保坂連6
俺に触れる何かで俺は目覚めた。眼を開けた途端に飛び込んできたのは、保坂の寝顔だ。癖なのだろうか。眠りながらしているところが女たらしだ。保坂の手は俺の頭を撫でていた。気持ち悪い。俺がその手をどかすと、今度は腕を撫でてきた。
結局、俺は保坂と寝る羽目になった。保坂はからかうように俺に腕枕をしようとするから、ずっと拒否し続けていたが、「されてみるのもいいんじゃないの」と笑いながら言うものだから流された。あまり心地良いものではなかった。肩がこると言うか、首が痛くなると言うか。腕枕をされると自然に保坂は俺の方を向き、俺を抱きしめるような形になり、俺は面映ゆい気持ちになった。
「おい、ここまで冗談でやるなよ」
「変な気分になった?」
酒が入っているせいか、保坂の冗談は続く。俺の耳にわざと息を吹きかけたりし始めると手がつけられなくなってくる。このまま続けていたら冗談が冗談ではなくなりそうで怖かった。だから、おもいっきりでこピンをしてやった。
「眠い。寝ろ」
俺は保坂のいない方を向き、眼を閉じた。保坂も冗談はやめ、仰向けになった。ただ、腕枕だけは外してはくれなかった。
そして今。きっと眠っている保坂は俺を一夜を共にした女と勘違いしているのだろう。眠りながらサービスできるなんてなんて器用な男だろう。常にこうなら尊敬に値する。絶対にまねはできないけれど。
このままいたら変な方向へ進むかもしれない。だからと言ってまだ起きる時間ではなかった。時計が差しているのは四時なのだ。このままだと安心して眠れない。だからと言って今から桃香の部屋に行くわけにもいかず、諦めてリビングへ行った。寒くてここで眠ることはできず、だからと言って適当な掛け布団を見つけることもできなかった。
物音がして、眼を開けると眼の前には桃香の顔があった。俺は驚いて声をあげてしまった。
「何でここにいるの?風邪引くよ」
眠気に負けて、暖房をつけ、コートを布団代わりにして眠っていた。
「保坂の手癖が悪くてね」
俺の言葉に桃香はクスリと笑った。
「コーヒー飲む?」
「ああ」
俺は起き上がり、頭をガシガシと掻いた。眠った気がしない。せっかくの休日なのにゆっくり眠ってもいられなかった。
「それともわたしの部屋で寝る?」
「いや、いい。俺より先に保坂が起きたら保坂が困るだろうから」
「うん、そうだね。それにしてもお兄ちゃんにまで手を出してくるなんて相当雑食だね」
「夢の中では女だったのかもしれない」
「大切にされる女の気分を味わえた?」
「そんな気分は要らない」
その前に保坂は女性を大切にしていないし。
「確かにね」
俺はダイニングの椅子に座った。桃香は俺の前にコーヒーを置いた。
「それにしてもお兄ちゃんにしては珍しいよね。誰かを家に泊めるなんて。呼ぶこともしなかったじゃない」
「おまえを会わせたくなかったから、避けていただけだよ。モモは結構人気があったからさ」
俺は窺うように桃香を見た。桃香は楽しそうに笑っている。
「そうやってわたしは守られていたんだ」
「どうせ、俺の自己満足だよ」
投げやりに言うと、桃香は声を出して笑った。
「大丈夫。わたしだって同じようなものだったんだから」
桃香の告白に俺は少しだけ安心した。そして相当嬉しかった。
「何度かお兄ちゃんを紹介してほしいって頼まれた事あったし」
「初耳」
「そりゃ、初めて言ったからね」
桃香はコーヒーを飲みほした後、席を立ち、キッチンで朝食を作り始めた。俺はその後ろ姿を眺める。よくできた妹は俺の世話を文句一つ言わずにしてくれる。家事全般が苦手な俺に文句一つ言わず、総てをしてくれる。桃香以上の女性が現れるとは到底思えない。
桃香は楽しそうに鼻歌を歌って包丁で何かを切っていた。それを眺めながら飲むコーヒーはなんだかいつもよりおいしい。そう言えばこんな休日の朝など最近経験していない。
「今日も棚島とデートか?」
「そう。迎えに来てくれるの」
「へえ。初めてじゃないか」
「そうかもね。本当はねそのままここまで連れてきちゃおうかって作戦だったんだけれど、タイミング悪い人が一人」
「俺にとってはタイミングいい人だけどな」
二人して保坂が眠る俺の部屋のドアを見つめた。
「もう少ししたら会うよ。覚悟を決める」
「お兄ちゃんはそう言って延ばすばかりだもん。わたし知っているもん。お兄ちゃんの性格」
「大丈夫だって。最後にはきちんと言わないといけない事があるんだしさ」
桃香をよろしく。桃香を泣かせるな。幸せにしてやってほしい。そんな言葉よりももっと違う言葉がある。特殊な桃香のために引き継ぐことが山ほどある。
キッチンはいい香りが漂っていた。ミネストローネを作っていたようだ。その香りが部屋中漂い始めた時、保坂が部屋から出てきた。
「なんかいいね。朝食のいい香りで目覚める朝って」
呑気に後頭部を掻きながらまだ寝惚け眼の保坂が言った。そして、欠伸を一つ。色男は目覚めも色男だと言うことを知った。
「陸君は朝早いんだな」
「たわけ。おまえに起こされて迷惑したんだ」
「俺、寝相悪いとか言われた事ないよ」
「手癖悪過ぎ。俺を女扱いしやがって」
「全く見えないなあ」
保坂は迷うことなく俺の前に座った。桃香はそのタイミングで保坂にコーヒーを差し出す。ついでに俺の分も注いでくれた。よく気の付く妹だ。
「おまえなあ、寝ている間もサービスし過ぎだよ。俺を抱きしめて頭や腕を撫でまわしてさ。そんなんされたら目覚めるだろう」
「いや、普通は心地良くて眠るだろう」
それが当たり前のような口調で言われ、俺は怒る気力を失った。俺が溜め息を吐くと、保坂は口からカップを離し、ニヤッと笑った。
「おまえも女性にそのくらいサービスしてやれよ。気持ちよくしてもらった礼はきちんとしないとな」
「礼くらいしている。というよりメシ代やらなんやら金を払った分、返してもらっているようなもんだね。しかも相手も気持ちいい。それを考えるとサービスし放題だね」
俺がコーヒーを飲み、カップをテーブルに置いた途端、思いっきり頭を叩かれた。振り返ると真顔の桃香が立っていた。怒っている。
「女性を何だと思っているのよ。ここに女が一人いる事を知っての発言?」
「モモは俺にとって女のうちに入らないからすっかり」
もう一発、力加減なしで頭をぶたれた。そして、そのまま桃香はキッチンへまた消えた。まったくきちんと俺たちの会話を聞いているんだから。保坂は桃香がキッチンへ行ったのを確認した後、テーブルに身を乗り出した。
「俺は気持ち分かるよ。女は当たり前のように男に貢がせるんだ。その代償として身体がある」
代償とはまた――。きっと保坂も俺と同じ経験をしているのだろう。どちらも女運がない。分かっている。そんな女ばかりではない事くらいは。桃香が棚島とどんな付き合い方をしているのか分からないが、きっと棚島にそんなひどい感情を抱かせるような付き合いはしていないのだろう。桃香の話を聞いていると棚島が聖人君子に思えてならないのは俺だけだろうか。よくできた男だと思う。
桃香はトレイにスープとトーストを乗せてやってきた。その後、マーガリン、ジャム、目玉焼きを持ってくる。ダイニングテーブルは両親がいた頃から変わらないので、六人がけだ。広く使おうと思えば使えるのだが、桃香は迷わず俺の隣に座った。
「こんな朝食始めてかも」
「大げさですよ」
「いや、実家にいた時もこれほど手間のかかったものは食べていないんだ」
「スープはお代りもありますから、いっぱい食べてください」
桃香はにこりと微笑み、両手を合わせて「いただきます」と呟いた。俺も保坂もそれに倣う。保坂は嬉しそうにそれらを食べた。そして、本当にスープのお代りをした。
「お昼ご飯はどうするの?」
桃香はこれから出かけるので、俺の食事の心配をしてくれる。ここで食べると言えば、何かしら用意してくれるのだろう。
「どこか外で食べるよ。モモも早く準備しないとだろう?」
「まあね」
「素敵な奥さんになりますね。何で俺はもっと早くモモちゃんに会えなかったんだろうって陸君を恨みますよ」
確かに、俺が嫌がらず桃香を会わせていたら、もしかしたら棚島の席が保坂だったかもしれない。だけれど、保坂に身体の関係なしの恋人の付き合いなどできるだろうか。出逢いがどうのというよりもそこでふるいにかけられてしまうだろう。
桃香が出かけた後、保坂は長く息を吐いた。
「本当によくできた妹君だね。完璧すぎる気がするよ。女性としては完璧か分からないけれど、妹としてはね」
俺もそう思う。女性として付き合うことはないから分からないが、妹としては俺にはもったいないくらいだ。素直で気立てのよい妹に育ってくれた。
「あの様子だとメールの件もまだ知らなそうだし、知らないうちに何とかしてあげたいね。そう思わせるよ。モモちゃんはさ。俺でさえ守ってあげたいと思う」
「そうだろう。献身的だから余計かもな」
「だけど、おまえを兄貴とは呼びたくないが、モモちゃんだったら俺本気になれたかもしれない」
「モモが本気にならないと思うけどな」
保坂は身を乗り出して俺を思いっきり叩いた。おまえなんかにやるか。
「おまえ覚悟を決めろよ。棚島さんと会って、話すのが一番いい」
「やだ。まだ会いたくない」
「そんな事を言っている場合か?」
「会いたくないんだ。会ったら俺、棚島に何を言うか分からない」
俺の言葉に保坂は溜め息を吐いた。保坂には分からないだろう。俺の複雑な思いなど。
「おまえの心情を聞いているんじゃない。モモちゃんにとっての最善方法を探っているんだよ。もっと冷静になれよ」
きちんと分かっているつもりだ。でも心がついて行かない。棚島とはいい形で会いたい。俺が二人をぶち壊したくないから。
「分かっているよ。充分分かっている。保坂が言いたいことも、保坂が正しいことも。きちんと分かっているつもりだ」
「そうか。なら少しは安心だ」
保坂はリビングのソファに移動し、まるで自分の部屋のようにテレビをつけた。
「おもしろいテレビやってないな」
きっとこれ以上俺を責めたりはしないだろう。後は俺次第なのだから、保坂が何を言っても仕方ないのだ。保坂は言いたいことだけを俺にきちんと言ってくれた。後はどれだけ俺が大人になれるか、覚悟をもてるかなのだろう。
俺の覚悟ができないまま、一週間が経った。桃香は相変わらず元気で、二日ほど韓国へ行っていた。今日は金曜日できっと今日も桃香は棚島と一緒だろう。コンビニエンスストアでお弁当でも買って帰ろうかと会社を出た。外に出た時、見覚えのある姿を見て、俺は立ち止まった。また会うとは思ってもみなかったのだ。きっと彼女は俺に会いに来たのだろう。そう思うと、どんな心境の変化だったのだろうと不思議になる。
「こんにちは」
俺が動かないため、彼女から俺に近づいてきた。
ということで連君の器用さが浮き彫りに。
そして、謎の女性登場。過去に出てきたあの女性です。
次回は過去の女性とお食事。そして、彼女の登場に陸君は背中を押されます。
これからもお付き合いください。




