2 旅人ですが分身を作成します
#2
立場が変われば見方が変わる。当たり前のことだけれど、人間の本質だ。
歩く生き物だから、赴く場所で。
群れる生き物だから、座る場所で。
幻想を話す生き物だから、想い描く夢の世界で。
立ち位置が変われば、見えるものが違う。出来ることも違う。環境が変われば、別の人間のように成ることもある。それが人間という生き物だ。
四次元空間は、思いがけない形で人類社会に登場した。
四次元空間の何者かが、三次元の人間を見たとする。この事象を全体として見ると、人間も含めて四次元の存在となる。二次元の絵画とそれを見る人間は、どちらも三次元空間に存在する、というのと同じだ。
ただし、四次元は三次元に収まらないので、人間には認識することができない。アニメの登場人物が決してスクリーンのこちら側を見ることができないように。
高次宇宙の断片と思われる天文現象が観測されることはあっても、この世界には四次元空間は存在しない。そのはずだった。しかし、あっさりと四次元に迷い込み、次元の壁を生きたまま越境して、三次元を振り返る方法が発見された。
発端はベンチャー企業が作った体感ゲーム。
ゲームの世界に降り立った数学者が何やら大騒ぎしたことで、異世界製作委員会という専門機関を結成する呼び水となった。
三次元空間の物質界に対して、新しいフロンティアの名は仮想世界と定義された。しかし、理論的には同じ空間として連結しているのに、時間の流れが違う。空間の繋がりが違う。認識が歪む。情報が爆発する。物理法則が一定ではない。
原子がごく小さな物質から転じて爆発的なエネルギーを指す言葉にもなったように、確率力学が莫大なエネルギーを想起させ始めた頃。仮想世界は、大量混乱兵器不拡散条約の適用範囲外となった。
貧富の差が破壊され、新しい貧富の差が生まれた。そこからの爆発的発展は学校の教科書にも書いてある。
物の本によると、四次元空間とは――
XYZ軸に第四軸を加えたものではなく、
XYZ軸に一つの時間を加えたものとも微妙に異なり、
時空の波が干渉する島の連なりを軸とする、という――なんとも名状しがたい代物らしい。空間の異常さが第四軸ってことかな?
完全没入装置が確立されて二十年。幾千万のVRコミュニティが賑わい、高価なVR端末が一般ユーザーにあまねく普及する。
仮想世界の最大の特徴は時間の流れにある。上手くすれば遊ぶ時間が増えるし、働く時間や寝る時間が増える。異なる時間の人と同じ加速空間に繋がったりするし。極超加速空間にテレポートできる超越技能者は、ときに基幹通信網の物理限界を飛び越えてしまう。
人類は真の意味で余暇を得たのだ。
時空革命以降、VR技術の研究開発は各国政府の重要課題であり続けている。
幸せを呼ぶ青い猫型ロボットはいつになったら作られるのだろうか。技術者がんばれ。
ところで我が家には「アトリエで寝るべからず」という謎の家訓がある。たぶん作業部屋で過労死した先祖か誰かが居たんだと思う。「寝るなら寝室で寝なさい」が親の口癖で、完全没入型VRゲームをやり始めた時には大変だった。
ゲーム部屋で寝てはダメ。
寝室で遊ぶのもダメ。
……結局VRゲームで遊ぶことだけは死守して、ソファに横たわり毛布をかけて目をつぶるまではオッケー、ということになった。よその家ではどういう扱いなんだろう。
私は今、コンディションを万全に整えて、ゲーム部屋のベッドで正座待機している。この真新しいベッドは、ゲーム用ソファの二代目にあたる。
私は新規オープンするVRゲームの開始時刻を待っている。
【デ・ベリス・アエテルニターティス・オンライン】
剣と魔法のファンタジー世界に降り立って遊ぶタイプのゲームだ。まともなゲーム企業が満を持して提供する大規模加速空間なので期待できる。体感ゲームはファミリー向け、短時間遊ぶだけのパーティゲーム、というイメージは覆されることになるだろう。
VRコミュニティの反応が鈍くてちょっと不安だけど……。主に海外で人気の企業だし、日本ではまだあまり注目されていないのかもしれない。
開始時刻まであとわずか。
とりあえず深呼吸をして落ち着く。
この部屋は、ゲーム部屋という名前の空っぽの部屋だ。ベッドを置くからにはベッドルームにしなさいと言われて、必要ないものを片付けさせられた結果だ。
クリーンルームの真ん中に、ベッドがどーんと置いてある。
【完全没入型VRゲーム推奨ベッド】
異物感がすごい。航空機のシートを平べったくしたような未来的なデザインが異彩を放つ。VR端末ショップに展示されていた時点で、そういえばかなり気まずい雰囲気だった。
ちなみに、VRゲーム推奨ベッドの使い心地――足腰が溶けて水になるような極上すぎる寝心地――には、最初は困惑するしかなかった。今では本当の寝室のベッドより気持ちいい。夜もここで寝たい。
『そろそろお時間でございます。あと四十秒』
開始時刻まであと四十秒。
思ったより時間ギリギリになってしまった。
私は髪を後ろでキュッと持ち上げ、カチューシャみたいな形の器具を首の後ろにセットする。そしてそのまま髪を逃がしてベッドに身体を投げ出す。全身から力を抜いて楽にする。
ポリマー製の器具が首に当たってちょっとひんやりする。これがVR端末の最新機種だ。最近はこの首掛けタイプのC型筐体を野外でも持ち歩くらしい。カラフルな不織布カバーが店先で雑に売っていたり、VR端末を手に持ったマネキンがショーウインドウでポーズを取っていたり、半端な感じで流行を見せている。
カバーは付属品じゃないみたいなので今度買っておこうと思う。
『開始時刻まであと五秒』
『――四秒』
『――三秒』
『――二秒』
私はVR端末に出立を命じる。
「簡単起動」
『起動します』
VR端末が仮想世界の始まりを告げる。
軽快な電子音がリズムを刻み、立体映像のアイコン・キューブがぷかりと浮かぶ。
ここからは時間の流れが違うので、ゆっくりでいい。
ベッドに転がって天井を眺めている状態。ここはもう仮想世界である。見えるもの、聞こえるもの、これらは全てVR端末が見せる幻のようなものだ。VRゲーム推奨ベッドが周囲の映像を取り込んで自動補完するので、ゲーム部屋になにかあれば、超スローモーションで再現されることになる。
最近の研究では、仮想世界と物質界の入り口を明示的に繋げることで、心理的なショックを軽減させる効果があるらしい。それを組み込んだ製品がこのベッドであり、搭載された大容量の自家用空間にVR端末の自家用空間を挿し木することで、物質界の仮想化と高いセキュリティを両立させた最上位機種なのだ。
私はベッドから起きて、ゲームを起動する。
「告げる。接続、デ・ベリス――――」
『接続します』
名前の長いゲーム、デ・ベリスなんとかオンラインの商用空間に接続すると、VR端末がエントリー情報を読み込んで、無個性なBGMから不吉な感じのクラシック音楽に切り替わった。
空中に浮いていたゲーム・アイコンが、私の手元に飛び込み、タブレット状に変形する。金ぴかの額縁みたいなデザインだ。
タブレットに映っているのは、キャラクター作成画面。
【あなたの分身を作成してください】
三列×三段、九個の種族見本が並ぶ。
タブレットをポチポチ押していくと、私の目の前に、サンプル・キャラクターがかっこいいポーズで実体化する。
予想以上にゲテモノが多い。トカゲ人間。ウマ人間。オオカミ人間。古代魚っぽい人魚や、クチバシのキモ太い巨大鳥類までいる。
ゲーム部屋が動物園みたいでシュールだ。
貴族服を着こなした二足歩行の猫もいる。かわいい。でも人外。
人間っぽい種族は、ギリシャ神話のヘラクレスを思わせる偉丈夫と、耳の尖った筋肉エルフのみ。角の生えた悪魔っぽいのも人間枠かな? 女性キャラはアイシャドウがキツすぎて怪人みたいだ。
これ日本で流行るの厳しいな……と思っていたら、子供キャラ設定を見つけた。さすがに子供キャラはかわいい。これは流行るかも。
ちっこいキャラは服装で遊びにくいのが欠点だけど――何を着ても変化が乏しい――まあ仕方ないかな。キャラ自体はかわいいし。
大人キャラは大柄でマッチョ。男女問わず節くれ立った劇画調のシリアス顔。動物キャラは筋肉モリモリすぎてヤバイ。選択肢にならない。
キャラクターの外見が完成した。
タブレットがキラッと光って手元を離れ、宙に浮いた金ぴかフレームに、油絵タッチの肖像画がすらすら描かれる。
肩を流れる蜂蜜色の髪。新鮮なミルクに桜を一片浮かせたような肌の艶。まんまるで幼びた緑玉の瞳。目鼻と口のいたいけなバランス共に、至高のキャラクリと言わざるを得ない。
ちなみに天使みたいな翼も生えている。
最近のマイブームは金髪緑目の羽根キャラなのです。
生まれたてのプラチナブロンドは毛先までまっすぐ整っている。調整が良かったらしく、緑っぽさも茶色っぽさもない。アカシア蜂蜜みたいな白黄色。淡い色はゲームによって発色が違ったりするので気を使うけれど、薄すぎて色が飛ぶこともなさそうだ。
白い翼に白い肌、透き通った髪色と相まって、全体的に白っぽいキャラになった。緑の目がよく目立つ。髪と目は、キャラクターの第一印象を決定付ける最重要ポイントだと思う。
見た目の次は、キャラクターのゲーム的な強さを設定する。
ゲームの開始時刻を待たなければいけないようなので、手っ取り早くVR端末に命じる。
「告げる。待機終了」
『時間跳躍します』
『――開始時刻です』
ゲームが始まった。
翻るタペストリー。布地に映る戦国絵巻。剣の英雄の横顔。
タブレットを胸に抱く私を、立体映像が取り囲む。
オープニング・ムービーが流れ始める。
ついでにそれも飛ばす。
「告げる。前説終了」
物悲しい弦楽器の調べが唐突に止まり、語り手の声が途切れる。
プレイヤー同士の時間の流れは、ゲームの開始時刻という認識に寄せてある程度収束する。とはいえ急げば早まるので、競争するなら急いだ方がいい。
ベッド付属の同調計を手早くチェック――問題なし。
早速キャラクターの能力を決める。
【あなたの生き方の指針となる三つの技能を選んでください】
【過去:《 》】
【現在:《 》】
【未来:《 》】
キャラ肖像画の下に、三つの空欄が生まれる。同時に【技能の巻物】がボワッと現れ、ひとりでにほどけて説明文を見せてくる。
武器カテゴリーは、《剣》《盾》《弓》《杖》など武器の絵柄がいっぱい並んでいる。《剣》を取れば剣士として生きることになるのだろう。
防具カテゴリーは、《軽装》《中装》《重装》《獣装》《粘装》の五種類。後半は虎の着ぐるみやスライムのアイコンなので色物っぽい。
生産カテゴリーは、《鍛冶》《大工》《裁縫》《料理》など。
採取カテゴリーは、《採掘》《伐採》《糸紡》《解体》など。
数が多すぎてイメージが湧かない。
役割というカテゴリーもある。こっちはロールプレイ重視のようだ。
《歌唱》《弦鳴》《吹奏》などは吟遊詩人プレイができそうだ。
《操船》《航法》……船乗り。
《園芸》《剪定》……庭師。
《窃盗》《潜伏》……盗賊?
《計略》《取引》……軍師っぽい。商人でも行けそう。
《測量》《製図》……伊能忠敬。
《祝福》《災厄》……神様かな?
頭の中がモヤッとする。
外見の作成で気力が尽きたかもしれない。……まあせっかく本気でキャラを作ったのだから、技能も自分で選ばないともったいない。ゲームによっては、性格診断テストやタロット占いで勝手に決まるやつもあるけれど。
技能の巻物をつらつら眺めていたら、とあるアイコンを見てビビッときた。
――祝福スキル
勇者に力を与えるために、謎の賢者や精霊が行使するふわっとした不思議パワー。類似品に加護などがある。
よくあるゲームではNPC専用の戦略魔法。物語の行く末を左右するイベントでよくぶっ放す。また実は大地そのものを支えているとか、瘴気を防いでいるとか、世界の根幹をなす要素のこともある。毒の沼地をさらっと除染したり、虹の橋を架けたり、異世界に転生した勇者にチート能力なるものを与えたりする。
このゲームでは、周囲を癒す支援系スキルらしい。
動物だらけの殺伐とした世界で、癒しプレイも良いかもしれない。
癒しの天使のイメージ・トレーニングでテンション上がってきた。
【過去:《祝福》】
【現在:《祝福》】
【未来:《祝福》】
【システム通知:いやしましょう。いやしましょう。むびょうそくさい。しょうばいはんじょう。ちよにやちよに。どんどんどんどん。いやしてえがおをふやしましょう】
……なんか緩いアナウンスが来た。バカにされている気がする。
祝福スキルは、本人が何もしなくても居るだけで周囲にちょっといいことがあるらしい。座敷わらしかな?
もうこれでいいや。あとはゲーム内で頑張ればどうにでもなる。早くINしてネルソン君と合流しよう。
私はタブレットに触れ、キャラクター作成を完了した。