24 女神ですが雌伏の一時ですよ
#24
「ネコジン様をお迎えに上がりますわよ。今すぐに」
「え」
ここは婦人の塔の最上階。天井に貼られた青い壁紙がメルヘンチックな子供部屋である。
オーレリア姉様は、整った顔を不機嫌そうに顰めて、じーっと私の目を見る。完全に目が据わっている。このジトっとした目つきはネルソン君を思い出す。
「もうこの服には我慢ならないわ」
「は、はい……」
そう。そうなのだ。特に下着などは、動いても座っても気になるし、もうどうにもならない感じなのだ。何もやる気が起こらない。
「ネコジンさま。まだサーシャのところかも……」
「サーシャというのは、あのお魚? ……ノイシュのお友達ですの?」
「はい」
思わず笑みがこぼれる。
あの晩、いきなり実体化して溺れそうになった“私”を、助けてくれた亜麻色の髪の人魚さん。目の覚めるような青いウロコの人魚は、“私”に貴重な小魚を分け与えてくれた。泳ぎ方を教えてくれた。水流操作を教えてくれた。
サーシャの子供、マーシャは病気で衰弱していた。今ではすっかり元気になって《水泳スキル》や《深淵スキル》を競い合う仲だ。
初期装備すらない、すっぽんぽんの丸裸だった“私”を哀れんで、ビキニを作ってくれた親切なサーシャ。青色水晶のことを知り、ヒト族の街まで乗り込んでいってしまった猪突猛進のサーシャ。
あのあわてんぼうの人魚さんは、上手くやっているだろうか。
オーレリア姉様は、毛布を脇に寄せて私を抱きしめた。
肋骨がみしみし悲鳴を上げたが、ちょっと耐性がついたのか、「ぐええー」とはならなかった。
「わたくし、もうお魚は食べませんわ!」
……いやいや、人魚と魚は違う生き物ですお姉様。
主塔四階の執務室で羽根ペンを振るっていたシックス伯爵は、オーレリア姉様の懇願にわずか数分で陥落した。下着がどうのという話になってからは、「ああ」とか「うむ」とか相槌しか打たなくなった。思春期前でヨカッタデスネお父君。
というか、こういうのは母君にする類のお話なのでは? そういえば城内で一度もお見かけしたことが無いのだけれども。
執事のエトじいの指示で馬車が用意された。観覧車のゴンドラのように丸っこい車体で、童話に出てくるかぼちゃの馬車みたいだ。ちなみに完全装備の軍馬による六頭立四頭曳──露払いが二騎先行し、武装した御者二名が騎乗したまま四頭を操る──という仰々しさで、メルヘン成分は跡形もない。
観音開きのドアがゴージャスに開く。エトじいの助けを借りて、膝の高さのステップを登る。
シートには既にお姉様が乗っていて、私は隣に座る。
普段のお姉様は、弁が立ってこましゃくれて大人びて見えるけれど、ちょこんと行儀よく座るちっちゃな姿は、年相応に幼く見えた。
「開門!!」
先頭の騎士さんが声を上げる。鉄で補強された大きな門扉が軋んで震える。城門の館の一階部分を占める内門がゆっくりと開いていく。
緑の光の粉がくるくると風に乗って、気分よさそうに空へ舞い上がる。
門を出るとロータリーのような空間が広がっていた。なめらかな石畳の道がぐるっと輪を描き、真ん中にあるこんもりと盛られた塚の上には、木がぽつんと生えている。
「あの木はね、お母様が植樹されたものなの」
パッカパッカ、と蹄鉄の音が聞こえる。
ロータリーの外側には芝生が優雅に広がり、あちらこちらに立派な樹木が生えている。その向こう側に見えるのは、市街地の屋根。ここはどこの代々木公園か新宿御苑かといった雰囲気である。
「……ねえさま? おかあさまは、どこにいらっしゃる、でしょうか?」
「わたくしが生まれてすぐ、死んでしまったそうよ」
「そう、ですか」
一本道が市街地へ続く。
公園のような風景はすぐに終わり、中世ヨーロッパの都市部を思わせるゴミゴミした街並みが見えてきた。広場には露店が立ち並び、たくさんのヒト族で賑わっている。
露店の奥には、狭い道にギリギリまでせり出した、木造の骨組みにレンガを積んだ高層住宅が見える。四角とバッテンを合わせた骨組みが印象的な家屋だ。三角屋根の軒下には十字格子の出窓がある。窓ガラスのない家も多く、よろい戸を奔放に開け放っている。
──冒険者募集中! 六時門検番酒場──とかいう看板を掲げた建物が見えた。
【冒険者】ギルドって、あったのね……。
馬車が走る街道──【六番通】──は日本ではちょっと見ないほど幅員が広い。八車線の道路くらいありそうだ。端っこの方は、露店やら何やらに侵食されて、人混みで埋まっている。馬車が走るのは、真ん中よりちょっと左側である。
左側通行か! 洋ゲーのくせに分かってますね!
街道は、ひたすら真っ直ぐ北へ伸びている。
「ノイシュの髪の色は、お母様にそっくり。お母様が天界から、妹を届けて下さったのね」
けっこうメルヘンですねお姉様。そういうの好きです。
私はオーレリア姉様にくっついた。
『【システム通知】:再びお目にかかれて光栄に存じます。こちらでのご挨拶は十三回目となります。【システム通知】でございます。女神様が呼び出すシステムメニューの管理を一任されております』
『【システム通知】:はやく来いよノロマ』
『……これはひどい。いろんな意味で台無し』
馬車で転寝してしまったのだろうか。また白い空間に逆戻りだ。
転生空間の聖なる泉は、たくさんの【ヒト族】と【ハナ族】で賑わっていた。ざっと五十人は居る。体育座りをして膝に顔を埋めたり、腕を枕に寝転んだりしている。不良のたまり場みたいで近寄りがたい雰囲気だ。
「あのー。ここで何をされているのですか??」
とりあえず、端っこに座っていた犬顔の女性に声を掛けてみた。白銀の毛並みの【ハナ族】である。プードルみたいな垂れ耳と、顔を覆い隠すほどのモコモコのくせ毛がかわいい。
「もう二十日も何もクッてないンだ。なんデ死なないんだろうナ?」
「それは、大変ですね……」
【青色水晶】に閉じ込められて、空腹に苛まれた日々を思い出す。あれは地獄だ。何も考えずに寝ることしか出来ない。
『《賢者Ⅵ=クリエイション》』
【女神】は不憫に思い、リンゴの木が生えるように命じた。すると、聖なる泉のまわりに、たわわに実ったリンゴの木が生成された。
リンゴを一つもいで、プードルさん(仮名)に差し出す。
「食べますか?」
「おっ!?」
口より先に手が出るとはこういうことか。
ワンコは【女神】の手からリンゴを奪い取ると、口の横側でシャクシャクかじり始めた。腕の骨格は人間っぽいのに、頭の骨格は犬なので微妙に食べにくそうだ。果物ナイフも一緒に出せばよかったか。
そういえば、馬面のトリマンさんも食事大変そうだなあ……。
他の場所で騒ぎが起こった。剣呑な目つきで「よこせ!」とか「俺のだ!」とか喚いて、そこかしこでバトルロイヤルが発生している。木に生っているのだからいくらでももげばいいのに。ナイフを生成しなくて良かった。お腹が減ると知能も減るのか。
……まあ減るか。
プードルさん(仮名)は、リンゴの芯までムシャムシャ食べている。もう一つ手渡すと、また無心に食べる。何だかかわいくなってきた。
とりあえず、彼女が食べ終わったら【女神】のお仕事を始めよう。
『《賢者Ⅰ=ステータス》』
『【システム通知】:
◆アバター:ニア
レベル:20
種族:ハナ族 職業:奴隷 年齢:3 性別:♀
HP:-147/1385 死因:戦死・出血性ショック
MP: 434/434
身体:《筋力A》《耐久B》《感覚C》《反応C》《知力E》《精神D》
技能:《殴Ⅵ》《蹴Ⅵ》《中装Ⅵ》《嗅覚Ⅵ》《神鳴Ⅰ》
権能:《人界語Ⅱ》
称号:【勇気の鉄拳】【愛の蹴撃】【希望の戦衣】【高貴な死神】
◆アイテム:0% 所持金:なし
装備:〈幽霊ローブ〉
◆メインアーム:〈素手〉
アトリビュート・スロット1《中装Ⅰ=アクティベーション》
コモン・スロット2《中装Ⅱ=クイックステップ》
コモン・スロット3《中装Ⅳ=バックステップ》
コモン・スロット4《殴Ⅱ=キャットパンチ》
コモン・スロット5《蹴Ⅳ=スライディング》
コモン・スロット6《嗅覚Ⅴ=敵意感知》
◆エンティティ:m.blu.0001.069392
過去:《殴》 現在:《蹴》 未来:《中装》
ST: 0/446
筋力:16 攻撃:335+190 攻撃力:302+190
耐久:15 防御:324 防御力:302
感覚:10 命中:270 貫通力: 40
反応:11 回避:281 緩衝力: 34
知力: 4 魔法:205+95 魔法力:238+95
精神: 8 神霊:248+95 神霊力:265+95
要求性能をクリアしています』
大人と思ったらぜんぜん若かった。……3って何? 三歳!?
HP四桁は普通に強そうな脳筋ワンコである。知力は【女神】並みだが……。
犬の人はみんな奴隷なのだろうか。日本でそういうの流行らないので止めて欲しい。
転生処理する人はだいたい死因が戦死だけど、この前の【シドラ連邦】との戦いの戦死者だろうか。
高貴な死神とはいったい……。
謎ばかりが増えていく。
『【システム通知】:またかよオイ。いい加減にしろ』
『ん?』
ふと周りを見ると、ヒト族とハナ族の皆さんが泉にどんどん吸い込まれている。「あああぁぁぁ!!」とか「うおぉぉぉ!!」とか皆叫んでいる。
モコモコ室内犬のニアちゃんも、リンゴを咥えたまま落ちていった。
そして誰も居なくなった。
何これ怖い。
『【システム通知】:《賢者Ⅴ=コンクリュージョン》だ。フォーカスを閉じろ』
『あはい。《賢者Ⅴ=コンクリュージョン》!』
大判の書物がバサバサとめくられるイメージが脳裏に浮かぶ。終末のページが開かれる。そして、世界憲章に記された【女神】の権限により、オブジェクト破棄が命じられた。
聖なる泉が消え、ドライアイスの煙がたなびく白い空間だけが残った。
「わけ! わか! らん!」
もうひとりの“私”が取り仕切っていた頃は、こんなこと無かったのだけれど。まあいいか。
そんなことより、【女神】のキャラクリを何とかしたい。
「できるとすれば……《賢者Ⅳ=タルパユゴルム》!」
胸スライダー、操作不能。
キャラの体型、操作不能。
……ん? まちがったかな?
賢者装備、操作不能。
……ブラもパンツもなしの布一枚が【女神】の正装である。レベル高すぎる。
キャラの年齢、操作オッケー。
……ん!? ここかな?
『【システム通知】:おい病原菌。何やってる』
『ちょっと黙って』
子供キャラだと初対面の会話がいろいろ面倒だし、子供キャラと今のキャラクリの中間くらいにすれば、良いところに落ち着くか。
よし、それでいこう。時代は中二女神である。
「はっ!」
「おはようノイシュ。サラサラして気持ちいいわ」
目を覚ますと、私はオーレリア姉様に膝枕されていた。……膝枕って本当にあったんだ!
ちょっと感動した。
遠くでカタカタと、四つの車輪が石畳を叩く音が聞こえる。
……それはともかく、ぜんぜん寝た気がしない。これって、睡眠時間はどうなっているんだろう。【女神】の仕事はともかく、寝ないと流石に死ぬのでは……?
「ネコジン様は、仕立て屋として、お城に来て下さるかしら」
心地よい鈴の音を聞き流して、ふと、お姉様に話しかけられたのだと気付く。
「あ……。だいじょうぶ、です。ネコジンさま。ドレスのチェックを、楽しみに、していました」
シックス伯爵は倹約家で、最低限の仕事を市井の職人に頼んでいるらしい。奥方様がご健在だったころは、住み込みの職人がいたようだが。
今あるドレスの大半は、当時のものをお城の人間が仕立て直しているとのこと。流石にプロの仕事とは比ぶべくもない。
「ネコジン様、待っていて下さいまし!」
【四番通】の商業区に到着した。ここは大神殿の勢力圏である。




