棚島彩季4
桃香と棚島は十月に結婚式を挙げる予定だ。俺は全く関わっていないからどのくらい準備が進んでいるのかは分からない。だけれど、桃香を見ている限り順調のようだ。
両親の命日が明後日になり、俺はキッチンに立っている桃香の後姿を見つめた。今はまだマシだが、明日は手がつけられないくらいになる。今回は棚島も一緒だ。と言うより、棚島に任せるつもりでいる。だから、少し不安にもなる。眼の前に座っている棚島も身体を捻って桃香を見つめている。まだ、桃香がどんな風になるのか分からなくて不安のようだ。想像できないこと、初めてのことは何歳になっても不安になるものだ。
「棚島さん、なんて顔しているんだよ。俺もついているし、そんな不安そうな顔をするなよ」
俺はからかうように笑いながら言った。棚島は俺の方を見て苦笑した。苦笑と言うより笑って失敗したと言う感じだろうか。
「棚島さんの部下になってからもそういう状態の時はあったんだよ。でも、気づかなかったんでしょう?そのくらいは気を張れるから。ただ、心配なのはあなたに甘えてしまったら、仕事中も気が抜けてしまうのではないかと言うことですね」
別に脅したいわけでもないが、俺にとってもそれだけが不安だった。
「だから、その時は甘やかさないでください。それはモモが望んでいることだから」
「はい」
力強く頷く棚島を見ていると、不安など吹っ飛び、心強くなってくるから不思議だ。彼のそんな力が人の上に立つ時役立つのだろう。
桃香が作った料理がテーブルに広がった。海老チリ、春雨サラダ、青椒肉絲、わかめスープ。明日はこんな豪勢なものを食べることはできない。まあ、外食になるのだが。
棚島はニコニコしながら食べる。よく食べるが、豪快と言う感じはない。とてもきれいな食べ方をする男だ。そんな姿を眼を細めて桃香は見ていた。将来の姿が見えたような気がして、複雑な思いがした。
「桃香の料理を初めて食べたのは、バレンタインだった記憶がある。あれから何度も食べているけれど、やっぱりおいしくて毎日食べたくなるよね」
お世辞ではなく、本当の気持ちで言っていることが分かる。棚島の手は全く止まらないのだ。
「もう少しでその夢も叶うだろう?」
俺がそう言うと、棚島はピタリと手を止めた。
「それ、想像すると頬が緩みます」
近くにいたらおもいっきり殴ってやりたくなる程幸せそうな表情をする。俺の桃香を奪った男。そのくらい幸せになってもらわなければ、宝物を譲った意味がない。
「お兄ちゃんは彼女に作ってもらうの?」
まだ、佐原と別れたことは言っていない。だから多分、その『彼女』は佐原のことなのだろう。
「まあね。モモ程上手ではないけれど、うまい方だと思うよ」
俺はわざと大きな口を開けて青椒肉絲を食べた。桃香はにこにこ笑っている。
「よかった。お兄ちゃんずっと長続きしなかったから心配していたんだ。今回の人はずいぶん長いよね。三ヶ月くらい?」
三ヶ月でずいぶん長いとはまた失礼な話だ。まあ、事実なので仕方ないが、現実を突き付けられたような気がして恥ずかしくなった。
「まあ、そんなもの」
これ以上この話を続けたくなくて、黙りこんだ。それを察したのか棚島が話を変えた。
「桃香たちのご両親が眠るお墓は結構遠くにあるの?」
「ううん。そんなでもないけれど、電車とバスを乗り継いで行くんだよ」
「もしよければ、車で行こうか?そのほうが楽だろうし」
俺も桃香も車の免許は持っているが、車は持っていない。免許を取ったのも就職に不利にならないためだった。基本、無駄遣いはしたくない二人だから、免許も取りたくはなかったのが本音だ。だから、棚島の提案は嬉しかった。それは桃香も同じようだった。
「いいかもね。お言葉に甘えようかな」
桃香が俺の意見を窺うようにじっと見ていたから、俺はにこやかに言った。それに安心したのか、桃香はにこりと笑った後、食事に戻った。
「なら、明日の帰り、一緒に俺のアパートまでお願いできますか?」
「了解。そうしてもらえると楽でいいね」
次の日、帰る前に保坂に板垣をお願いした。保坂は少し疲れたような嫌な表情を見せたが、快くとは言わないまでもきちんと引き受けてくれた。約束だから仕方ない。
「約束するんじゃなかったって少し思っているよ。ここ数日、苦労しているおまえを見ているからね」
本当になぜあそこまでしゃべれるのか分からないくらいにぎやかな男なのだ。
「板垣」
俺は板垣に明日の事を伝えるために、保坂の席に呼びつけた。板垣は走る事を知らない。ゆっくりと歩いてくる板垣の姿を見るだけで苛立つ。若いのだからとっとと来いよ。
「はい」
「明日俺は休みだから、保坂の指示を仰ぐように。分からないことも保坂に聞いて」
「加賀山さん、明日どこか行くんですかぁ?まさか会社を休んでデートとかぁ。うわあ、俺を置いて遊びに行っちゃうんですねぇ」
大きな声で遠慮なく騒ぎだす板垣の頭を叩いたのは俺ではなく保坂だった。
「おまえ少しは黙れ。人のプライベートの詮索は失礼だ」
「だって、気になるじゃないですかあ。あれ?もしかして保坂さんは知っているんですかぁ?」
「興味ない」
冷たく放たれた言葉は保坂らしからぬもので、俺としても驚いた。保坂はきっと本気で怒っているのだ。俺が明日休む理由を保坂は知っているから余計かもしれない。そんな冗談でネタにするような事ではない。そう思ってくれているような気がして、俺は嬉しくなった。
「保坂、礼はするから、キレるなよ」
保坂の耳元で呟くと、保坂は俺ににやりと笑った。現金な男だ。
「ありったけの理性を総動員してやるよ。その理性代は高くつくよ」
「覚悟だけはしておく」
「なんかいやらしいなあ。俺に聞こえないように内緒話ですかぁ。何の算段でしょう?」
「失礼な男だな。おまえを守ってやろうとしてやっているんじゃないか。保坂を甘く見るなよ。痛い目を見るぞ」
俺は板垣の鼻をおもいっきりつまんでやった。
定時きっかりに仕事を切り上げ、エレベータに乗り込んだ。もうそろそろ桃香の電池は切れるかもしれない。だからこそ、桃香を待たせるわけにはいかない。あんな姿を曝したくはないのだ。
一階のラウンジで二人を待っていると、的場が俺の前に立った。
「おつかれさまです」
「おつかれさま」
その後的場は何も言わないので、俺は小説を読み始めた。すると、的場は俺の隣に静かに座る。何か用事なのかと的場を見ると、的場はじっと俺を見つめるだけで、何も言わなかった。
「何?」
痺れを切らし俺が尋ねると、的場の瞳が忙しく動いた。
「えっと、あの。佐原さんとは……別れたんですか?」
俺たち二人の様子を見てそう判断したのだろう。俺は頷いた。
「すみません、変な事を聞いてしまって」
「いや、別に」
「今日は誰かと待ち合わせですか?」
「まあね」
俺は面倒になって、視線を小説に戻した。
「あの、また変な事を聞いてしまいましたね。別に詮索とかそういうのではなくて、あ、いえ、詮索と言えばそうなのですが、何と言いますか、別に悪い意味では無くて、あ、それはわたしが決めることではないですよね」
もごもごと話しながらどんどんテンパっていき、着地地点が見えなくなっていることがおもしろくなって俺はおもわず噴き出した。
「え?」
「的場は変わらないなあ」
俺は思わず的場の頭を撫でた。
「あ、いえ。すみません」
「まあ、このまま一緒に待っていたら待ち合わせ相手と会えるよ。もうすぐ来るはずだからさ」
「なら、わたしは退散しますね」
的場は腰を上げた。俺はそれを引き止めるように腕を掴んだ。
「あれ?待ち合わせ相手気にならないの?」
「え?でも、嫌でしょうから」
「嫌ならこんな事は言わないよ。暇つぶしにつきあってよ」
なぜ的場をこんな風に引き止めてしまったのか分からない。ただ、久しぶりに的場とまともに話ができて楽しかったのだと思う。
「的場さん、ちょっと痩せたんじゃない?ちゃんと食べている?ストレス溜まっていない?何かあったらきちんと言ってよ。倒れられたら困るからさ」
ぽっちゃりしている的場だから、もしかしたらダイエットに勤しんでいる可能性もあるだろう。だけれど、それ以上に心配だった。ダイエットする必要もないし、慣れない仕事を任されている今、身体が資本で、体力を充分つけなければならない。
「ご心配ありがとうございます。食べていますよ。ただ、ハードなのは確かなので、いっぱい食べても痩せるみたいです。すごいですよね」
にこりと微笑んだ的場の頬は少し膨らんで、その部分に触れたくて人差し指でつついた。その後、そっと三本の指で撫でるように触れた。化粧をあまりしていないせいなのか、的場の頬はとても滑らかですべすべしていた。
「やば。気持ちいい肌」
思わず口走った言葉は飲み込むことはできず、気づいて口を押さえた時には総てが零れ落ちた後だった。そんな俺の仕草に的場は笑った。セクハラだと言われなくてよかった。
「お手入れしている甲斐があります」
そのかわいらしさに抱きしめたい衝動が生まれたが、それは理性で抑えこんだ。
すると、棚島の声が俺に届いた。
「お待たせしました」
棚島に凭れるように立っているのは桃香だ。
「あ」
的場は立ち上がり、大きな声をあげた後、口を押さえた。
「俺の妹と妹の婚約者」
「はじめまして、加賀山さんの部下の的場です」
「部下じゃなくて同僚」
俺にはまだ役職はついていない。
「はじめまして、棚島です。私は正真正銘、加賀山さんの上司ですよ」
ちらりと桃香を見た後、棚島はにやりと笑った。
「あの、わたしはこれで」
「ああ、気をつけて」
的場は礼儀正しく深々と礼をした後、走って去って行った。俺がそれを見送っていると、棚島はクスリと笑った。
「あの方が彼女ですか?」
「いや。実はもう別れたんだ。四月に振られている。的場は本当に後輩だよ。最近まで面倒を見ていたから懐いてくれているんだ」
「そうでしたか」
俺たちは歩きだした。桃香の電池はもう切れているようだ。棚島がいたから余計に電池の切れが早かったようだ。
「それにしても、桃香さんの話は聞いていましたが、話と実際では違いますね」
「スキだらけで心配でしょう」
「ええ。今日一日心配で眼で追っていましたよ」
棚島は桃香を抱え直し、ゆっくりと桃香の頬を撫でた。その表情がとても柔らかで、桃香を愛しんでくれていることが分かる。
「棚島さんのアパートは遠いの?」
「いえ。電車で二駅です。駅から徒歩十分です。もしよろしければ、駅で待っていてもらってもいいですよ。俺の部屋で一休みしてもいいですし」
「いや、部屋で一休みしたら最後だから、駅で待っているよ。桃香を抱えて歩くのは結構辛いだろう?」
「ええ、慣れたらまた違うのでしょうけれど」
「年二回の事だから、慣れるなんてないよ」
俺は預かった桃香と棚島のかばんを持ち直した。
自宅近くのレストランで、俺たちは夕飯を始めた。今回は棚島もいるし、あまり食事をする場所にこだわる必要はなかったが、いつもの習慣でここに来た。桃香に食べさせるのは当然だが初めての棚島だから、簡単に食べさせてあげられるように注文したのはディナープレート。ローストビーフとサラダとバケットとスープのシンプルなものだ。俺はナシゴレンのディナープレートを注文した。棚島はタコライスを注文していた。
斜め前に座る棚島は隣に座る桃香を甲斐甲斐しく世話していた。丁寧にバケットでローストビーフとサラダを挟み、それを桃香の口元に持っていく。桃香の口の中がなくなるたびにきれいに口を拭いていた。俺はそれを眺めながら優雅に夕飯を食べた。味を楽しめないくらい桃香の世話をしている棚島には悪いが、棚島の仕事としてこれからはやってもらわなければならないのだから、手を貸したりはしない。決してスマートではない今の桃香を見ても棚島の表情は変わらず柔らかい。それよりも、世話ができる事が嬉しいような表情だ。
「こういう時でも桃香さんはよく食べるんですね」
止まることなくもぐもぐ動く桃香の口元を見つめながら棚島は言った。
「言われてみれば食欲だけは旺盛だな。昔からそうだったなあ。無理やり食べさせた記憶はないな」
初めて桃香にご飯を食べさせてあげた時も、桃香は拒否することなく黙々と食べてくれた。その点では苦労はしなかった。
「食欲だけは健在なんですね。なんだか、桃香らしいですよね」
棚島はスプーンですくったご飯をパクリと食べた。いつもなら会話のない時間。棚島がいることによってあの重たい沈んだ空気はない。これからもずっとこんな風に協力し合えたらいいと思う。一人で背負うのではなく、みんなで支え合う。今まで考えなかったことだ。
長い時間をかけて食事を終え、俺たちは棚島の車で帰宅した。帰宅後の桃香の脱力に棚島は驚いていたが、甲斐甲斐しく世話を焼く。何とも楽しそうで俺は笑った。
「心配していたけれど、無駄な心配だったね。それ以上に、世話好きだって分かって安心したな」
「そうですか?」
「なあ、モモを風呂に入れる勇気はある?」
なければ軽く身体を拭くくらいで終わらせるつもりだ。
「勘弁して下さい。結婚後ならいくらでも出来ますが、今は無理です。こんな状態の桃香さんの裸を見て何するか分かりませんよ。そんな卑怯なことはしたくない」
想像していた通りの答えが戻ってきて、俺は笑った。
「なら、身体を拭いてやって。着替えは自分でするからさ」
「はい」
俺は洗面器にお湯を張り、タオルを棚島に渡した。棚島はソファに座っている桃香の顔を見た後、遠慮がちに服の裾から手を入れた。
いくつものハードルを飛び越え、最終関門は最大級だ。棚島に桃香の部屋で一緒に眠るように告げた。棚島は覚悟を決めていたようで、強く頷いた。だが、棚島のやる気とは違い、桃香の感情はそう簡単なものではなかった。俺は少し間違っていたようだ。一緒に眠ってくれる誰かがいればいいのだと思っていた。その相手が結婚を約束した男なら頼ると思っていたのだ。だが、違っていたようだ。桃香は棚島の腕を擦りぬけ、俺のところにやってきた。俺とでなくてはならないらしい。驚いたのは俺だ。それと同時に歓びも湧いた。
「やはり敵いませんね」
棚島は呑気にそう言った。難関から逃れられて歓んでいるのかもしれない。俺は仕方なく、俺の部屋で桃香と眠ることに決めた。
命日前夜。彩季はどんな桃香も好き。世話が焼けることが嬉しいくらいには。
次回は命日当日。そして、叔母が登場。
次回もお付き合いください。




