28 冒険者の筈が強制登校です
#28
「んんーーーー! にゃぁ……」
窮屈なものを跳ね除ける。重い綿の掛け布団を横に押しやる。
手足を好きに広げてジタバタさせて、思いっきり伸びをする。ベッドが広くて気持ちいい。
ふと右隣を見ると、目が合った。
「…………だれ?」
……いや知りません。というか誰?
瑠璃色の瞳の女の子が、目をぱちくりさせた。瑠璃色の髪は眉が隠れるくらいの位置で丸くカットされていて可愛らしい。
少女はガバッと起き上がると、メイドさんを呼び付けた。
「アリー! アリー!」
誰かと思ったら、オーレリア嬢だった。どうりで聞き覚えのある声である。
床には菱形の模様が入った四色織りの絨毯が敷かれ、木目の見える内装はピカピカに磨き抜かれてアンティークな雰囲気を醸し出している。天井を仰ぎ見ると、群青色の内張りに小鳥の刺繍が遊んでいる。印象派っぽいボヤけた色遣い。これは、夢の中に棲む鳥たちだ。
……そうか。ここは婦人の塔の子供部屋だ。
ログアウトしたと思ったらいつの間にかゲーム内で眠っていたようだ。また拉致られたか。あるいは何か変な病気か。いっぺん病院で見てもらった方がいいかもしれない。
「オーレリアお嬢様。ノイシュお嬢様。おはようございます」
部屋に入ってきたアリーさんは、背筋をピシッと伸ばしてお辞儀をした。
肩の膨らんだワンピースに飾りエプロンを着け、隙なく結い上げた金髪の上にはホワイトブリムを乗せている。
挨拶を返そうと私が口を開くと、オーレリア嬢が手で遮った。
「アリー。この子は誰ですの?」
……え? なんですと?
「誰、とは。ノイシュお嬢様のことでございますか?」
アリーさんは、暫し首を傾げ、気を取り直して口を開く。
「オーレリアお嬢様の妹君でいらっしゃる、ノイシュ様でございます」
「いもうと?」
「左様でございます」
「そう……」
あれれー? 何これどうなってるの!? わすれちゃってるの?
こんなのってないよ……。
子供部屋にメイドさんがもうひとり入ってきて、テキパキと片付けをする。私はワンピースの寝巻きを脱がされ、髪の毛を結い上げられる。
言われるままに、白いブラウスに袖を通す。
チェック柄のスカートを履く。
ニットのセーターに腕と頭をつっこむ。
「あの……」
スクールセーターに、プリーツスカート。
どうみても山手線あたりで見かける制服である。セーターの下から羽根がひょっこり飛び出ているけれども。
「ネリーとお呼び下さい。ノイシュお嬢様」
「ねりー、さん。この服は……?」
「学院の制服でございます。お嬢様のために仕立てさせました」
「そう……」
何とはなしに、私は翼をパタパタさせた。
この着心地はネコジンさん作か。
というか、ゲームでわざわざ学校とか行きたくないんだけど。
「最後にこちらのローブをお召しになって下さい」
少し黄味の入ったオフホワイトのセーターの上に、前開きのローブドレスを羽織る。それから、リボンふりふりの胸当飾りを戦乙女の鎧のごとく留める。
ウエストが細く腰から下が釣鐘のように膨らんだ紺色のドレスだ。全体的に見ると、「ベルサイユへいらっしゃい!」って言いそうなロココ調ドレスである。
内側に着ている制服は意味あるんだろうか……。
「アリー。学院は明日からにするわ」
私の気持ちが通じたのか、オーレリア嬢も愚図り出す。
子供部屋の出口のほうを見やると、紺色のブレザーみたいな生地のロココ調ドレスを着たご令嬢がいた。
これが制服の完全体か。
胸元は当て布で閉じているので、セーターとミニ丈のスカートはほぼ隠れている。襟ぐりからリボンタイが控え目に覗いて、股間の前スリットからチェック柄がちょっと見えるくらいか。金魚のヒレみたいに広がった貴族趣味の袖口からもブラウスの白が見える。
「お嬢様。オーレリア様の根回しがございませんと、ノイシュ様は初めての学院で心細い思いをされますわ」
「そうね。わかったわ」
オーレリア嬢は直ぐに折れた。
そこはもうちょっと頑張りましょうよお嬢様。
「あの……。わたしも、あしたで、いいです」
「だめよ」
「はう」
「お食事をお持ちいたします。こちらでお待ち下さい。旦那様は復学手続きの為、特別区の別邸に御出でです」
オーレリア姉様と二人の朝食を終えると、メイドさんに連れられて、オズさんたちの住む職人の家に寄った。学院で使う道具を取りに行くらしい。
いつものピンクのキャミを着たネコジンさんが、私を出迎えた。
城壁の基部にある穴倉のような部屋である。長い部分で三十メートルある作業部屋は一新されており、真新しい炉には轟々と火がともっている。
「よし。ピッタリね」
ネコジンさんはしゃがみ込み、私の制服姿を観察する。
「やっぱりハイソックスとローファーが欲しいわね。はいこれ履いて」
「制服の、そうごう商社、ですか」
ネコジンさんに後ろからスカートを持ってもらい、小さな丸椅子に座って、サンダルのような靴を脱ぐ。紺色のくつしたを履いて、黒の革靴を足に馴染ませる。
どちらかというと私は茶色いローファーのほうが好きなのだが、紺色の服には色味が強すぎるか。
そんなことを考えていると、オズさんがスキップしながら私を出迎えた。
「ヤーヤーヤーヤー♪ デキてるよデキてるよ?」
「これが余の杖……」
手渡されたそれを、しげしげと見つめる。木から削りだした杖が手によく馴染む。
翼のように広がった杖頭の中央には青い宝石が埋め込まれ、シャフト全体に蛇の絡みついた流麗な彫刻が施されている。
これが身長ほどもある長杖なら格好良かったのだが、テニスのラケットより短い『魔法のステッキ』である。
「カ○ザー・フェニックス撃てる?」
「ムリかな?」
「これ、がっこうで使うの?」
「教材って話だよ? その宝石は、身分証にも使う? らしい?」
宝石を覗き込むと、シックス伯爵家の紋章がホログラムのように浮かんでいる。
「そういえば、昨日まさに、回復系魔法が足りていないことに気付いたんですが。《杖スキル》ってどうなのかな」
「戦闘関係はちょっと分かんないカナー? ネコさんどう?」
「私もわかんない。包丁と囮マネキンの相性は抜群だけど」
「なんというか、もうちょっと、練習用みたいな杖とかないんですか」
「大丈夫大丈夫。でもデザイン頑張ったんだから、修理にはキテね?」
「ぶっちゃけると攻撃杖と回復杖? というのも欲しいですクレクレプリーズ!」
「あー。そういうコトね? 帝国式の本と鈴しかないよ?」
茶色い革の装丁の本と、桜の透かし彫りがかわいい花鈴を貰った。
手の中で鈴を転がすと、思ったより涼しげな金属音がコロコロと鳴った。
「ありがとー! というか、わたしなんで学校いくことになってるんだろ……」
「さあ?」
オズさんは、ネコミミ付きフードをピコピコさせた。
そして、スキップしながら作業部屋の奥へ歩く。体全身で喜びを表現する小動物みたいな仕草である。
「それよりさ、見てよ見てよコレ!」
縦にパックリ割れた黒い甲冑が天井から吊るされている。大神殿の決戦で“私”の命を繋いでくれた『黒猫メイル』である。金属の腰当からは見事な光の翼が生えていて、お尻の部分を守る黒い草摺と重なるように垂れ、今も燐光を発している。ナイス羽根と言わざるを得ない。
「羽根が生えたんだよね。実験の副作用カナ? 何故かベコベコになってるけど」
前面装甲はあちこち凹み、剣戟が何度も貫通した胸部は塗装が剥げ落ちて、激戦のなごりを垣間見せる。
私は目をそらした。
「やはり初見のルーンが多くて良く分からないな。《刻印スキル》が足りないか」
ルーペを片手に金属のパーツを弄りながら、トリマンさんがブヒヒンと唸る。
トリマンさんも黒猫メイル製作者のひとりであるらしい。
「女神ちゃんの羽根に見えるけれど、完全な人工物みたいね。生物の反応がない」
「あ、そういえば」
《収納術》に突っ込んでおいた白騎士の残骸を二つ取り出した。
見た感じ、黒猫メイルより傷は浅そうだ。
「これ拾った。何かに使える?」
「どうしたのコレ?wwwウケルwww」
白騎士の残骸が煙をふいて、バチバチと火花が散る。
「あ、ヤバ」
「伏せろ!! 大声出して耳を塞げ! 《大工Ⅵ=縮尺模型》!」
「ちょ待ッwww」
「ごめ……なんか、ごめ……学校いってきま……」
「ボクの黒猫ガッwww」
「《料理Ⅱ=排煙》!」
職人の家を飛び出す。
背後で「ボンッ!」とくぐもった爆発音が響いて、ワーワー騒ぐ声が聞こえる。
「ヤバイ。邪魔、しちゃった……」
「お嬢様。こちらをお持ち下さい」
中庭に控えていたメイドさんが、巾着袋を差し出した。
《収納術》の亜種みたいなものだ。小さな手提げ袋に、戦斧のような長物を入れることができる優れモノ。
オズさんの杖を入れておく。
「魔界の生産職人さまとは、お親しい間柄なのですか?」
「うん」
ネコジンさん、トリマンさんとは短いが、オズさんとは幾多の世界を股にかけて遊び倒した仲である。今回ほど身近な間柄になったことは無かった気がするが。
思い出し笑いでニヤニヤしているうちに、馬車がやってきた。
六頭立四頭曳の豪華な馬車だ。観覧車のゴンドラのような丸っこいキャビンからは流麗な曲線を描くフレームが四本伸び、細くて大きい自転車みたいな車輪が軽やかに回っている。
馬車はゆっくりと目の前に停まる。
観音開きのドアが開いて、行儀よく腰掛けたオーレリア嬢が声をかけてきた。
「指揮杖は持ちましたの?」
オズさんの杖を取り出して見せる。
「これ、ですか?」
「これは、お母様の、巾着袋ね」
オーレリア嬢は、私の左手の方を瞬きもせずに見つめた。
しかし、怖ず怖ずと巾着袋を差し出す私を手で制した。
「ノイシュと言ったかしら。あなたが、もちなさい」
「はい」
「ハイヤー!」
露払いの騎士が二騎先行する。
ロータリーの真ん中で揺れる「お母様の木」に見送られて、公園のような敷地を馬車が疾走する。
直ぐに市街地に出る。
早朝の気配が抜け切っていない露店広場は、たくさんのヒト族で賑わっている。
──冒険者募集中! 六時門検番酒場──という看板が目に付く。
「ああ……。サーシャにも、会いに、行かないと」
「……サーシャ? お魚の?」
何とはなしの呟きに、真横から反応があった。
ちょっと驚いてオーレリア嬢の顔を覗き込むと、透き通った瑠璃色の瞳で見つめ返された。
「はい。わたしの、恩人です」
「……ノイシュ?」
「……ねえさま?」
お姉様と妹の関係性が復活した。




