が多すぎない?」
『【システム通知】:賊は単独でございます。総当り攻撃のため戦線が拡大しております』
【システム通知】の返答は、簡潔明瞭すぎて意味が分からない。
いやひょっとして私、頭悪いのだろうか。
鎌首をもたげてゲーム盤を見下ろすと、三本の通路があることが分かる。三つの道は騙し絵のように、どれも同じ長さだ。蟹たちが隊列を組んで行進している。
そして、両軍がぶつかる地点で行われているのは、えげつない潰し合いである。
……あ、こういうゲーム、見たことあるな。
いまいち面白さが良く分からないけれども。
『【システム通知】:右手をご覧下さい』
私は言われるままに、右側の戦場を見やる。
二足歩行のウシガエルが暴れている。ヘドロから出てきたような黒みを帯びた緑色が気色悪い。生意気に赤いマントを靡かせて、どんどん青軍を蹴散らしている。
ウシガエルの歪んだ瞳を覗き込むと、男性の姿が見える。黒縁のメガネ。濃い眉毛。両サイドを極端にカリアゲた短髪。首の後ろからVR端末のケーブルが伸びているが、男性は半覚醒状態のようである。背後には、簡易端末を扱う人影が映っている。蛍光パネルの天井がたくさん並んだ大企業のオフィスみたいな部屋だ。
うわ、なにこれ、プレイヤーの顔が見える仕様?
というかなんで起きてゲームやってるわけ?
『【システム通知】:塔を奪われれば、更なる進入を許します』
【システム通知】の声に、少しだけ焦りの色が見える。
私の身体も緊急事態なのだが。
「……いや、あの、手が無ければ、どうしようもないし」
『【システム通知】:手でございますか。どのように使うのでしょうか?』
「え、だから……」
空中に白い手が現れた。
私はびっくりして跳び上がった。
心臓をドキドキさせながら二度見したら、手は消えていた。
「あれ? いまここに……」
白い手が現れた。
『【システム通知】:なんとも不思議な概念器官でございますね』
二の腕から先しかない白い手が、空中に浮かんでいる。
場違いに上機嫌な【システム通知】の声は、ホラー映画のようだった。
手が使えるようになった私は、オズさんが見たら喜びそうな攻撃兵器を、ゲーム盤に次々に設置していく。
赤軍の占める通路をダメージゾーンで埋め尽くす。
そして、右と中央の通路を壁で封鎖する。
左の通路は押し込まれて劣勢になるが、右側で暴れていたウシガエルを孤立させることに成功する。
「こっちもカエル、居ないの? カエル」
『【システム通知】:かしこまりました。非常呼集いたします』
こっちのカエルも呼ぶらしい。
「良奈武。大君がそなたをお召しになっていらせられる」
『【システム通知】:……《守護者Ⅱ=霊獣召喚》!』
……喋ったああああ!!
いま喋ったああああ!!
【システム通知】喋ったよね!? 肉声でも喋るのか……。
【システム通知】が能力らしきものを使用すると、私の前にアマガエルが出現する。
緑色の普通の蛙である。
私は蛙を両手で持ち上げ、舌を前後に出し入れして匂いを嗅いでみる。
蛙はこちらを見上げて、だらだらと汗をかき硬直している。
なにこれかわいい。
かわいいけれど、弱そうなので、結局私が自分で手を下すことにした。
《魔眼スキル》でウシガエルを睨みつける。青い蟹の群れでタコ殴りにする。
ウシガエルはあっさり潰れて消えた。それからは楽勝だった。
盤上に三つある塔のようなものが青色に変わると、こちらの軍勢が勢いづいた。ダメージゾーンを解除しながらどんどん攻め上がり、赤の策源地を青で埋め尽くした。
『【システム通知】:この度は【Lの砦】運営管理に当たって多大なるご尽力をいただき、誠にありがとうございました』
もう呼ばないでいただきたい。
そして、私は帰ってきた。
肌がすべすべである。スカートが衣擦れするだけで気持ちがいい。
手足があるって素晴らしい。
「いい風ー」
ここは【ソレラの街】。昼下がりの噴水広場。
大勢のプレイヤーたちが、アイテムの取引や清算をしている。
緑の光の粉が、風に吹かれて楽しそうに人々の間を舞う。私も、ローブドレスの下で翼を広げて風を歓迎する。
身体の芯までポカポカの今は、少し冷たい風がちょうどいい。
私は、ちまちまとコッペパンを食べる銀髪の女の子を見守りながら、緩いため息をつく。なんだか知らないうちに、ものすごくモナちゃんが愛おしい。ロリコン病に感染したか。
さっきまではエーゲ海のようなポカポカ陽気……だった気がするが、蟹々合戦に全部ふっ飛ばされたせいで、もう何だかよく覚えていない。【ソレラの街】は、北欧だかアラスカみたいな気候なので微妙に肌寒い。
ヨーロッパが大変なことになってからは、行っていないが。
あの辺りに初めて連れていってもらった時は、“お父様”の飛行機自慢が凄かった。今はもう飛んでいない飛行機のことを自慢するのが不思議だった。
今になって思うと、新幹線でテンション上がる外人さんのノリだろう。
その旅で、子供部屋の壁に掛かる写真パネルの飛行機の名を知ることになった。私の子供時代の思い出は、だいたいその白い飛行機に集約した。
私は、キュッと蛙を抱きしめる。
「それ何?」
パンさんが栗色の髪を風に乱されながら、私の手の中を覗き込む。
「あ、連れてきちゃった……」
子供キャラの頭ほどもあるアマガエルが、私の手の中で大汗をかいていた。




