29 冒険は衝撃波と共に
#29
【六番通】──石畳の三十メートル道路──は小さな丘を避けながらウネウネと北に延びる。朝もやに包まれた街道沿いには、木造の骨組みと白い漆喰で造られた民家が延々と続いている。
のどかに馬車を二十分ほど走らせると、四階建ての高層住宅が目立ってくる。三階部分から上は屋根裏部屋で、三角屋根のてっぺんに五階の窓が付いている建物もある。
【ソレラの街】の中心部にいよいよ近付くと、蹄鉄の音の響きを少し変えて脇道に入る。道が悪くなり、馬車が揺れる。家々の隙間からは、風に揺れる緑の稲穂が見え隠れし始める。金色に光る綿のようなものがいっぱい集っていて、虫かと思ってよく見たら、おしべのようだ。
窓の外を眺めていた私は、むんずと右腕を掴まれた。
「あの柵の中が寄宿舎よ。寝るのも起きるのも、皆と共同でやらなければならないの」
腕を強く引かれて向き直ると、ふて腐れて口を尖らせた小学生のようなオーレリア姉様がいた。
見ると、右の窓の外には鉄のフェンスがある。見上げる程の高さの鉄の棒がズラリと並び、棒の先っちょに尖った装飾が付いている。
「がっこう?」
「そうですわ。ノイシュ。学院の中では、正しい言葉遣いをするのよ」
「は、はい」
「大丈夫よ。ノイシュ」
丹念に頭を撫でられる。
私のキャラの白金色の長い髪は、メイドの手によって丹念に編み込まれ後頭部で巻かれている。変な癖が付きそうなので、早く解きたい。
しかし、このような触れ合いは何年振りだろう。サバ折りされた時の可愛がりもそうだが、ちょっと実在世界では思い出せない。体育会系で乱暴なお姉様であるが、優しく撫でられるとだんだん気持ち良くなってくる。ゲームの超高度AIとは思えない、確かな温かさがあった。
馬車は黒い鉄のフェンスに沿って軽やかに走る。
フェンスの向こう側には緑あふれる庭園が広がり、東京駅みたいなスレート屋根の洋館が建っている。そして、洋館の屋根の向こうには白亜のお城を乗せた小高い丘。洋館の黒っぽい暗緑色の屋根は、お城の三角屋根とお揃いであるらしい。
馬車の窓から見える空は、一面の青空である。今日もいい天気になりそうだ。
……このキャラ、ほんと眼の性能いいなあ。
ふと南の空を見る。
地平線の先、空の果てから飛行機雲が薄く細く伸びている。雲は少しずつ成長しているようだ。飛行機雲の先端には、空の蒼に溶け込んた何かが見える。
「あれ、ヒコーキ……じゃなくて、ドラゴン?」
「ネコジンさま? ネコジンさまがいらっしゃるの?」
「いえ、なにか蒼くって、首がニュッと長い感じの……」
柔らかいシートにもたれかかっていた私は、ガバッと身を起こした。
あれは、【ソレラの街】へやってくる前、死ぬほど追いかけられてストーカーされて食われかけた、キングギ○ラ級のヤバイ奴である。ジャンボジェット機より大きいくせに、妙に速くて本当に死ぬかと思った。
「あれワイバーンだ! ヤバイかも……はやく逃げないと。はやくー、はやくー、はやくー」
馬車ごと襲われるかもしれない。両手でペチペチ小突いて、よく分かっていない感じのお姉様を急かす。
「ハンス。学院まで急ぎなさい」
「かしこまりました。お嬢様」
お姉様が声を掛けると、御者台に座っていた黒服の男の人は手綱を操り、「ツツツツッ!」と舌鼓を鳴らして馬を急がせた。
学院の正門前を通る【九番通】は、お城を迂回した後は、学院と田んぼしかない道である。しかし、人通りはそれなりに多い。学院関係者がメインのようだ。
『王立学院のネイビーには黒髪が映えますなぁ♪』『つやっつや』『そこは金髪でしょうが!』『馬車の中に斧姫アゲインッ☆』『お?』『やはりこの道は穴場ですな』
……部外者もちらほらいるようだ。薄革のハイレグ鎧を装備した童女が握りこぶしを上げ下げしている。朝っぱらから何をやっているんだろう。
私は、頬っぺたを窓に付けて空を見上げる。
ワイバーンが【ソレラの街】に進入した。そして、街の上空を真っ直ぐ突き抜けて、反対側の城壁の外側に出た。
ヒュゴオオオオオオオオオォォンォンォンッ!!
遅れて空気の振動が届く。
シックス家の馬車が学院の正門前に辿り着いたとき、空の悲鳴が轟いた。爆音は長く長く引き裂かれ、余韻を残して消えた。
「どうッ! どうどう!」
馬が怯えて棹立ちになる。シックス伯爵家の騎士の皆さんが必死に宥める。
ワイバーンは、地平線の向こうに飛んでいった。
『みえ』『きたきたきたぁ☆』『みえ』『張り込んだ甲斐がありましたな』『制服の構造が掴めてきたぞッ!』『何今の音』『ジェット機?』『帝国か!?』
オーレリア姉様と同じ、紺色のドレスの児童が汚れた石畳にペタンと座り込み、蹲っている。付き添い人も口をあけてポカーンと空を見上げている。
消炭色の胴着に紺色の外套を羽織った児童がなにか喚いている。外套の隙間から覗くチェック柄の半ズボンが可愛らしい。
騒ぎが収まる気配はない。街道の人々は学院の門へ殺到し、お互いに喚き散らしながら押し合いへし合いしている。通行人はともかく、馬車が暴走したら人を轢いてしまうのではないだろうか。
こちとら災害大国ニッポンで訓練された日本人である。ワイバーンなどではへこたれない。
「ねえさま、ねえさま」
放心状態だったオーレリア姉様の肩を揺らして、ほっぺをペチペチする。
お姉様が我に返った。巾着袋から指揮杖を取り出す。斧槍を模した、かっこいいデザインの木製の短杖である。
「ハンス。馬は大丈夫かしら」
「はい。落ち着いております」
「【六時門】配下の学徒を捜しなさい。連れて行きますわ」
「かしこまりました。シェーン、付いて来いッ!」「ハッ!」
子供なのに陣頭指揮までこなす、何気にハイスペックなお姉様である。
門の前で揉めていた集団はしばらく動かなかったが、アニメ声の冒険者の一団や騎士の皆さんの活躍で、全員一列になって門の中に誘導された。
馬車を降りて学院の敷地内を歩く。
『こちらアリア、学院に潜入した』『感度良好だ』『大佐、学院迷彩を頼む』『ダメだ、教育施設にしてはガードが堅い』『そうはいうがな』
なんでか知らないが、筋肉痛で足が痛い。昨日の戦闘のせいか。
制服に身を包んだ児童五十名ぐらいが後ろをついてくる。シックス伯爵家配下の学徒ということだが、予想外に多い。これで一教室分だろうか。他にも似たような集団が歩いている。現代的な縫製の制服に対して、保護者の皆さんはモコモコした垢抜けない羊毛の胴衣なのでギャップが凄い。
子供キャラの冒険者の皆さんは、途中まで潜入に成功したが、オーレリア姉様に職務質問されて追い返されていた。気まずい。
街道を挟んで南側の寄宿舎は赤レンガだったが、正面に見える建物は真っ白だ。四角いビルに十字格子の出窓が並んでいて、全体としては宮殿のような佇まいである。
三階の窓から煙が上がっている。何やら怒声が飛び交っていて騒々しい。耳を澄ますと、物騒な会話が聞こえてくる。
「燃やせ燃やせッ!」「オラァッ!」「オレはあったまキてんだよ!」「おっし! そろそろずらかンぞ!」「何だかワカンネェが、悪いのは奴らダゼ!」「姐サン大丈夫ですカイ?」「モスナさんはいつだッテ体張ってっからナァ!」
三階の窓が内側から叩き割られ、白銀の毛並みの獣人が飛び降りてきた。犬顔の【ハナ族】が六人。着衣は腰みのだけで、なぜか椅子を抱え持ち、全身ふわふわのモコモコである。
「げェ! 騎士が居やがるッ!」「ヤるか!」「やんぞオラァ!」
「《神鳴Ⅲ=放電》!」
ビキニを着たイヌ女が包帯を巻いた右手を掲げると、電撃の絵柄のアイコンが閃き、騎士の皆さんが魔法に打たれて仰け反る。そしてそのまま椅子を持ったイヌ男に殴り倒される。
児童の悲鳴が上がる。
……ああ、ウチの騎士さん達がっ!
慌てず騒がず、今こそ【回復杖】の出番!!
私は、《収納術》から取り出したオズさんの鈴を両手で握り、跪いて胸の前に捧げ持つ。ファンタジー系のVRゲームでよくある回復ジェスチャーである。それから、精神を集中させて騎士さんの怪我が治るように祈る。
『【システム通知】:回復杖の操作が上達し《鈴Ⅰ》を習得しました!』
《鈴Ⅰ=リカバリー》 【任意】【対人】【魔法】【回復】
消費MP10 回復魔法をかけてHPを回復する。【アトリビュート・アイコン】
キマシタワー!
さっそく鈴の絵柄の丸い玉を出して、明示盤の穴に放り込む。
「《鈴Ⅰ=リカバリー》」
即時発動の単体回復魔法。MP消費が10で、コストを気にせずクールタイム毎に使えそうである。【アトリビュート・スロット】を占有するのがちょっと重いくらいか。
騎士の皆さんの後ろから回復魔法を連打する。殴られるたびに回復する。
「げェ! 回復すンな! クソゲ!」
紅一点のハナ族が私を一睨みして突っ込んでくるが、筋肉の盾に阻まれる。
さすがヒーラーのヘイトは格が違った。
それにしても、犬顔の女性は頭のてっぺんから尻尾の先までふわふわの毛並みである。撫で回したら気持ち良さそうだ。テカテカした水色の布に包まれたバストが飛んだり跳ねたりするたびに上下左右に弾けて非常に気が散る。
やがて、ハナ族の暴徒はタコ殴りにされて、力ずくで取り押さえられた。
「……もしかして、プレイヤーの人、なのです??」
私は犬顔の女性に近寄って、小さな声で尋ねた。制止しようとするオーレリア姉様の手を握り返して、機先を制する。
犬顔の女性は激しく反応した。
「エ! そうそうそうなの! 見てよコレェ!」
右手に巻かれた包帯を解くと、手首から先が無かった。切断面がブヨブヨで腐ったような臭いがする。
「う、わ、なにこれひどい」
回復魔法を傷口に使う。光の魔法陣が展開されて、「1502」という数字が踊り、白く変色した皮膚に少しだけ血の気が戻る。連打してみるが、それ以上の変化は無い。
覚えたての《鈴スキル》では荷が重いか。そういえば《祝福スキル》を使っていなかった。
私は花鈴を《収納術》に一旦しまい、パレットを切り替える。
パレットはキャラクター・レベル30で開放される武器持ち替え機能だが、私のキャラはパレットが三組、六枚もあるせいか、武器を装備したまま切り替えると落っことしてしまうのだ。
《祝福スキル》が効果を発揮する。学院全体の雰囲気が変わり、神聖な空気で満たされる。
「オ? オ? オ? ギャアアア痒い痒い痒い!!」「姐サァァァン!!」「ハナセェェェエ!!」「チクショォォォウ!!」
二人掛かりで押さえつけていた騎士を跳ね飛ばし、地面を転げまわる。犬顔の男性も騒ぎ出す。じたばたするわんこも可愛いな。
暫くして落ち着いた【ハナ族】の女性は、室内犬プードルのようなモコモコの顔をこちらに向けて、つぶらな黒い瞳で私を見つめた。昔流行ったスペースオペラに出てくる毛むくじゃらの茶色いのにちょっと似ている。白銀の毛並みで、ツインテールのように大きな耳が垂れているが。
「イヤァ、助かったヨ! すンごい不便で困ってたンだ! サンキューな」
「いえ、いえ」
辻ヒールでこれだけ喜ばれたのは久しぶりである。私は手のひらを振って、大したことではないと身振りで答えた。
犬の彼女は胡坐をかき、真新しいピンクの肉球を左手の鉤爪でつついたり、徐々に生えてくる産毛を毛づくろいしたりしている。体格差が大きいので、座っていても目の高さが同じくらいだ。
「……ノイシュ?」
オーレリア姉様に、後ろからクイクイと引っ張られる。
「……お友達、ですの?」
「は、はい。ねえさま」
「この犬は我が家で飼うわ。ちゃんと面倒見るのよ」
お姉様は柳眉を逆立て、厳しい顔で宣言した。
遠くの家々から、黒い煙が立ち上がっていた。【ソレラの街】は、未曾有の大火災が発生していた。




