17 女神ですが家族の食卓ですの
#17
今朝はカブのお味噌汁だ。
いちばん好きなのは大根だが、カブも美味しい。中世ヨーロッパでは、ビートと共に家畜の餌にする地域も多かったようだが。
調理法は簡単である。
葉を落として皮を剥いて、スイカを割るようにトントンと八等分くらいのくし形切りにする。
水道水でそのまま茹でて、野菜の旨みがじっくり出たら、油揚げ、粉末出汁を入れて足りない分野の旨みを足す。
具は、キノコ系がだいたい合う。カブの葉も入れる。お豆腐もおいしい。
火を止める前に、ネギを入れる。
お味噌を溶かして出来上がり。
正味十五分くらい。
ちなみに大根の場合は、繊維が弱くて崩れやすいので短冊切りがベストだ。急いで作るときは、いちょう切りでもいい。
「そういえば、大豆って、あの街でも売ってるのかな?」
味噌も醤油もないのは大問題なのだ。
私はオーレリア嬢に連れられて、やたらと長い食卓に座る、おじいさんの前にやってきた。
おじいさんの背後には燕尾服の紳士が一分の隙もなく控えている。
「おとうさま! おはようございます! さあノイシュ言ってごらんなさい!」
「ぉ、お、とうさま。おはよぅ、ございます……?」
「……誰だったかのぅ、この娘は?」
白ヒゲのおじいさんが眉をひそめる。
うわぁーっ! 恥ずかしい。初対面の男の人に「おとうさま」とかちょっと。倒錯的すぎて勘弁してほしい……。
「この子はわたくしの妹ですわ!」
オーレリア嬢が正面から斬り込んだ。腰に手を置いてプクッとほっぺたが膨らんだ。
「そういう訳にもいかん。その子がわしの娘だというのか?」
「そうですわ! お父様と、お母様の娘ですのよ!」
そういえば、お祖父様ではなくお父様だったらしい。
お父君は白ヒゲを撫でながら、怒れるモンスターをなだめる。
しかし効果は無いようだ。
なんでもいいから早く食べたい。がんばれお父様。
「オーレリア。座りなさい。朝食が逃げてしまうよ」
ジュリアス君がやってくれた。
ジュリアス君は慈しみの表情を浮かべ、すべて分かっておりますとも! とでも言いたそうな顔でこちらを見た。
「ノイシュ。座りなさい。こっちよ」
オーレリア嬢もこちらを見た。
お父君の右手の席に、ジュリアス君、オーレリア嬢、私が座る。
三人の対面は空席で、背もたれの高い椅子だけが並ぶ。美術品としては綺麗なのだけど、直角すぎてすごく座りにくい。
沈黙が痛い。
ついでにいうと、翼の付け根に布か何かが当たって痛い。
「大神殿の認可が下りねば、シックスの娘には成れんのじゃぞ」
「古いしきたりですわ! ねえノイシュ。わたくしの妹でしょう?」
「え………………はい」
腕をガシッと掴んで揺さぶられたので、私は「はい」と答えるしかなかった。
青髪の天使は「うふふ」と笑ってご機嫌な顔になった。
あんまり揺れると、下着の縫い目が椅子に当たって痛い。いつの間にか穿いてるタイツの太もも部分も地味に痛い。スカートの中の翼が曲がってつらい。
もじもじしながら貝のように、時の流れに身を任せるしかない。
『【システム通知】:「《魔眼スキル》で伯爵令嬢になる」クエストクリア!
→【報酬を受け取る】経験値:0 獲得金額:0』
ぶひー。なにこれ?
貰えるものは何でも貰う主義なので受け取ってみたが、《収納術》の異空間には何もなかった。亜麻色の人魚服と、所持金50ジェイドしかない。またバグかな?
「……では父上、わたくしが食事の祈りを」
二人が目配せをして頷き合う。
「そうじゃな」
朝食キタ──!
さすがネルソン君。もといジュリアス君。手早く終わらせて頂きたい。
今朝の献立は、ササミとハーブの入ったお粥と、キャベツの酢漬けと、根菜のサラダである。
鶏とか牛とか、何処で飼育しているんだろう?
ジュリアス君はこうべを垂れ、額に右手を当て祈りを捧げた。
「天に在す我らが母よ。
我、御身を崇め奉る。恵みを以って満たし給え。
高天原の在るが如く、豊葦原もかく有れかし。
我が日々の糧を与え給え。
我らが稚児を守るが如く、我らの穢れを祓い給え。
国境警戒厳と成し、我らの敵を遠ざけ給え。
……いただきます」
雲間から差し込む太陽のように、暖かな光が降りて来たのを感じた。これって《祝福スキル》かな?
日本語ローカライズの影響なのか、なにかちょっと黒歴史を抉られるような詠唱だ。存外真面目に祈るんだなと驚いた。というか、最後は「いただきます」なのね。
「いただき、ます」
それはともかく、私は大きな困難に直面していた。
銀のスプーンが重い。一升瓶を片手で持ち上げているかのようだ。
小さな子供がやるように、スプーンの柄を握りこぶしで包んで、腕をプルプルさせながら口に運ぶしかない。
多少こぼれても、両手で持ったり猫背になったりしてはいけない。戒め。食べ終わる前に追い出されるシナリオだけは回避しなければ……!
「これは、何の、おにく?」
「角ウサギでございます。ノイシュお嬢様」
オーレリア嬢、もといオーレリア姉様に尋ねたら、答えは後ろから返ってきた。
角ウサギ……戦う前に食べていたとは……。
ニコッと笑って頷くと、給仕のお爺さんも笑みを返した。
豚肉と鶏肉の中間の味で、ちょっと鴨みたいな香ばしさがある。スプーンで切れるほどやわらかい。
「おにいさまが仕留めたものですのよ。この香草はわたくしが育てましたの」
「おー……」
意外な特技である。
お粥のお米はジャポニカ米らしく、あまくておいしい。苦味のある葉っぱはクレソンだろうか。角ウサギの肉は野生の味がする。
ラディッシュのサラダは、ちょっと炒めてあるのかオリーブ油でしんなりしている。
酸っぱいキャベツはドイツ風のアレだ。おばあさまの家でよく出てくる漬物。正直苦手だ。
デザートはリンゴと洋ナシ。よく冷えている。
「エトじい! バレッタの修理にはノイシュも連れてゆくわ! 用意してちょうだい!」
「オーレリアお嬢様。午前のご予定は勉学となっております」
「……わかってますわ! いきますわよノイシュ!」
「え」
リンゴと洋ナシは、《収納術》の異空間に放り込んだ。
「逃げるわよノイシュ」
「え」
食べて重くなったのか、引っ張られても浮かなくなった。
自分の足で体重を支え、螺旋階段を一階分下りる。
女騎士の守る扉へ戻るなら同じ階層のはずだが、本当に逃げる気らしい。困ったお姉様である。
靴が合ってないので微妙に足が痛い。走らないで頂きたい。
「ここには騎士たちが住んでいるのよ」
左側にずらっと並ぶ木の扉。右側にはガラスのない小窓があり、丸い塔の基部と中庭が見える。ここは地上一階のようだ。
まっすぐの廊下を通り抜けると、こんどは螺旋階段を上がる。
三階へ登ると、屋上に突き出た見張り小屋に出た。
「こっちよ!」
物珍しそうにキョロキョロしている私は、ぐいっと腕を引っ張られる。
外に出ると、街の喧騒が聞こえてきた。
「ごらんなさい」
風はすこし肌寒く、朝の気配が感じられる。草の匂いがする。緑の光の粉が気持ちよさそうに吹かれていくのが見える。
壁の天辺は互い違いにデコボコで、青い空を乱杭歯のように穿っている。
羽をパタパタ動かして壁に飛び乗ると、建物の全貌が見えた。
「おおーーーー」
中庭をぐるっと囲む、城壁のような建物の屋上だ。中庭が細長いので、取り囲む城壁館も相応に長い。空気抜きの小さな煙突が所々に立っている。
「どこを見ているの。これよ、これ!」
オーレリア姉様の足元に、木製のプランターのような植木鉢があった。
ハーブの香りがする。やわらかそうな葉っぱはレモンバームだろうか。細い葉っぱがシュッシュッと鈴なりなのはローズマリーだ。スープに入っていたクレソンは植わっていない。
「ハーブだ」
「小間使いはここに来ないから、わたくし一人で育てているの。どう? すごいでしょう?」
「すごい」
まあ、騎士の皆様がお世話をしているのでは……。
「オーレリア! お時間ですわよ! 出てきてくださいまし! オーレリア!」
オーレリア姉様は、サーッと血の気が引いた。そんなに勉学がお嫌いなのですかお姉様。
「ねえさま、修理のバレッタ、今、あるのですか?」
「え? ええ……。ありますわよ。ほら、綺麗でしょう?」
「こちらに、あがって、きて」
「こんな所では直ぐに見つかって……。うん、もう仕方ない妹ですわね」
「抱きついて」
「かわいいわノイシュ。ぎゅう~! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私たちは空を飛んだ。
「すごいわ! すごいわノイシュ! すごいわ!」
さっきから「すごい」しか言っていない。語彙の少ないお姉さまである。
途中までは絶叫マシーンだったが、後ろ向きに流れる景色も絶景のようだ。
風を感じながら飛ぶ。
やっぱり《飛行スキル》って最高だ。
一気にNPC工房まで飛び、三分ほどで到着した。
「ねえさま、私の、ともだちです」
『あら。綺麗なドレスね。女神ちゃんも《人界語》を覚えたの?』
ネコジンさんは、ビーチチェアーでくつろいでいた。
工房の中庭に、ビーチパラソルまで立てている。何やってるんだろう。
『うん、まあ、その場のノリで……』
『こっちも似たようなものね。奥の二人は中身NPCよ。まぁ、それはともかく……』
「はじめまして。私はネコジン。服飾職人で料理人。アナタの横にいるヒトのお友達よ」
ネコジンさんは、膝をまげて優雅にお辞儀した。
ブラトップキャミにショートパンツという格好なので、社交界のような作法はいまいち締まらないが。
「シックス伯爵家の娘オーレリアですわ! ネコジンさま」
長い牙と鱗の肌を見てビクビクしていたお姉様は、ネコジンさんのお辞儀を見ると、あわてて姿勢を正した。
薄紅色のスカートを両手で摘んで、左足を斜め右に下げ、膝をゆっくり深く曲げて一礼する。
肩に掛かる瑠璃色の髪が、風になびいてサラサラと揺れる。
姉様かわいいな。
「ノイシュもするのよ!」
ああこれ私も真似しなきゃダメなのか。
その後、むちゃくちゃダメ出しされた。




