佐原誓3
佐原が俺の後ろをとぼとぼとついてくる。そんな仕草もイライラさせられるが、俺は気にせずに歩いた。俺が歩くのが速いのか、時折佐原は小走りになる。振り返らなくても足音で分かる。かかとの高いヒールを履いているから、よく響くのだ。
「ねえ、加賀山さん」
意を決したように俺を呼びとめた。俺は仕方なく立ち止まり振り返った。
「ねえ、わたし何か気に食わない事をした?なら、きちんと話して欲しいの。気をつけるから。どんな言葉も受け止める。頑張って直す、だから言って」
泣いているのか、瞳を潤ませながら懇願するように言って来る。
「……別に」
言いたいことは山ほどある。だが、言うのが面倒だった。
「お願い。わたし加賀山さんに嫌われたくない。お願いだから」
歩き出そうとした俺の腕をぐっと掴み、訴えてくる佐原に大きな溜め息をプレゼントした。面倒くさい。
「分かったから、歩いてくれないか」
「あ、うん」
先程まで佐原と食事をしていた。イタリアンだ。「何を食べたい?」と聞いて「なんでもいい」と言いながら、提案するものを拒否する嫌な女、という鉄板な展開にはならなかった。
「イタリアンがいいの。実はもう店は決まっているんだから」
とても楽しそうに言った彼女。きっとおいしかったのか、雑誌などを見て興味を抱いたのだろう。俺は頷いて彼女に連れられて行った。
もう恋人気取りの佐原は俺の腕にしがみつくように歩いていた。歩きづらい。だからと言って無下にもできず、俺は食事をする店まで我慢した。佐原のリクエストはイタリアン。女性は本当にイタリアンが好きだな。俺も好きだけれど、こういう時ってどうしてかイタリアンの率が高いような気がする。まあ、とんでもなく高価なものを強請られるよりかはましか。
それにしても、事務所を出る時、冷やかしの視線が痛かった。だがそれもクリスマスイブまでの我慢だと思えばどうにか耐えられる。本当に俺に苦しか与えない女だ。
俺に纏わりつくように腕にしがみついている佐原を見下ろす。明るめの茶色い髪はいつもよりカールがかかっていた。化粧も直されているようで、気合いの入りようが分かる。ここまではまだ許せる範囲なのだが、これから食事を楽しもうとしているのになぜまた新たな香りを纏う必要があるのだろう。おいしいもの香りを楽しむという習慣がないのだろうか。
連れられた店は、想像していた店よりも高級な雰囲気を纏っていた。桃香と行くイタリアンの店はとても家庭的な雰囲気を持っているので、少し怯んだ。だが、彼女に食べたい物を聞いた以上、俺に拒否権はないと思った。
その店に入ると優雅な動きをする店員に奥の席へと案内された。きちんと佐原の椅子を引く店員の姿を見ながら、俺は椅子に座った。次に彼女が見たのは食事のメニューではなくワインリストだった。呆然としている俺を見て、彼女はにこりと微笑み、一万円近くのワインを注文した。俺は開いた口がふさがらなかった。
佐原はこの店をすでに予約しており、コースメニューも予約済み。当たり前のように高級ワインを注文したのだ。もちろん、食事もワインもおいしかった。だが、何とも言えない感情を俺は抱いていた。
俺の財布事情も考えずに、当たり前のように振る舞う彼女。今までどんな男とどんなお付き合いをしてきたのだろう。しかも、俺と彼女は初めて食事をした仲だ。少しくらい遠慮というものが必要だろう。これが、遠慮したランクならばついてはいけない。破産が眼の前に見えている。
しかも追い打ちをかけるように、眼の前の彼女はお皿をきれいにすることはなかった。何かしら残っているのだ。なのに、口だけはずっと動いている。俺が話さなくてもいいくらいに彼女はずっと話しているのだ。そのテンションにもついていけなかった。
食事を終え、彼女は当たり前のように化粧室に立った。その間に、俺は会計を済ませた。カード払いだ。俺が食べたコース料理は七千八百円だったらしい。どうせ食べるのであれば佐原とではなく桃香と食べる。そのほうが何倍もおいしい事を俺は知っている。
会計を終えた頃、計ったように佐原が戻ってきて、店を出た。
「ごちそうさまでした」
にこりと一言言っただけで、終わってしまった。感謝の気持ちさえ感じ取れなかった。こんな事を繰り返していたら完全に破算だ。これは二人の食事ではない。佐原の独りよがりな食事にほかない。申し訳ないがクリスマスまで持たないかもしれない。価値観の問題ではない。それ以前の問題だ。
化粧室から戻ってきた彼女の唇は鮮やかな色になっており、再び纏った香りが俺の機嫌を一層降下させた。もう何も話したくはなかったし、隣を歩きたくなかった。
二人で食事をするということは二人で食事を楽しむ事だ。意思疎通を心がけるのがマナーだ。相手を財布としか思っていない時点で、アウトではないだろうか。俺に嫌われようとしているようにしか見えず、俺はそれならばと不機嫌を隠さなかった。それだけのことだった。
ケチくさい男と思っただろうか。佐原は俺の手に手を絡めたまま俯いて何も話さない。言いすぎたかもしれないが、それを求めたのは佐原だった。我が儘にしたのは今まで付き合ってきた男たちなのか、それとも育ててきた親なのか。どちらにせよ、俺には無理な話だ。
「ごめんなさい」
ぼそりと呟かれても反応の仕様がない。
「いいよ。過ぎた事だ。もう、この手を離してくれないか」
いつもよりも低い声で言ったのが悪かったのか、佐原の身体がびくりと震えた。まるで俺がいじめているように見えて、顔をしかめた。いじめられているのは俺だ。
「ごめんなさい。気をつけるから怒らないで」
顔をあげた佐原は泣いていた。せっかく直した化粧がぼろぼろだ。だが、俺はこれくらいで狼狽などしない。女性と付き合うことに慣れていない男相手の演技かもしれないが、俺はそんな女にうろたえることも焦ることも下手に出ることも、もちろん優しくすることもない。佐原は最初から間違っているのだ。それに気づいたのか、佐原はすぐにバッグを漁り、財布を取り出した。これで金を受け取ったら俺はただのケチになり下がる。俺は片手で彼女を制した。
「佐原さんがどのような女性か勉強させてもらったよ。その授業料として払っておくよ」
なるべく優しくなるように言うと、彼女はピタリと止まった。
「呆れたの?」
「そうかもね」
「ごめんなさい。浮かれていたの。今までとは違う恋をしたいの。だから、お願い教えて。どうすればいいのか分からないから教えて」
必死な彼女を見て、心が痛んだ。彼女の言い分も聞くべきかもしれない。
「なら、次回佐原さんの心の内を聞くことにしよう。冷静になった時の方が良い」
俺の言葉に安心したのか、佐原は微笑んだ。その微笑みがとてもかわいらしく感じて好感を持てた。そのせいか、俺は自然に彼女の涙を親指の腹で拭っていた。その仕草に俺も驚いたが、佐原もまた驚いたようで、その表情がとてもかわいらしくおかしかったので、俺は笑ってしまった。
「すごいグチョグチョ」
「え?嘘」
「本当。どうする?どこかで化粧直すの?」
「直さないとひどい?」
「うーん、微妙」
彼女はその後下を向いたまま歩き、駅のトイレで化粧を軽く直した。出足はひどいものだったけれど、なんとなく彼女を理解できたような気持ちで俺の感情も少し浮上していた。
陸はやっぱり性格悪いな。まあ、性格の悪い主人公ってそうはいないし、それもいいか。という感じですかね。ただ、読んでいる方は苛立つかもしれませんが。
次回はクリスマスイブ。さて、どうなることやら。
大きな心で見守ってあげてください。次回もお付き合いください。




