舞踏会の後日談 とある伯爵編。
聖誕祭の舞踏会が終わり一夜が明け、後片付けのために生徒達は皆休みとなっていた、その日……王都の複数の貴族の屋敷では悲鳴と絶叫が響き渡ることとなったのである。
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王都に悲鳴と絶叫が響き渡る数時間前のこと……。
領地の自慢の一品がワインであるレズリー・ボガールド伯爵は、己の屋敷にワイン好きの貴族達を招いて昼間から酒宴を開いていた。
「ふうむ……流石はボガールド伯爵の領地のワインは他の物に比べてひと味違いますな。」
一人の丸眼鏡を掛けた年配の貴族がグラスに注がれたワインを光に翳して、その色合いを楽しんでからゆっくりと芳醇な香りを吸い込み、舌で含むように味わい感想を漏らす。
「そうでしょう、そうでしょうとも。 なんせ、我が領地自慢のワインの中でも取り分け優れた物をご用意いたしましたからな!」
でっぷりとした肥満体型の身体を揺らしながら機嫌良く笑うレズリーに、その周囲へと集まっていた貴族達も口々に褒め言葉を口にする。
「ワインの原料である葡萄を作ることに適した気候を持った我が領地では、毎年見事な葡萄がなりますからな! それを仕込む職人も一流ばかり! いやはや、此処まで揃っておれば美味いワインが出来ないはずが無いでしょう!!」
褒め言葉を聞いてますます機嫌を良くしたレズリーは、でっぷりとした太鼓腹を抱えて大きな笑い声を上げ続ける。
「おやおや、それだけではありますまい。 ボガールド伯爵のワインが美味い秘密はもう一つあるでしょう?」
レズリーを囲んでいた貴族達の一部がニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべ問い掛ける。
「なんでも、葡萄を収穫してワインに仕込む際にまるで天国のように美くしい光景が広がるそうですね? 是非とも見せて頂きたい物だと常々思っているのですよ。」
「おお、貴殿もですか! 私も是非とも見たいと思っているのです!」
嫌らしい笑みを浮かべた貴族達の言葉に一瞬言葉を詰まらせてしまうレズリーだったが、すぐに好色な嫌らしい笑みを浮かべる。
「流石はワイン好きな皆様ですな。 我が領地のもう一つのお薦めの品をご存じとは!……その時期になりましたら、ご希望の方はご招待しても構いませんよ? まさに夢のような光景が広がっていることをお約束いたしましょう!!」
レズリーの言葉に同じような好色で嫌らしい笑みを浮かべた貴族達の間だから、若く美しい少女達が素足で葡萄を踏む姿を夢想した嬉しそうな声が上がる。
その声を聞きながら、自慢のワインを口に運ぶレズリーの脳裏には昨夜の舞踏会で出会った王女との会話が思い出されていた。
「(……ふん。 精霊と契約を結んでいるとは言え、あのような小娘が我が領地で起こっていることを知っているはずが無い。 適当なことを含ませた言い方をしただけだろう。……だが、このまま王女ではあるが所詮は小娘でしかない相手に馬鹿にされた状態で引き下がるのは、私の誇りが許さん。)」
ワインを味わう振りをしながらレズリーは思考を巡らせる。
どうすれば、小生意気な王女に責を問われることなく仕返しが出来るかを考え続け、一つの名案が浮かぶ。
「(おお、そうだ! あの小娘の婚約者をそれとなく誰かに誘わせて、我が領地に招待しよう! そこで何が起こったとしても、それは平凡な容姿の王女とは違い美しい魅力的な少女からの誘惑を受け入れた婚約者の責任。 私は知らぬ存是ぬを貫けば良いだけのこと。)」
レズリーの口元に名案だとばかりにニンマリとした気味の悪い笑みが浮かぶ。
「(……それにしても、王妃譲りの美しい紫苑色の髪は受け継いでいながら、あの美貌は受け継がんとは出来損ないとしかいえんな。 あんな何処にでも有りそうな平凡な容姿を持った王女の婚約者に選ばれるなど、男として同情しか湧かん。 私ならば……あっちの公爵令嬢の方が良い。 妾腹の娘だが、一応母親も爵位が低くとも貴族の血筋だし、何よりも姿形が美しい……。)」
レズリーは脳裏に昨夜の舞踏会で見かけた公爵令嬢、マリーロゼの姿を思い浮かべる。
美しい気の強そうな印象を受ける顔立ちに、男から見れば女性として魅力的すぎる身体の造形。
あのような美女に迫られれば、男冥利に尽きるという物だろう。
「(……公爵令嬢である以上、手に入れることは不可能。 だが、手に入らない物ほど欲しくなってしまうのが人情という物だろう。)」
美しく、魅力的な公爵令嬢にせめて一夜だけでも相手にして貰えないかと、レズリーは真剣に考え始める。
その姿を凍り付いた極寒の大地も生温いと思ってしまうような眼差しの白い狼と、地獄の業火も冷たく感じてしまうような眼差しの紅い髪を持った美丈夫が、姿を見えないようにして見詰めていたことなど知る由も無かったのである。
……最初に異変に気が付いたのは、丸眼鏡を掛けた年配の貴族だった。
彼の頭上から一枚の“紙”がひらりひらりと落ちてきたのである。
「なんだ、これは?……一体何処から?」
目の前をゆっくりと不規則な動きで床へと落ちた“紙”を拾い上げ、一体何処から落ちてきたのだろうか、と頭上を見上げるが豪奢なシャンデリアしか天井には無く、拾い上げた“紙”が落ちてくるような様子も無かった。
首を傾げながら落ちてきた“紙”に描かれている“何か”を確認しようと、ワインを口に含みながら視線を向ける。
その“紙”に美しい色彩を用いて描かれた“何か”を理解してしまった丸眼鏡を掛けた年配の貴族は、顔を青ざめさせて口に含んでいたワインを服が汚れることも構わず、まるで滝のように吐き出してしまった。
「んなっっ?! ど、どうされたのですかっ?!」
「一体何が……?」
「……紙? 何か驚くような事が書かれて、うぐっ?!」
今まで幸せそうにワインを口にしていた丸眼鏡を掛けた年配の貴族のただならぬ様子に、周囲にいた貴族達のざわめき始める。
丸眼鏡を掛けた年配の貴族は、見てしまった余りにおぞましい“紙”の内容に、衝撃を受けて震える手で“紙”を捨てることも、眼を離す事すらも出来ずに固まってしまっていた。
そして、その手に持っている“紙”に描かれた“何か”を興味本位に見てしまった者達は、次々と口元を押さえ、顔を青ざめさせて中には吐きそうになっている者達もいた。
「これは、一体どうしたというのですかっっ?!」
招待した貴族達の様子に意味が分からずに声を上げるレズリーの眼前を一枚の“紙”がひらり、ひらりと落ちてくる。
それを切っ掛けにしたかのように、数多の“紙”がまるで桜の花びらのように舞い降りてくる。
「なんなんだこれはっ?! 何が書かれて……ひぎっっ?!」
舞い落ちてくる数多の“紙”に原因があると判断したレズリーは、落ちてくる“紙”の中から一枚を拾い上げ内容を確認すれば、引き攣った短い悲鳴を上げてしまう。
貴族達を凍り付かせた“紙”に描かれた“何か”……。
それは、ボガールド伯爵領の自慢のワインを作る際に広がる夢のような光景が描かれていた。
色とりどりの極彩色の羽根飾りが頭や背中を彩り、面積の少ない光沢のある布や煌めく貴金属が際どい場所だけを隠す、鮮やかな衣装を身に纏った者達が葡萄の上で踊り狂う光景……。
即ち、カーニバル衣装を頬を赤らめて嬉しそうに身に纏ったレズリー・ボガールド伯爵を筆頭にした似たような体型のオッサン共の全身に汗を滲ませて葡萄を踏む姿だった……。
……まるで見たままの光景を精密に模写され、鮮やかな色の付いた絵は偽りだと思うには余りに出来すぎていたのだ。
それを眼にした貴族達が思わず飲んでしまったワインを、口に指を突っ込んででも無理矢理吐き出したくなるような真実みを帯びた絵だったのである。
「レレレレ、レズリー・ボガールド伯爵っっ?! き、貴様っっ何ておぞましい物を私達に飲ませるんだっ!! き、貴様のような輩が踏んだ……踏んだ、ぶど……う……はふうぅ……」
丸眼鏡を掛けた年配の貴族が我を取り戻してレズリーに向かって声を荒げるが、言葉の途中で眼に焼き付いてしまった恍惚とした笑顔で汗を流しながら素足で葡萄を踏む、でぶったオッサン共の光景を思い出してしまい眩暈を起こして倒れてしまう。
「ひっひいぃぃぃっっ?! 何なんだこれはっ?!
ちがっ、違いますっっ!! このような事は断じて有り得ないっ!!!
私のワインはこんな醜いオッサン共ではなく、清らかで美しい美少女が踏んで……」
引き攣った悲鳴を上げて誤解を解こうと叫ぶレズリーの身体が淡い光りに包まれる。
何処からともなく軽快な音楽が流れ始め、まるで魔法少女の変身シーンよろしくクルクルと光輝きながら己の意思とは無関係に動き始める身体は、引き攣った表情や口元を押さえる貴族達の目の前で変身を終えて決めポーズを決めてしまう。
光と音楽が収まった場所には可愛いポーズを決めたまま、紙に描かれていたカーニバルの衣装を身に纏った白目を剥いて気絶したレズリーの姿があったのだった……。
招待されていた貴族達は口々に悲鳴を上げ、眼を背けて走り出す。
我先に安全な場所へと帰ろうと、酒宴を開いていた広間の扉を開け放てば再び絶叫が響き渡る。
扉を開けた先の廊下に飾られていた鎧や絵画の全てが、カーニバル衣装を身に纏ったレズリーの姿を模した物に変化していたのだ。
レズリー・ボガールド伯爵の屋敷を出るまでに貴族達の絶叫が止むことは無かったのである。
……後日、レズリー・ボガールド伯爵は美少女達を集めるために、汚い手を使って美少女達を借金の形に強制的に連れて行けるようにしていたことが判明する。
その上、その美少女達に知り合いの貴族達の接待すらもさせていたことも同時に判明し、王国に粛正の嵐が巻き起こることとなった。
しかし、そのレズリー・ボガールド伯爵の罪状や、それに関連した貴族達の一覧を纏め、良い笑顔を浮かべたサントル騎士団長に渡した紅い髪の人物の名前が知られることはなかったのである。




