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限りなく続く  作者: みこえ
本編
37/57

井上菜々葉1

 あたりは黒ばかり。こそこそと聞こえるその声に耳を傾けてはならない。無責任な囁きは簡単に俺たちを傷つけることをあの人たちは知らない。


 飾られた両親の写真は、俺たちの高校の入学式の時、記念に撮ったものだ。とても穏やかな笑みを浮かべる父と弾けるような笑みを浮かべる母。あの写真の間には俺たち二人がいた。確か撮ってくれたのは叔母である菜々葉さん。その時の写真だ。


 菜々葉さんが何もできない俺たちの代わりに動いてくれた。俺も桃香もショックで頭も身体も動かなかった。その視界の中で忙しそうに打ち合わせをする菜々葉さん。


 ――彼女も本当は悲しいだろうに。

 俺はそれでも毅然と動く菜々葉さんを眼で追っていた。


 菜々葉さんは悲しそうな顔を一つも見せず、笑顔で応対をしていた。これが大人なのか?そんな風に思っていた。自分もこれくらい強くならなければならない。これから桃香を守るために。


 菜々葉さんのその姿は俺を奮い立たせた。やはり母の妹なのだ。母も強い人だった。外見はか弱くておっとりしていそうだが、中身は違った。そうでなくては友人の子供である桃香を引き取ったりはしないだろう。当時、桃香は心を失っていたのだから尚更だ。


 周りは遠慮なしに俺に要らない情報を伝える。この耳がなければいいのにと思いながら、頷いていた。こんなずるい大人にはならない。もっと真実を見つめられる大人になる。桃香を守るために。桃香と一緒にいるために。そう思うことで、俺の感情は抑えられた。総ては桃香と一緒にいるため。桃香の隣にいるためだった。


 総てが終わり、俺たちのもとに菜々葉さんがやってきた。疲れた顔もせず、凛凛しいその顔つきに俺は助けられた。母とは違う強さを彼女は持っている。


「決めたよ。二人が成人するまでわたしが面倒を見る。だから何も心配はいらない。保護者として至らないところもいっぱいあるかもしれないけど、文句は言うなよ」

 呆然とする俺に向かって彼女はとても華やかな笑みを見せた。




 嫌な事を思い出した。あの時は本当に人間不信になるかもしれないと思った。周りにとって俺たちはお荷物だった。桃香を見る人たちの眼が険悪だった。愛情が一欠片も感じられないその視線から桃香を守ってあげることさえできないくらい無力だった。だから、そっと差しのべられたその手がとても温かくて俺は嬉しかった。暗闇で一点に射した光のようにそれは希望だった。


 今日は両親の命日で疲れているのに眠れず、色々な事が頭の中で思い出された。それらは総て叔母が関わっていること。久しぶりに見た叔母がとても幸せそうで若々しかったから懐かしかったのだろう。いつまでも変わらない女性(ひと)。俺の初恋の女性。




 両親が亡くなってから俺は眠れない夜を過ごしていた。これから歩んでいく道はどれだけ険しいのだろう。桃香と二人。そう悩むと眠れなくなっていく。不安ばかりが心を占めて、何とも言えないもやもやが俺を覆っているような気がしていた。


 リビングに行くと、菜々葉さんがそこにいて、一人静かにお酒を飲んでいた。

「どうした?眠れないのか?」

 俺は頷いた。菜々葉さんは隣に座るようにソファをポンポンと叩いた。俺が菜々葉さんの隣に座ると、菜々葉さんは俺の肩を抱いた。


「心配はいらないよ。世の中は冷たい。だけどね、温かくもある。冷たいものがあるから温かいものを実感できる。温かいものがあるから冷たいものを実感してしまう。ただそれだけだから」


 その時の菜々葉さんの声はとても穏やかで、まるで子守り歌のようだった。俺を眠りに誘うように俺を抱くその手は優しくて、俺は甘えるように菜々葉さんに凭れて眠った。




 あの時、俺はずっと菜々葉さんと一緒にいたいと願った。共に生きていきたいと思った。それは家族としての愛ではなく、男女のそれだと気づいたのはすぐだ。あの身体に触れたいと思い、あの柔らかそうな紅い唇に触れたいと思いだし、この感情を抑えなければ危険だと本能で感じた。


 今日、再会してあの淡い想いを思い出した。あの頃とは違う感情が誕生してホッとした。また蒸し返していたら今度こそ危険だ。俺はベッドから出て、リビングに行った。少しだけお酒を飲もうと思ったのだ。すると、そこに先約がいた。あの時と同じ光景。


「何?眠れないの?」

 俺は頷き、キッチンへ行き、グラスをもって叔母の隣に座った。叔母は何も言わず、日本酒を注いでくれた。


「ありがとうございます」

「陸もずいぶん落ち着いた顔立ちになったよね。成人した時はどうなる事かと心配だったけれど、取り越し苦労で終わって良かったよ。しみじみ思うよね。あの時あんたを置いて行っていいものかって悩んだもんなあ」

「菜々葉さんの幸せを奪うわけにはいきませんからね。幸せですか?」


「まあね。慣れない生活もわたしにとっては刺激だったのかもね。嫌な思いもそんなにせずにここまで来られた」

「佐々木さん、頼りになりますもんね」

 叔母は照れたのか、俺の身体をおもいっきり押した。


「菜々葉さんも見る眼ありますよね。そう出逢えるとは思えませんよ。あんな一途な人」

「陸は誰かに一途になれないの?」

「俺はいつまでもモモに一途です」

「それは恋心?」

「いいえ。そんな次元で語れる感情ではないですよ。色々なものが入り混じって複雑化しています」

「そう。淋しくなるよね」

「でも、あの二人を見ていると幸せです。やっとモモも幸せになれるんだってそう思えて」

「桃香はずっと幸せだったと思うよ。頼りになる一途な兄がいたからさ」


 俺がクスクス笑うと、叔母はあの時のようにそっと俺の肩を抱いた。そして、その腕と手に力を込めた。

「おまえも幸せになれよ。それをわたしも桃香も願っている」

「充分幸せですよ」

 叔母は何も言わず、ただ俺の頭を掻き雑ぜるように撫でた。

「あ、そうか。彼女いるんだったよね」

「あーいや。それが、実は四月に振られました」

「見る眼のない女」

 ぼそりと言われた言葉は投げ捨てるようで、その低い声に俺は震えた。


「違うんだ、たぶん。でも、何がいけなかったのか全く分からない。今までの付き合いとは全く違うはずだったんですよ。彼女の求めることはやってあげたし、お金もかけてあげた。満たしてあげているとばかり思っていたんですけれど、違ったみたいで」

 叔母の顔を見ると、叔母は俺をじっと見つめていた。


「彼女は――俺が彼女を愛していないと言ったんです。愛するってどういうことなのか分からないんですよ。多分、俺は欠陥品なんです」

 叔母は俺を力強く抱きしめた。その柔らかさや温かさが嬉しくて、俺は腕を叔母の背中にまわした。


「欠陥品なんかじゃないよ。まだ、一途になれる人に出逢っていないだけ。今まで、恋愛なんて二の次で生きてきたんだから仕方ないんだよ。みんなよりもその辺が幼いだけだから、心配するな」

 耳元で囁くように言われるその言葉はなぜか擽ったかった。


「いつかきっと、その幼い愛に気づいてくれる殊勝な女性が現れてくれるよ」

 最後は叔母の照れ隠しか?

「もうわたしは寝る。だから陸も寝な」

「はい。おやすみなさい」


いつでも菜々葉は男前。というお話。井上は菜々葉の旧姓です。


次回は菜々葉と過ごす最後の夜。


前半に出てくる政志にイラつきながら、お付き合いください。

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