1 女神ですが救援を要請します
#1
ぷかぷか。
水色に揺らめく世界。
私は浮かんでいる。
ぼんやり眺めていると、お爺さんとお婆さんがやってきた。二人は目を閉じ、お祈りをすると、にっこり笑って去っていった。
助け合う二人。幸せそうなのに。足が痛むのかびっこを引いて。
――もったいない
そう思った途端、お爺さんがぴっかり光った。そして、お祈りするのが趣味みたいだったお爺さんは、マラソンランナーお爺さんになって、お婆さんを置いて走っていった。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
水色の空間を揺蕩う。
身じろぎひとつ出来ない。
ふと目を落とすと、包帯を巻いた人がやってきた。痛そうに顔をしかめて、大理石の床に崩れるように膝をついた。
大きくて力持ちそうなのに、怪我をして。さっきのお爺さんよりヨロヨロしている。
――もったいない
そう思った途端、キラキラと光が降ってきて包帯の人を照らした。すると、包帯ぐるぐる巻きの死にそうだった人は、包帯ビリビリ解く頭のおかしい人になって、後ろにいた人を押しのけて走っていった。ガッツポーズでグワハハ、と笑いながら。
この街の人達は、野蛮人だった。
神殿の最奥。不思議な水晶柱。
私は石の中に浮いている。景色がとても青いので、赤絨毯が黒っぽく見える。
ぼんやり絨毯を見ていると、子供がトコトコ駆けてきた。男の子と女の子。続いて両親らしき人達もやってきた。家族がそろうと私に向かって膝をつき、お祈りを始めた。
……なんか近くない? 近い近い。顔が近い。真下から見上げる顔、顔、顔……
子供がドン、と押されて短い悲鳴を上げた。後ろの人に強く押されたらしい。お父さんとお母さんが慌てて助け起こす。
大広間には、いつの間にか、大勢の人が詰め掛けてきている。
――ちょっ……やめなさいよ!
私がそう思った途端、『ラ――――』と歌声が響き渡った。一瞬の旋律は神殿を隅々まで駆け巡り、全部まとめて祝福されたことが分かった。
思い出したように少し遅れて、立体映像の吹き出しがピコッとあらわれた。
【システム通知:「祝福スキルで1000人癒す」クエストクリア!】
礼拝者の騒ぎが収まり、私は祝福クエストをクリアした。
少女祝福中……。これって、VRゲームって分かるのかな?
ゲームキャラに憑依して遊ぶタイプで、「異世界転生して魔王倒して帰ってきました」みたいな体験ができる体感ゲームの一種――あ、ちなみに異世界転生は本当にあります――です。
肉体を停止させて精神活動をゲーム内に置く本格派で、ゲームの実体は仮想世界の中に全て構築される。なので、ゲーム内感情のフィードバックがちょっと重いです。なんというか、昔の映画の――主人公が本の中に入り込んでしまう物語――それを科学的に実現させた感じなんだよね。後から臨場感とか没入感がズーンとくる。
まあ、維持費が高いし、お手軽でもないけれど、小さい頃遊園地で夢中になった人には超おすすめ! なぜなら、自分の部屋から夢の国へ遊びに行けるのだから。
VRゲームをプレイするためには、まずは自分の分身、自分のキャラクターを作る。
私のキャラはハネ族――翼の生えた種族――で、幼い天使の姿をしている。腰の後ろあたりから白い羽が生えていて、パタパタ羽ばたいたりパレオみたいに羽根で腰を包んだりできる。我ながら超かわいい。すごい。ナイス羽根。
キャラクターを作ったら次に、技能を選ぶように告げられる。
こちらは外見とは別物で、ゲーム的な強さに直結する。このゲームでこれからメインでやっていく生き方の指針。冒険の道しるべ。
私は悩んだ。
「もし超能力を貰えるとしたら何が欲しい?」と聞かれて即答できるだろうか? なお超能力は細分化されて数えきれないほど種類があるものとする。
多すぎる選択肢。それは逆説的に、出口のない迷路のようなものだ。献立ての多い料理店は選ぶのに困ってしまうし、五百色セットの色鉛筆なんて選ぶ以前に何色がどこにあるかも分からない。相手と同じものを取ろうとして微妙な空気になったりするし。
まあとにかく。多すぎると選びにくいよね。少ないのなら得意だけど。三択問題はだいたい当たるし、二者択一なら控えめに言って無敵なのだけど。
悩んだ末に、二択の女王と呼ばれた私の勘が、これを選べと囁いた。いちばんいいものを選ぶ程度の能力が火を噴いた。
――祝福スキル
近くにいる人をじわじわ回復したり、様々なご利益を撒き散らしたりする、ちょっとお得な支援系スキル。
そうだ、癒しプレイしよう。イメージ湧いてきた。天使みたいな純白ふわふわの羽根キャラに似合う技能はこれだ。これしかない。
技能を選んで、キャラクターが完成した。
私はゲームの世界に降り立った。
外見と能力は趣味に走ったけれど、その後は真面目にスタートダッシュと呼ばれる最適化プレイに勤しんだ。まだ見ぬフロンティアを冒険するために効率は大事なのだ。
生まれたての弱っちいキャラでモンスターを掻い潜り、効率よく駆けずり回って知り合いと合流する。
そして事故った。
端的にいうと、街のど真ん中で何かに攻撃された。
え、なんで!?
視界が真っ暗になり、気が付くと水晶に閉じ込められていた。手足が動かない。首も動かない。これは何かな? 突発イベントかな? パタパタ……!?……!?!?
ぎゃあああああ! 羽がッ! はねが動かないのです!
どうやら私は危機的状況にあるらしい。亀の魔王に毎度毎度さらわれる桃のお姫様みたいに。
ちなみにゲームの初期装備のまま捕まったので、ちょっとエッチなランニング・ウェアーっぽい謎の未来服という格好で晒し者にされている……許すまじ魔王!
まあ、過ぎ去りし過去はさておき。
祝福クエストクリア! クエスト報酬に罪はないのです。報酬ゲットなのです。貰えるものは貰っておくのです。
吹き出し状の立体映像、明示盤を片付ける。思考操作がピピッと唸る!
【システム通知:「祝福スキルで1000人癒す」クエストクリア!】
【→報酬を受け取る 経験値:0 獲得金額:0】
……報酬どこ!?
礼拝が終わって祝福クエストの成果を確認していると、一度散った人々がまた大広間に集まってきた。NPCと呼ばれるプログラム制御の端役キャラクターである。プログラムといっても生きている人間と見分けがつかない。
ヒト族の皆さんは女神の水晶に見守られながら、ギチギチに並んだ木の長椅子に順に詰まっていく。パーソナルスペース狭すぎでしょう。どうなってるのこれ。というか、なんでこんなに礼拝が好きなのか。戦闘とは無縁そうな人ばかりで、私をさらった誘拐犯の姿は見えない。
『たすけてー』
私は水晶の中から、少し悪ふざけの入った念話で助けを求める。
……囚われのお姫様を演じてみたけど、なんかすべったようだ。
『何やってるんだ』
ジトっとした目で念話を返してくるのは、NPCではなく、さっきフレンド登録したばかりのネルソン君。前にやっていたゲームの知り合い。このゲームでも遊ぶ約束をしていた。
ネルソン君は、人ごみを押し合いへし合い、近くにやってきた。
『また、……伝説を、創るのか……?』
『ちがうのです。わるものに捕まったのです。なんか動けないのです』
失礼な! ネルソン君が言ってるのは昔やったゲームの不具合であって、私のせいじゃないのです。
ちなみに念話というのは、フレンド登録した相手と秘密会話するためのチャット機能のこと。ゲーム内限定で、超能力者のように心の声を飛ばすことができる。見える範囲にしか届かない微妙に面倒っちぃシステムである。
そんなことを言っている間に、また礼拝が始まるらしい。祝福クエストかな?
私の視界に、吹き出しがピコッとあらわれた。
【システム通知:「祝福スキルで10000人癒す」クエスト】
【→引き受ける / 断る】
一万人って……
ちなみにクエストとは、ゲームのキャラに課せられる使命のこと。ゲームを一冊の絵本に例えるなら、クエストは絵本の文字のようなもので、まったく何もないとタダの絵だけど、ゴチャゴチャ多すぎるのも嫌われる。気に入ったNPCの頼み事ならともかく、こうやって読み手に無茶を言ってきたりするし。
まあ他にやる事ないから受けるけど……
『たすけるのです、はやくたすけるのです、何でもしますからー』
苦し紛れに、ちょっとふざけて助けを求める。そろそろ洒落にならないので、できれば本気で助けてほしい。
『剣の輝きが、足りない……あれは死に至る病だ……』
私の必死なお願いは、よく分からない返事で流された。ネルソン君は剣士らしいガッシリとした腕を組み、『今いいこと言った』って顔をして壁の方を横目でにらんだ。
ん? なにかな?
目をキョロキョロさせると、壁際の端っこの方に白い騎士の姿があった。完全武装の全身甲冑。目の部分が不気味に光っている。
あ……あれはヤバイのです。すごくヤバイのです。近寄ったら即死なのです……って空気を醸し出しているのです。
私を白昼堂々闇討ちしたのは、あのNPC騎士たちなのです。白い高貴な見た目のくせに悪の手先とは……
ネルソン君ひとりでやるのは確かに厳しそうだ。
ちなみにネルソン君はガチガチのヒト族の剣士で、鉄の剣、鉄の鎧、鉄の盾という格好をしている。武器のつよさを優先するタイプだったはずなので、肩パットの分厚いアーマーナイトみたいな鎧を着ているのはちょっと珍しい。
ネルソン君の充実した装備を見て、私は思わず軽口をたたく。
『もう鉄の鎧なのかー。いいなあー』
『儚きモノたちの……、作りし鎧、だがな……』
打てば響くように、奇妙な言い回しの念話が返ってくる。
予定では今頃私も装備一式そろえて角ウサギなんかと戦っていたはずなのに。やり直しを要求するのです。
『いいだろう……ケルト示現流暗黒剣はすべてを滅ぼす剣……この力、試してみるか……?』
やっぱり剣聖とか剣姫ってウルトラかっこいいよねイメージ的に。剣スキル覚えようかな。今のオススメ狩場は何処だろう。あ、でもVRゲームで血まみれは臭いが――
『剣よ…………意思を…………示せ!』
――大きな衝撃音に、ビクッとなった。
ネルソン君は剣を突き立て、王者のポーズを取っている。不運な鉄の剣と石の床は、抱き合って悲鳴を上げるはめになった。
というか、何やってるんだろう。モンスター狩りに思いを馳せていた私は現実に引き戻された。
『え』
『ならば、ここに剣に誓おう……女神を助けると……!』
ネルソン君は剣を構え、なにか上気した顔で水晶の中の私を見上げている。
ヒト族の皆さんが息を呑む。
そして、鉄の剣士は天井近くまで跳び上がった。すごいジャンプ力だ。
『知っているか……ダイヤモンドを砕く、鉄の星を……《剣=シューティングスター》!』
剣の絵柄のアイコンを輝かせ、ネルソン君が空中を滑るように突撃してくる。
剣先がぶつかり、澄んだ音がして水晶にヒビが入る。
『ちょ待っ、ひあああーーーーッ!?』
ビリビリ痺れた。
頭がチカチカするような衝撃が収まると、視界の隅に吹き出しがピコッとあらわれた。これは、アクション・ログの明示盤。
【システム通知:ネルソンの《剣=シューティングスター》! 青色水晶に264ダメージ!】
マイ・キャラクターの明示盤も出してみる。
【マイ・キャラクター】
◆アバター:青色水晶エリン
レベル:13
種族:ハネ族 職業:女神 年齢:8 性別:♀
HP:319/580
MP:857/857
身体:《筋力F》《耐久F》《感覚D》《反応AA》《知力F》《精神AAA》
技能:《祝福D》《飛行AA》《風纏E》
権能:《樹界語A》
生活:《念話》《収納術》《社交術》《擬宝術》《行商術》
称号:〔星の祈り〕〔蒼穹の覇者〕
◆アイテム:126938% 所持金:50J
装備:〈青色水晶〉〈ハネ族の服〉
収納:〈ヤドリギの小枝〉〈宝石の袋〉×50
◆メインアーム:〈素手〉
アトリビュート1:《祝福=勝負必勝》
コモンスロット2:《祝福=交通安全》
コモンスロット3:《祝福=無病息災》
コモンスロット4:《風纏=行雲》
コモンスロット5:《飛行=螺旋回避》
コモンスロット6:《飛行=臨界推進》
うわっ、ダメージ受けてる? マジで?
しっかりHP減ってるし。
《祝福=勝負必勝》でHP3回復したし。やったね!!
というかヤバイ。
『ちょっ、ネルソン君!? しぬしぬしぬしぬー』
一方ネルソン君は、白い騎士たちに囲まれて熱烈な歓迎を受けていた。セラミックのような白い剣が振り下ろされるたびに鎧がへこんで【343】【330】と数字が踊る。ダメージを受けるとこういう風に見えるらしい。ネルソン君が苦しげに呻く。
『ぐっ! 暗黒剣は光を逃がさない……お返しだ、受けとれ……《剣=デモリッシュコーズ》!』
ネルソン君は剣を投げ槍のように引きしぼり、剣の絵柄のアイコンを輝かせる。そして残像を残し、突き技を放つ。
白騎士の鎧のすきまに剣先がねじ込まれ、耳障りな音が響いた。【151】と数字が出た。モーションはかっこいいのに、いまいち効いてなさそうだ。
【334】【345】【152】【332】【344】ボコスカ殴り合い。
『こいつは……ヘヴィだぜ……』
ネルソン君はそう言い残してあっけなく散った。湿った嫌な音がした。
『ネルソン君ー!!』
白い石の床は血まみれだ。全年齢向け虹色描写が床に飛び散る。NPCたちが息をひそめて見守る中、力尽きた剣士の肉体は光の粒に置き換わっていく。
そして目の前に、ゲームの初期服を着たネルソン君が現れた。
『死んだ』
ネルソン君が見たままのことを念話してきた。
『なむなむ……』
私は念仏を唱えた。あみだぶつって仏の中で一番偉いやつらしい。
『剣は言っている……あと二発だ……』
ネルソン君は右手を掲げて手刀をつくり、拳法みたいなポーズを決めた。
『ちょ、まって! やめっ! やめっ! 私しんじゃうのです! 死んじゃう気がするのです! それよりネルソン君、遺留品があるよーっ!』
私は命乞いをした。
ネルソン君の殺害現場には、鉄の鎧が人の形に脱ぎ捨てられ、抜き身の剣が残されている。金貨の詰まった袋や手斧、ナイフや麻縄などのアウトドア用品も床に散らばり、ピクニックに良さそうな籐のバスケットまで落ちている。
『遺留品って、なんだ……?』
死に戻ったばかりのネルソン君は、後ろに落ちている装備品が目に入っていないようだ。
『死んだ人の忘れ物なのです』
『ああ……これか…………。ふっ……修理が必要だな……』
ネルソン君は鎧の穴ぼこに手を突っ込んでニヤッと笑った。そして私のほうを見上げて、とんでもない発言をした。
『キャラ消して、作りなおすか?』
『いやいやいや嫌なのです。消さないのです。私のキャラも死にたくないって言ってるのです』
このナイス羽根を、この世から消せと……?
『キャラは死ねない……死ぬことは……ない。ヴァルハラで永遠の、夜を刻むことになる……』
ネルソン君は得意げな顔で言い放った。
え、なにその設定。消されたキャラは、そんなところに出荷されちゃうの!?
ぷかぷかぷか。
空色の中に浮かんでいる私。
水晶は囚われの女神を包み、南の島の海のような色合いで、ヒビひとつなく煌いていた。