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舞踏会の後日談 とある伯爵令嬢編。


 聖誕祭の舞踏会が終幕して心此処にあらずといった様子で屋敷へと戻ったルネッタ・バーナード。


 屋敷へと到着すると同時に父であるマーティンに、馬車から引きずり出されるように屋敷内へと手を引かれて無理矢理歩かされ、屋敷内へ入ると同時にルネッタの頬を激しい痛みが襲った。


「お、お父様っっ?!一体何を……」

「黙れっ!!この愚か者がっ!!!貴様は私にどれだけの恥を掻かせたと思っているっ!!!」


 侍女達の小さな悲鳴が上がるなか、激しい衝撃に玄関ホールの床に倒れてしまったルネッタを、燃え上がるような怒りの籠もった眼差しで見詰めるマーティン。

 ジンジンと熱を持って痛み始めた父に打たれた頬を押さえ、初めて聞いたマーティンの苛烈な怒鳴り声に身を竦ませる。


「私は……私はただお慕いする御方の目に留まりたかっただけで……、以前はお父様だってあの御方の側に寄ることを賛成して下さったではありませんか……!」

「お前の頭は飾りかっ!状況を判断することすらできん愚か者とは話す事など何も無いっ!!

 貴様のような愚か者にバーナード家の令嬢の名を名乗らせる訳にはいかん!!数日以内に修道院へと入ることになると思っておけっ!!!」


 マーティンの言葉にルネッタは衝撃を受けた表情を浮かべる。

 年若い貴族令嬢にとって、規則の厳しい修道院に入ることはとても辛い事であった。


「そんなのあんまりです!!」

「五月蠅いっ!!公衆の面前でアルトノス公爵家の血筋であり、サントル騎士団長を務める御仁に色目を使ったばかりか、その婚約者である王女殿下を侮辱しておいて只で済む訳が無かろう!!

 当事者であるお前に対し少しでも王女殿下と騎士団長殿の怒りを静めることが出来るようにしておかねば、我が家は何か理由を付けて処断されることとなる!!!」


 ルネッタの悲鳴のような言葉を無視して、マーティンは執事に王家へと正式に謝罪と許されるならば直にお目通りして許しを請いたい旨を伝えるために、手紙を書く準備をするように言いつける。


「あ、あの程度のことで、不興を買うはずがありませんわ。だって、所詮は子供同士のいざこざではありませんか……。」

「貴様は二度とその口を開けるな!あれの何処が子供同士のいざこざで済む話だ!!

 そうでなくとも、王女殿下は陛下だけでなく騎士団長までもが大切にされている上に、契約されている精霊がどのような報復をするか……!

 位が高い精霊ほど気位が高く、契約相手に害を為されることを嫌う!王国で一、二を争う契約者である王女殿下の精霊であるならば、どんな被害を被ることになるか……!!」


 マーティンは様々な事を脳裏に思い浮かべて、顔を青ざめさせ一刻も早く弁明をしなければならないと唇を噛みしめる。


「お前達っ!!この愚か者を部屋に閉じ込めておけ!!!

 厳しいことで有名な修道院へと叩き込むまで部屋から一歩も外に出すなっっ!!!」

「お父様っ!お願いです、聞いて下さいませ!!」


 涙を浮かべ始めたルネッタの言葉を無視して執事や侍女達に厳命すれば、二人の会話から舞踏会でルネッタがマーティンが此処まで怒り狂う何を王女殿下に対して、やらかしてしまったのだと気が付きそそくさと命令に従い始める。


 自室へと閉じ込められたルネッタは、舞踏会で来ていた深紅のドレスが皺になることも厭わずにベッドの上に俯せとなり、顔を枕に当てて涙を流し始める。


「……どうしてこのようなことに!私は愛しい方に声を掛けただけなのに……!!」


 美しい髪を振り乱し、唇を噛みしめて愛しい人の隣りに立っていた自分ではない存在に嫉妬の炎を燃やしたルネッタ。

 その瞳には、嫉妬だけでなく己をこのような立場に追い込んだ忌々しい王女への怒りが燃えさかっていた。


「おのれ……おのれっ!私の足下にも及ばない美しさの欠片も無い癖に、アルトノス様のような高貴な血を受け継ぎ、剣術に優れ、容姿も麗しいあの方の隣を独占するなど許されるはずがないっ!!」


 ルネッタは美しく切り揃えられた爪を噛み、恐ろしい形相を浮かべ呟く。


「……あの女さえいなければ、私がお父様に叱られて修道院などに行かされることなど無かった!アルトノス様だってきっと私を見てくれるはず……。」


 爪を噛みながらルネッタは美しいはずの顔を歪めて笑みを浮かべる。


「だって、私の方が美しいもの。そんな私にはアルトノス様のような優れた男が側にいるべきだわ。」


 どうにか王女を排除できないかと歪んだ笑みを浮かべながら、夢の中へと泣き疲れて眠り始めるルネッタの姿を引き攣った表情で見詰める白い狼の姿が窓の外にあったのだった。


 全てがルネッタにとって思い通りになる夢の世界で、一時の平穏を楽しむ彼女はまだ知らなかった。


 聖誕祭の舞踏会が終わり夜が明け、舞踏会の疲れを癒すためと同時に後片付けに追われる者達がいる学院が休日となったその日に、王都の複数の貴族の屋敷では悲鳴と絶叫が響き渡ることとなり、己がその中の一人になることなど知る由もなかったのである。



※※※※※※※※※※



 窓から差し込んだ日の光と、大きく開いた深紅のドレスの胸の上辺りにべちょりとした湿った何かが鎮座している感触にルネッタは眼を醒ました。


「……ん?……何よ、一体……?」


 眠い眼を擦り、身体を起こせば胸元に鎮座していた何かがべちょりとドレスのスカート部分の上に落ちてしまった事に気がつき、視線をゆっくりと向けて視線が合ってしまう。


「……ひっ?! あぎゃあぁぁぁっっっ!!!」


 ルネッタの視線の先にいたのは、白や黒の帯模様が入った赤褐色の身体、背中にはぶつぶつとした斑点のような模様。

 大きな口と、黄色と黒色の特徴的な目玉に離れた眼の位置。


 眠るルネッタの胸元に鎮座していた存在、それはルネッタが大っ嫌いな大きな蛙だった。


 生理的に受け付けない存在を目の前にどうすることも出来ず、絶叫を上げたはずの喉は引き攣ったような音しか出してはくれなかった。


 とにかく逃げようとベッドの上から床へと降りようとしたルネッタだったが、床が有るはずの場所に足を下ろせば冷たい感触が襲う。


「……あ……なん……で……?」


 呆然とした様子で周囲を見渡せば、昨日までは普通の床だったはずの場所は一面沼地のような水面が広がり、机や椅子には沼地に自生するような草が生えていた。

 

 床に広がった水の中には、沢山の種類の蛙たちが気持ちよさそうに泳ぎ回り、ルネッタはまだ気が付いていないがオタマジャクシや卵までいたのである。


 そんな場所にルネッタは足を漬けて余りの部屋の変わりように唖然としてしまう。


「ひっ?!」

 

 再び足を襲った水気を帯びたべちょりとした感触にルネッタは視線を恐る恐る向けると短い悲鳴を上げてしまう。

 小さな一匹の雨蛙が泳ぎ疲れたのか、休憩をするためにルネッタの足を昇り始めていたのだ。


「いっいやあぁぁぁっっっ!!!」


 慌てて足に付いた雨蛙を引き剥がそうと振り回せば、雨蛙は小さな放物線を描いて飛んでいきポチャンと小さな水音を響かせて着水した。

 そして、そのまま何事もなかったかのように泳いでいくのだった。



 悲鳴と助けを求める声を上げ続けるルネッタ。

 その声は侍女達には聞こえているものの、屋敷の主であるマーティンが放っておくようにと指示を出した以上は許可無く扉を開けることができず、尋常な様子ではないルネッタの悲鳴に困惑した表情を浮かべ続けていた。


 ルネッタとしては、どうしてこんなことになっているのか分からないだけでなく、沢山の生理的に受け付けない大っ嫌いな生き物に囲まれて逃げることも出来ずに助けを求めているのに、誰も助けてくれないことに号泣しかけていた。


 しばらくは無視をしていたマーティンだったが、聞こえ続けるルネッタ叫び声にとうとう耐えきれなくなり、眉を寄せ頭に血が上った様子で足音荒くルネッタの部屋の前に歩を進め、部屋の前にいた侍女達を押しのけて、大きな音を立てて扉を開け放った。


「ルネッタっっ!! 貴様は静かに反省することも……」

「お父様っ!! たす、助けてっっ!!!」


 目の前に広がった有り得ない光景に、ルネッタと同じく蛙が生理的に大っ嫌いなマーティンは思わず扉を閉めてしまった。


「お父様ぁぁぁぁぁっっっ?!」

「ぎゃあぁぁぁっっっ?! 私は、蛙の顔をした化け物を娘に持った覚えは無いっっ!!!」


 扉を背にして脂汗を流すマーティンと、無情にも閉められてしまった扉を前にルネッタの二人の絶叫が共鳴するかのように響き渡る。


 扉を開けたマーティンが眼にした光景は、沼地となった部屋の中で唯一無事であったベッドの上に座る昨夜の娘と同じ深紅のドレスを身に纏った人物。

 しかし、マーティンが見慣れていたはずのルネッタの顔は半分以上が隠されてしまっていた。

 

 離れた位置にある特徴的な大きな目。

 大きく開いた口に茶褐色と緑色が混じった湿った皮膚に、背中側にある黒い斑点模様。


 ルネッタの顔の上から半分、即ち鼻の辺りからこの世界では考えられない程にリアルすぎる蛙の被り物を装着していたのだ。


「な、何を言っていますのっ?! 私は蛙の化け物などではっ……ひっ何なのよっっ?! これはっ!!」


 マーティンの言葉を聞いて、すぐには何を言っているのか分からなかったルネッタだったが、己の顔へと手をやれば湿ったまるで蛙の皮膚のような感触に短い悲鳴を上げる。


 ……普通ならばそんな物を装着していれば気が付きそうな物だが、そのリアル過ぎる蛙の被り物は特別仕様だった。

 装着していても普段と変わらずに見えるようになっている視界、違和感を感じにくい安定のフィット感、そして何よりも呪いの仮面のように己では外すことが出来ないように魔法が掛けられていた。


 それに加えて、目が覚める前から装着させられていたことや、周囲の状況に気を取られていた事によりルネッタは今まで気が付いていなかったのだ。


「いやあぁぁっっっ?! どうしてよっ? どうして取れないのよっっ!」


 被り物を取ろうとしても、決して取れないことにルネッタは泣き声混じりの悲鳴を上げ、それに答えるように蛙の鳴き声だけが一斉に共鳴を始めるのだった……。



 ルネッタの部屋の扉に背中を預けて佇み、どうして良いのか混乱してしまっているマーティンの目の前の壁に光の文字が現れる。


“人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて……って言葉があるけどさ、下らない虚栄心を満たす道具に他者を使う下衆は蛙にまみれて沈んじゃえ。   精霊より。”

 

 その言葉を読んだマーティンは、顔色をますます悪くしてその場に座り込んでしまうのだった……。




 その様子を眺めていた一匹の白い狼は、胡乱げな眼差しを蛙に囲まれて悲鳴を上げながら、必死に蛙の被り物を脱ごうと奮闘するルネッタへと冷たい眼差しを送る。


「……純粋な恋愛感情をブラッドフォードに向けて、私に挑んでくるんだったら普通に正々堂々真っ正面から闘うよ。 でもね、私の大切に想っている人を君みたいな奴の欲と虚栄心を満たし、飾り立てる服飾品程度にしか思っていない奴の相手をまともにして上げる気にはならないよ。」


 白い狼はその言葉だけを残すとゆらりと姿を消し去った。

 後には、悲鳴を上げ続けるルネッタの声と蛙の鳴き声だけが木霊するのだった……。



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