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精霊王とマリーロゼの涙。


 腹黒王子との予想外の邂逅を果たすという出来事から数日が経った。

 リチャードの弛まぬ努力の甲斐あってか、王城よりの使者などが来る事もなく平穏な時間が流れていた。

 しかし、一人だけこの平穏な時間が近いうちに崩れ去ってしまう事を予感している者がいた。




 マリーロゼが叔母であるアイリーンから礼儀作法を指導されている時間に、ゆうりは一人"彼女"の部屋を訪れ問いかけた事がある。


「……私は病気を治す事も、寿命を延ばす事も出来ないけれど、貴女を精霊として生まれ変わらせる事は出来るよ。」


 ゆうりは、乙女ゲームの設定集の中でマリーロゼに関する事だけはしっかりと思い出していた。

 マリーロゼが父親である公爵へ引き取られるきっかけになる出来事、それは彼女の愛する"母親(セレナーデ)"の"死"だった。


「……やはり、貴女様はただの高位精霊では無かったのですね。

 ふふ、最近は死が近づいてきているためか、昔よりも感覚が鋭敏になっているのでしょうね。

 ……自分の事だけでなく、それ以外の事でも感じ取ってしまう事が多くなりました。」

「……セレナーデ。」

 マリーロゼの母親である"セレナーデ"は、儚くも美しい微笑みを浮かべる。

「ゆうり様、せっかくのお言葉ですが私は辞退させて頂きとうございます。」

 穏やかな瞳でセレナーデは、ゆうりの提案を拒否する。

「……どうして?

 例え、人間ではなくなってもマリーロゼや家族の側にいられるのに。」

 困惑した悲しそうな感情を瞳に浮かべたゆうりはセレナーデへ問いかける。

「……私は、我が儘なんです。

 許される事ならば、私は人として生まれたからには、人として生涯を閉じたいのです。」

 セレナーデの心の中には、今まで出会った人達の笑顔が思い浮かんでいた。

「精霊の皆様に比べれば、瞬きほどの短い生涯だったかもしれません。

 ですが、愛する家族に囲まれ、本当に愛する"人"と出会う事ができ、結ばれる事は叶いませんでしたが、確かに愛し合った証であるマリーロゼを授かる事が出来ました。

 私は、己の生きてきたこの短くも、幸せだった人生を後悔などしていないのです。」

「……。」

「……マリーロゼを残して逝くことだけが、ずっと心残りでした。

 しかし、今のあの子には私以上にあの子を守ってくれる貴女様が側にいて下さいますもの。」

 ゆうりは、セレナーデの言葉を聴いて複雑な思いを抱いてしまう。

「でも、マリーロゼは悲しむよ。

 それに、私は側にいる事は出来ても母親の変わりにはなれないもの。」

「……私は、ずっとあの子の幸せを遠い天国から見守ります。

 そして、私の"心"はずっとあの子の側にいます。

 だから、どうか……、どうか、ゆうり様あの子を、マリーロゼをよろしく頼みます……」

 セレナーデは、深くゆうりへ頭を下げるのだった。



 その数日後、セレナーデは愛する愛娘と家族に見守られるなか、穏やかな微笑だけを残して永遠の眠りについた……。




ゴオォォォン…… ゴオォォォン……


 葬送の鐘が響き渡る。

 灰色の雲に覆われた空からは、故人を偲ぶ涙のような雨粒が落ちてくる。


 地上では、黒の喪服に身を包んだ者達が一様に喪った愛する故人を思い別れの涙を流す。 

 全ての葬儀が終わった愛する母親の墓を前に、マリーロゼは一寸の感情も浮かべることなく無表情に立ち尽くしていた。

 そんな少女の傍らには真っ白な毛皮の、大きな体躯を持った狼が寄り添っていた。


 マリーロゼは泣けなかった。

 母親を亡くしてしまったという実感を未だに得る事が出来ずにいた。


「……お母様……。」


 家に帰って母の自室へ駆け込めばいつもと変わらずに穏やかな笑みを浮かべた母親が、自分を抱きしめてくれるのでは無いかと思ってしまう。

 しかし、目の前の墓石には確かに母親の名前が刻まれている。

 ……マリーロゼの幼い心は、現実を直視する事を拒んでいた。

 

 そんなマリーロゼの心の葛藤など知らずに、葬儀に付き合いの延長で参加したに過ぎない口さがない貴族の出席者は口々に、マリーロゼへ聞こえると思っていないのか非難するような言葉を浴びせる。


「(母親が死んだというのに、あれは娘でしょう?涙も流さないなんて。)」

「(しょうがないわよ。何処の誰とも知らぬ父親の子だもの。)」

「(ふん、見てくれは悪くない女だったからな。)」

「(親の死に涙も流さないなど、可笑しいのではないか。)」


「っの野郎っっ!!

 人が大人しくしてるからってマリーロゼの事を何も知らない癖に好き勝手な事言いやがってっっ!!」

 口々に悪意のある言葉を浴びせる貴族に対し、ゆうりはマリーロゼを刺激しないように小さな言葉で呟き愚か者どもを一掃しようと牙をむき動き出す。

 そんなゆうりを引き留める震える手があった。

「……お姉様……。」

 無表情だったが、確かにマリーロゼの心は母を喪った悲しみと無責任な大人の言葉に傷ついていた。

 ゆうりは、マリーロゼの側にいる事が第一だと考え愚か者どもへの制裁は後回しにする。

「……マリーロゼ?」

「お姉様、何故でしょうか……?

 私は、お母様を喪ったというのに泣く事が出来ませんの。

 ……母の死に涙を流す事も出来ぬ、私の心は可笑しいのでしょうか?」

 泣きたいのに、泣く事が出来なくて途方に暮れてしまったようなマリーロゼの姿は痛々しいものだった。

「……マリーロゼは可笑しくなんて無い、だって泣いてるよ。

 たとえ涙は流して無くても、心が泣いてる。」

「……お姉様。」

 ゆうりの言葉にマリーロゼの無表情だった表情が歪み始める。

「……セレナーデは言ってたよ。

 "マリーロゼを授かる事が出来て幸せだった"って。」

「…お母様……。」

「"ずっとあの子の幸せを遠い天国から見守ります。"

 "そして、私の"心"はずっとあの子の側にいます。"

 セレナーデは、本当に幸せだったんだよ。」

「…お…かあさ……ま……。」

 ゆうりから、喪った母親の言葉を聴いてゆうりに抱きつき、温かな毛皮に顔を埋めてやっとマリーロゼは静かに涙を流す事が出来たのだった。



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