板垣政志4
九月の第一金曜日に的場を誘って三人で食事に行きましょう、と板垣に囁かれたのは八月の最終日だった。俺も約束は破れなく、頷くだけ頷いた。誘って断られればそれはそれで仕方ないことだ。九月に入り、板垣から解放されてすぐ、俺は仕方なく的場を誘って昼食に出た。
「久しぶりですね」
的場を面倒見ていた頃は一緒に昼食を食べるのは普通のことで、特に誘うことにも躊躇はなかった。が、面倒を見ることから離れれば話は別だ。後輩を食事に誘うと言うだけなら当然のことになるが、相手が女性だと少し違ってくる。
「ああ。俺も板垣から解放されて自由の身になったからね」
「板垣君の件も聞きたかったんです」
的場は少し大人っぽい笑みを俺に見せた。一人で営業に回るようになり、成長したのかもしれない。元からしっかり者の的場だが、それに一層磨きをかけた感じだ。板垣と一歳しか違わないとは思えない大人っぽさだ。
「昼はパスタでいい?」
「はい」
満面の笑みを俺に向け、弾けるような返事をした的場に、思わず癖の手が出た。的場の頭を躊躇う事なく撫でる。的場は恥ずかしそうに眼を閉じた。
「いつも元気だね」
「そうじゃないとやっていけませんから」
自分一人で頑張った事が自信につながったのかもしれない。出逢った頃よりもまっすぐで明るくて強くなっている気がした。
ビルの二階にあるレストランに入り、奥の席に座った。まだ、今の時間窓側は陽射しが強い。一応ブラインドが下りているが、暑い気がしたので奥にした。
「でね、ちょっと話があったんだ」
出された水を一気に飲み干し、俺は本題に入った。
「板垣が頑張った褒美に夕飯をご馳走してほしいと言ってきたんだ。本当に頑張ったし、そうしてあげたいと思っているんだけどね、的場さんはそういうことしてあげられなかったでしょう。まあ、二人で行くことにも抵抗あったし、誘い辛かったんだけどね。三人なら誘いやすいし、一緒にどうかな?」
なんか笑えるくらいとってつけた言い訳だ。
「お食事ですか?」
「そう、今度の金曜日なんだけど、どう?もちろん、嫌なら嫌と言ってくれて構わないし、予定があるならそちらを優先して」
注文したパスタが届き、俺はそれを食べ始めた。的場は少し困っている風だ。どうやって断ろうと考えているのか、行ってもいいものか考えているのか。
「ごめんね。断り辛い誘い方しているよね。また今度ということにしておこう」
悩んで手が止まってしまっている的場のために俺が折れた。誘ったのだから、板垣は納得するだろう。
「これって……」
「うん?」
「いえ。いいですよ。ご馳走してくれるんですよね。楽しみにしています」
的場はそう言った後、やっとパスタを食べ始めた。悪い事をしたかもしれない。だけれど、助かった気もする。
夕方、保坂と戻ってきた板垣は真っ直ぐ俺のもとに来た。俺は一度だけ板垣を見ながら頷いて見せた。板垣は破顔し、すぐに保坂のもとへ行った。板垣の姿を眼で追っている保坂はとても疲れた感じに見える。多分、騒音の被害が大きかったのだろう。
板垣はおしゃべりの分、多分頭の回転はいい。それは営業に向いている才能だろう。人懐っこさも助けているだろう。言葉遣いも直れば営業としてうまくやっていけるだろう。だけれど、一人で行動し始めたらあのおしゃべりはストレスが溜まるのではないだろうか。別に関係ないことなのだが、気になった。
保坂が俺の肩をポンと叩いて、事務所を出ていった。保坂はのんびりと談話室で過ごすのだろう。そして、俺におもいっきり愚痴を言いたいのだ。ついて来いと言う指示に従いたくはなかったが、保坂には恩もあり、仕事がひと段落したところで談話室に向かった。
保坂は椅子に座り、窓の外をぼうっと見つめていた。瞳に映るのは青い空に浮かぶ柔らかな白い雲だろうか。その空は微かに秋の色を感じられる。俺の気配に気づいたのか、保坂の視線はゆっくりと俺に向いた。疲れ果てた顔をしている。俺は自販機で缶コーヒーを買い、保坂の向かいの席に座った。
「おつかれさま。相当だったようだな」
「あそこまでひどいとは思わなかったよ。なんなんだ、あの坊主。口から生まれたと言うのはあいつみたいな奴を言うんだろうな」
保坂は大きな溜め息を吐き、きちんとセットされている髪をガシガシと掻き雑ぜた。
「どうにかならないもんかね」
相当疲れたようで、その声に力はない。その珍しい姿に俺が笑いだすと、いつもなら睨みつけて来る保坂が、力無くテーブルの上に伏せた。
「加賀山、おまえすごいよ。よく三ヶ月ちょっと耐えられたな」
「的場、的場煩いだろう?」
「的場?いや、俺の場合は違う。質問攻めだ。どうしたら女にもてるのか、それ一辺倒」
「あいつ、俺がもてないと思っているな」
俺の思わずぽろっと出た言葉に、保坂は噴き出した。
「笑い事じゃない」
「板垣は人を見て話す内容を決めているんだな。的場はおまえに懐いているから、的場の情報を得るにはちょうどいい。俺が女好きなのを知っているから、もてる方法を聞いてきた。無意識かな」
保坂は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「煙草、吸うのか?」
初めて吸う姿を見た。ここで何度も話をしてきたが、吸っているところは一度も見たことがない。会話の中にもそんな事一度も言わなかった。
「なんか疲れてね。別に吸う人間じゃない。今だって無駄に消費しているだけだよ。肺の中には入っていないからね」
溜め息を吐き、物憂げに煙草を吸う姿さえ様になっている。
「あいつは扱いやすいよ。黙らせようと思えば方法はいくつもある」
「簡単な方法は?」
「黙れ!と一括。それで三十分は黙るかな」
「ずっと黙らせるには?」
「大人しくしていれば褒美にご馳走してやる。これでいい。そこに的場さんが加われば完璧だね」
「的場は駄目。俺苦手だから」
「ああいう初心な感じは手を出しにくいもんね」
俺は缶コーヒーを何口か飲みながら保坂の口から出てくる煙を見つめた。違和感のある光景だ。
「その前に、俺の誘いには乗ってこないよ。警戒し過ぎなんだよな。その気のない女を相手する程飢えていないし困ってもいない。そのくらい分かってもらいたいもんだよ」
ずいぶんやさぐれている。初めて見る保坂の姿をかわいいと思った。こんな姿を女に見せたら、母性本能擽られるのではないだろうか。まあ、保坂は計算ならまだしも、こんな弱み見せないだろうけれど。だから、かわいらしい保坂の頭を撫でてやった。乱れた髪を直すように。
政志はある意味最強!ということで。
次回は陸、政志、的場の会食。政志は結構かわいいやつです。
次回もお付き合いください。




