牡丹とリリィベル、勝敗の行方。
学院への入学式が終わってから数日が経ったが、それは怒濤の日々とも言える数日間だった。
何故ならば、基本的に初日のような態度をリリィベルが崩すことはなく、何かに付けてはアルテミス達に関わろうとして牡丹達に追い払われる。
しかし、リリィベルはめげることもなく、次は攻略者である担任のクリムゾンやナーフィアへ標的を変更して何かと積極的に関わろうとする姿も頻回に目撃されていた。
貴族の子息達が一年後の“精霊召還の儀”に備えて己を磨き続けるなか、授業も課題もそっちのけで王女達だけでなく、見るからに容姿と爵位の高さで標的を絞った人選の異性を追いかけるその姿を快く思えるものがいるはずもなく、リリィベルに進んで話しかける者はダリア以外には早くもいなくなってしまっていた。
……だが、それでも変わらぬリリィベルの姿に徐々に不快そうに見つめる者達は増え続け、話の通じそうにない言動のリリィベルよりも彼等の矛先はまだ話す事が出来そうな同じ家名を持つダリアへと向いていた。
そんな彼等にダリアは時折呼び止められては、リリィベルの行動を諫めるようにたびたび言われ続けていた。
リリィベルを不快に思う者が増えれば増える程に、ダリアが呼び止められる頻度は増していく。
頻度が増えれば、ダリアが例えリリィベルに言わなかったとしても、いつかはリリィベルに他の貴族の子息より諫められるダリアのその姿を見られるのは時間の問題だった。
そして、その時はやって来てしまったのである。
あるどんよりとした曇りの日、午前中の授業である精霊と魔力に関する授業が終わった後、いつものように担任であるクリムゾンを追いかけていったリリィベル。
「コリンズ伯爵令嬢ダリア様、ちょっと宜しいかしら?」
「……はい、何でしょう? ノルドリット侯爵令嬢スカーレット様?」
普段からアルテミスの側にいるスカーレットだったが、アルテミスより側を離れる許可を得てダリアの元へと訪れていた。 スカーレットは、貴族とは到底思えぬリリィベルのアルテミスへの言動にいい加減腹が立ってしょうが無かったのだ。
「殿下の護衛としてではなく、ノルドリット侯爵令嬢として忠告します。
彼女の行動は目に余ります。 特に我らが王女殿下や、他国の王族である王子殿下への言動は見苦しすぎます。 これ以上、誇り高き王国の恥となるような行動を控えさせて頂きたい。」
「……申し訳ありません。 リリィベル様には私から伝えておきます。」
悲しげな表情を浮かべたダリアはスカーレットに対して頭を下げる。
しかし、スカーレットにはもう一つ気になっていたことがあった。
「ずっと思っていたのだけれど、どうして貴女は彼女に様付けするの? 彼女は伯爵家への養子でしょう?」
「そ、それは……」
スカーレットの言葉に言いよどむダリア、その様子に訝しげな表情を浮かべたスカーレットに勢いよく近づいて来る人物がいた。
「ダリアに何をしてるのよ! この卑怯者!!」
それは、クリムゾンに適当にあしらわれて戻ってきたリリィベルだった。
「……本当に何なの、君? 僕はコリンズ伯爵令嬢と話をしていただけだよ。 それなのに、いきなり卑怯者呼ばわり?」
他者の面前で卑怯者と罵ってきた己よりも下位の伯爵位、しかも養子でしかないリリィベルに対してスカーレットの堪忍袋の緒は切れかかっていた。
そのため、スカーレットは令嬢としての言葉使いでは無く普段通りの言葉使いに戻ってしまい、不愉快な感情を隠しもせずに相対してしまった。
「本当のことでしょう! そうでなければ、どうしてダリアが泣きそうな表情をしてるのよ!」
「簡単な話じゃないか。 君のような見苦しい言動しかできない愚か者の所為で、彼女が注意を受けるからだよ。」
「どういう意味よ! 私は何も可笑しいことなんてしてないわ!!」
憤慨するリリィベルの言葉を鼻で笑ったスカーレットは嘲笑うかのように言葉を続けた。
「君は、僕たちの話す言葉の意味も分からないの? ああ、ごめんね? 可笑しいことを可笑しいとも気がつけない人種である君は、僕たちとは全く違う次元の生き物なんだね。」
「なっっ?!」
「そうでなければ、“精霊召還の儀”に向けて勉学に励み、貴族としての地位と基盤を築くために人脈作りに奔走する者達がいる中で、“顔”と“地位”だけで選んだ異性の尻を追いかけ回すなんて恥知らずな真似はできないよね。」
騒ぎを起こすのは不味いと分かっているスカーレットだったが、今まで溜まり続けていた鬱憤はスカーレットの口を閉じるのを邪魔していた。
「このっっ!!」
スカーレットの言葉に頭に血が上ったリリィベルは、利き手を振り上げスカーレットの頬を叩こうと行動を起こす。
リリィベルの手が振り上げられ、自分に向かって振り下ろされるのを他人事のように冷静に見ていたスカーレットが思ったのは、騒ぎを起こした自分はアルテミスの護衛の任を解かれて、騎士としての未来は閉じてしまうだろう、家に迷惑を掛けてしまった、と言うことだけだった。
……だが、スカーレットの頬にリリィベルの平手打ちがされることはなかった。
「あらあら、何をなさっているのかしら?」
リリィベルの背後には、スカーレットに振り下ろされるはずだった利き手を掴んだ牡丹の姿が其処にあった。
「貴女には関係ないわ! 私に触らないで!!」
スカーレットの頬を打つはずだった利き手を囚われたリリィベルは、キッと牡丹を睨み付けて吐き捨てるように言葉を発する。
「うふふ、私だって好きで触っている訳ではなくってよ。……虫酸が走るつーのっ!」
美しい大輪の花のようでありながら、実際は盛大な毒の棘を含ませた笑みを浮かべた牡丹は、ぼそりと女性を演じる時の作り声ではない本来の男性としての声で本音を呟いてしまった。
しかし、その小さな呟きはリリィベル以外の者の耳に届くことはなかった。
「なっ?! 今の声は誰の……っ?!」
女性にしか見えない牡丹が発したとは思えない低い腰に響くような男の声に驚いてしまって動揺するリリィベルの表情を見た牡丹は、手に持っていた羽扇で口元を隠しながらニイッと口角を吊り上げる。
そして、動揺するリリィベルへ近づき、その耳元に唇を寄せると男性としての牡丹本来の声で囁いた。
「誰って俺の声に決まってるだろ。……なあ、リリィベル?」
「っっ!!!」
羽扇で周囲から顔を隠しながら、リリィベルにだけ見えるように男性としての自分を意識した表情でニヤリと笑みを浮かべた牡丹。
その耳元で囁かれた声と、笑みだけでリリィベルは顔を真っ赤に染め上げて、へなへなと腰の力が抜けてその場へと座り込んでしまった。
「あら、たわいもない。
ふふふ。 スカーレット様、王女殿下がお待ちですわ。」
「……え?……ありがとう、すぐに向かいます。」
一瞬で無力化されてしまったリリィベルの姿に、ポカンッとした表情を思わず浮かべてしまっていたスカーレットは牡丹の言葉に己を取り戻す。
「……あの、マーレ様。 単なる好奇心からなんですが……一体何をしたんですか?」
アルテミスの元へとすぐにでも行こうとしたスカーレットだったが、リリィベルという困った人物を無力化した手段がどうしても気になり、好奇心に勝つことが出来ずに牡丹へと問いかける。
「……うふふ……内緒よん。 それとも……貴女も試してみる?」
「っっ!……いやっ! 私から話を振っておいてなんだが辞退させて頂く!」
艶然とした微笑みと共に流し眼をスカーレットへと向けた牡丹の姿に、嫌な予感を覚えたスカーレットは全力で拒否して一目散にアルテミスの元へと向かうために背を向けるのだった。
「うふふ、残念。 でも、正解よん。 好奇心は猫をも殺す、というものねん。」
クスクスと嗤いながら牡丹が立ち去った後には、未だに頬を紅く染め上げて呆然とした様子のリリィベルと、どうしてリリィベルが顔を紅くしているのか分からずに心配して居るダリアの姿が有ったのだった。




