精霊王とリチャード。
男爵家の応接間にて、白い狼の姿をしたゆうりの本当に嬉しそうに尻尾を振る姿があった。
「えへへ、本当に嬉しいなあ。
そうだっ、ねえ、マリーロゼ。
私ね、マリーロゼのお母さんにもちゃんとご挨拶しときたいな。」
「まあ、お母様にですか?」
「うん!
でもね、私みたいな大きな狼が突然部屋に入ってきたら驚くでしょう?
だから、マリーロゼが先に行って私のことを説明しておいて欲しいな。」
マリーロゼは、ゆうりの言葉に少し考え込むがまずは母親に話しをしてみることとした。
「分かりましたわ。 まず、お母様の体調を確認してから話してみますわね。」
「ありがとうっ! 私はここで待ってるね。
あ、もしお母さんが大丈夫って言ったら呼びに来なくても分かるから大丈夫だよ。」
「まあ、そんな事も出来るのですね。」
ゆうりの言葉を疑うことなく笑みを浮かべたマリーロゼは、叔父であるリチャードへ退室の挨拶をしてから母親の自室へ向かうのだった。
マリーロゼが退室し、部屋から離れていく気配を確認したゆうりは何か言いたげな視線を送ってきていた二人に冷たい眼差しを送る。
「マリーロゼも退室したしさ、私に言いたいことがあるんでしょう? 早く言ってくれるかな、お二人さん?」
マリーロゼが側にいた時とは違う雰囲気を纏ったゆうりの言葉に、リチャードとヴィクターに緊張が走る。
「……貴女様が精霊であることを、これ以上疑うつもりはありません。
しかし、貴女様がマリーロゼの前に現れた理由はあれだけではないと思うのです。」
「へえぇ、私の言動は不自然だったかなあ。
でも、マリーロゼに向ける感情も、答えた理由も嘘じゃないよ。 ただ、言わなかったことがあるだけだもの。」
黄金の瞳を細めて、リチャードとヴィクターへ視線を向けるゆうり。
「……どうして、あの子なのですか? 私は、あの子には幸せになって欲しい。
波風立たぬような平凡な人生を歩み、危険なことに巻き込まれ無いで欲しいのです。」
マリーロゼに向ける温かな視線とは、真逆の興味のない冷めた視線を向けられながらもリチャードは拳を握り締めてゆうりへと訴える。
「あの子には、言いませんでしたが貴女様は少なくとも高位精霊に属される方だ。
そんな方と契約を結んだとなれば、要らぬ争いに巻き込まれることになるやもしれません。」
マリーロゼがいる時にあえて説明することをリチャードは避けたことがある。
それは、精霊達の具現化した時の姿に関係する。
かつて、最高位の精霊と契約を結んだ際に人間が教えて貰ったことの一つであるが、精霊の中で人の姿を取ることが出来るのは最高位もしくは高位の中でも特に力を持った精霊だけなのである。
それ以外の高位の精霊は、人間の幼い子どもの姿ならば取ることができる者もいるが、そのほとんどは動物の姿を形取っている。
中位の精霊は、動物の子どもであったり妖精の姿を、低位やその他と呼ばれる精霊では、手の平にのる程大きさやそれよりも小さい様々な姿であったり、拳大の大きさの光の塊のような姿である。
ゆうりが仮の姿を取っているのは、大きな狼である。
その具現化された姿だけで、ゆうりのことを高位精霊と人間達は判断できてしまうのだ。
そんな高位の精霊が側にいることは、貴族としては名誉なことなのかもしれない。
しかし、姪には平凡でも良いから幸せになって欲しいと貴族らしからぬ考えを持っていたリチャードにとって、高位の精霊との契約は余計な争いごとを呼び込む物でしかなかった。
そんなリチャードの愛する姪を想う必死の訴えをゆうりは一蹴する。
「……無駄だよ。
もしも、私の知っている“マリーロゼ・アウラ・イスリアート”だったら争いに巻き込まれる運命だ。」
「何をっっ!?」
「なんですとっ!?」
ゆうりの言葉の意味だけでなく、マリーロゼ本人にも伝えていないはずの父親の家名を告げられて驚愕の声を上げる二人を尻目にゆうりは言葉を続ける。
「もし私の知るマリーロゼならば、遅かれ早かれ魔力を発現するよ。 それも、人間の中では強いといえる魔力を。
そして、努力を重ねて知識も教養も国一番と言われる令嬢に成長する。」
ゆうりは、不機嫌な様子を隠しもせずに二人に向けて一つの未来を語り続ける。
「彼女が幸せだったかは、私には分からない。 でもね、どんなに辛く、悲しくて、憎しみを覚えても、彼女は決して卑怯な真似はしなかった。
最後まで、堂々と誇り高く咲き誇ったよ。 私から見れば、誰よりも美しい大輪の花だった。」
過去の記憶に思いを馳せるようなゆうりの姿に、目の前にいる存在が高位精霊であることを忘れて、大切な家族の一人である姪のためにリチャードは声を荒げる。
「貴女様はあの子に何をさせるおつもりですかっ!?
もしも、あの子を傷つけるようなことでしたら私は身命を賭してでも抗って見せます!」
「及ばずながらこのヴィクター、お供いたしますぞっ!」
しかし、ゆうりへ対して警戒心を露わにして、戦闘態勢に入ろうとした二人を止める声があった。
「(リチャードッ! そのお方に刃を向けてはなりません!)」
「(ヴィクター、おぬしもじゃっ!)」
『!!』
突如響き渡った声に制止され、二人は動きを止める。
動きを止めた二人の前に二つの光の塊が姿を現し、光が収まった頃には宙に浮かぶ“水色の妖精”と“子馬”の姿が有った。
光と共に現れた妖精と子馬は、ゆうりに向かって頭を下げ、畏まった様子で言葉を紡ぎ出した。
「お初にお目に掛かります。 私は水の精霊が一人、アクアと申します。」
「お会いできて光栄です。 儂は地の精霊が一人、バースと申します。」
『我らが、偉大な精霊王様。』
二人の精霊の言葉に、応接室の中は凍り付いたかのように静まりかえった。
「せ、せい、れいおうぅぅっっ?!」
「精霊王ですとぉぉっっっ!!!」
精霊達の言葉を驚愕のあまり停止しかけた思考回路で、数分掛けて理解したリチャードとヴィクターの叫び声が応接室の中に響き渡るのだった。